メッセージ

キリスト教をとらえ直してみたい方へ

 汚染や人間疎外といった様々な現代の病の根源に、西欧文化を支えてきたキリスト教を見る人たちが増えています。キリスト教国のなかでヨガや禅などに関心を示す人々が増えています。

 キリスト教の時代は終わったのでしょうか?
 そんなことはありません。確かに西方のキリスト教はいきづまっているかもしれません。しかし、それは、歴史の中の一つの特殊な「キリスト教」であったにすぎません。

 東方正教会、すなわちキリスト教そのもの、残念ながら日本も含め西方世界で忘れ去られていたキリスト教の本流は今も、いやむしろ今だからこそ、人々に本来のみずみずしい人間のいのちへの展望を与えてくれます。


目次

ハリストスの死と復活  ナジアンザスの聖グレゴリイ
「復活の福音」 G・フロロフスキー神父
大斎の精神性 カリストス・ウェア府主教他
「主の十字架と復活」 A・シュメーマン神父
復活大祭の説教 聖金口イオアン
「人としての神」 カリストス・ウェア府主教
ペンテコステはなぜ「聖三者祭」でもあるのか 名古屋教会司祭
至聖三者(三位一体)の神とは ルブリョフ
「至聖三者」の
イコンの伝える
もの

名古屋教会
司祭
復活祭論争 名古屋教会司祭
「女性司祭」について A・シュメーマン神父
正教徒と福音派との対話 「東方正教会」ページへリンク
正教徒は聖書をどのように読むべきか カリストス・ウェア府主教
十字架挙栄祭の聖像 ウラジミール・ロスキー
世のいのち A・シュメーマン神父
愛の預言者 金口イオアン ゲオルギイ・フロロフスキー神父
生神女マリヤ J.メイエンドルフ神父
聖なるものは聖なる人に A・シュメーマン神父
悲しみと病から得る利益とその必要性について スヒマ典院サワ 
教会への正教の理解 J.メイエンドルフ神父
正教の霊性は人格をどうとらえるか カリストス・ウェア主教
霊的弱点からどうのがれるか アトスのパイシイ
自己愛とは何か アトスのパイシイ
霊的欠点とはなにか アトスのパイシイ
 すべての者のすくいに望みをかけるべきか  カリストス・ウェア府主教
 ホミャーコフと正教会の教会論  ユースト・バン・ロスム
 「聖書のみ」その前提  クラーク・カールトン

ハリストスの死と復活  復活祭の説教から
                   ジアンザスのグレゴリイ(四世紀の師父)

 きのう、私は、彼とともに十字架に釘付けられた
  きょう、私は、彼とともに光栄を受ける
 きのう、私は、彼とともに死んだ
  きょう、私は、彼とともに生きるものとされる
 きのう、私は、彼とともに葬られた
  きょう、私は、彼とともによみがえる

 私たちのために苦しみを受けよみがえられたお方に、
 私たちの所有物の中から、神にとって最も貴重なもの
  そして最も相応しいもの、
 そう、「私たち自身」をささげよう。

ハリストスが私たちのようになられたのだから
  私たちがハリストスのようになろう
私たちのために、ハリストスは人となったのだから
 私たちも彼のために、神のごときものとなろう

私たちにより善いものを与えるために、彼はより悪いものを身にとられた
 私たちを豊かなものにするために、彼はご自身の遜りによって貧しくなられた
私たちが再び自由を勝ち取るために、彼は僕の形をお受けになった
 私たちが引き上げられるために、彼は降ってこられた、
 彼によって私たちが誘惑を克服できるように、彼は試みられた
 私たちを光栄あるものとするため、彼は不名誉を受けられた
 私たちを救いだすため、彼は死なれた
堕罪によって打ち倒された私たちをご自身に引き寄せるために、彼はのぼられた

私たちのためにご自身を贖い代、和解の献げものとしてお与えになった方に、
      すべてを与え、すべてをささげよう
肉体を藉られた神、私たちを生かすために死なれた神が、私たちには不可欠だった
私たちは、きよめられるために、彼とともに死に渡された
 彼とともに死んだのだから、彼とともによみがえらされた
彼とともによみがえったのだから、彼とともに光栄を受けた
主の御血の滴りが、被造物全体を再創造したのだ!


復活の福音(コリンフ前書第15章)            ゲオルギー フロロフスキー 神父(*1)

人間は死によって崩壊する。
 これはキリスト教的人間観全体を支える根本的な原則です。神は人間を霊(たましい)と肉体(からだ)が合わさったものとして創造しました。人間にとって、肉体は不可分な構成要素なのです。キリスト教独自のメッセージのなかで、たぶんこれが最も衝撃的な新しい宣言であったろうと思われます。

 ハリストスの復活の教えは、十字架の受難についての教えと同様に、異邦人にとっては馬鹿々々しい話であり「つまづきの石」でした。聖使徒パウェルはアテネの哲学者から「さえずる者(おしゃべり)」と嘲られました。パウェルが「イイススと復活とを、宣べ伝えていた(使徒行実17・18)」からです。
 ギリシャ的精神にとって、肉体は常に厭わしいものでした。初期キリスト教時代のギリシャ人たちは、プラトンやオルフェウス崇拝に強く影響されており、肉体は牢獄のようなもので、堕落した魂がそこに投獄され幽閉されているのだと考えていました。彼らは何より完全かつ最終的な「肉体(牢獄)からの解脱」を夢見ていたので、キリスト教徒の復活の信仰などは、彼ら「異邦人」の精神を混乱させ恐れさせるだけのものでした。彼らにとって復活は、監禁状態が永遠に続くことであり、再び投獄されて永久に逃れられないことでした。
 
 ケルソス(*2)は良識の名のもとに、肉体の復活への期待などというものはミミズにこそふさわしいと嘲笑し、クリスチャンたちに“philosomaton genos”〈肉を愛するやからたち〉とあだ名をつけました(オリゲネス「反ケルソス論」5章 14・7章36)。プロチノス(*3)も同じ考えでした。彼は次のように述べています。
 「真実の覚醒とは、肉体をともなった復活(よみがえり)ではなく、肉体からの復活(よみがえり)なのだ。なぜなら、肉体をともなった復活とは、単に一つの眠りからもう一つの眠りへ、ないしは一つの住処から他の住処への移動にすぎないからである。肉体はその起源と、生成し変化しやがて腐敗してゆくという点において魂の本質と一致しない。肉体と魂は決して相容れるものではないのだから、唯一の覚醒は肉体なるもの全てからの脱出なのである。」(「エンネアデス」3章6・6)

 ギリシャの哲学者たちにとっては、罪に対する畏怖よりはるかに不潔(ケガレ)に対する恐怖の方が強かったのです。彼らにとっての罪とは実に不潔(ケガレ)を意味していました。「低き本性」としての、肉をまとった身体、この物質的でいとわしい物体は、全ての悪の根源であり媒体だとして忌み嫌われました。悪は自由意志の間違った使い方からではなく、肉によって生じるケガレから来るので、人はこのケガレをすっかり洗い落とすことによって、悪から解放されるべきだと彼らは考えたのです。

 肉体についてのこのようなギリシャ的思想に対して、全く新しい考え方をキリスト教はもたらしました。きわめて初期の段階から、Docetism(ハリストス仮現説:地上のハリストスは天上の霊的実在者としてのハリストスの単なる幻影であったとする説)は最も有害な誘惑だとして退けられてきました。「反ハリストス者」がもたらす、福音を否定する「暗闇」とされたのです。(イオアン第1公書 4・2〜3)

 聖使徒パウェルは「わたしたちの身体のあがない(ロマ書 8・23)」を力説しています。「それを脱ごうと願うからではなく、その上に着ようと願うからであり、それによって、死ぬべきものがいのちにのまれてしまうためである。(コリンフ後書 5・4)」これはまさにプロチノスの説に対する反論となっています。

  聖金口イオアン(*4)はこれを次のように注解しています。
「聖使徒パウェルは、世界の物質性を軽視し人間の肉体をそしる者たちに決定的な攻撃を加えている。彼が言わんとしたのは、肉体と腐敗は別のものであり、私たちが脱ぐのは、肉ではなく腐敗であることだ。肉体が即ち腐敗ではなく、腐敗が即ち肉体でもない。肉体は確かに腐る、しかしそれは〈腐敗〉ではない。肉体はいずれ死ぬ、しかしそれは〈死〉ではない。肉体は神によって創造された。しかし〈死〉と〈腐敗〉は罪によってこの世にもたらされた。それ故、我々が取り去らなければならないのは、我々にふさわしくない「異物」であると聖使徒パウェルは教えている。その異物とは肉体ではなく腐敗なのである。来世において粉々にされ捨て去られるのは、肉体ではなくそれにまとわりついている腐敗と死なのである。」
 
  疑いなく聖金口イオアンは、全ての教会に共通の感覚をここに示しているのです。ある二世紀のラテン教会の護教家も「我々は常に肉体の復活を待ち望んでいなければならない。」と書き残しています。(Minutius Felix,Octavius 34)また、あるロシアの作家は、カタコンブ(ローマ時代の地下墳墓)について、適切にも次のように述べています。

 「初期キリスト教徒の墓地の、喜びに満ちた晴朗感と、安らぎに満ちた限りなく平安なたたずまいを、いったいどの様な言葉で表現すればよいのだろうか。あたかも雪に覆われた麦のように、来世での永遠の春を待ち望み予言しつつ屍はここに横たわっているのだ。」

 麦のたとえは聖使徒パウェルも用いています。
「死人の復活も、また同様である。朽ちるものでまかれ、朽ちないものによみがえるのである。(コリンフ前書 15・42)」最後の審判の日に神の力によって実るために、人間の屍は地に蒔かれるのです。「我々は死んでも滅びるわけではない。地に蒔かれた種のように、やがて芽を出すのだ。(聖アファナシイ*5藉身論21)」墓の一つ一つは既に不朽なるものの神殿となっているのです。

しかし、復活はたんなる復帰や繰り返しなのではありません。最後の日の全死者の復活についてキリスト教が教えるところは、ストア派の哲学者たちの教えた「永遠の回帰」とは違うものです。復活は真の更新であり、変容であり、全ての被造物の造り変えなのです。たんに過ぎ去ってしまったものが戻ってくるのではなく、より善くより完全に、高められ充実されたものとして復活するのです。

 「また、あなたのまくのは、やがて成るべきからだをまくのではない。‥‥ただの種粒にすぎない。‥‥‥肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。(コリンフ前書 15・37、44)」そこでは大いなる変容が遂げられるでしょう。しかし、それでもなお個々の人間の同一性は失われることはありません。

 聖使徒パウェルの言う「肉のからだ」と「霊のからだ」の区別については、明らかにもっと深い解釈が要求されます。フィリップ書の第3章21節にみられる、「わたしたちの卑しいからだ」と「ご自身の栄光のからだ」というもう一つの区別も同時に吟味しなければならないでしょう。‥‥‥しかし、この神秘はわたしたちの知識と想像力を超えています。「わたしたちがどうなるのか、まだ明らかではない。(イオアン第1公書 3・2)」

「しかし事実、ハリストスは眠っている者の初穂として死人の中からよみがえったのである。(コリンフ前書 15・20)」偉大なる「死の三日間」は主の復活の前の神秘に満ちた日々でした。聖大土曜日のシナクサリオン(*6)の中で説かれているように、「聖大土曜日に我らの主、救い主イイスス・ハリストスの神聖な肉体の埋葬と、主の地獄への降下をほめ上げようではないか。それによって我らは腐敗から呼び返され永遠の生命に渡されたからである。」この日はたんに救いの前夜だったのではなく、既に救いの日そのものだったのです。

 「祝せられしスボタ、此は安息の日なり。この日に神の独生子はそのことごとくの工(わざ)を竣(お)へ、かつて定めし死に籍(か)りて肉体にて安息せり。(聖大スボタの晩課スティヒラ)」肉体として、主は墓のうちに安らっておられ、その神性は御自らの肉体を捨て去るということはありません。「言葉よ、爾殺されたれども、受けし所の肉体より分かれざりき。蓋、苦しみの時に爾の殿こぼたれども、爾の神性と肉体との位は一たりき、二つの中に爾一にして、子、神の言葉、神人あればなり。(聖大スボタの早課・カノン第6歌唱)」それ故、主の肉は腐敗するものではありません。生命の最も深いところ、「言葉」であり「永遠の生命」である位にそれは留まっているのです。主の肉体はこの不朽なる位の中で、光栄に満ちたものに変容されたのです。屈辱の肉体は葬られ、光栄の身体(からだ)が墓から起き上がったのです。

 イイススの死によって、主に対する死の無力が明らかにされました。完全に人間であるという点において、主は死すべきものであり、現実に主は死んだのです。しかし、死は主を捉え続けることはできませんでした。「イイススが死に支配されているはずはなかったからである。(使徒行実2・24)」聖金口イオアンは「主の被った痛みはいわば陣痛のようなものであり……そして主は死せざるものとしてよみがえったのである。」と述べています。主は永遠の生命であり、主は死によって死を滅ぼしたのです。主は黄泉(死の領域)へ降り、力強く主の永遠の生命を宣言したのです。主は死そのものに息を吹き返させたのです。

  神への不従順と堕落が死をもたらすという潜在的な可能性が、第一のアダムにおいて現実のものとなり、第二のアダムにおいて、神への従順によって不死性を獲得できるという可能性が、死の不可能性へと浄化され現実のものとなったのです。何故なら「アダムにあってすべての人が死んでいるのと同じようにハリストスにあってすべての人が生かされるのである。(コリンフ前書 15・22)」

 ハリストスの中の人間性の構造全体が、安定して強固なものであることが判明しました。魂の身体からの分離は最終的な決裂には至りませんでした。ニッサの聖グリゴリイ(*7)が指摘しているように、人の通常の死においてさえ、魂と身体の分離は決して絶対的なものではなく、そこにはなお一定の結合があるのです。ハリストスの死においては、この結合によって、魂がその残してきた身体を記憶しているというのに留まらず、主の魂は身体の「生きた力」であることをやめませんでした。

 主の死は魂と身体の分離とか遊離とかであるより、実際にはむしろ眠りのようなものだったのです。「そして人間の死はただの眠りとして示されたのである。」とダマスクの聖イオアン(*8)も言っています。現実に死が存在することには変わりないのですが、死の無力性が暴露されたのです。主は実際にまぎれもなく死にました。しかし主の死は、私たちひとりひとりの死においては隠れていて見えない「復活の力学」を宣言しているのです。

 「一粒の麦」の光栄に満ちたたとえ(イオアン伝 12・24)がハリストスの死に完全に当てはまります。藉身した神〈イイスス・ハリストス〉の身体の場合は、死と復活の間隔が縮められています。「卑しいものでまかれ、栄光あるものによみがえり、弱いものでまかれ、強いものによみがえり、肉のからだでまかれ、霊のからだによみがえるのである。(コリンフ前書15・43〜44)」まかれた種のこの神秘的な成長は、主の場合三日間で完成しています。

 「主は神殿としての自らの身体を死の状態に長い間放置しなかった。死によって主は身体に死の世界を示し、ただちに三日目にかの身体を起こし、それとともに死に対する勝利の叫びをも起こしたのである。すなわち、不朽と永遠の充実が身体に対して宣言された。(藉身論26)」ここで聖アファナシイは、ハリストスの死が同時に勝利と復活の性格を有することを示しているのです。この「三日の死」の神秘のうちに、主の肉体は光栄の身体に変容され、力と光輝を着せられたのです。種は成熟します。そして、花婿が部屋から出てくるように、主は死からよみがえるのです。これは神の力によって達成されました。「最後の日」の全ての死者の復活も同様に神の力によるのです。主の復活において神の藉身は完成し極点に達しました。それは人間性の中での永遠の生命の勝利宣言であり、人間存在への不死性の移植なのです。

 ハリストスの復活は主ご自身の死に対する勝利であるばかりでなく、全ての死に対する勝利でした。「我ら死の死を祝う、地獄の滅び、新たなる永遠の生命の始まりを!(復活祭のカノン、第2歌頌第2トロパリ)」主の復活によって、人間全体と人間性の全てが主とともに復活せしめられました。「人類は不朽を衣た。」のです。ともに復活せしめられたとは言っても、実際に墓から全ての死者がよみがえるという意味においてではありません。人はやはり死にます。しかし、死への絶望は捨て去られました。死は無力にされたのです。

 聖使徒パウェルはこの点を非常に強調しました。「もし死人の復活がないならば、ハリストスもよみがえらなかったであろう。……もし死人がよみがえらないなら、ハリストスもよみがえらなかったであろう。(コリンフ前書15・13、16)」聖使徒パウェルがここで言いたいことは明白です。すなわち、ハリストスの復活がもし全ての人々にも共通の成就でないならば、また頭(ハリストス)とともに身体(人類)にも復活の可能性があらかじめ与えられるのでなければ、主の復活は無意味になってしまい、さらにハリストスそのものへの信仰はいかなる意味も失い空虚で空しいものとなり、結局、信ずべきものは何も無くなってしまうということなのです。「もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり…(コリンフ前書15・17 )」

 全人類の復活への希望を欠いたハリストスへの信仰というものがもしあるとしたら、それは空しく目的のない、ただの虚栄心にすぎません。
 「しかし、いまハリストスは復活した。」そしてこの復活のただなかに永遠の生命の勝利が横たわっているのです。

 聖金口イオアンはこう述べています。「我々が死ぬということは依然として変わらない。しかし、我々はもはや死んだままの状態で放置されることはないのだ。それはもう『死』とは言えまい。死者が決して元の生者へと戻れないということにのみ死の権能と現実性があるにすぎない。………死後彼がよみがえり、その上さらによりよき生命をいただけるのなら、これはもはや死とは言えないのだ。ただ眠りに就いているだけなのである。」

 同様の考え方は、聖アファナシイにおいても見ることができます。「死に対する絶望は捨て去られた。復活の恩寵によって、腐敗が止み取り去られたので、今後、我々は肉体の物質的な必然性に従って、一時の間、溶解するに過ぎなくなったのだ。それは地に蒔かれた種によく似ている。我々は滅びることなく、地に蒔かれやがて再び芽を出すのだ。救世主の恩寵によって死は無にされたのだ。(藉身論21)」全てがよみがえるでしょう。今後、死(魂と肉体の分離)は一時的なものになります。生命をもたらす十字架の力によって、黄泉の暗いベールは取り去られたのです。

 ニッサの聖グリゴリイは十字架と復活の本質的な相互依存性を強調しています。彼は特に二つの点を主張します。一つは神の位の統一性です。そこではハリストスの魂と身体が、たとえ死の分離状態の中に於いても、結び合わされています。もう一つはハリストスの完全な無罪性です。彼は次のように述べています。

 「肉体に固有の必然的な過程により、ハリストスに於いてさえ、魂と肉体が分離へと進行してしまったとき、主はばらばらにされた両者を再び一つに編み直したのである。それは神の神聖なる力というセメントによる結合、また、破壊されたものの、決して壊れることのないものへの再結合なのである。これが復活であり、神が人間をお造りになったとき人間に与えられていた原初の恩寵に再び浴するため、死によってそれまで結び付いていた諸要素が溶解してしまった後に、分解され得ない統一体へと相互の結合によってよみがえることである。溶解した我々から、人間の性質に混ぜられていた悪徳が蒸発して消え去ったとき、永遠の生命が回復されるのである。……何故なら、死の原理がひとりの人間において生じ、引き続いて全人類に伝わったのと同様に、復活の原理はひとりの人間から全人類に伝わるのである。……何故なら、主が自ら引き受けた具体的な人間性(イイスス)において、魂は溶解の後に身体に戻って来た。新しい原理によるこの再結合は人類全体に、同等の力をもって伝わった。これがハリストスの死と、死からの復活に関しての神のご計画の神秘なのである。(大教理教育論16)」

 つまり、ハリストスの復活は人間の存在の完全性と全体性の回復、人類全体の再創造<new creation>なのです。聖グリゴリイは、二人のアダムについての対照と比較を行うなど、忠実に聖使徒パウェルの足跡を追っています。

 全人類の復活は、我らの主の復活の極点であり、死と腐敗に対する主の勝利の最終的な到達点です。歴史的な時間を超えてそこには「来るべき時代の生命」<神の国>があり、最終的には、全ての被造物のために「祝福されたスボタ」、真実の「安息日」、神秘に満ちた「創造の第七日」が開始され永遠に続くのです。そこでどの様なことが期待されるかは未だ想像を絶しています。しかし、保証は与えられています。ハリストス復活。(翻訳 松島雄一)       

注*1 ゲオルギー フロロフスキー 1893年〜1979年 ロシアの神学者 司祭の子として生まれる。1916年オデッサ大学を卒業し同大学で哲学を教える。1920年ソフィアに亡命、次いでプラハに移り法学講師となる。26年からパリの聖セルギイ神学院の教父学教授、さらに教義学教授を務め、32年司祭に叙聖。48年にアメリカに渡り、ニューヨークの聖ウラジミール神学校の東方教会史教授、プリンストン大学客員教授を歴任、ギリシャ教父の広範な研究を行い<新教父学的総合>の必要性を提唱。またロシア宗教思想に関する入念な研究書「ロシア神学の道」(1937)を著す。37年から世界教会協議会(wcc)の会議に定期的に代議員として出席、教会一致運動で指導的役割を演じた。

*2 ケルソス Celsus 2世紀後半、反キリスト教著作活動をしたローマのプラトン主義哲学者。古代で最も重要なキリスト教批判者である。オリゲネスの著作によってその思想を知ることが出来る。本人の著作は現存しない。ケルソスは霊魂不滅の立場からキリスト教をギリシャ人の知恵(特にプラトンの教説)の歪曲と非難し、福音の非<合理>(ロゴス)性を暴きキリスト者の集会の非<合法>(ノモス)性を主張した。

*3 プロチノス Plotinos 3世紀。エジプトで生まれたローマの哲学者、新プラトン主義の創始者。存在・思考を全く超越する神的「一者」から、あたかも源泉から溢れ出る流れのように種々の存在段階が「流出」し、その際「一者」から遠ざかるに従って、ヌース(英知)プシュケー(魂)質料(物質・肉体ととりあえず理解してよい)の順に存在の完全性の程度が減り、最後の質料(物質・肉体)は「一者」の絶対否定として非存在・悪にほかならず、人間精神の究極の目的はこの神的「一者」との神秘合一、エクスタシス(忘我脱魂)にありとした。主著「エンネアデス」

*4 聖金口イオアン 4世紀の代表的聖師父でありコンスタンチノープルの主教。アンチオキヤに生まれ早くから修道生活を志し隠修士としての修行を積んだ。説教の巧みさによりクリュソストモス(金の口)と呼ばれる。「金口イオアンの聖体礼儀」を完成したと言われ、また復活大祭の早課の説教は復活の喜びを力強く宣言しており、世界中の正教会で読まれている。

*5 聖アファナシイ 4世紀のアレキサンドリアの主教。生涯をアリウスの異端との戦いに捧げた聖師父。

*6 シナクサリオン 月課経中の早課にある当日の聖人や祭についての簡単な説明。

*7 ニッサの聖グリゴリイ 4世紀の聖師父。ニッサの主教。カッパドキヤの3師父(聖大ワシリイ・ナジアンゾスのグリゴリー)の一人。

*8 ダマスクの聖イオアン 7世紀から8世紀。ダマスクスの豊かなキリスト教徒の家庭に生まれ、父の職を継いでイスラムのカリフに仕えたがその強い信仰故に、職を辞し、サワ修道院に入り生涯をそこですごした。イコン論争では擁護論の代表者として正教信仰を護った。また、マニ教・イスラム教・ネストリウス異端・単性論異端とも多くの論争を行った。



主の十字架と復活

アレクサンドル・シュメーマン神父
「ニケヤ・コンスタンティノープル信経」へのコメンタリより

                        は現代の正教奉神礼神学の代表的碩学
十字架に釘うたれ…

 神は、人・イイススとして、私たちのもとに降りて来られ、ご自身と私たちを結びつけ、そのはかりしれない愛をあきらかにし、私たちのために、愛と光の永遠の王国の入り口を開いて下さいました。
 ところが人々はイイススを受け入れず拒絶いたしました。福音記者神学者イオアン(ヨハネ)は言っています。

 「彼は自分の所にきたのに、自分の民は彼を受け入れなかった」(イオアン1:11)

神は「天より降り」ました。そして、何と「十字架に釘うたれ」ました。
 神は「身をとり」ました、そして、何と「苦しみを受け」ました。
 神は「人となり」ました、そして、何と殺され「葬られ」ました。
 信経が告げるこの両極の対照、愛に対する憎しみ、厚遇への拒絶、恵みとその拒否、ここにクリスチャンの悪への理解、いやむしろ悪への意識、悪の体験が明らかにされます。そして、同時に、ここにこそ、ハリストスの悪への勝利、悪の破砕の体験が明らかにされるのです。
 
 なぜ、ハリストスは拒絶されたのでしょう?「十字架につけよ、十字架につけよ」(イオアン19:6)という群衆の叫びでそのクライマックスに達する、膨らみ続けていった憎しみは何に根ざしていたのでしょう?ハリストスが人々の前に姿を現したその瞬間から、そのすべてのわざ、すべての説教は一貫した愛と善と苦しみの分かち合い、そして憐みの受肉ではなかったのでしょうか?
 ハリストスはご自身について、古い預言者の言葉を用いて次のように言いました。

「主の@(み霊)がわたしに宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えるために、わたしに膏けて(聖別して)下さったからである。主はわたしをつかわして、囚人が解放され、盲人の目が開かれることを告げ知らせ、打ちひしがれているものに自由を得させ、…」
     (ルカ4:18、イサイヤ61:1、2参照)
 
 町や村を巡り歩くとき、人々の群が主について行きました。病人や苦しむ者たちを主のもとに連れてきました。彼らは主の言葉に耳を傾けました。愛と深い傾倒をもって主を取り囲んでいるとしか見えませんでした。その彼らは一体どこに行ってしまったのでしょう?祭司長、そしてピラトの前に、主が立っておられたとき、またローマ兵が主を打ち、嘲ったとき、彼らが主の手と足に釘を打ち付け十字架に張りつけたとき、彼らはどこにいたのでしょう?もしかしたら、これは実は同じ群衆、同じ人々ではなかったのでしょうか?
もし同じ人々だったとしたら、彼らの愛はどのように憎しみに、彼らの傾倒はどのように拒絶に変化したのでしょう?ピラトでさえ「わたしは彼には何の罪も見いだせない」(イオアン19:6)と断言しているのに。
 イイススの隣で十字架にかけられた犯罪人も「このかたは何も悪いことをしたのではない」(ルカ23:41)と言いました。
 しかし、何としてもこの男を地上から抹殺したい、殺してしまいたいという恐るべき憎しみの圧力の前には、すべてが無力でした。
福音書が伝えるその間の説明は、私たちが福音書にじっと耳を傾け、思いめぐらし、その隅々まで自分のものとしたとき、始めて明確となります。人々はハリストスを拒絶し、憎み、十字架に釘うちました。これは、何か特定の理由によってではありません。ピラトに対して、ユダヤ人たちから中傷的に告発された、でっち上げの犯罪によるのではありません。ピラト自身は、ハリストスを屈辱的で恐るべき死に定めはしたものの、人々の嘘と中傷を見抜いていました。ハリストスの十字架刑は、何か人々の誤解や偶然によるのではありません。断じてありません。ハリストスは彼の善、彼の愛、彼から輝き出る人々が耐え得ない眼もくらむような光によって、十字架に釘うたれたのです。自分たち自身すら気づいていない、自分たちの人生の基調「悪」を、主があらわにする故に、人々はそれに耐えられないのです。
 堕落したこの世が恐るべきものであるのは、「悪」がそれを支配しているばかりでなく、悪が仮面の中に隠れて何か善いものであるかのように振る舞っていることです。悪は善として己れをふれ回ることによって、この世における勝利を宣言しています。この、私たちの時代においても、人々が奴隷状態にされ、殺され、欺かれ、だまされ、虐殺され、滅ぼされるのはいつも、善の名によってであり、自由の名によってであり、人類への貢献の名によってであります。あらゆる悪は、こう叫びます。
 「私は善である」
 そして叫ぶだけでなく、人々にもそれに応え絶え間なく叫ぶことを求めます。
 「あなたは善、あなたは自由、あなたは幸福です!」と。

 悪がもしその正体をあらわに示しているなら、悪には何の力も何の勝利もありません。悪は、善を装うことによって、欺きを通して、この世を征服いたします。私たちは、この欺きに励まされ、憎しみ、殺人、隷属、虚言、狂気を正当化します。ハリストスがあらわにし、克服したのはこの欺きです。彼は、言葉によってだけでなく、まずご自身を通して、ご自身のありかた、ご自身がそこにいるということを通じて、欺きをはぎ取り、悪をあらわにしたのです。ハリストスは証人です。そして、犯罪者はだれでも、その見せかけを守るために、証人を逆に犯罪者として粛正しようと企てます。

 「ヘロデとピラトは、以前は敵視していたがこの日に(まさに主の断罪と殺害の日に)親しい仲になった」(ルカ23:12)。

 福音記者のこの簡潔な観察には悪の恐るべき真実の一切が含まれています。
 
 そうです。人々はハリストスが助けてくれ、癒してくれ、奇跡を行ってくれる限りでは、彼に従いました。そして、同じ人々が、主を見捨て、「彼を十字架にかけよ!」と叫んだのです。彼らは、悪の恐るべき直感によって、この完全な人物、完全な愛のうちに、自らの真の姿が白日の下にさらされることを知っていたのです。主の愛を通して、主の完全さを通して、彼らが望んではいない生き方を、すなわち「愛、真実、完全さを生きなさい」と求められていることを知っていたのです。彼らはそれに耐えられませんでした。この「証人」は沈黙させ、抹殺しなければなりませんでした。

 十字架と主の磔刑のほんとうの意味と深さはここにこそあります。この悪の見せかけの勝利の中に。しかし、勝利者は実は善でした。
 なぜなら、善の勝利はまさに、悪が悪としてあらわにされるという、この地点から始まるからです。
 司祭長は自分が嘘をついていることを知っていました。
 ピラトは完全に無罪の人間を自分が死罪に定めたことを知っていました。
 そして、時を追い、一歩一歩、悪がその恐ろしい勝利に近づくにつれて、善の勝利の輝きが燃え始め、明るさを増していきました。その勝利はついに、主の隣に釘つけられた犯罪人の痛悔の言葉に、また、刑を執行した百夫長の言葉にあきらかにされ、私たちの耳に達します。

 「まことにこの人は神の子であった」
           (マトフェイ27:54)

 十字架上で死んだお方は、彼の証言を全うしました。そして、それを通じて、その内側から、悪は破壊されたのです。なぜなら、悪は悪として永遠にあらわにされたからです。
 十字架は、釘つけられたお方の死と復活によって成就される勝利の始まりなのです。


苦しみを受け

信経は、ハリストスが「苦しみを受け…」と告白します。しかし、そもそも十字架には苦しみがともなうのですから、この言葉は、内容的に「十字架に釘うたれ」と重複していないでしょうか?
 この疑問には次のように答えられます。
 「十字架に釘うたれ」と言うとき、私たちは、まず主を十字架に釘つけた人たちについて語っています。悪について語っています。十字架と主の磔刑によって表わされた、一見して明らかな悪の勝利について語っています。しかし、ハリストスの十字架は悪を悪としてあらわにし、悪からその仮面を剥ぎ取り、悪の打倒への第一歩をしるしました。
しかし、「苦しみを受け」と言うとき、私たちはハリストスご自身について語っているのです。今度は、私たちの内面の眼差しを、十字架につけた者でなく、十字架につけられたお方に向け、焦点を合わせなけばなりません。
 もし、異端者たちが言うように、ハリストスが十字架上で苦しまなかったら、肉体的また感情的な苦しみを受けなかったとしたら、世界を救う救主ハリストスへの私たちの信仰はまったく異なったものになっていたでしょう。これが、私たちが、「自由の苦しみ(自発的な苦しみ)」という主の救いの本質への信仰に固執する理由です。ハリストスはご自身を、最も恐ろしく理解しがたく逃れ難いこの世の法則「苦しみの法則」へと投げかけられたのです。

 この世が苦しみに満ちている証拠には事欠きません。肉体的また精神的苦痛、あらゆる種類の痛みや苦しみが満ちています。また、しばしば、死への恐怖をしのぐほど耐え難く、自ら命を絶つほどの苦しみがこの世にはあふれています。
 しかし、この「苦しみの法則」が圧倒的で普遍的であるにもかかわらず、人がそれを受け入れようとしないことは、同様に明白な事実です。すべての宗教、哲学、イデオロギー、すなわち何千年にもわたって人類に示され続けてきた「処方箋」は、例外なく、苦しみからの解放、苦しみの終局を約束しています。個人主義と集団主義、宗教と無神論、保守主義と急進主義を問いません。そして、人々がこの約束を受け入れ、信じ、ある意味で人生のより所としている事実は、人間の意識の中に「苦しみは本来あってはならないもの」という抜きがたい確信があることを明らかします。どこにでもあたりまえに存在することを「正常」なことと呼ぶなら、苦しみほど正常なものはありませんが、人はまさにこの正常さを「異常」と感じているのです。

 さて、ここで私は渾身の力を込めて言わなければなりません。
 古今東西の宗教や哲学やイデオロギーの中で、キリスト教だけが苦しみからの解放を約束しません。
 ハリストスはその活動のいっさいを人々の苦しみからの解放に費やしたにもかかわらず、

 「あなたがたはこの世ではなやみ(苦しみ)がある」(イオアン16:33)

 と言います。ハリストスは人々に苦しみからの癒しを与え、私たちにも隣人の苦しみを少しでも取り除いてやりなさいと教えながらも、決して一度も、「この世を苦しみから解放するために、苦しみに終止符を打つために、苦しみを一切取り除くために、自分はこの世に来た」とは言っていません。ハリストスは「みずからすすんで、自由に」、ご自身を待ち受けるものは何かを良く承知した上でエルサレムに上りました。そして、私たちが主に従い、ごくわずかな程度であれ、主の戒めの道を歩むなら、私たちも同じ苦しみを受ける、と予言しています。なぜでしょう?この明白な矛盾の意味は何でしょう?
 それはこうです。
 ハリストスがご自身の地上での生活でいつも「苦しみ」に出会い、憐み、癒し、助けるのは、私たち全てと同じく「苦しみ」を「正常」なものとして受け入れることができないからです。苦しみに対し、主は「深く心を動かされ」(イオアン11:33)ます。神は人を悩みや苦しみのためにお造りになったのではありません。喜びと豊穣な人生のためにお造りになったのです。ハリストスにとって、あらゆる苦しみは悪の勝利であり、「神の造られた世界」に本来あってはならない悪です。
 さらに悪の恐ろしさは、苦しみを、死とともに、何か正常なもの当たり前のものに変えてしまったことにあります。世界と人生のたった一つの法則にしてしまったのです。世界と人生を苦しみから解放する処方箋はありません。奇跡的な癒しや蘇生でさえもそれは不可能です。反対に、そういうものは苦しみの全能性と不可避性を強調し、異常なものが「正常」となっている恐ろしさを印象づけるだけでしょう。癒された者はいつかはまた病気にかかり、死にます。慰められ、幸福を与えられた者は、いつかはまた悲しみと人生の痛み、悪の勝利を思い知らされます。
 「この世ではあなたたちは悩みがある」。
 これをよく知って始めて、ハリストスが、そしてキリスト教が「苦しみ」の問題に与えた答えを理解できます。
 答えはこうです。苦悩は廃棄できません。
 それは堕ちたこの世では不可能です。
 ほんとうの答えは「苦しみそのものの勝利への変容」です。

 ハリストスはこの「変容」を、ご自身が苦しみを受け入れ、自らすすんでそれに服することによって完成しました。もし、私たちが、苦しまれたハリストスのイメージを鮮明に記憶していないなら、「苦しみの勝利への変容」という言葉には何の意味もありません。気取ったレトリックか自己慰安に過ぎないでしょう。
 この「ハリストスの苦しみ」は私たちに何を語っているのでしょう?
神の子、ハリストス、この地上に射し込んだ神の光輝であるお方が、私たちの苦しみのただ中に、人としての完全な苦しみ、最も恐るべき苦悩をもって、入って来られたということです。ハリストスは、私たちとともに、私たちのひとりとして、さらに人間性のただならぬ深みで、苦しみ抜かれました。受難を前にした、ゲッセマネでの、主のご様子を福音記者マルコは、

 「恐れおののき、また悩み始めて彼らに言われた『わたしは悲しみのあまり死ぬほどである』」          (マルコ14:33)

 と伝えています。
 このように、主ご自身が私たちと「ともに苦しむ」ことにより、私たちは、私たち自身の苦しみを、主と「ともにする苦しみ」へ変容し、さらに霊的な戦いと勝利へと変容する可能性をあたえられました。苦しみは無意味と不条理の勝利であることをやめ、ハリストスにより、信仰と愛と希望と、そして「意味」に満たされたのです。生命の崩壊としての苦しみはハリストスによって真正なる霊的生活への再生の可能性へと変えられました。
 今私は「可能性」と言いました。なぜならハリストスの苦しみという救いのわざは魔法ではないからです。人間的な思いからは、この可能性を現実に変えることほど、困難で不可能と感じられるものはありません。

 現実の私たちは、今なお、神・ハリストスに、私たちの苦しみを終わらせてくれることをこそ望み、この「変容」は望んでいません。ハリストスが癒す方であり苦しみを終わらせる方であったとき群衆が主に求めたものを、私たちも求めてやみません。
 しかし、それでも、ハリストスは苦しみを、ご自身のためにも私たちのためにも、取り去ってしまうことはありませんでした。かえってハリストスは、私たちを、はかり知れないほど偉大な何物かにふさわしいものとお見なしになっています。主の苦しみを身に引き受け、ともに苦しみ、その苦しみこそが苦悩の破壊的な力を打ち破ると認め、信仰・希望・愛に突入し、聖神(聖霊の日本正教会訳)の勝利、神の国への入城を確信できる者として、見なしました。
 「わたしの力は弱いところに完全に現れる」              (コリンフ後12:9)

 私たち自身の周囲を注意深く見回してみるなら、次のように確信できると思います。もし世界に真正なる精神性の勝利、信仰の、愛の、希望の勝利、ハリストスにある人々の勝利があるなら、これらはすべて例外なく、ハリストスの苦しみの勝利、ハリストスとともに苦しんだ者たちの勝利でしょう。
 私がここで、不充分な、かえって意味を貧しくしてしまう、限りある人間の言葉で、敢えて、お話ししてきたことの一切が、信経のたった一言「苦しみを受け」に凝縮され、永遠に光を放っているのです。


…葬られ

信経は、ハリストスが十字架につけられ、苦しみを受けたことを告げるのに引き続き、主は「葬られた」と宣べます。なぜこの言葉が使われるのでしょう。「死んだ」とあるべきではないでしょうか?埋葬は明らかに死が前提です。しかし、人間と世界の救済が成就した主イイススの一連の出来事を数え上げるに際し、教会が「死んだ」とは言わず「葬られた」と言うのは決して偶然ではありません。この問いに答えることは、キリスト教信仰のまさに中心にある最も重要な問題にふれることとなるのです。

次のように言えるでしょう。
 死は未だに、私たちのこの世での生命に結びついており、その終局での核心的出来事であり続けます。生理的現象としての死は、いわゆる「死後の世界」を信じていようがいまいが、議論の余地なく自明のことです。
 ところが、死者の葬りは、既に、死そのものでなく、それに引き続くものに関わっています。埋葬を行う者たちがどのように死と関わっているのか、死についてどう考え、どう信じているかを示します。
 ある人々にとっては、埋葬は永遠の別離の儀式です。そこでは、「死の最終性」が、すなわち死は絶対的な終わりであり、人間が元来そこからやってきて、最後には容赦なくそこへ帰らなければならない「非存在」への帰還であることが承認されます。この別離の儀式は、多かれ少なかれ、厳かに、弔辞や花に飾られて執行されますが、それらは、厳かな外見にもかかわらず、葬儀のそこかしこに浸み通っている、「一人の人間が生き、そして死んだ」という絶望と無意味さの感触を、少しも和らげることはできません。
 「…終わり。」です。
 別の人々にとっては、埋葬は墓の向こう側の世界への信仰の表現です。例えば、古代の異教の儀式では、死者と共に食物や武器が墓に納められ、場合によっては死者の妻が殺され一緒に埋葬され、夫の死後の生活に伴われました。この類の埋葬は、はるか昔に子供っぽいナイーブな迷信として捨て去られましたが…。しかし、いずれにせよその様々な方法を通じて、埋葬は人間の死についての理解の宣言なのです。

 そこで、教会は、信経の中で、ハリストスの死ではなく埋葬について告げることにより、ハリストスの死の特別な意味を私たちに喚起しているのです。
 毎年教会は、復活祭の前日、聖大土曜日に、この埋葬を再現し、イイスス・ハリストス神の子が死を受け入れ、死に降り、死に浸されたとき、彼の死によって成就されたものを一層明らかにします。

 聖大金曜日、十字架と死の日、ハリストスに襲いかかった悪の力がすべてあらわにされた日、この日を終えて、教会は聖大土曜を迎えます。聖堂の中央には「墓」と称せられる木製の台が置かれ、死んだハリストスが描かれた覆い(「眠りの聖像」)がかけられています。この土曜日、その深さと光と純粋な孤独において他に類のない一日を、聖堂に集い祈りを共にした人なら誰でも、次のような体験をいたします。他のあらゆる墓と同じく死の不可避性、死の勝利を告げるこの「墓」から、一種の目に見える光、いやむしろ触れることさえできる光が射し始め、やがてこの墓が、教会が歌い上げるように「生命を与える墓」へと変容してゆくのを、単に知性的な理解によってではなく、私たちの人間存在全体で体験的に知るのです。そこでは確かに、死が、この微動だにしない死体、命を失った男を完全に支配しているように見えます。すべてが終わりました。
 しかし、「墓」の前で、死と向かい合って行われる、この奉神礼の意味、深さ、較べもののない美しさは、、この一人の男の、一つの死の、前例のない新しさが次第に明らかになってゆくところにあります。
 「ああ、『生命』よ、あなたが死ぬとはどう言うことなんだ?あなたが墓に納められたとは何なんだ?」
 私たちは墓に横たわるハリストスに問いかけます。
 やがて答えは与えられます。泣き叫び当惑し絶望する、主の母へ、全世界へ、全被造物へ、この日歌われるすばらしい数々の聖歌は、ハリストスの答えを告げているかのようです。
 「母よ、あなたにはわからないのか、あなたたちは皆理解しないのか。わたしには、かつてアダムとエヴァという二人の友があった。私がもう一度やってきたとき、彼らの姿はこの地になかった。彼らを愛するあまり、私は彼らが閉じこめられている所まで降りていった。死の暗黒と恐怖と絶望のただ中へ」と。
 たしかに、奉神礼の中で、この主の答えは、現代人にとってはひどく大げさで子供っぽくさえ感じられる修辞やイメージやシンボルで、まるで物語のように語られ、表現され、歌われています。しかし、この成し遂げられた驚くべき新しさを、他にどのような方法で、はっきり示すことができるでしょうか。福音が「命」と呼ぶお方、…「この言葉に命があった。そしてこの命は人の光であった」(イオアン1:4)、この命であるお方ご自身が、あふれ出る愛によって人間と苦しみを分かち合うべく、死へと降って行かれました。このお方が造りだしたものでも、責任があるものでもないのに、世界を支配し命を毒している「死」へと降ってゆかれたのです。死は命を窒息させます。しかし、ハリストスの死に於いては、死は命によって息の根を止められたのです。死の暗黒と陰の中に、死の恐怖と孤独の中に、一つの光が燃え出しました。
 「『生命』は眠る。死は恐れおののく」と教会は歌います。
 聖大土曜日の早課で、いまだ全くの暗闇の中を、私たちは「墓」を担い教会の周囲を行列を組んで回ります。その時、私たちが聞くのは、もはや葬送の哀歌ではなく、凱旋の歌です。
 「聖なる神、聖なる勇毅、聖なる常生の者よ!」
 ハリストスは死の王国へ進軍し、死の虜たちに告げます。
 「この国の支配は終わった」と。
 この時から、あらゆる死は、いまだに、どんなに恐ろしく悲しくおぞましいものであっても、内側から打ち倒されたのです。ハリストスがご自身の内に、死を受け入れ、死に苦しみ、死を克服されたからです。

 「死は勝利に呑まれてしまった」
            (コリンフ前書15:55)

とパウェルは言います。
 私たちは今や、あらゆる死者の墓の前で「葬送の哀歌は凱旋の歌に変容した、アリルイヤ!」と歌うのです。
 信経の「…葬られ」は、ハリストスが死をご自身の使命としてお受け入れになり、愛という生命で、信仰という生命で、希望という生命で満たされたことを告げています。
 「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。死よ、おまえのとげはどこにあるのか」。 
             (コリンフ前15:55)

 死は私たちすべてを待ち受けています。しかし、この「葬られ」という言葉で、教会は、死に於いて私たちはハリストスと出会うこと、そして主は、私たちの死を「復活」への道の入り口でのご自身との出会いへと変容することを、宣言しているのです。


…第三日に聖書にかないて復活し、

 ニケヤ・コンスタンティノープル信経は、主の、十字架、葬りに続いて、三日目の復活への信仰を表明します。これは、信経の条項のなかで、最も大切なものであり、キリスト教の中心的宣言です。聖使徒パウェルは次のように言っています。

 「もし、ハリストスがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなた方の信仰もまたむなしい」
(コリンフ前15:14)

 これは、今日でもなお、キリスト教の基本です。
キリスト教はつまるところ、ハリストスは墓の内に留まり続けず、死から生命の光が輝き出したこと、ハリストスの復活によって、誰も逃れることができない絶対的・非妥協的な「死の法則」が引き裂かれ、内側から投げ捨てられた、という信仰です。

 ハリストスの復活は、まさに、信仰の核心であり、「福音」を成り立たせるものです。しかし、今日のキリスト教とクリスチャンの実際の生活の中では、奇妙なことに、ほとんど位置を占めていません。復活への信仰はかすんでしまいました。今日のクリスチャンは、表面上は復活を否定することはありませんが、実際は、復活をまともに取り上げることを何とか避けようとしています。初代教会の信徒たちが「復活」によって生きたようにはもはや生きていません。
 たしかに、現代のクリスチャンも教会へ行けば、教会の礼拝から鳴り響く誇らかな喜びに満ちた宣言に耳を傾けます。

 「死をもって死を滅ぼし」(復活のトロパリ)
 「死は勝に呑まれたり」(コリンフ前15:54)
 「生命は凱旋し、死者は一人も墓にあらず」
      (復活祭早課金口イオアンの説教)

 しかし、現代のクリスチャンに「正直なところ、あなたは死についてどう考えているのですか?」と質問すると、しばしば(悲しいかな!きわめてしばしば)、彼の口から、キリスト教以前の漠然とした「霊魂の不滅」という考えや、墓場の向こう側の世界「あの世」での霊魂の生活について聞かされます。最悪の場合、戸惑いのあげくに単なる無関心が暴露されます。
 「わかってるでしょう、実のところ『それ』については考えたこともないんですよ」。

 しかし「『それ』について考える」ことはとても大切なことです。なぜなら、キリスト教の信仰は、単に「霊魂の不滅」ばかりではなく、ハリストスの復活と、この世の終わりの時での私たち全ての復活(「普遍的な復活」)を、信じるか否かにかかっているからです。ハリストスが復活しなかったなら、福音は詐欺です。恐るべき欺瞞です。しかし、ハリストスが復活したのなら、キリスト教以前の「霊魂の不滅」についての考えや信仰は根本的に改められなければなりません。いや、むしろ、取り除かれ、死の問題全体を根本的に異なった光の中でとらえ直さなければならないでしょう。なぜなら、「復活」は、まず第一に、死の現実を認めることと、他の宗教の見方とまったく異なった、むしろアンティテーゼとも言える死の理解を前提しているからです。

 はっきり言うと、「霊魂の不滅」への古くからの信心は、「復活」への信仰とはどうしてもなじみません。復活は霊魂のことだけでなく体のことでもあるからです。福音書をざっと読むだけでそれは明快にわかります。福音書の伝えるところによると、弟子たちは、よみがえったハリストスに会ったとき、幽霊の出現だと思いました。その時主がまず最初に行ったのは、ご自身のよみがえった体が現実のものであることを、弟子たちに感覚的に納得させることでした。主は食物を手に取り、彼らの目の前で食べて見せました。疑い深いフォマにご自身の体に触れることを命じ、復活を確信させました。そして、弟子たちがひとたびこれを信じて以来、彼らの宣教の主題であり、力であり、喜びであるものは、まさにこの「体」をもっての復活とその現実性でした。教会の中心的機密は領聖ですが、これはパンとぶどう酒を復活した主の体と血として領けることであり、この行為を通じて「我の死を伝え、我の復活を認め(「聖大ワシリイの聖体礼儀」祝文:コリンフ前11:26参照)」ます。

 キリスト教のもとへ来る人たちは、思想や教理を求めて来るのではありません。この復活を信じたい、この「よみがえった師」を体験したい、知りたい、とやって来るのです。さらに、彼らは、ハリストスの復活への信仰を通じて、「普遍的な復活」の信仰を受け入れます。この世界の究極的な終わりとしての「死」が捨て去られ、打ち壊され、絶滅されたことへの信仰です。

 「最後の敵として滅ぼされるのが死である(コリンフ前15:26)」。

 パウェルは歓喜に溢れて言います。私たちもまた復活祭の夜がめぐってくるごとに叫びます。

 「死よ爾の刺はいづくにか在る。地獄よ、爾の勝ちはいづくにか在る。ハリストス復活して死者は一人も墓に在らず。ハリストス復活して生命は凱旋す」
(復活祭早課「金口イオアンの説教」
          :コリンフ前書15:55)

 このような意味で、ハリストスとキリスト教を受け入れるか拒絶するかは、主の復活に対する信仰にかかっているのです。すなわち、ハリストスに於いて、死という「霊魂と肉体の分離」が元に復したことへの信仰を受け入れるかどうかです。神の存在自体を拒絶する人たち、自称「無神論者」たちがハリストスの復活を拒絶することについては多くを語る必要はありません。それはまた別の問題です。

 はるかに重要なのは、先ほどもふれた、信者自身の中で復活への信仰がかすんでしまっていることです。現代のクリスチャンは、奇妙なことに、しばしば、喜びに溢れた復活祭の祝祭と、事実上のハリストスの復活の否定を、同居させています。歴史上の現実のキリスト教の中にも、キリスト教以前の死への理解への退行が存在します。すなわち、死を結局、自然に本質的な現象として、「自然法則」として理解するということです。そこでは、人は、それがどんなにおぞましく感じられても、死と和解するほかありません。事実、すべての非キリスト教、自然宗教、哲学者は究極的に一つのことにしか関心がありません。すなわち、人間をどのようにして死と和解させるか、どのようにして不滅の生命、不滅の霊魂、墓場の向こう側に存在する「あの世」を見せ、納得させるかということです。もし、プラトンとその無数の追随者たちが教えるように、死が「霊魂の肉体からの解放」の入り口なら、体の復活への信仰など不必要で理解しがたいばかりでなく、単に欺瞞であり不真実にすぎません。
 それゆえ、復活の信仰の意味を把握するためには、むしろ復活からではなく、肉体と死をキリスト教はどのように理解するかから始めなければなりません。キリスト教の中にさえ存在する混乱の根を私たちはここに見いだすでしょう。

 敬虔な心はハリストスの復活を何よりもまず奇跡としてうけとります。勿論そうです。しかし、ごく素朴な信心にとっては、この奇跡はハリストスのみに関する奇跡にとどまります。
 この見方、すなわち、復活をハリストスに起きた驚くべき神の奇跡ととらえる見方の問題点は、使徒たちと初代教会が共有していた復活理解の半分しか伝えていないことです。初代のクリスチャンたちの喜びは、今日まで、教会の奉神礼、聖歌、祈り、とりわけ復活祭の奉神礼を通じて伝えられていますが、そこでは、ハリストスの復活は、「普遍的な復活」、すべての人々の復活、主の復活によって既に開始されている復活から、決して切り離されていません。
 復活祭の一週間前、教会はハリストスがご自身の友ラザリを死からよみがえらせたことを荘厳かつ喜ばしく祝い、この奇跡が普遍的な復活を確証したと告げます。しかし今日、信徒の意識の中では、ハリストスの復活への信仰は、主が開始された普遍的な復活となぜか切り離されてしまっています。ハリストスの死からのよみがえり、疑い深いフォマに

 「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」(イオアン20:27)

 と言って信じさせた主の「体の復活」への信仰は、変わりません。しかし、私たち自身の死後の運命については、ハリストスの復活の光の中で主の復活に関連づけられて理解されることが次第に少なくなってきています。ハリストスについては「復活した」と言っても、私たち自身については「霊魂の不滅」を表明するにとどまります。これは、ハリストス以前のユダヤ人やギリシャ人の間に存在していた信仰であり、今日まで例外なくあらゆる宗教に共通の信仰です。この信仰の中ではハリストスの復活は不必要なものとなってしまいます。

 この分離の原因は何なのでしょう?それは、私たちの死に対する理解、いや、むしろ、霊魂と肉体の分離としての死の理解にあります。
 すべてのキリスト教以前、また非キリスト教の宗教は霊魂と肉体の分離を「自然」なものとみるばかりでなく、はっきり肯定的にとらえます。天上的で純粋な祝福された霊性を邪魔するものとしての体からの霊魂の解放ととらえるからです。人間が肉体を邪悪・病・苦悩・情念の源として経験する限り、当然、宗教と宗教的生活の意味と目的は、霊魂を体という牢獄から解放することであり、死はその解放のクライマックスでしょう。しかし、このような死の理解はクリスチャンのものではありません。キリスト教とは両立しません。もっとはっきり言うと矛盾します。霊魂と肉体の分離は、…これが私たちの死の定義ですが、これは悪である、とキリスト教は表明し、断定し、教えます。
 死は神がお造りになったものではありません。死は世に入ってきて、神に対抗し、神のご計画と、この世界に対するご意志を無視し、この世をその奴隷としました。ハリストスはこの「死」を打ち砕きに来られたのです。

 神は、人を、霊魂と肉体をもって、言いかえれば霊的かつ物質的なものとして創造されました(創世記2:7)。人とは、まさに、肉体と霊の結合です。神に創られたものとして、人は、霊に満たされた肉体であり、受肉した霊です。したがって、霊魂と肉体の分離は、肉体上の死だけでなく、どのような霊体一致の破壊(心と体の「ちぐはぐ」)も、悪であり、破局なのです。罪によって私たちが霊と肉体に引き裂かれている限り、私たちは「死」んでいます(ロマ書7:14-24)。そして、ついに肉体の死による最終的な「霊魂と肉体の分離」が、聖書が教える意味での「生命」、つまり、霊に満ちた体、体に受肉した霊としての生命に、完全な終止符を打ちます。
 いや、それでも、死によって、人は完全に消滅してしまいません。被造物には、神が無から存在させられたものを絶滅する力はないからです。しかし、死に於いて、人は生命無き暗黒の中に葬られます。聖使徒パウェルが言うように人は腐敗と崩壊に引き渡されます。
 しかし神は世界と人間を分離、死、分解、崩壊のためにお造りになったのではありません。キリスト教の福音が「最後の敵として滅ぼされるのは死である」(コリンフ前15:26)と宣告するのはこのためです。復活は世界をその原初の美と全体性へと再創造することです。そこでは被造物は霊に完全に浸透され、霊は完全に神の被造物を受肉します。この世界は、神から人間へ、生命として与えられました。神は世界と人間がどんなに歪み汚されたものであっても決して破壊しません。かわりに「新天新地」(黙示21:1)へと、霊的な肉体としての人間へと、神の臨在する光栄なる神殿へと、変容するのです。

「最後の敵として滅ぼされるのは死である」。

 神の子が、私たちへの終わりのない愛を以て自らすすんで死に降り、その暗黒と絶望と恐怖を彼の愛によって満たしたとき、この死の絶滅が開始されました。これが、復活祭の讃歌が、「ハリストス死より復活し」とだけでなく「死をもって死を滅ぼし」と讃える理由です。
 ハリストスだけが死から復活しました。しかし、それによって彼は、私たちの死を滅ぼし、死の支配と、死の絶望と、死の最終性を打ち砕いたのです。ハリストスが約束しているのは、墓の向こうの「涅槃」でも、「霊界の生命」でもなく、「生命」の噴出であり、「新天新地」であり、すべての被造物の復活の喜びです。

 「爾の子、三日目に墓より復活し、死せし者を起こせり、人々や楽しめよ」。

 ハリストスはよみがえり、生命は凱旋しました、「生命」が生きます。
 これこそが信経の中心的・本質的な宣言「第三日に聖書にかないて復活し」の意味であり、つきることのない喜びです。「聖書にかないて」とは、預言者たちの復活の預言通りということばかりではなく、聖書に啓示されている生命の本来のあり方、世界と人間への、魂と体への、霊と物質への、生命と死への神のご計画にかなって、ということです。
 この復活の宣言に、キリスト教の信仰の一切が、その愛のすべてが、その希望のすべてが含まれています。

 「もしハリストスがよみがえらなかったとしたら、…あなた方の信仰はむなしい」
           (コリンフ前15:14)


大斎の精神性

大斎、パスハへの旅
      アレキサンドル・シュメーマン神父 「大斎」より


旅立ちに当たっては、目的地を知らなければなりません。大斎でも同じです。大斎という霊的な旅の目的地は「祭りの祭り、祝いの祝い」復活大祭です。

 復活祭は単に過去の出来事を毎年記念するだけの祭りではありません。それは、「昼よりも明るい」と言われる復活祭の夜のたとえようもない喜びを一度でも体験した人ならおわかりになるはずです。復活祭奉事で「天と地、さらに地の下の一切のものが、今日、光に満ちあふれる」と歌われるのはなぜでしょう。どんな意味で、「死の死、地獄の滅び、新たなる永遠の生命の開始」と賛美されるのでしょう。その答えは、およそ二千年前に墓から輝き出て、私たちハリストスを信じる者すべてに与えられた「新しい生命」にあります。私たち一人一人はその「新しい生命」を洗礼の日に与えられました。聖使徒パウェルが「私たちは、その死にあずかる洗礼によって、ハリストスとともに葬られたのである。それは、ハリストスが…死人の中からよみがえらされたように、私たちもまた、新しい生命に生きるためである(「ローマ人への手紙」6:4)」と言っている通りです。すなわち、復活祭で私たちはハリストスの復活を私たちの内に起こった、また起こりつつあるものとして祝うのです。

 私たちは、この新しい生命の贈り物と、それを自分自身に身につけそれによって生きる能力を与えられました。この生命の贈り物は、「死」に対するだけでなく、この世の一切に対しての私たちの態度を根こそぎ変えてしまいます。私たちは「もう死は何ものでもない」と喜びに溢れて断言することができます。
 確かに死はまだそこにあります。私たちは今なお死に直面しやがて何時か死にます。しかし、ご自身の死によってハリストスは死の本質を変えられました。死を神の国へ移り行くこと、パスハ・「過ぎ越し」へと変え、「悲劇の中の最大の悲劇」を究極的な「勝利」に変容されたのです。「死をもって死を滅ぼし(復活祭の讃詞)」私たちをご自身の復活にあずかるものとされたのです。かくして、復活祭の早課では「ハリストス復活して生命は凱旋す。ハリストス復活して死者は一人も墓にあらず(金口イオアンの説教)」と宣言されます。
 これが、教会が伝えてきた信仰であり、無数の聖人たちの生涯によって証しされてきたことです。

 しかし、日常生活の中でこの信仰を維持してゆくことはほとんどできません。私たちは、大半の時を、贈り物としていただいたこの新しい生命を見失い裏切って過ごしています。実際、まるでハリストスが死人の中から復活しなかったかのように、そのかけがえのない出来事が自分とは何も関係がないかのように生活しています。これは、私たちの弱さによります。「まず、神の国と神の義を求めなさい」と、主が私たちに求められる高みで、つねに「信仰と希望と愛」を失わず生きてゆくことはまことに困難なことです。忙しすぎて、また、日常生活にどっぷり浸かって、これらのハリストスの導きを皆簡単に忘れてしまいます。忘れた結果、多くのしくじりを犯します。この、忘却、しくじり、罪を通じて、私たちの生活はまた「古い」ものに戻ってしまいます。世知辛く、陰気で、無意味な人生にです。人生は無意味な目的への無意味なさすらいになってしまいます。そのうち私たちは「死」すら忘れてしまいます。そして、無頓着に過ごしてきた「楽しい」人生が、突然、恐ろしい逃れられない死によって全く無意味に中断されてしまうのです。

これを悟れば、復活祭が何であり、なぜ長い大斎によって、それに備えなければならないかが理解できると思います。正教会が初代教会より連綿と伝えた大斎から受難週・復活大祭への奉神礼は、私たち人間が簡単に見失い裏切ってしまう「新しい生命」のビジョンと味わいを回復し、悔い改めてそこに立ち帰る事を助けてくれます。
 教会の奉神礼はすべて復活祭を中心に組み立てられています。さまざまな祭日や期間が設けられている教会暦の一周年は、パスハ(過ぎ越し・復活祭)への巡礼の旅路です。パスハはその終点であり、同時に起点です。すべての古きものの終わりであり、新しい生命の始まりなのです。

 ハリストスは「狭き道から入れ」と命じられました。それだけが真の幸福への唯一の道だからです。もし教会が手をさしのべてくれなかったら、私たちはどうやってこの道を行けばいいのか、どのように悔い改め、復活祭に約束されている輝きに立ち帰ることができるのか、途方に暮れてしまいます。そこで、大斎が設けられ、私たちの悔い改めを手助けしてくれるのです。大斎は単に、食物、飲み物、娯楽などの節制ではありません。私たちの内の古きものの終わりであり、新たなるものへの入口なのです。


斎の意味
   カリストス・ウェア主教 「大斎の意味」より

…十分な外面的禁欲なしに、本当の斎は保たれません。しかし、禁欲は、常に内面的な目的を持っているので、食事のルールを守ることを自己目的としてはなりません。人は身体と霊が一体のものであり、私たちの斎もこの両方に及ぶものでなければなりません。
 食事のルールを形式主義的に強調しすぎる傾向と、逆にそれを「時代遅れ」「不必要」として軽視する傾向は、ともに本来の正教会精神を裏切る悲しむべきものです。

…斎の根本的な目的は、私たちに「神への依存」を教えることです。もし、真面目に取り組めば、斎はかなりの空腹感、疲労感をもたらします。これは「砕けた心」としての痛悔へと私たちを導きます。すなわち「わたしを離れてはあなたがたは何一つできない(ヨハネ福音15:5)」と告げたハリストスに満ちあふれる力を体験させます。私たちは、いつも満腹しているなら、間違った意味の自主性と自己満足に陥り、簡単にうぬぼれてしまいます。斎はこの罪深い自己満足を根底から覆します。…空腹と疲労の目的は、私たちを「心の貧しい者(マタイ福音5:3)」とし、神の助けなしには私たちは全く無力であることに気づかせることです。

 …禁欲はこれだけ(肉体の疲労)でなく、輝く光、注意深さ、自由と喜びの意識ももたらします。…斎は、肉体への危険ではなく、むしろ本当の健康と調和を回復します。西方世界に住む私たちは、習慣的に、必要以上のものを食べています。斎は、私たちの体から過度の重量の束縛を解き、肉体を祈祷のための、神聖神(聖霊の日本正教会訳)の声に対する警醒と応答のための、自発的な助手とさせます。

…斎は食事の決まりに関するものだけではありません。肉体的であると同時に精神的です。本当の斎は、心と意志の内に転換されてくるものです。つまり、斎は神に帰ることであり、あの放蕩息子(ルカ福音一五章)のように私たちの真の父の家に帰ることです。金口イオアン(ヨハネ・クリソストムスの日本正教会での慣例的な呼び名)によれば、斎は「食べ物だけでなく、罪を避けること」を意味します。「斎は、ただ口によってでなく、目や耳や手足や体のあらゆる部分で守られなければならない」とイオアンは強調します。目は不敬虔な光景を避け、耳は有害なうわさ話を避け、手は不義の行いを避けなければなりません。無慈悲な非難や中傷にふけっていては、食べ物をいくら節制しても無駄であると、聖大ワシリイも断言しています。「あなたは食事をしないが兄弟をむさぼり食っている」

…斎期間中、祈りや聖体礼儀への頻繁な参加を怠ると、私たちの斎は偽りになり、悪魔的にさえなってしまいます。それは、痛悔と喜びへと導かず、不安と短気を内に宿した高慢へと導きます。…斎は、祈りが伴っていないと、無価値で危険でさえあります。悪魔は、斎だけでなく「祈りと斎」によって追い払われたのです(マタイ福音17:21)。

…さらに、祈りと斎は、施し、すなわち実際に形に表された他者への愛、憐みと赦しのわざが伴わなければなりません。
 大斎の始まり、赦罪の主日(乾酪主日)の晩課で、特別な相互和解の儀式があるのは偶然ではありません。他者への愛がなければ、本当の斎はあり得ないからです。この他者への愛は、形式的な見せかけや感傷的な気分だけに留まってはなりません。「行為」によって表わされるものです。これは初代教会の確信でした。二世紀の「ヘルマスの牧者」は、斎の間に節約されたお金は、寡婦・孤児・貧しい人々に与えられなければならないと断言しています。しかし、施しはさらにそれ以上のものです。私たちの金銭だけでなく時間を与え、私たちの持ち物だけでなく私たちの「存在そのもの」を与えなければなりません。私たちの一部分を与えるのです。金銭の施しのみでは、人々の苦悩に親しく交わらない、自己保身の方法に堕することがあります。一方、緊迫した物質的困難にある者に、励ましの言葉だけで何もしないのは、責任逃れに等しいのです(ヤコフ書2:16)。

…私たちが斎に関して常に心にとどめておかなければならないことは、聖使徒パウェルが厳しい斎をしていない人を咎めてはならないと訓戒していることです。「食べない者も、食べる者を裁いてはならない(ロマ書14:3)」。自己を高しとするファリセイの斎・人を裁く律法主義の斎であってはなりません。

「エフレムの祝文」を祈りましょう
  名古屋ハリストス正教会 宣教資料から

大斎期間だけの祈りや聖歌はたくさんありますが、これぞ「大斎の祈り」と言えば、シリヤの聖エフレム(四世紀)のもので、教会ではもちろん、家庭でも朝晩の祈りに加え、また折に触れて祈ることがすすめられています。
次のような祈りです。

 主、吾が生命の主宰よ、
 怠惰(おこたり)と、愁悶(もだえ)と、凌駕(しのぎ)と、空談(むだごと)の情(こころ)を我に与ふる勿れ(伏拝一回)
 貞潔(みさお)と、謙遜(へりくだり)と、忍耐(こらえ)と、愛の情を我爾の僕に与へ給へ(伏拝一回)
 鳴呼、主王よ、我に我が罪を見、我が兄弟を議せざるを賜へ(伏拝一回)
 蓋、爾は世世に崇め讚めらる、「アミン」

ここまで唱えたら、「神よ我罪人を浄め給え」と唱えながら六回弓拝(十字を描き腰から深く頭を垂れる)。最後に祈り全体をもう一度繰り返し、結びに伏拝一回)

大斎の「旅のチェックリスト」
なぜ、この祈りが大切なのでしょう?
 私たちが大斎で神の恵みに応え、自分を清めようと努力するときのチェックリストとなっているからです。前半は神さまに取り除いて欲しい悪い心の姿、後半はぜひ与えて欲しい善い心の姿が示され、祈られます。

怠惰(おこたり)…冷笑主義
私たちを、いつも、上よりは下へ向けさせ、私たちに「何も変えることはできない」、従って「何も変えたくない」と思い込ませるのはこの怠惰です。取り組まなければならない色々な試練に対して、「そんなに頑張ったって一体何になるのさ」と投げやりにさせ、人生を途方もない霊的な浪費にしてしまうのは、私たちに深く根ざしたこの「冷笑主義」です。

愁悶(もだえ)…落胆・意気阻喪
怠惰の結果は「愁悶」です。落胆、意気阻喪の状態です。善いものが何一つ見えなくなり、否定主義、悲観主義に陥ります。
 悪魔とは<人を欺くもの>と言う意味で、これは実に「悪魔的」な力です。悪魔は神と世界について私たちを欺きます。彼は、神など存在せず、人生に一つも善いことなどないと、そそのかします。

凌駕(しのぎ)…力への渇望
もし、人が神を中心に生きないのなら、人は自己中心的となり、他人は皆自己満足の手段となります。一切を「私の」必要性、「私の」考え、「私の」欲望、「私の」…の点から値踏みするようになります。「凌駕」は、このような、間違った自分と他人の関係であり、すべてを「私」に従わせたいという望みです。他人への実際の命令や支配として現れるとは限らず、他人への冷淡や軽蔑、関心・配慮・尊敬の欠如という現れ方もあります。「怠惰」と「愁悶」が霊的な自殺なら、これは霊的な殺人です。

空談(むだごと)
言葉は神からの素晴らしい能力です。しかし、最高の能力であることは最悪の危険でもあります。神に喜ばれる者になる手段が、堕落と罪の手段になってしまうのです。神を離れた人間の言葉は、世界を無意味なおしゃべりで満たし、自分と他人をともに傷つけ、人生を地獄に変える罪の力となります。イアコフの公書三章をぜひお読み下さい。

貞潔(みさお)…完全さ・全体性・健全さ 
この言葉の原語は「欠ける所のない全体性を保った健全さ」という意味です。「貞潔」が普通「性的な清さ」として用いられるのは、性欲に人間性の歪んだ姿が最もはっきり現れるからです。ハリストスの救いとは人を神に立ち帰らせこの失われた全体性を回復してくださることです。

謙遜(へりくだり)
これは何ものにもまさるものです。謙遜だけが真実を見ることができます。物事をありのままに見、受け入れ、従って神の偉大さと善と愛をすべてに見ます。神はへりくだる者に恵みを与え高慢な者を退けます。

忍耐(こらえ)
「堕落」した私たちは忍耐強くありません。自分に盲目なので簡単に他人を裁きます。不完全で歪んだ知性しかないので、すべてを自分の好みと思いで判断します。他人の自由と事情には無関心なので「今、ここで」物事がうまくいっていないと癇癪を起こします。反対に神はとても忍耐強いお方です。盲目の私たちには見えない物事の内面的な真実が神には見通せるからです。従って、神に近づけば近づくほど、人はより忍耐強くなり、他者に対しても、限りない敬意を払うようになります。


 愛は神のみが与えて下さるもので、私たちはいつも自分を神の愛の汚れない器、神の愛の溢れ出る注ぎ口にふさわしく、備えなければなりません。
 コリント前書一三章・ヨハネ第一公書をぜひお読み下さい。

結びの祈願…プライドという危険
「鳴呼、主王よ、我に我が罪を見、我が兄弟を議せざるを賜え」。
 最もやっかいなのは「プライド(自尊心)」です。プライドは悪の源泉、悪とはプライドと言ってもいいほどです。この祈りは自分の過ち・罪を直視し、プライドを退けてほしいと願いますが、この自分の罪を認めるという明白な徳でさえ「プライド」に逆転することがあるのです。謙遜さと自己告発の装いの下に、まさに「悪魔的」なプライドへの傾向が隠されているのです。だからこそ、他人をあれこれ批評したり裁く心が起きないほどの、深い罪の自覚をいただけるよう祈るのです。



コンスタンティノープルの大主教金口イオアンの
  ハリストス我が神の至栄なる復活の光明の日の説教


 正教会では、毎年復活大祭の早課で高らかに「神は起き…」という聖歌を歌い終えた後、聖務者も会衆も互いが「ハリストス復活!実に復活!」と呼び交わし相抱いて接吻します。そして最後にこの金口イオアン(聖ヨハネ・クリソストムス)の説教を読み上げます。
 この説教は次に掲げる「ぶどう園の労働者のたとえ」(マタイ伝20:1-16)を下敷きにしています。

 天国は、ある家の主人が、自分のぶどう園に労働者を雇うために、夜が明けると同時に、出かけて行くようなものである。彼は労働者たちと、一日一デナリ(「銀貨一枚」)の約束をして、彼らをぶどう園に送った。
 それから九時(当時の時刻の呼び方では「第三時」)ごろに出て行って、他の人々が市場で何もせずに立っているのを見た。そして、その人たちに言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい。相当な賃銀を払うから』。
 そこで、彼らは出かけて行った。主人はまた、十二時(「第六時」)ごろと三時(「第九時」)ごろとに出て行って、同じようにした。
 五時(「第十一時」)ごろまた出て行くと、まだ立っている人々を見たので、彼らに言った、『なぜ、何もしないで、一日中ここに立っていたのか』。彼らが『だれもわたしたちを雇ってくれませんから』と答えたので、その人々に言った、『あなたがたも、ぶどう園に行きなさい』。
 さて、夕方になって、ぶどう園の主人は管理人に言った、『労働者たちを呼びなさい。そして、最後にきた人々からはじめて順々に最初にきた人々にわたるように、賃銀を払ってやりなさい』。
 そこで、五時ごろに雇われた人々がきて、それぞれ一デナリずつもらった。
 ところが、最初の人々がきて、もっと多くもらえるだろうと思っていたのに、彼らも一デナリずつもらっただけであった。もらったとき、家の主人にむかって不平をもらして言った、『この最後の者たちは一時間しか働かなかったのに、あなたは一日じゅう、労苦と暑さを辛抱したわたしたちと同じ扱いをなさいました』。
 そこで彼はそのひとりに答えて言った、『友よ、わたしはあなたに対して不正をしてはいない。あなたはわたしと一デナリの約束をしたではないか。自分の賃銀をもらって行きなさい。わたしは、この最後の者にもあなたと同様に払ってやりたいのだ。自分の物を自分がしたいようにするのは、当りまえではないか。それともわたしが気前よくしているので、ねたましく思うのか』。
 このように、あとの者は先になり、先の者はあとになるであろう」。

説教本文

(祈祷では正教会文語訳が読み上げられます。その格調高い文体は横浜教会のHPに拙訳とともに掲載されている明治文語訳で味わってみてください)
 
さあ、心から神を愛する人々よ
 この美しく光り輝く祭を楽しもう
さあ、賢いしもべたちよ
 それぞれの喜びを胸にたずさえ、主ご自身の歓喜と一つになろう

長い斎(ものいみ)をしっかり守った者は
 さあ銀一枚(一デナリ)を受け取りなさい
(あなたが長い大斎の最初から、そう、あのぶどう園の労働者たちのように)
第一時から働いたなら、今日、胸を張って当然の報酬を受け取りなさい
第三時を過ぎてから来たのなら、感謝して(その報酬を)喜びなさい
第六時をまわってから来たのでも、何の心配もいらない
 同じだけ受け取れるのだから
第九時になってようやく来たとしても
 何をとまどっている…、さあ、この食卓につきなさい
とうとう第十一時になるまで重い腰を上げなかったあなたも
 遅れたからといって、何も怖がることはない

そうなのだ、この宴会の主人は実に寛大だ
 最後の者も最初の者と同じように迎えてくれる
 第十一時に来た者も、第一時から働いた者と同じように憩わせてくれる
 後から来た者も憐み、最初から来た者も忘れはしない
彼にも与え、これにも賜われる
 行いも受け入れてくれ、志も祝福して下さる
 功績(てがら)も認めてくれ、望みも励まして下さる

さあ、だから、この主ご自身の歓喜(よろこび)に入ろうではないか

第一の者も第二の者も、報酬を受け取りなさい
富める者も貧しい者も、共に祝いなさい
節制した者も怠けた者も、この日を喜びなさい
斎した者も斎しなかった者も、さあ、いま楽しみなさい

この宴(うたげ)は溢れこぼれんばかりに豊かだ
さあみんな、飽きるほど食べなさい 子牛はまるまる肥えているではないか
この宴から空腹で帰ってゆく者が、一人でもいてはいけない
さあみんな、この信仰の宴を楽しみなさい
 この慈しみの富をうけなさい
誰も、もう、貧しさを憂いてはいけない
王国が打ち立てられ、すべての人々が招かれているのだから

誰も、もう、罪のために泣いてはいけない
 主の墓から赦しが輝き出たのだから
誰も、もう、死を恐れてはならない
 救世主(ハリストス)の死が私たちを解放したのだから

彼(ハリストス)は、死に包囲されたが、逆に死を討ち滅ぼした
彼は、地獄に降って、地獄をとりこにした
彼は、そのお体に触れた地獄を悔やませた 預言者イサイヤが言った通りだ
 「地獄はあなたを組み敷いてしまってから、悔いて悲しんだ」と

地獄は悲しんだ。そこが空っぽになってしまったから
地獄は悲しんだ。恥をかかされてしまったから
地獄は悲しんだ。葬り去られてしまったから
地獄は悲しんだ。打ち倒されてしまったから
地獄は悲しんだ。縛られてしまったから
 
地獄は主の肉体を受け取って、神に向かい合う羽目になってしまった
地獄は地上に生きた者(ハリストス)を受け取って、天国に出くわしてしまった
地獄は目に見える肉体を受け取って、見えざる者の力に圧倒されてしまった

死よ、おまえの刺(はり)はどこにいってしまったのか?
地獄よ、おまえの勝利はどこへいってしまったのか?

ハリストス復活して、おまえは失墜した
ハリストス復活して、悪魔は倒された
ハリストス復活して、天使らは歓喜する
ハリストス復活して、「いのち」は凱旋する
ハリストス復活して、墓の中にはもう死者はいない
ハリストスが死より復活して、死者たちの復活の初穂となったから!

光栄及び権柄は、世世に主に帰す アミン。



人としての神

カリストス・ウェア主教「正教の道」より


死に至るまでの従順
 ハリストスの藉身(*1)はそれ自体で既に救いのみわざでした。主は、私たちの損なわれた人間性を、ご自身のものとしてお取りになり、回復されました。降誕祭の聖歌では「堕ちた(神の)像をひきあげ」たと歌われます。しかし、それならなぜ、十字架が必要だったのでしょう?この地上に、至聖三者の御一方が人として生き、考え、感じ、そして意志された、それだけでは不十分だったのでしょうか?その上、人として死ぬ必要はなかったのでは…。

*1 至聖三者(三位一体)の神の第二のお方(=位格)である「神子・神言葉」が、聖神(聖霊)のお働きと生神女マリヤの肉体を通じて、真の人間としてお生まれになったこと。

この世が人の罪によって堕落しなかったなら、ハリストスの藉身は神の溢れ出る愛の表現としてそれだけで十分なものだったでしょう。しかし、現実の罪に堕落したこの世では、その愛は、もっとはるかな地点まで届かなければなりませんでした。罪と悪の現存という悲劇により、人間を堕落から回復するためには、どのように大きな人間的償いも有効ではありません。

 そこで一つの犠牲的な癒しのわざが求められました。「苦しみ、十字架にかけられる神」という犠牲です。
 藉身は同一化と分かち合いです。神はご自身を私たちと同一化し、私たちの人間的経験をご自身のものとして内側から体験することによって、私たちを救います。分かち合いは、十字架刑という最もむき出しの非妥協的な形で、その究極的な段階にまで達しました。藉身した神は私たちのすべての経験に入り込みます。私たちの同伴者イイスス・ハリストスは、人間の生命のあらゆる局面ばかりでなく、人間の死に至るまで、余すところなく分かち合います。
 「まことに彼はわれわれの病を負い、われわれの悲しみをになった(イサヤ53:4)」。…すべての病、すべての悲しみ。担われないものは、癒されません。しかし、私たちを癒す方、ハリストスはご自身のうちにすべてを担いました。死さえも。(*2)

 *2 「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべき事とは思わず、かえって、おのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は人と異ならず、おのれを低くして、死に至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。  (フィリップ2:6-8)」
     パウェルは主の自己放棄と人間への徹底した分かち合い(自己無化<ケノーシス>を、おそらく初代教会のハリストス賛歌であったといわれるこれらの言葉で述べる。

ハリストスの霊的な受難
 死には肉体的と霊的の二つの側面があります。その二つのうちで、より恐ろしいのは霊的な死です。肉体的な死とは人間の体がその霊から離れることです。霊的な死とは、人間の霊が神から離れることです。ハリストスが「死に至るまで従順(フィリップ゚2:8)」であったと言うとき、この言葉は単に肉体的な死だけを指しているのではありません。ハリストスが堪え忍ばれた受難、むち打ち、よろけてしまうほど重く肩にのしかかる十字架、くぎ打ち、飢えと高熱、くぎ打たれた両手にかかる体重がもたらす激痛、…しかし私たちの思いはここにとどまっていてはなりません。受難の真の意味は、その霊的な受難においてこそ見いだされなければなりません。主の挫折と孤立と全くの孤独の意識、そして、人々に惜しみなく差しだしたのに拒絶されてしまった愛の苦痛です。
 福音書は、主の内面的な苦しみについては多くは語りません。しかし、いくつかの箇所に瞥見することができます。

 まず、ゲッセマネの園でのハリストスの苦悶があげられます。主は恐怖に圧倒されうろたえました、主は苦悶のうちに父に祈りました。「わが父よ、もしできることでしたらどうか、この杯をわたしから過ぎ去らせてください(マタイ26:39)」。主の汗は「血の滴りのように(ルカ22:44)」地に落ちました。キエフの府主教アントニイが主張するように、ゲッセマネは贖いの教え全体を説く鍵を与えてくれます。ハリストスはここで選択に直面しました。死は強いられていませんでした。主はご自身の自由から受難と死をお選びになりました(*3)。この自発的な自己献祭によって、十字架という専横な暴力、合法的な殺人を救贖の犠牲へと変えます。しかし、この自由な選択による行為ははかりしれない霊的な困難をともなうものでした。逮捕され十字架刑を受ける決意の内で、イイススは、ウィリアム・ロウの言葉によると「魂の滅びの苦悶に満ちた恐怖…永遠の死の現実性」を体験しました。
 「わたしは悲しみのあまり死ぬほどである(マタイ26:38)」というゲッセマネでの主の言葉をどれほど重視してもしすぎることはありません。この瞬間、イイススは霊的な死の体験の中に突入しました。主は、この瞬間、ご自身を人間のすべての絶望と霊的な苦痛に同一化しました。この同一化=分かち合いは、主が私たちと肉体的苦痛を分かち合われたことより、はるかに重要なことです。 
*3 聖受難週間の月曜から水曜の発放詞(祈祷の終了を告げる司祭による高声)は、「我らの救いのために自由の苦しみにゆきたもう主ハリストス我らの神は云々…」。

第二は、主が十字架上で「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか(マタイ27:46)」と大声で叫ばれたことです。この言葉も、どれほど重視しても重視しすぎることのないものです。ここには、ハリストスの悲嘆の極限が示されます。主は、人からだけでなく神からも捨てられたと感じたのです。生きた神であるお方ご自身が、「神に見捨てられた」と感じることが、どのようにして可能なのか、それを説明することはできません。しかし、これは少なくとも明白な事実なのです。ハリストスの受難にあって、お芝居はいささかもありません。見せかけだけの演技は一つとしてありません。十字架上で述べられた言葉の一つ一つは、それが語っている通りのことを意味しています。そして、もし「わが神、わが神…」という叫びが、無意味なうわごとでないなら、それは、イイススはこの瞬間、神から疎外されるという真に霊的な死を体験したこと以外にあり得ません。私たちのために血を流して下さったばかりでなく、私たちのために神を見失うことさえお受け入れになったのです。

「彼は陰府に下り(使徒信条)」。これは単に、ハリストスが、聖大金曜日の夕刻からイースターの朝の間に、陰府に下って死者たちの霊に宣べ伝えたことだけを意味するのではありません(1ペトル3:19参照)。ここにも、もっと深い意味があるのです。陰府とは特定の場所や空間を指すのではなく、魂の中にあるものです。それは、神のいない場所です(それでもなお、実は神はあらゆるところにいるのですが…)。もし、ハリストスが本当に陰府に降ったなら、それは神のいない深みにまで降りて行かれたことを意味します。余すところなく、無条件に、主はご自身をあらゆる人間の苦悶と疎外に同一化されました。主はそれを、ご自身に担うことによって癒しました。それらをご自身のものとする以外に、それを癒す方法は無かったのです。

  これが、私たち一人一人に向けられた十字架のメッセージです。死の陰の谷(詩編23:4)を通ってどんなに遠くへ来てしまっても、「私は決して独りではない」のです。私には同伴者がいます。この同伴者は私たちと同じ真の人間であるばかりでなく「真の神よりの真の神」(ニケヤ・コンスタンティノープル信経)です。ハリストスは、十字架上でこの上なくご自身を低められた時にもなお、タボル山の山頂で光栄あるお姿に変容したとき(マタイ17:1-8)と同じく、永遠の生ける神なのです。十字架上のハリストスを見るとき、私たちは苦しむ人間だけでなく苦しむ神をそこに見ます。

勝利としての死
 十字架上でのハリストスの死は、後にその復活によって挽回されるべき挫折ではありません。十字架上の死それ自体が勝利です。何の勝利でしょう?答えはたった一つです。受難する愛の勝利です。

 「愛は死のように強く、…愛は大水も消すことができない(雅歌8:6-7)」。
 十字架は、死のように強い愛、死より強くさえある愛を、私たちに見せてくれます。
聖使徒イオアンは、彼の福音書における最後の晩餐と受難の記事を始めるにあたって次のように言っています。
イイススは「世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された(13:1)」。

 「最後まで」、ギリシャ語では eis telos、「最後まで」また「極限まで」という意味です。そして、このtelosという語は十字架上のハリストスの最後の叫びの中でも用いられます。「すべてが終った…tetelestai(ヨハネ19:30)」。この叫びは絶望と諦念の叫びではなく、勝利の叫びとして理解されねばなりません。完了した、成し遂げられた、すべてが満たされた…と。何が成し遂げられたのでしょう?受難する愛の勝利、愛の憎しみへの勝利にほかなりません。ハリストス我らの神は、「自分の者たち」を極限まで愛し抜かれました。愛ゆえに世界を創造され、愛ゆえに人としてこの世に生まれ、愛ゆえに私たちの損なわれた人間性をご自身のものとして担われました。愛ゆえに私たちのあらゆる苦難を分かち合われました。愛ゆえにご自身を犠牲としてささげられ、ゲッセマネの園に於いてすすんんで受難をお受けになる決意をなさいました。

 「わたしは羊のために命を捨てるのである。…だれかが、わたしからそれを取り去るのではない。わたしが、自分からそれを捨てるのである(ヨハネ10:15、18)」。

イイススを死に赴かせたのは自発的な愛であり、外部からの強制ではありませんでした。ゲッセマネでの苦悶と十字架の時、闇の諸力はイイススを攻撃して荒れ狂いました。しかし、それらはイイススの被造物への憐みを憎しみに変えることはできませんでした。愛はそのような妨げをはねのけて愛そのものであり続けました。主の愛は最も困難な地点で試みられましたが、打ち倒されませんでした。
 「光は闇の中に輝いている。そして、闇はこれに勝たなかった」のです。 (ヨハネ1:5)
 十字架上のハリストスの勝利に対し、あるロシヤの司祭が強制収容所から釈放されたとき語った言葉をささげましょう。「私たちの受けた苦難はあらゆるものを破壊し尽くしました。しかし、ゆるぎ無く残ったものが一つだけありました。それは愛でした」。
 勝利として理解される「十字架」は、私たちの前に、愛の全能の逆説を差し出します。ドストエフスキイは、ゾシマ長老(「カラマゾフの兄弟」に登場する修道院の霊的指導者)の語るいくつかの言葉の中で、ハリストスの勝利の真の意味をよくとらえています。

「人を困惑させるいろんな思いの中でも、とりわけ人間の罪を見て、それに対して、力をふるって戦うべきか、または謙虚な愛をもって戦うべきかは一番やっかいな問題だ。しかし、いつも『謙虚な愛によって闘おう』と決意しなさい。ひとたびそう決意したなら、あなたは世界を征服できるだろう。愛によるへりくだりは恐ろしい力を持っている。それは何ものよりも強い。そして、それにかわるものは他には決してないのだ」

 「愛によるへりくだりは恐ろしい力を持っている」。反抗的な苦い思いを噛みしめながらではなく、愛によってすすんで何かをあきらめ何かを耐えるときはいつでも、私たちは弱くならずかえって強くなります。イイスス・ハリストスはその愛によるへりくだりを極限にまで押し進めました。「主の弱さは強さである」とアウグスティヌスは言いました。神の力は、世界の創造や数々の奇跡より、むしろ、愛によって「おのれをむなしくせられ(フィリップ2:7)」受難と死に自由に同意し、ご自身を惜しみなく与えられたことに表れたのです。この自己放棄は自己実現だったのです。ケノーシス(自己無化)はプレローシス(自己充溢)です。神はその最も弱いとき以上に強いときはないのです。

 愛と憎しみは、単に、人々に内面的な影響を与える主観的な感情ではなく、私たち自身の外部を変える客観的な力でもあります。私たちが誰かを愛しまた憎むなら、それによって、私たちはある程度、私たちの愛や憎しみの対象である彼や彼女を、愛されるべきもの、憎まれるべきものに実際に変えているのです。自分自身のためだけでなく、自分を取り巻く人々の人生のために、愛は創造的に働くのです。そして、憎しみは破壊的に。
 この小さな私の愛に関してその通りなら、比較にならないほど大きな水準でハリストスの愛の真実でもあります。したがって、主の十字架上での受難する愛の勝利は、単に主を模倣しようと努力したとき私たち自身が達成するものを示す模範ではありません。それ以上のものです。主の受難する愛は私の上に創造的に働きます。私自身の心と意志を変容します。束縛から私を解放します。私に人間としての健康な全体性をもたらします。私に人への愛を回復させます。しかもその愛は、もし私が主に愛されなかったなら全く私には不可能だったあり方へ成長してゆきます。なぜなら、愛に於いて主はご自身を私と同一化するからです。主の勝利は私の勝利です。そして、ハリストスの十字架上の死は、まさしく、聖大ワシリイの聖体礼儀で祈られるように、「生命を創造する死」なのです。

ハリストスの受難と死には客観的な価値があります。主は、主なしには全く不可能であった何かを私たちのために成し遂げられたのです。同時に、ハリストスは「私たちの代わり」に受難されたと言うべきではなく、むしろ、「私たちのために」受難されたと言うべきでしょう。神の子は「死に至るまで」受難されました。それは、私たちが受難を免除されるためでなく、私たちの受難が主のご受難と同じものになるためでした。ハリストスは私たちに、受難を回避する道でなく、受難を通って行く道を差し出されました。主は、受難を代行してくれる方でなく、私たちの真の救いのために受難を共にして下さる方です。

 これがハリストスの十字架の受難と死の意味です。「十字架」は、「藉身」と、受難に先行する「変容」と、そして引き続いて起こる「復活」とともに、一体として密接に働き合う、至高の完全な勝利・犠牲・模範として理解されなければなりません。受難する愛の勝利であり、犠牲であり、模範です。私たちは十字架に「愛によるへりくだりの憎しみと恐れへの完全な勝利、愛による完全な犠牲と自発的な自己奉献、愛の創造的な力の完全な模範を見いだします。ノーウィッチのジュリアンは次のように言います。

 「あなたは、この事であなたの主が伝えていることを学ぼうとしたことがあるか?よく聞きなさい。主の意味するものは愛だ。誰があなたに愛を見せてくれただろうか?愛であるお方が。彼があなたに見せたのは何か?愛だ。なぜ彼は愛を見せてくれたのか?愛のためだ。あなたをそこに保ちなさい、…そこで、私たちの善なる主イイスス・ハリストスは言った。「あなたのために私が受難したことをあなたは喜んでくれただろうか?」私は答えた。はい、善なる主よ、私はあなたに感謝します。はい、善なる主よ、あなたは祝讃されますよう。すると、イイスス、我らの慈愛あふれる主は言った。「あなたが喜んでくれたなら私もうれしい。かつて私があなた達のために受難を受けたことは、喜びであり、至福であり、限りない満足を私に与える。もし、もっと私が苦しんでもよかったなら、私はもっと苦しんだことがろう」。

ハリストス復活
 我らの神ハリストスは真の人間だったので、彼は十字架上で、完全かつ真正な人間の死を死にました。しかし、彼は真の人間であるばかりでなく、真の神であったので、すなわち彼は生命そのものであり生命の源であったので、この死は終局ではありませんでした。いや、あり得ませんでした。
 十字架はそれ自体として勝利でした。しかし、聖大金曜にはこの勝利は隠されていました。ところがイースターの朝その勝利は明らかになりました。死者の内からハリストスは復活し、その復活によって私たちを不安と恐怖から解き放ちました。十字架の勝利は確証されました。愛は憎しみより強いこと、生命は死より強いことがあからさまに示されました。神ご自身が死に、死から復活しました。もはや死はありません。神によって死すらも満たされました。ハリストスが復活したので、私たちはもはやこの世界に存在するいかなる闇と悪の力を恐れる必要はありません。毎年私たちは、復活祭の深夜の祈祷で、金口イオアンに帰せられる次の言葉によってそれを宣言します。

「何人も死を畏れるべからず
  蓋し、救世主の死は我らを釈きたり…
  ハリストス復活して悪魔は倒されたり
  ハリストス復活して天使らは喜ぶ」
                 (復活祭早課「金口イオアンの説教」)

ここでも、正教はその意味を極限において理解します。私たちは聖使徒パウェルの「もしハリストスがよみがえらなかったとしたら、わたしたちの宣教はむなしく、あなたがたの信仰もまたむなしい(コリント前15:14)」という言葉を繰り返し宣言します。復活がペテンであったなら、私たちはどのようにしてクリスチャンであり続けられるでしょうか?ハリストスを人となった神としてでなく単に預言者、教師、義人として考えることが不適当であるのと同様、主の復活を、ハリストスの霊が残された弟子たちの間に何らかの形で宿ったことと説明してしまうのも不十分です。「真の神よりの真の神」ではない者は、また死と復活によって死を征服しなかった者は、私たちの救いと希望ではあり得ません。私たち正教徒は、ハリストスの人間としての体が再びその人間としての霊に結合され、空っぽの墓が残されたという意味で、真正なる死者よりの復活があったと信じます。正教徒にとって、エキュメニカルな(教派を越え教会の再一致を模索する)対話に関わるとき、現代のキリスト教諸教派に当てはめるべき最も意味のある区分は、このような意味での真正な復活を信じるか否かです。
「あなたがたは、これらの事の証人である(ルカ24:48)」。
 復活したハリストスは、私たちを、この世の他の人々とも、その復活の大きな喜びを分かち合うためにこの世に派遣します。アレキサンドル・シュメーマン神父は次のように書いています。

 「そのそもそもの最初から、キリスト教は、喜び、しかもこの地上であり得る唯一の真の喜びの告知だった。…この喜びの告知なしにして、キリスト教を理解することはできない。教会がこの世に対して勝利しているというのは、まさにこの喜びによる以外の何ものでもない。教会がこの喜びを失い、その喜びの証者たることをやめてしまったとき、教会はこの世を失ってしまう。キリスト教徒に対するあらゆる告発の中で、最も恐るべきものがニーチェによって発せられた。いわく、『キリスト教徒には喜びがない』。…福音書は『見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える』と語り起こされ、『彼らは〔イイススを拝し、〕非常な喜びをもってエルサレムに帰った』と結ばれる(ルカ2:10、24:52)。この大きな喜びの意味を私たちは再発見しなければならない」


ペンテコステはなぜ「聖三者(三位一体)祭」なのか

 熱心な訪問伝道で有名なある新興宗教の信徒たちは、きちんとした服装、伝道冊子のぎっしり入った手提げカバン、二、三人連れだって歩く姿にすぐ「あの人たち」とわかります。もちろん、顔立ちはそれぞれ違いますが、礼儀正しく愛想のいい物腰のかげに見え隠れする、不安を必死でうち消そうとするかのような「キッ」とした表情は皆共通です。皆さん「同じ」に見えます。

 逆に正教会では、皆同じように十字をきり、イコンに接吻し、ローソクを献じ、伝統的な教会習慣を大切に守りますが、一人一人は実に「異なっている」という実感があります。この実感は、聖体礼儀の礼拝を通じて、あえて言えば「ゆったりしたくつろぎの中で、互いの『異なり』を確かめ合いつつ、大きな調和の内に抱き取られていく」といった「至福感」へと高められます。
 これを可能にするのは、復活したハリストスが天の父なる神の右の座にあげられてから十日後、五旬祭の日、祈りを捧げていた弟子たちの上に遣わされ(使徒行伝2章)、今も教会という「集い」にあふれ、私たちを生かす「聖神」です。

 ペンテコステ・聖神(霊)降臨祭は同時に「至聖三者」祭です。祭日の聖歌は、弟子たちが聖神を受け一斉に各地の言葉で語り始めたこと(使徒2:4)を讃えて、「『バベルの塔』(創世記11章)以来、人々を互いに隔ててきた言語の異なりは、今や人々を豊かな多様性の内に神へと結びつけるものとなった」と歌います。
 聖神(聖霊)は、父と子と聖神のお三方が別々のお方でありながら、なお一つの神として完全に一致しておられる、この愛の姿を私たちに回復します。「異なり」は差別や敵意ではなく、調和や愛を生み得るものとなります。「人格的交わり」の回復です。

 そういえば、冒頭にふれた新興宗教では「至聖三者(三位一体の神)」の教えを「多神論」への堕落として斥けます。多様性に喜びを見いだし得ない人たちです。
 私たちも教義だけに硬直し、教会の交わりを、即ち聖神(聖霊)を離れる時、そうなります。


至聖三者の神

「あたま」では理解できません
 「聖三者(三位一体)の神」は、ハリストスは人であり同時に神であるという「神人両性」とともに、キリスト教の最も大切な教えです。正教会では、十字架を切る時、親指・人差し指・中指の三本の指を合わせ(至聖三者)、他の二本を折る(神人両性)のは、これらの教えへの信仰の表明です。
 聖三者の教えの基本は「神は本性に於いては唯一であるが、神の位格(個位、ペルソナ)としては父・子(ハリストス)・聖神(聖霊)の御三方である」ということです。唯一の神が同時に御三方であり、この御三方が、それぞれ互いに異なった在り様と自由なご意志を持った御方(位格)でありながら神として一体・唯一なのです。これは「あたま」ではとても理解できることではありません。

考え出された意見ではなく、体験された現実
 ハリストスが洗礼を受けた時、ハリストス(子)の上には神の霊が鳩のように降り(聖神)、天から「これは私の愛する子…」という声(父)がありました(マタイ3:16、17)。また主は昇天される時弟子たちに「父と子と聖神の名(名は単数形)によって洗礼を授けよ」と命じました(マタイ28:19)。これら聖書に伝えられる幾つかの啓示を通じて、正教は「聖三者」を、考え出された意見としてではなく、使徒たちが実際に体験した「現実」として受け入れ続けてきました。古代教会時代から今日まで何度か、この人間の理解を超えた現実にあえて合理的な解釈をほどこす間違った教えが出ましたが、正教はその度に犠牲を払いながらも断固として斥けてきました。いくら不合理に見えようとも体験された「現実」は変えられないからです。

クリスチャンの生き方と聖三者
 正教では、神は感覚や知性によっては知り得ず、悔い改めによって開始されるクリスチャンの生き方の中で体験されるものと教えます。まさにこの体験の中心にあるのが聖三者なのです。聖三者は、難解な神学や、「高尚な」精神性に達した少数の人たちの「観想」の対象として、「神棚にあげて」おけばいいものではありません。クリスチャン一人一人が、堕落し孤独な人間の姿ではなく、聖三者の神の交わりの姿を「本来の人間の像」として「生き」始めるなければなりません。そのとき初めて、神を、聖三者として、私たちを生かすものとして体験する道に入って行けるのです。
 私たちは「父と子と聖神の名によって」洗礼を受けます。これは洗礼によって、神の像、即ち「一体にして分かれざる聖三者」(正教会の祈祷文の重要なフレーズ)のあり方が、私たちの内に回復することです。この像を、神の恵みの中で、実際に目に見える「神の似姿(肖)」(創世記1:26)として人々との交わりの中に具体化してゆくのがクリスチャンの人生です。

「至聖三者のイコン」の教えるもの
 では聖三者としての神の像とはどんなものでしょうか?ここに掲げる「至聖三者」というニックネームを持つイコン(アンドレイ・ルブリョフ作、15世紀ロシヤ)は、信仰と美の奇跡として、この神秘をかいま見させてくれます。  
 少しのあいまいさもなくくっきりと描き分けられた三人の天使が、誰が中心というでもなく、誰が支配者というでもなく、出しゃばりもせず、卑屈にもならず、何とも言いようのないゆったりとしたくつろぎの中で、交わりを保っています。どの一人が欠けても、この調和と一体性は破れてしまいます。そこには「永遠」を感じさせる朗らかな静けさとともに、三人が今にも立ち上がって舞い始めそうな動きへの予感があります。
 教会という「神の民の集い」は言うまでもなく、信徒の家庭も交友も、ここにかいま見ることのできる聖三者の像に、つねに差し向けられていなければなりません。


復活祭論争
教会の一致を守ったポリカルプとアニケトス

ポリカルプとアニケトス

 第二世紀のころ、小アジア(今のトルコ地域)の教会は復活祭をユダヤ教徒と同じ、当日が日曜かどうかに関わりなくユダヤ歴でニサンの月の一四日に祝っていました(一四日派)。他のほとんどの地域の教会はその直後の日曜日を復活祭の日としていました。
 小アジアはスミルナの主教ポリカルプは、自分たちの慣行の正当性を訴えそれに倣うよう説得するために、はるばるローマ教会の主教アニケトスを訪問しました。アニケトスの側も、この機会にポリカルプを説得し自分たちの慣行に倣わせようとしました。二人は率直に意見を戦わせましたが、ついに見解の一致には至りませんでした。
 しかし、クリスチャンの信仰の中心、主の復活をいつ祝うかという重大問題での意見の相違と論争は、教会の分裂を招きませんでした。古代教会随一の教会史家エウセビウスは、これについてリヨンの主教イリネイの次の言葉を引用しています。
 「そういう事情でしたが、彼ら(注:ポリカルプとアニケトス)は互いに交わりました。そして、その教会(注:ローマ教会)で、アニケトスはポリカルプに聖体機密を執行することを認めたのです。明らかに敬意からでした。また、彼らは互いに平安のうちに別れましたが、それはその教会全体の平安がそれ(注:復活祭を祝う日の規定)を守る人と守らぬ人の双方によって保たれたからです」。

聖伝と諸伝承

 教会には「聖伝」といわれるものがあります。使徒たちから受けて教会が伝える、正しい信仰を支え、日々の信仰生活を導き、全教会の一致をもたらす大切な伝承・伝統です。カリストス・ウェアー主教は「The OrthodoxChurch 」 で、「正統的信仰の源泉」である「聖伝」として次の七つをあげています。すなわち、聖書・全地公会ならびに地方公会で確認された信仰箇条・聖師父の教え・奉神礼・教会法・聖像です。そして、このような「聖伝」と、後の教会が長い歴史や地域的特殊性の中で身にまとってきた様々な教会慣習や伝承は、はっきり区別されなければならないと言っています。そういう「諸伝承」を「聖伝」と勘違いし、それに囚われてしまうと、やがて教会は硬直化し、聖神(聖霊)に満たされたみずみずしい信仰の息づきを失ってしまうからです。  

 「聖伝(Tradition)」と「諸伝承(tradi-tions) 」を混同してはなりません。たとえば、信徒が毎主日領聖するのは基本的な「聖伝」です。初代教会の人々はできれば毎日でも領聖しなければならないと確信していました。しかし「女性は聖堂でスカーフをかぶるべし」というのは「諸伝承」の一つに過ぎません。「スカーフをかぶってないから不謹慎」と領聖を許さないなら、「諸伝承」にこだわって「聖伝」を犯すことになります。(ただ誤解しないで下さい、スカーフをかぶることは慎ましい女性らしさを表すよい習慣であることは間違いはありません。)また、間違った諸伝承もあります。たとえば、信徒は年に一回か二回大祭の時に領聖すればよいといった、いつの頃からか定着してしまった考え方で、これはきっぱり拒否して、克服しなければなりません。
 ポリカルプとアニケトスは、この「聖伝」と「諸伝承」のこの関係をよく心得ていました。復活祭をいつ行うかという「伝承」を押しつけ合うことで、「聖なる公なる使徒の教会」の一致を破ってはならないことを、ともに聖体機密に与り、宣言したのです。聖体機密で領聖する事、そして互いに記憶し合うことこそが、信徒の一致・教会どうしの一致のしるしだからです。

ローマ主教ヴィクトルの専横とイリネイの叱責

ところが、数十年後論争が再燃したとき、ローマ教会の主教ヴィクトルは「教皇」というタイトルをバックに、ローマの慣行を小アジアの諸教会へ強引に押しつけました。「教皇の命令」に従わなかった教会を「破門」してしまったのです。これに対して、多くの主教たちが、たとえローマ教会の慣行に賛成であっても、ヴィクトルの専横に反発しました。その急先鋒がリヨンの主教イリネイでした。彼は、書簡を送り長々と「教皇」を叱責した上で次のように言いました。
 「(教会習慣の違い)にもかかわらず、彼ら(諸教会)はすべて平和の内に暮らし、わたしたちも互いに平和の内に生きているのです。…意見の相違こそは、わたしたちの信仰の一致をもたらしているのです」

教会一致への初代教会の合意を継承した正教会

 この「一致」が、「権威」をたてに無理矢理に諸教会のあり方を画一化してゆく事ではないのは明らかです。互いに異なったものが、互いの自由と独立を尊重し、「相違」をこえてハリストスへの信仰と愛によって一つに結ばれること、これがイリネイの言う「一致」であり、初代教会の「合意」でした。異なっているからこそ一致が成立するのです。教会間の真の友愛が成立するのです。
 正教会はまさに「聖伝」としてこの「合意」を守り続けてきたました。ローマ・カトリック教会とやむなく袂を分けているのも、ローマ主教がやがて「ハリストスの代理人としての教皇の権威」は世界中の全教会におよぶとし、他の独立教会へ強引に干渉するようになったことも大きな要因です。ポリカルプやローマ主教アニケトス、さらにイリネイ等当時の主教たちが力を尽くして守った初代教会の合意を破った者たちとは「一致」できないのです。「聖伝」を守るためには教会の一時的分裂もやむを得ない事のよい例でしょう。

ポリカルプの最期

さて、アニケトスとの会談の後、スミルナへ戻ったポリカルプは、「ハリストスに仕えている」というかどで逮捕告発され、火刑に処せられました。
 最後に八六才のこの聖致命者が残したことばを紹介し、この稿を終えたいと思います。ハリストスに堅く結ばれていること、それこそが互いに異なる人々を、互いに異なる教会を結びつける唯一の絆であることを教えてくれます。

スミルナの総督から「誓え。そうすればおまえを釈放してやろう。ハリストスを罵るがよい」と迫られた聖人は言いました。
 「私は、八六年あの方に仕えてきましたが、あの方から不当な取り扱いを受けたことはありません。それなのに、私を救って下さった、私の王であるあの方をどうして冒涜することができましょうか」


女性の神品(聖職者)叙聖について…聖公会の友人への手紙
                   アレキサンドル・シュメーマン神父

親愛なる友よ
 あなたから、女性の司祭叙聖について正教会はどのように考えるか書いて欲しいとお願いされた時、そんなに難しいことではないと思いました。正教会は「女性司祭」に反対であることを表明し、教義やカノン(教会規程)また精神性の面からその理由を説明するのは簡単なことですから。
 しかし、やがて私は、そのような答えは無益であるばかりか有害でさえあると確信するようになりました。
 無益と言うのは、「女性司祭」の提唱者たちは、すでに正教会の聖書的、聖伝的、カノン的な「公式見解」はよく知っています。また、私たちの教会論的な立場も一般によく知られています。もっともその評価は、一種の「流行」もあって、教会一致という現在の課題へのエキュメニカルな貢献として歓迎するものと、「古代的」「偏狭」「見当はずれ」として簡単に片づけてしまうものとに分かれますが…。
 有害であると言うのは、そのような答え方が、正教会の見解を、正教的精神とは無縁な神学的な文脈と見方が支配する土俵に上げてしまい、正教会の真意と立場が歪められてしまうからです。
 また、正教会はこの問題に直面したことはかつてなく、この問題を論じるのに何の基盤もありません。伝統と教会の経験の中に参照すべきものが何もない、まったく「よその」「非現実的な出来事」です。要するに私たちはこの議論に対して何の準備もできていないということです。

 そういうわけで、あなたのお求めはなかなか難題なのです。
 この問題を誤解のないように論じようとするなら、「女性」ではなく「司祭」に対しての、正教会の見方を説明しなければなりません。それは結局、至聖三者(三位一体)の神、創造、陥罪と救済について、また「教会」とその神秘について、そして人間の神化と、被造物全体のハリストスにあっての「完成」について説明しなければならないということです。それなくして、なぜ私たちにとって、女性の司祭叙聖が、正しい信仰の根こそぎの回復し得ない破壊であるか、聖書全体の拒絶であるか、そして言うまでもなく一切の(エキュメニカルな)「対話」の終焉であるかを理解していただくことは不可能でしょう。おそらく私の答えは、保守的な、伝統主義的な現状維持のための発言としか受け取っていただけないでしょう。また、今日、多くのキリスト者たちが、「偽善」「神のみ旨の無視」「世界の現実への無知」…とうんざりするほど罵倒を繰り返しているものに加担する発言の一つとしか受け取っていただけないでしょう。ひとたび教会の聖なる伝統を拒絶した者たちが、もはや伝統に基づく論証に耳を傾けることはあり得えないことは自明のことです。

 ではしかし、彼らの耳に何を語るべきでしょうか?…「驚き」です。
 私たちは、女性の神品叙聖が一つの「問題提起」として持ち出され、あれよあれよという間に教会の実践的な事案のレベルに移され、ついに教会政策の問題に帰着してしまい投票(!)の対象となるという、その展開と、私たちには理解できない性急さに対して、驚きあきれ果てています(結局、正教会のこの件に対する反応は驚き以外の何ものでもありません)。途方に暮れるこの私にできるのは、私の理解する限りで、その驚きの中身を述べて、この驚きを皆さんに伝えようと試みることぐらいでしょう。
 
 私たちの驚きの最初の次元は教会間対話の次元での驚きと呼べるでしょう。
 皆さんの「女性司祭」についての議論は、私たちがずっとぼんやり感じていて、今や疑いもなく確信できるある事実を、白日の下にさらしました。それは、西方教会が、自分たちの問題以外の領域への無関心の中で、まさに習い性となって身につけてしまったものの正体です。西方教会はむろん反論するでしょうが、いわゆる「教会一致運動」と呼ばれるものでさえ、当初からそして今でも、一貫して、西方的な諸前提に基づき、とりわけ西方的な物事の進め方に枠づけられた、純粋に西方的な現象であったということです。
 私は西方のプライドや尊大さを指摘しているのではありません。むしろ、西方キリスト教は強い罪責意識にとりつかれ、自己批判や自己断罪をまるで楽しんでいるのではないかといった状態です。彼らは自分自身を超えられないのです。すなわち、今まで何の疑問もなく「普遍的」なものと考えてきた、自分たちの経験、問題、思考様式そして優先事項を、真の普遍的、真の「カトリック(公同的な)」な体験の光のなかで、評価し直さなければならないという、実に簡単なことがわからないでいるだけなのです。確かに西方のクリスチャンたちはほとんど「熱狂的」に自らを裁き断罪します。しかしそれは、彼ら自身の用語によるもの、度し難く「西方的」な視点からのものにすぎません。彼らは、彼ら自身の凝り固まってひとりよがりな特殊西方的「文化状況」の中で、ひとたび、「女性に対してこれまで行ってきた不正を正さなければならない」という方向性が出るやいなや、あっという間に事を運んでしまいます。それについて「他の者」たちがどう考え、どれほど深刻に驚くか、気にもとめません。エキュメニカルな精神と共感と理解が生かされるべきまさにこの時に、西方教会の側にそれらが欠落 していることが、どれほど私たちを悲しませるか、少しも気づこうとしません。

 私はしばしば正教会にも歴史的な制約を受けた性格や傾向があることを率直に指摘してきました。だから言わせて欲しい、というのではありませんが、精一杯の誠意をもって申し上げたい。すなわち、私には、「女性司祭」の議論は地方的な議論であり、西方の自己中心性と自己満足に深く刻印され限界を設けられているとさえ思えます。それは、西方文化の「流れ」(トレンド)は何もかもがキリスト教の伝統全体に再考を促しているという、ほとんど子供っぽいといっていい思い込みによるものです。
 私たちは、この苦難に満ちた世紀の最近の数十年間に、何と多くの「流れ」を見せつけられてきたことでしょう!何と多くのそれらに対応する「神学」が生まれたことでしょう!しかしながら、今回の問題には決定的な違いがあります。今までの「流れ」は、「神の死」や「世俗都市」や「生命の祝祭」等のような、二、三冊のベストセラーを出したら消え去ってしまうような知的で学問的な気まぐれにすぎませんでしたが、今回の問題には、一度起きたらもはや逆行できない回復不能な「行動」を引き起こしてしまう「脅威」がともなっています。この脅威が現実のものとなったら、今度こそはキリスト教界の最終的な分裂を引き起こすだろうと、私は確信しています。少なくとも正教会にとっては、それは一切の対話の終焉を意味します。

 女性司祭の提唱者たちは、聖書や伝統が女性を神品職から排除しているのは「歴史的な条件」によるのだと説明しています。ハリストスが十二弟子に女性を加えなかったのは、また教会が何世紀もの間女性を司祭職に任じなかったのは、そんなことは思いもよらなかった当時の「文化」のせいだというのです。私はここで、この見方についての神学的・聖書解釈的な議論も、歴史学的根拠についての議論もするつもりはありません(もっともそのような歴史学的根拠といったものは、とても微弱で不安定なものに思われます)。
 私をほんとうに驚かせるのは、女性司祭の提唱者たちが、過去の文化とそのキリスト教への影響に対する自分たちの理解に絶対の自信を持ちつつ、彼ら自身が現在発言していること自体も彼らがその下に服している「文化」に制約されていることに全く気づいていないということです。彼らは実に簡単に、この世での過渡的な現象、また始まったばかりの現象を、教会の構造のまさに根本的変革を十分に正当化するものとして受け入れてしまいます。さらに、この潮流を、「権利」「正義」「平等」などの、どう考えてもキリスト教信仰を適切に表現し教会になじむとは思えない観点から、受け入れてしまいます。これらを、他にどのように説明すべきでしょうか?

 悲しむべき真実は、今日提案され討議されている女性の神品叙聖の考え方は、あまりにも多くの混乱と還元(訳注:この場合はあらゆるものを一つの要因に帰着させてしまう単純化)の結果であるということです。この考え方が「文化」に条件づけられているとすれば、それはまさに「聖職者主義」という「文化」に組み伏せられていると言うべきでしょう。
 女性司祭の実現を目指す主張はほとんど完璧に、古くからの聖職者主義的な教会観と、それに関係する二重の還元(単純化)に支配されています。一つは教会というものを「権力構造」に帰してしまう単純化、もう一つはその権力構造を聖職者と同一視してしまう単純化です。
 「世俗社会の権力構造の中で女性が劣等なものとされてきたことが、教会での女性の劣等性、即ち聖職からの排除の理由だったのだから、今開始されつつある世俗社会での女性解放は教会での「女性解放」をも促し、もはや女性が聖職者になれない理由はない」という見方です。

 しかし教会はこのような観点に単純に還元され得るものではありません。教会の生命の言いようのない神秘を、その本質と無縁な概念や思想でとらえようとすれば、教会は「諸要素」に断片化されてしまい、その真の力、その光栄と美とその超越的な真理は、私たちから逃げ去ってしまいます。

 これが、この手紙の結論を、いろいろな「証拠」をあげて説明し正当化するのではなく、単に私の「告白」として述べる理由です。
 私は告白します。女性が司祭に叙聖されないのは、人々がでっち上げた「女性の劣等性」とは何の関係もありません。完全に無関係です。私たちの信仰の内実をなし教会の生命を形作る唯一の本質的な現実にあっては、また完全な交わりであり、完全な知識であり、完全な愛と究極的な人間の神化である神の国の現実にあっては「男も女もありません(ガラティヤ3:28)」。その上さらに、「今、まさにここで」私たちが与っているこの現実にあって、私たちは皆、いかなる差別もなく、王であり司祭です。ハリストスが私たちに回復して下さったのはこの人間の本性と使命の本質的な司祭性です。
 教会は、まさに、この司祭性の贈与であり、この究極的な現実の受容です。教会がこのようなものであり、またいかなる限度も制限もなく、いつでもどこでも、聖神(聖霊)の賜物であれるように、神の独り子はご自身をただ一度の犠牲として差し出し、このただ一度の犠牲と唯一の司祭性を、まさに教会の基礎として、教会の「かたち」として、お据えになりました。

 この司祭性はハリストスのものであり、私たちのものではありません。私たちの内、誰も、男であれ女であれ、その司祭性に対する「権利」を持つ者はいません。これは断じて、人間のなし得る仕事ではありません。
 教会の司祭は「もう一人の」司祭ではありません。教会で献げられる犠牲は「もう一つの」犠牲ではありません。それは、永遠の唯一のハリストスの司祭性であり犠牲です。正教会の奉献の祈りに次のような句があります。「蓋し、ハリストス我が神や、爾は献ずる者と献ぜられる者、受ける者と頒たるる者なり」。かくして、制度として教会に置かれる司祭は彼自身の存在論を持ち得ません。それはただハリストスご自身を存在せしめるために、このハリストスの唯一の司祭性とただ一度の犠牲を、教会の生命の源泉・人々が聖神(聖霊)を「獲得」する源泉にするために、存在しているにすぎません。この唯一の司祭性を担い、そのイコンとなり成就者となるのが男性であるなら、その理由は、ハリストスが男性であり女性ではないからです…。


 なぜでしょう?もちろん、その問いは唯一の重要で適切な問いです。どんな「文化」も、どんな「社会学」も、どんな「歴史学」も、たとえどんな「聖書解釈」でさえその問いに答えることはできません。教会における本源的で本質的な意味での「神学」のみがその問いに答えることができます。その神学とは「真理」であるお方そのものに、心と思いを貫き、このお方を眼前に見る(vision)ことであり、造られざる「神の光」に浴することです。まさにこのきよめられ回復された体験(vision)の内でこそ、なぜ、神とその被造物との、神とその選ばれた人々との、神とその教会との関係の、言語に絶した神秘が、結婚の神秘・神秘的な婚姻の成就としてその本質を啓示しているのかを理解し始めることができるのです。言い換えれば、この体験の中でこそ、究極的な真理とご計画への瞑想を通じて、神の創造そのもの、教会そのもの、人間と世界そのものが、花嫁として、日の光をまとった女として啓示されるのはなぜか、また教会はその愛と知識の深みで、また喜びと交わりの深みで、自らを、「ヘルビムより尊くセラフィムに並びなく栄え」る一人の女(「生神女マリヤ」)と同一化するのはなぜか 、その理由が理解され始めるのです。

 損なわれ堕落したこの世で用いられる手段でこの神秘を「理解」しようとしても無駄です。そこでは、この世は損なわれ分断され、緊張と二分法により、どこまで行っても、この究極的な体験(vision)に浴し得ないことが明らかになるだけです。逆にこの体験(vision)と独自の経験こそが、この世に対する私たちの理解のための、また人間的・歴史的・文化的な見方に縛り付けられてきたこの世の一切に対する、神の真の勝利への可能性と出発点とならなければならないのです。


十字架挙栄祭の聖像(V・ロスキー著「聖像の意味」より。小見出し訳者付加。)

真の十字架の発見――献堂祭と挙栄祭
 聖大金曜日はさておき、十字架の主題は一年を通して週間奉事で毎水曜日と金曜日にいつも繰り返されます。さらに、「十字架叩拝(大斎第三主日)」、「十字架の出行祭(8/14)」、そして西方でも9月27(新暦では14)日に祝う「十字架挙栄」と、正教会では主の十字架に三つの特別な記念祭(日)を献じています。

 十字架挙栄祭は、パレスチナに端を発しました。コンスタンチン帝がエルサレムに建立した復活聖堂献堂を記念する為制定した「聖堂成聖(献堂)記念祭」は、早くから真の十字架発見の記念と関連付けられました。335年に催された成聖式の記録で、エウセビイ(エウセビオス)は十字架の発見に何ら言及していません。しかし、347年にはエルサレムの聖キリルが、「既に全宇宙は十字架の木の断片により満たされている」と述べています。よって、十字架の発見はおそらく成聖の少し後、340年頃にあったと思われます。

 エデッサの伝承は、ティベリウスの治世副帝クラウディウスの妻プロティニキアに十字架の発見を帰そうとしました。しかし、コンスタンチン帝の母聖エレナが十字架を発見したというより信頼できる話は、四世紀末には広く受け入れられていました。

 395年には、ゴルゴファの丘の真下で皇太后エレナが3本の十字架を発見したこと、真ん中で見つかり罪状札が付いていたことからハリストスの十字架が確認されたと、聖金口イオアンが述べています。5世紀初頭には、聖エレナとエルサレムの(総)主教聖マカリイにより認められた真の十字架による奇蹟について幾人かが言及しています。400年頃エルサレムへの旅行について記したアエゼリアは、「丁度その日に主の十字架が発見されたので」聖堂成聖記念祭は大変荘厳にお祝いされたと述べています。

 十字架の祭は、すぐほぼ完全に聖堂成聖記念祭を凌ぐようになりました。6世紀には、9月27日に聖堂成聖と尊き十字架挙栄を祝う恒例の祭について修道士アレクサンドルが言及しています。聖人暦の10世紀末の写本は、335年聖堂成聖の翌日に初めて聖なる木を目の当たりにすることが民衆に許され、「主憐れめよ」という信者の声に向け高所に立つ主教品が十字架を挙げたと記しています。これは、十字架発見の時からエルサレムで常に行われて来たに違いない「挙栄」の儀礼に関する叙述です。

 コンスタンチノープルでは、614年9月27日に初めてこの儀礼が行われました。イラクリイ(ヘラクリオス)3世帝がペルシャ人達から奪還した十字架は、628年帝国の首都に凱旋し戻されました。最後に首都へ持って来られたのは633年のことで、その時は、セルギイ総主教がその十字架を持ってブラケルネスから聖ソフィヤ大聖堂まで十字行を行い、大聖堂で極めて荘厳に挙栄の儀礼が執行されました。コンスタンチノープルからキリスト教世界の他の中心地へとこの祭は広まり、セルギイ教皇(位687〜701年)の下ローマでも祝われるに至ったのです。

 挙栄祭は、「神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強い(コリンフ前書1・25)」と全人類が受け認めることによるハリストスの十字架への讃美です。「我等今日爾が司祭首の手にて挙げらるるを見て」「詛の釋かれ、不朽の栄え、地上の者が神成せられ、悪魔の全く仆されし所以の(十字架挙栄祭大晩課、挿句の讃頌第五調)」ハリストスの武器を教会は祝讃します。

 しかし、救贖の業と同時に、キリスト教に敵する現世的力に対する十字架の無敵の勝利も教会はお祝いします。実際、「世界の援助(同、リティヤの讃頌第二調)」――世界史上稀に見る助けである主の十字架による以外に、ハリスティアニンにとって勝利を意味するものはありません。
 ハリスティアニンであることを望む国は、コンスタンチンの勝利を確実にし 「此を以て夷狄(蛮族)は勝たる、此を以て諸王の権柄は固めらる(早課、讃頌第八調)」十字架の前に伏拝しなければなりません。

 これら「コンスタンチニアン(コンスタンチン主義者)」の本分の存在が、正教の民とキリスト教文明の長である「王」は十字架の無敵の力で敵に打ち勝つという政治的特徴をこの祭に与えています。しかし、ビザンチウムの町に属するこの見方を別として、尊貴にして生命を施す十字架の全地(全宇宙)の挙栄には、「十字架に於いて明らかにされた神の権能による宇宙の成聖」という恒久的で本質的な見方があります。

 ハリストスを新たなるアダムとすると、十字架は堕落した世界に天の不朽を取り戻す新たなる生命の木です。その二つの梁で天国を抱える十字架は地に挙げられ、悪魔の群れを敗走させて地の四極に恩寵を注ぐのです。

挙栄祭聖像の構図
 聖像表現では、十字架の発見に関連する十字架挙栄の表現が時々見受けられます。聖像上側に十字架を挙げる主教品が描かれ、下側にはゴルゴファの丘のふもとの洞穴近くで丁度発見したばかりの三つの十字架の前に聖エレナが描かれます。しかし、正確に言えば普通この主題は挙栄に限定されます。

 最も単純な構図では、アンモンに立ち両手で大きな十字架を支えている主教品(エルサレムの聖マカリイ)が描かれます。その主教品が民衆に示しているのは、ハリストスの真の十字架に他なりません。主教品は副輔祭に両側から支えられており、側には聖コンスタンチンと聖エレナが描かれます。時折、皇帝とその母は共に主教品の右側に位置し、左側には十字架の権能により起こった奇蹟(病者の癒しか死者の復活)が描かれることもあります。

 十字架を挙げる主教品の後ろの建物は、きっとコンスタンチンが建立した復活聖堂を表現しているのでしょう。それは、聖像表現の中に保たれたかつての「聖堂成聖記念祭」の記憶なのです。


世のいのち       アレキサンドル・シュメーマン神父「世のいのちのために」第一章

  「わたしは天から下ってきた生きたパンである。
  それを食べる者は、いつまでも生きるであろう。わたしが与えるパンは、
  世のいのちのために与えるわたしの肉である」。
       イオアン6:51



「人とは彼が食べるところのものである」。
 フォイエルバッハ(ドイツの著名な唯物論哲学者1804-1872)はこの彼の声明によって、人間性についてのあらゆる観念論的な思弁に終止符を打ったと考えました。しかし、実は彼は期せずして最も宗教的な人間理解を表明しているのです。フォイエルバッハよりはるか以前に同じ人間理解が聖書によって与えられました。聖書の創造物語では、人はまず、飢えた者として、またこの世はすべて彼の食物として示されます。第二に神は、人が繁殖し地に満ちる為に「地のものを食べよ」と人に命じられました(創世記1:28-29)。

 「わたしは全地のおもてにある種をもつすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなたがたに与える。これはあなたがたの食物となるであろう(1:29)」
 人は生きるためには食べなければなりません。自分自身の内にこの世を取り込み、自分自身に、すなわち肉と血に変えなければなりません。人はまさに「彼が食べるところのもの」であり、この世は人のためにすべてを包み込む一つの宴卓です。そして、この宴のイメージは聖書全体を通じて「いのち」の中心的なイメージです。創造に於いても、またその終末と成就に於いても、宴は「いのち」のイメージです。
 「…私の国で食卓について飲み食いさせ(ルカ22:30、マトフェイ8:11参照)」。

 (注) 「いのち」はlifeの訳。著者は神からの贈与としての根源的な「いのち」の他に「(日常)生活」や「(生物学的)生命」や「人生」という多義的な意味をlifeに含意している。それは、生活や生命や人生もみな本来神から贈られた「いのち」であることを示すものである。本翻訳に際しては、lifeは基本的には「いのち」と訳し必要な場合は「いのち(=生活)」と括弧書きする。

 私は食物についての一見二義的な主題から始めます。二義的と言うのは「私たちがクリスチャンとして『ハリストスが世のいのちのために死んだ』と信仰告白するとき、何の『いのち』のことを語り、説教し、宣言し、告げているのか、また何の『いのち』がキリスト教の伝道を動機付け、その開始となり目的地となるのか?」という、この小論が最終的に答えなければならない、今日の重大な宗教的問題からみれば二義的だからです。

 既存の回答には二つの一般的パターンがあります。
 まず、「いのち」とは「宗教的な生活」を意味すると言う人々がいます。この場合、宗教生活はそれ自体、世俗的なこの世とそのいのち(=生活)から切り離された一つの世界です。これは「霊性」の世界であり、今日ますます人気が高くなっているように見えます。飛行場の売店の本棚にさえ神秘主義的な著作からの「名句集」が溢れています。そんな中の一つには「根本的神秘主義」というタイトルまでありました。
 いのち(=生活)の騒々しさ、慌ただしさ、そして様々な抑圧の中で、人々は道を見失い混乱し、魂の内面的な聖所への招きを安易に受け入れるようになります。そこにもう一つのいのちを発見し「霊的な食物」が豊かに供される「霊的宴」を味わいます。この霊的食物は彼を手助けしてくれます。それは、心の平安を回復させ、世俗的なこの世に耐えさせ、艱難を受け入れさせ、健全で一層献身的な生活へ導き、「彼はいつも微笑んでいる…」といった深い宗教的寛容を身につけさせます。かくして、ここでは、伝道は、人々をこの「霊的」ないのちへ回心させ彼らを敬虔(「宗教的」)にすることを意味します。

 この傾向の中には、単なる復古主義から秘儀的な神秘主義への洗練された関心に至るまで、様々な強調点の違いや神学的な多様性が存在します。しかし、結論は同じです。宗教的生活は世俗的ないのち…食べたり飲んだりする生活…を「本来のものでない無意味ないのち」とし、そこから、敬虔と忍耐を身につける訓練の場という以外の、すべての大切な意味をはぎ取ってしまいます。この宗教的な宴が「霊的」であればあるほど、私たちがハイウェイ沿いに見る「お食事、飲み物」といったネオンサインの群は、一層「世俗的」で「物質的」なものとなってしまうのです。

 しかし、このような傾向の一方で、「世のいのちのため」とは当然「この世のより善い生活のため」を意味しているとする人々がいます。霊性主義者の存在は行動家たちによって均衡が取られるというわけです。たしかに、今日私たちは、「社会的福音」への単純な楽天主義と期待感から遠い所にいます。実存主義がその「不安」とともに表すもの、また「新正統主義」がその歴史への悲観的現実的な見方によって表すものはすでに十分に吟味され適切な評価が終わり時代精神に摂取されています。

 (注)「社会的福音」とは十九世紀西欧のキリスト教界で叫ばれた社会問題への関心と実践を強調する様々な運動への総称。

 (注)新正統主義
 〈英〉Neo‐orthodoxy.バルト,ブルンナー,ゴーガルテン,トゥルンアイゼンなどを中心としてヨーロッパで始まり,やがてスカンジナビアのアウレーンやニーグレーン,イギリスのドッド,リチャードスン,ベイリ,ホスキンズ,アメリカのニーバー一族などによって国際的な広がりを見るに至った,20世紀の新しい神学傾向に対して,アングロ・アメリカの神学界が与えた名称.この運動は,内在主義と楽観主義に彩られた19世紀的リベラリズムを退け,神の超越性,人の罪性,神の恩恵のみによる救いなど,16世紀宗教改革の強調点を,従来の*正統主義のとらえ方ではなく,啓蒙主義後の近代的視点から新しくとらえ直そうとするところに特色を有している.

 しかし、キリスト教がまず何よりもまず「行動」であるという「社会的福音」派の基本的な確信はそのまま残り、実際新しい力を獲得しています。この観点からは現代のキリスト教はこの世を見失っています。「この世」が取り戻されなければなりません。それ故、キリスト教の伝道とは、道に迷ってしまったこの世に追いつくことです。「食べたり飲んだりする人」としての人間観は、非常にまじめに、ほとんどまじめすぎるほどに捉えられます。事実上「人間=飲食する者」だけがクリスチャンの行動の対象となります。私たちは「おまえたちは、瞑想や讃美に、沈黙や奉神礼に時間を使いすぎ、社会的、政治的、経済的、人種的な…、あらゆる現実生活の諸問題に十分な関心を示していない!」と四六時中悔い改めを迫られます。神秘主義や霊性に関する書籍に相当するのは「宗教といのち(=生活)」です。ないしは「宗教と社会」、「宗教と都市問題」、「宗教と性」です。しかし、そこでは、根源的な質問には答えられていません。私たちがハリストスのために再び獲得しなければならない、また私たちをクリスチャンとするこの「いのち」とは何か、また、言い換えれば、これらの行為や行動すべての究極的目的は何なのかという質問です。

 これらの社会実践的な目標の一つでも達成したとしましょう。「勝利」しました。しかし、何が?この問いはナイーブすぎるように見えるかも知れません。しかし、人は行動の意味ばかりでなく、そのために行動する、まさに「いのち」の意味について知らずして、実際に何もすることはできません。人は「食べたり飲んだり」します。人は「生きる」ために、いのち(=生活)の充実のために、自由と正義を旗印に戦います。しかし、いのちとは何でしょう?生活そのものの「いのち」とは何でしょう?いのちの永遠の内実は何でしょう?突き詰めて考察すれば、「行動」は、その内にもそれ自体としても、何ら意味を持たないことを、見いださざるを得ません。すべての「委員会」がすべての仕事を終え、すべての書類が配布され、すべての実際的な目的が成し遂げられたとき、それは喜ばしいことに違いありません。しかし何について「喜ばしい」のか?…それを知らなければ、さきほど「霊的」な解決法に見たのと同じ、宗教と生活の二分法が残ります。私たちがいのち(=生活)を霊的にしようが宗教を世俗的にしようが、また「霊的な宴」に人々を招こうが単に世俗的な宴会に参加させようが、神がその為にその独り子を下さった、この世のほんとうの「いのち」は、絶望的に私たちの宗教的把握を超えたままです。



 「人間とは彼が食べるところのものである」。しかし、人は何を食べ、そしてなぜ食べるのでしょう。この問いは、フォイエルバッハにとってだけでなく誰にとっても、幼稚で無意味なものに思えるでしょう。彼の信心深い敵対者たちにとってはこの問いは一層無意味なものです。彼らにとっては、フォイエルバッハにとってそうであったように、食べることは物質的な機能にすぎず、大事なことは、この機能に加え霊的な「上部構造」を持てるかどうかということです。「宗教」はイエスと答え、フォイエルバッハはノーと答えます。しかし、両者は「霊的」と「物質的」という同じ基本的な対立を前提しています。「霊的」対「物質的」、「聖」対「けがれ」、「超自然」対「自然」、これが何世紀もの間、宗教的な思考と経験についての、唯一受け入れられ理解可能な範型と範疇でした。そして、フォイエルバッハは、その彼の唯物論全体によって、キリスト教的な観念論と霊性主義の当然の申し子だったのです。

 しかし、既に見ましたように、聖書もまた、飢えた者・「彼が食べるものであるところの者」としての人から始まっています。しかしながら、その捉え方は全く異なります。聖書にはどこにも、私たちには自明な枠組みであるこの二分法は、見あたりません。聖書では、人が食べる食物、すなわち人が生きるために参与しなければならないこの世は、神から「神との交わり」として与えられたものです。人の食物としてのこの世は、物質的な何かではなく、物質的な機能以上のものであり、だからこそ、それによって人々が神に関与しようと企てる表面的な「霊的機能」とは異なるもの、対立するものなのです。存在するものはすべて神の人への贈り物です。神を人によって知られ得るようにするため、また人のいのちを神との交わりにするための贈り物です。人に食物を与えいのちを与えたのは神の愛です。神はそのお造りになったものを何もかも祝福されます。聖書的な言葉で言うと、これは、神はすべてを「しるし」として、ご自身の存在と知恵、愛と啓示の手段としてお造りになったのです。「主の恵みふかきことを味わい知れ(詩編34:8)」。

 人は飢えた存在です。しかしそれは神への飢えです。私たちのいのち(=生命、生活、人生)のあらゆる飢えの背後に神への飢えがあります。すべての欲求は最終的には神への欲求です。確かに人だけが飢えた存在ではありません。存在するすべてのものが食べることによって生きています。全被造物は食物に依存しています。しかし、宇宙での人の独自の位置は、人のみが神から受け取った食物といのちを讃えるということです。人のみがその讃美によって神の祝福に応えます。エデンの園でのいのち(=生活)で重要なのは、人が様々なものに名を付けた事です。動物たちがアダムの助け手として創造されるや否や、神は動物たちをアダムの前に連れてきてどのように名付けるかを見守りました。「人がすべて生き物に与える名は、その名となるのであった(創2:19)」。さて、聖書では、名前は、あるものを他のものから区別する手段という以上の、決定的なものです。名前はものの本質を明らかにします。いや、むしろ神の贈り物としての本質を示すと言った方がよいでしょう。名付けることは、神がそのものに与えた意味と価値を宣言し、それらが神に由来すると知り、神に創造された宇宙での位置と機能を把握することです。

 あるものを名付けるとは、言いかえれば、そのもののため、またそのものに於いて神を賛美することです。そして、聖書では神を賛美することは「宗教」的・儀式的なことではなく、まさにいのちのあり方そのものでした。神はこの世を祝福し、人を祝福し、第七日(すなわち時)を祝福しました。これは、神は、存在する一切をご自身の愛と善であふれさせ、すべてを「はなはだよい(創1:31)」ものとされたことを意味します。ですから、神がこの祝福され(bless)聖別されたこの世を与えた人間の自然な応答は、今度は逆に神を讃え(bless)感謝し、神がご覧になったようにこの世を見、この感謝と讃美の行為の中で、この世を知り、この世を名付け、この世を己のものとすることです。他の被造物から人を区別する理性や霊性や他の諸性質は皆、神を讃え、人のいのちを成り立たせる渇きと飢えの意味を知る能力のために集約されてこそ、究極的な完成に至ります。ホモサピエンス(知性人)、ホモファーベル(工作人)…、確かにそうでしょう、しかし何よりもまず「ホモアドランス」(賛美するもの)です。第一の、基本的な人の定義は、人とは「司祭」である、ということです。彼はこの世の中心に立ち、神への讃美と神からこの世を受け取りまた神にそれをささげるという行為を通じてこの世を一つにします。そして、この世を感謝(ユーカリスト)で満たし、この世から受け取った彼自身のいのちを、神にあってのいのちに、神との交わりに変容します。この世は、「もの」、一切を包含する一つのユーカリスト(感謝・聖体機密)の素材として創造されました。人はこの宇宙的な機密の司祭なのです。

 人はこれらを皆、理性によってでなく、まず本能的に理解しています。世俗主義の何世紀かは、食べることを厳密に有機体の功利的・機能的な行動に変えることに失敗してきました。食物は依然として鄭重に扱われます。食事は今なお儀式です。家族や友情のための、食べたり飲んだりすること以上のいのち(=生活)のための、最後の「自然的な機密」です。食べることは未だに身体の機能を維持するため以上のものです。人々はこの「以上のもの」が何かを理解していないかも知れません、しかし、それでもなお、彼らは食事を「祝い」たいと望みます。彼らは今なお機密的生活に飢え渇いているのです。



 したがって、聖書の陥罪の物語が食べることをめぐって展開されるのは偶然ではありません。人は禁じられた果実を食べてしまいました。あのたった一本の木に実る実は、それが何か他のものを意味しているにせよ、園の他のすべての果実とは異なっていました。それだけは、人への贈り物ではありませんでした。神から贈られ祝福されたのものでなかったので、その実を食べても、それ自体とは交わっても、神との交わりにはなりません。したがって厳しく禁じられていたのです。アダムとエヴァのこの背きは、神との交わりへの指向を欠いた、それ自体のために愛される、この世のイメージです。この実を食べることは、いのち(=生命、生活)をそれ自体目的として生きる生活のイメージです。

 愛することは容易なことではありません。人は神の愛に立ち帰ることを選びませんでした。人はこの世を愛しました。ただ、そこから神を透かして見るものとしてでなく、それ自体を目的として。人は一貫してそうしてきたために、それが何か当たり前のことのようになってしまいました。この世を、そこから神の存在が放射されてくるものとしてでなく、それを覆い隠す不透明なものとしてこの世を経験することが自然なこととなり、いのち(=生活)をこの世という神の贈り物への感謝として生きないことがあたりまえになりました。

 人から、神が一切であるという意識が脱落(fallen)してしまったとき、この世は堕落(fallen)してしまいました。この神への軽視の蓄積が、この世を不毛なものとする「原罪」です。そして、この堕落したこの世では、宗教でさえもそれを癒し救い出すことはできません。なぜなら、宗教は、神を、「汚れた」この世に対立する「聖なる」(=霊的な、超自然的な)領域に閉じこめてしまうことを容認してしまっているからです。神からこの世全体を奪いとろうと試みる、一切を覆い尽くす「世俗主義」を受け入れているのです。

 人のこの世への自然な依存は、そこにすべてのいのちがある神との交わりへの絶えざる変容に、差し向けられています。人はユーカリスト(感謝)を行い、神にこの世をささげ、この献げものに於いていのちの贈り物を受け取るという「司祭」でなければなりませんでした。しかし、堕落したこの世にあって人はこの司祭の能力を持っていません。人のこの世への依存はそれ自体の中に閉じこめられ、人の愛は真の方向から逸脱してしまっています。人は今なお愛します。そして今なお飢えています。人は、自分が自分を超えた何ものかに依存していることを知っています。しかし、人の愛と依存は、それ自体としてのこの世に関わるだけです。人は「食べること」がその生理的な意味以上の、神からのいのちの受容であり得ることを悟りません。この世…その空気や食物は、それ自体としてはいのちをもたらさず、それらが、神のために、神に於いて、また神のいのちの贈与として受け取られてはじめて、いのちをもたらすことを忘れています。

 この世が自己目的化されたとき、すべてのものはそれ自体として価値があることされ、したがって一切の価値を失います。なぜなら、神にあってのみ、一切は意味(=価値)を見いだされ、神の臨在の「機密」であるときにのみ、この世は意味に満ちたものとなるからです。神に於いてのみいのちを持つのですから、単にそれ自体として取り扱われるものは自らを破壊してしまいます。自然界は、そのいのちの源泉から切り離され、死の世界となりました。食物それ自体をいのちの源泉と考える者にとって、食べることはこの死んだこの世との交わりであり、死との交わりです。食物それ自体は死んでいます。かつて生きていたいのちにすぎず、死体と同じく冷蔵庫に保存されねばなりません。

 なぜなら、「罪の支払う報酬は死である(ロマ6:23)」からです。人が選択したいのち(=生活)は、いのちの外観だけにすぎません。神は人に告げました。人が、彼自身とパン(食物)がそこから生じた地に帰って行くためだけに、パンを食べることを選択してしまったと。「あなたは顔に汗してパンを食べ、ついに土に帰る、あなたは土から取られたのだから。あなたは、ちりだから、ちりに帰る(創世記3:19)」。人はユーカリスト的(=感謝の)生活を喪失してしまいました。いのち(=生活)自体のいのちを失いました。いのち(=生命、生活、人生)を「いのち」へと変容する力を喪失したのです。人はこの世の司祭たることを止め、その奴隷となってしまいました。エデンの園の物語では「日の涼しい風の吹く頃(創3:8)」すなわち夜にこれが起こります。そして、そこでは、いのち(=生活)はユーカリスト的(感謝をもって神にこの世をささげる)であるべきだった「園」を、アダムが去ったとき、彼はこの世全体を闇に導いたのです。ビザンティン聖歌の美しい一節では、アダムは園の外で園に向かって泣いていると描写されています。人の姿です。



 ここで「食物」の主題を一時中断してもよいでしょう。食物の主題から始めたのは、「機密的」とか「ユーカリスト的」という用語を、いわゆる教科書的神学の長い歴史の中でつけ加わった「意味内容」から解き放たねばならなかったからです。教科書的神学ではこれらの用語は、ほとんどが、「自然」対「超自然」、「聖」対「汚れ」という枠組みの中でのみ捉えられてきました。それは同時に、宗教と、人生を究極的に救いがたく無意味にする「生活」の、対立でもあります。しかし私たちがこれまで見てきたところによれば、原罪とは単に人が神に服従しなかったという事ではありません。罪は、人が、神に対してまた神のみのために「飢える」ことを止めてしまい、人のいのち(=生活)全体が、神との機密的交わりとしてのこの世全体に依存しているとしなくなったことにあります。罪は、人がその宗教的義務を怠ったことではありません。罪は、人が神を「宗教的に」考えるようになった、すなわち神をいのち(=生活)と対立させて考えるようになったことです。人の唯一の真の堕落とは、非ユーカリスト的なこの世での非ユーカリスト的いのち(=生活)です。堕落とは、「霊的」なこの世と物質的なこの世の均衡を見失って、神よりもこの世を愛したことではなく、人が、意味と息吹き(spirit)に満ちた「神に於いてのいのち」へと変容させるべきだったこの世を、反対に「物質的」にしてしまったことにあります。

 しかし、キリスト教の福音は告げます。神は人を、混乱した渇仰にあえぐ窮地での彷徨に、捨て置かなかったと。神は人を「自分の心にかなう(イサイヤ13:14)」ようにまたご自身のために創造されました。人は彼の中にある捉えがたい飢えへの答えを見いだそうと、その自由の中でもがき続けてきました。この人の根源的な未成就感の中に、神は決定的なみわざをなさいました。人々が楽園を求めて手探りする闇の中に、神は光を送り込んだのです。神がそうされたのは、救済のため、また失われた人を回復するためではありませんでした。むしろ、それは、そもそもの最初に神が始められたことを完成するためでした。神は、人が、神ご自身が実は誰であり、人の飢渇感が指し示しているものは何であるのかを理解させるために、そうされたのです。

 神が送り込んだ光とはご自身の独り子でした。はじめから、この世の闇の中に消しがたく輝いていた光が、今やはっきりとその光輝を現したのです。

 ハリストスが到来する前に神は人にそれを約束していました。神はいろいろな方法を用いました。イスラエルの預言者たちばかりでなく、様々な方法で神は人に伝えてきました。クリスチャンとして私たちが信じているように、神と人との両者として「真理」であるお方は、多くの断片的な真理を通じて、その藉身を預象していました。私たちはまた、真理を追い求める者には誰にでもハリストスが臨在していると信じます。シモーヌ・ベイユは「ハリストスからできるだけ早く駆け去ろうとしても、それが彼が真理と考えるものへ向かってなら、実は、彼はハリストスの腕の中に向かってまっすぐ走っているのだ」と言いました。

 神の真理が諸宗教の長い歴史の中に明らかにされてきたというのは一層確かなことです。それは、ハリストスという真の基準を持つクリスチャンには、容易に知ることができます。人の熱望に形を与えてきた偉大な諸宗教では、神は調子が外れたオーケストラを通じてご自身を示されますが、ときにそれは素晴らしい豊かな音楽を奏でることもあります。

 キリスト教は深遠な意味に於いて「すべての宗教の終わり」なのです。井戸のほとりでのサマリヤ女との対話でイイススはこれを明らかにしています。
 女はイイススに言います。
 「主よ、わたしはあなたを預言者と見ます。わたしたちの先祖は、この山で礼拝をしたのですが、あなたがたは礼拝すべき場所は、エルサレムにあると言っています」。
 イイススは女に言われました。
 「女よ、わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが、この山でも、またエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。…、まことの礼拝をする者たちが、霊とまこととをもって父を礼拝する時が来る。そうだ、今きている。父は、このような礼拝をする者たちを求めておられるからである」。(イオアン4:19-21、23)

 彼女は礼拝について主に質問しました。イイススはそのお答えによってその問題についての捉え方全体を変えられました。新約聖書のどこを探しても、実際、キリスト教が礼拝、または「宗教」として示される箇所はありません。宗教は神と人とが壁によって隔てられているところで必要となるものです。しかし、神であり人であるお方ハリストスはこの人と神との間の壁を打ち破って取り去りました。ハリストスは新しい「宗教」ではなく新しい「いのち」を開始されたのです。

 初代教会が異教徒たちから「無神論者」と告発された理由は、まさに、この通常の伝統的な意味での「宗教」から彼らが自由であったことです。クリスチャンたちはいかなる「聖なる系図」にも「神殿」にも「秘儀」にも関心がありませんでした。イイススが生活したそこかしこの場所には格別の関心は払われませんでした。巡礼といったものもありませんでした。古い宗教は何千もの聖地や聖なる神殿を持っていましたが、クリスチャンにとっては、それらは過去のものにすぎませんでした。石を積んで造られた寺院は不要でした。ハリストスのからだ、教会それ自体、ハリストスの内に集まった新しい民、これが唯一の真の神殿でした。

 「この神殿をこわしたら私は三日のうちにそれを起すであろう…(イオアン2:19)」
  教会そのものが新たなる天上のエルサレムだったのです。対照的なことに、エルサレムにある教会は特別重要なものではありませんでした。ハリストスが到来し臨在するという事実は、彼が遍歴したあちこちの場所よりはるかに重要なことでした。ハリストスの歴史的現実性はもちろん議論の余地なく初代教会の信仰の基盤でした。しかし、彼らはハリストスを思い起こすというより、むしろハリストスが彼らと共におられることを知っていたのです。そして、ハリストスの内にすべての宗教が「終わり」ました。なぜなら、ハリストスご自身があらゆる宗教の、またすべての人の神への渇仰の「答え」であったから、また彼に於いて、人によって失われ、諸宗教の中に象徴的に表され意義づけられ探求されてきた「いのち」が人へと回復されたからです。



 この書(「世のいのちのために」SVS press ここに訳出したのはその第1章)は系統だった神学の論文ではありません。ハリストスによって与えられた「答え」のすべての面と含意を網羅しようとするものではありません。また、万巻の「神学」や「教義学」の書物によって蓄積された睿智に何か付け加えようなどと大向こうを張ろうとするものでもありません。この書の目的は謙虚なもので、ハリストスにあって「いのち」(その全体性としての「いのち」)が、人に回復され、機密と交わりとして与え返され、ユーカリスト(=聖体機密)として現前化されたことを、読者の皆さんに思い起こさせることです。さらに、それがこの世で行われている私たちの伝道にどのような意義を持つものかを明らかにすることにあります。

 西欧のクリスチャンには「機密」を「み言葉」と対立させて考え、伝道を「み言葉」とは結びつけても「機密」とは結びつけない傾向があります。彼らは、さらに、機密を、「教会の」また「教会の内の」、本質的なはっきりと定義された部分や制度や行動として考察することに慣れきってしまい、教会がそれ自体としてハリストスの臨在とみわざの機密であることを見過ごしています。その結果、彼らは、もっぱら、諸機密についてのある種の非常に形式的な質問に関心を寄せるだけになってしまいます。いわく、機密の数は?機密の有効性は?機密の制定は?…。この書の目的は、機密に対するこれらとは異なった捉え方やアプローチが存在し、ないしかつて存在していたことを示すのにあります。そして、このアプローチは、伝道への、この世へのハリストスの証しへの燃えるような議論にとって決定的に重要なことなのです。なぜなら、基本的な質問は「私たちは何を証すのか?」ということです。私たちは何を見、この両手で何に触れてきたのか?私たちは何にあずかり、何を領聖するのか?私たちは人々にどこで呼びかけるのか?私たちは彼らに何を提供できるのか?

 この書は、正教徒によって書かれ、正教会の捉え方によって叙述されています。しかし、決して正教についての書物ではありません。少なくとも、現在既にある正教についての書とは異なります。現在、正教自身すらが受け入れてしまっている、西方教会の側の東方へのアプローチが存在します。そこでは普通、正教会は、神秘主義や「霊性」としてだけ、すなわち「霊的な宴」に飢え渇いている人々にとっての頼りになる故郷としてのみ紹介されています。正教会は、奉神礼的、機密的な教会として位置づけられ、伝道には無関心なものとされてきました。しかし、これは皆間違いです。正教会自身がその「機密主義」のほんとうの意味を余りにもしばしば見落としてきましたが、その基本的な意味は無味乾燥な「行動」によって成り立つ「この世」から無時間的な「霊性」のなかに逃げ込むことではありません。筆者がここに展開し読者と分かち合いたいのはその真の意味なのです。

 美しい聖堂での徹夜の祈り、聖像の群、十字行、正しく執行されるためには少なくとも二十七巻の重たい祈祷書が必要な奉神礼、これらは皆、これまで「宗教の終わり」としてのキリスト教について述べてきたことに矛盾するかのようです。しかし、ほんとうにそうなのでしょうか?もし、そうでないなら、私たちが生きる現実の「この世」、神がその独り子を贈られたこの「いのち」のために、これらすべてはどんな意味を持つのでしょうか?


聖金口イオアンSt. John Chrysostom:愛の預言者
ゲオルギイ・フロロフスキー神父

 金口イオアンは精力的な説教家だった。説教を好み、説教することを聖職者の義務と心得ていた。聖職者の権威は言葉と説得によって生じる権威である。この権威によってクリスチャンはその力を行使する。王たちは強要するが、教会の牧者たちは確信させる。一方は命令し、一方は勧告する。牧者たちは人間の自由に、人間の意志に呼びかけ、決断を迫る。
 金口イオアン自身がよく言うように「人々の救いは言葉と温柔と勧告によって全うされる」。金口にとって人生の意味とは、自由な生活、即ち奉仕の生活の中に在り、また在らねばならなかった。彼は繰り返し自由と自由意志による決断について説いた。彼にとって自由とは人間の内なる神の像であった。金口の好んだ表現によれば、ハリストスはまさに人間の意志の病を癒すために来られた。神は常に人間の意志の力を損なわないよう振る舞う。神ご自身が、強制によってではなく、呼びかけと勧告によって人を動かそうとする。正しい道を示し、呼びかけ、招き、悪への危険に対して警告する。しかし決して強制しない。キリスト教の牧者たる者も同様でなければならない。金口の気質はあらゆる面でぎりぎりの限界まで突き進む傾向があり、痛烈で厳格だった。しかし、彼は常に強制には反対した。たとえ異端者と戦う場合でも例外ではなかった。しばしば、クリスチャンはたとえ善のためであっても暴力を用いることは許されない、と強調している。
 「私たちの戦いでは生者を殺すようなことがあってはならない。むしろ死者を生かすのだ。なぜなら、この戦いは温柔と謙遜の神(霊)に指揮されているから。私は行動ではなく言葉で攻める。異端者ではなく異端を攻める。ハリストスは十字架につけられた者として勝利者なのであって、十字架につけた者としてではない」。
 彼にとって、キリスト教の本領は力にではなく謙遜と寛容の中にあった。自分自身には厳しく、他者には温柔でなければならなかった。

 しかし、金口イオアンは楽天的な感傷家ではない。彼の人間理解は峻厳で冷徹だった。彼は、教会に名目だけの改宗者たちがどっとなだれ込んできた時代に生きた。死人に向かって語りかけているようなものだった。愛が欠如し、独善が溢れ、その邪さはまるで黙示録の世界だった。「信仰の熱さは冷めきってしまい、ハリストスの体は死んだ」。この人たちにとっては、キリスト教は習慣的なしきたり、空虚な形式、せいぜい行儀作法に過ぎないものなのではないか、そう疑いながら語りかけなければならなかった。「数千人の内に救われつつあるものは百人にも満たないのではないか、いやそれすらも疑わしい」。厖大な数の自称「クリスチャン」たちに彼は戸惑った。まさに「火に投ぜられる余分な燃料」である。

 彼にとって、この世の繁栄は、危険な最もたちの悪い迫害であり、おおっぴらな迫害よりむしろ深刻だった。繁栄の中では誰も危険に気づかず、霊的な無感覚の中で生きる。人々は眠りこけ、悪魔は彼らを殺す。金口は特に、聖職者にさえ見られる、あからさまで意識的なキリスト教的行動基準の切り下げに胸を痛めた。塩は味を失いつつあった。彼はこれらに言葉で叱責や譴責を浴びせるだけでなく、実際の愛のわざの模範で応えた。彼は社会の再生と社会的な病いの癒しに精魂を傾けた。彼は愛のわざを説教し自ら実践した。病院や孤児院を建設して貧困者を助けた。彼は実践的な愛の精神を回復したかった。彼はクリスチャンに行動と関与を求めた。彼にとってキリスト教はまさに使徒時代にしばしば形容された通り「道」だった。ハリストスご自身が「道」だったのだから。金口はあらゆる妥協、譲歩と調停に反対した。彼は「首尾一貫したキリスト教精神」の預言者だった。
 金口は徳義を説く。しかし、彼の倫理は深くその信仰に根ざしたものである。彼は聴衆に聖書、とりわけパウェルの著作を好んで解釈した。そこに彼は信仰と生活の首尾一貫した結合を見出した。

 金口が常にそこに立ち帰ってゆく教義的主題がある。一つは「教会」である。この主題は、大祭司ハリストスの犠牲、即ち贖いの教義に密接に結びついている。教会は新たなる「創造」であり、ハリストスにある生命であり、人々の内にあるハリストスの生命である。二つ目は、機密であり犠牲である聖体機密である。金口を、当時実際にそう呼ばれていたように「聖体機密の教師doctor eucharisticus」と呼ぶのはもっともである。二つのテーマは結びついている。聖体機密の中で、聖体機密を通して、教会は「生きる」ものとなる。
 金口は生きた信仰の証人であり、それゆえに東方でも西方でも彼の言葉は熱心に学ばれた。しかし、彼にとって信仰箇条はたんなる理論ではなく人生の基準であった。教義は実践されなければならない。金口は救いの福音、新たなる生命の善きおとずれを宣べ伝えた。彼は単に倫理の教師ではなかった。彼は主・ハリストスとその十字架と復活を、また子羊としてささげられた主ご自身とご自身をささげた大祭司を宣べ伝えた。彼にとって正しい生活が正しい信仰の唯一の有効な証しだった。信仰は行いの中に成就されなければならなかった。愛のわざと精神の中に。愛なくして、信仰も、神の観想も、神の神秘の体験も不可能である。彼の生きた時代と社会にあって、神の真理への戦いは絶望的な様相を呈していた。彼はそこから目をそらさなかった。彼は常に現実に生きている魂に関心があった。彼は人々に、生きている人々に語り続けた。彼は彼が語りかけている会衆への責任を忘れたことがなかった。彼は具体的な問題や状況を取り上げて語るのを常とした。

 金口イオアンが一貫して取り上げたテーマは富と貧困の問題だった。これは彼が生きた時代が否応なしに彼に突きつけた問題だった。彼は人口過密に悩む大都市の生活に直面した。そこには見過ごしにできないほどの貧富の差があった。彼はキリスト教を実生活から切り離さず、社会問題を真正面から見つめた。しかし社会問題は彼にとって何よりもまず宗教的かつ倫理的な問題だった。たとえ彼がキリスト教徒の社会組織について独自の計画をもっていたにせよ、彼は社会改革主義者であったわけではない。彼はただこの世界でのクリスチャンの生き方、その義務、その使命について関心があったにすぎない。
 彼の説教を読んでまず気付くのは、彼の透徹した社会状況への分析である。彼は社会の現実にあまりに多くの不正、冷酷、無関心、苦悩そして悲しみを見た。彼はこれらが彼の生きる社会の「貪欲」な性格に、またそこで生きる人々を支配する「貪欲」な精神に結びついていることを見抜いていた。この「貪欲」な精神は不公平を、即ち不正を増長する。彼は実りのない贅沢な暮らしを問題にするばかりでなく、人々を不断に襲う富の誘惑を憂慮した。富は富者たちをたぶらかす。富はそれ自体何の価値もない、その仮面の下に人間の本当の顔が隠される偽装である。しかし富を持つものは、やがて富をいつくしむようになり、富に欺かれ、富を価値あるものと見なすようになり、富に頼るようになる。富は、たとえ僅かなものであっても、みな危険きわまりないものである。人々が、本来朽ちることを逃れられない不真実なものに平気で依存するようになるからだ。
 金口はこの点について非常に福音に忠実である。宝は、地上ではなく天において集められなければならない。腐敗を免れない地上的な宝は真の宝ではない。「財産への愛は異常なものである」と金口は言う。財産は霊への重荷、それも非常に危険な重荷に過ぎない。霊を奴隷化し、神への奉仕から引き離す。クリスチャンの精神は放棄の精神であるのに、財産は人間を命のない物品に縛りつける。「貪欲」の霊は人間の視力をくらまし、人生への眺望を歪める。金口は「山上の垂訓」の諸戒命に忠実に従う。「何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな…」。生命は着るものや食べるものにはるかにまさる。しかし、実際にこの貪欲な社会を支配している気分は「思いわずらい」である。

 クリスチャンはハリストスに全幅の信頼を置き、一切の持ち物を捨てて、ハリストスに従うことを求められる。所有物は、飢えた者を食べさせ、貧しい者を助け、求める者に与えて、人々の必要を満たす限りにおいて正当とされる。教会の精神とこの世俗社会との間の緊張と葛藤はここに根ざす。社会的不正のもたらす悲惨は社会がその傷から流す血である。多くの人々が悲しみと飢えにあえぐこの世で、所有物は全て悪である。冷酷さの証拠であり不信の兆候である。金口は聖堂の壮麗さすら糾弾する。彼は言う。「教会は天使たちの勝ち鬨あふれる集いである。銀細工師の見世店ではない。教会は人々の魂を求めている。神が様々な物品を聖堂にお受け入れになるのは、それに役立つ限りにおいてである。最後の晩餐で弟子たちに差し出されたカップは黄金製ではなかった。しかし、それは何よりも尊かった。ハリストスを讃えたいなら、貧しい者の姿に裸の主を見出し、そのお方に献げなさい。絹布や金銀を聖堂に持って行っても、ハリストスが聖堂の外の寒さの中に裸で置き去りにされているなら、無駄なことだ。聖堂に黄金の皿がいくら貯えられていても、ハリストス 自身が飢えておられるなら、無駄なことだ。あなたたちは、聖堂のために黄金の爵をいくら作っても、貧しい者に冷たい水のカップを差し出すことすらしない。ハリストスは一人のあやしい宿無しとして、物乞いをして彷徨っている。そのハリストスに目もくれず、あなたたちは聖堂を飾り立てている」。

 金口は、財産はどんなものであれ、ある意味で貧しい人々から盗んだものであると考えた。他の人々を犠牲にせずして富者ではあり得ない。財産の起源は常に不正である。金口は、貧困それ自体には何も積極的な価値はないと考える。彼にとって貧困とはまず第一に欠乏、欲求、苦労、苦痛である。だからこそ、ハリストスは貧しい者たちの中に見出され、金持ちの姿ではなく物乞いの姿で私たちのもとに現れる。貧困は、ハリストスのために喜んで受け入れられる場合にだけ祝福となるにすぎない。たしかに貧者は富者より思い煩いにふり回されないかもしれない。しかし金口は貧困が、重荷としてではなく、嫉妬や投げやりさを引き起こす要因として誘惑であることに気付いていた。まさにそれ故に、金口は貧困と闘った。苦痛を和らげるためばかりでなく、誘惑を取り除くためにである。
 金口は常に社会倫理的な主題に関心があった。彼の正しい社会へのビジョンにおいて、最初の前提条件は「平等」であった。真正な愛は最初に平等を求める。しかし、金口はもっと踏み込んで考える。世界の創造者、神ご自身お一方がこの世の所有者である。厳密に言えば私有財産は存在してはならなかった。一切が神に属す。神ご自身の目的のため、神は人を信じて一切を人に与えた、いや、正確には貸し与えた。金口は、人間が所有できる唯一のもの、即ち「善行」以外は全て神のものであると付記している。一切が、人間の共通の主人である神に属するのだから、一切は人々に共有されるものとして与えられた。この世で人間が作り上げた物にも都市、市場、街路、など共有のものがある。神のお働きも同じである。水、空気、太陽と月、その他の被造物、これらは皆共有されるために創造された。争いはいつも、人が、その本性上決して特定の人のものではないものを、他人を排して独り占めしようとするところから始まる。
 金口は私有財産に対して深い疑問を持った。「私のもの」「あなたのもの」という冷たい区別が始まったその時から、争いが始まったのではないだろうか。金口は結果に対してよりむしろ原因に、即ち意志が何を指向しているか関心を持った。人はその宝をどこに積もうとしているのか。
 金口が社会的公正を求めたのは人間の尊厳を守るためであった。人間は皆、神の像として創造されたのではなかったか。神は一人一人の人間を、その人生のあり方や過去の行動にかかわらず、どんな者でも救い回心させようとなさっている。人間は皆、悔い改めを呼びかけられており、しかも誰でも悔い改めることができる。その可能性を私有財産に基づく社会的不正が妨げていないだろうか。
 しかし彼の説教は決して人間の物質的な条件を無視しない。物質的なものも神から来た。それ自体として悪ではない。悪いのは誰かが飢えているのに、一部の人たちの利益のために物が独占されるという、物の間違った使い方である。

 答えは愛の内にある。愛は自己本位ではなく「高ぶらず」「自分の利益を求めない」。金口は初代教会に範をとる。「(初代教会の)信仰の高まりを見てごらん。彼らはその富を捨て去った。そしてなお大きな歓喜に溢れた。なぜなら、彼らが労せずして手に入れた富はもっと大きかったからだ。誰も非難せず、誰もうらやまず、誰も惜しまない。そして誰も誇らず、誰も蔑まない。誰も私の物とかあなたの物とか言わない。だから、彼らの食卓にはいつも喜びが溢れていた。『これは自分の食べ物』『こっちは彼の物』などと誰も思いもしなかった。また彼らは、彼らの兄弟姉妹の持ち物を自分に関係ない他人の物とは考えなかった。それは主の物だから。もちろん、彼らは自分の持ち物を自分の物と見なさなかった。すべて兄弟姉妹の物だった」。
 どうすればこんなことが可能なのかと、金口は問う。信徒たちが愛の霊に鼓吹されていたから、そして、はかりしれない神の愛を皆互いに認め合っていたから、と金口は答える。

 金口は決して共産主義を説いたわけではない。そこで説かれている生活のあり方は、共産主義と見間違えそうなものであるが、大切なのはその精神である。金口が都市の中で説いているその精神を、修道士たちは荒れ地や修道院で熱心に実践し、その実践を通じて、神が唯一の主であり一切の所有者であることを告白する。金口は修道生活を一部の選良のための特別に高度な生活形態であるとは考えなかった。むしろ、すべてのクリスチャンに当然のこととして求められている福音的な生活形態であると考えていた。この点で彼は、聖大ワシリイから聖アウグスティンそしてストゥディウス修道院の聖フェオドルにいたる古代教会の精神性の伝統を完全に分かち合っている。
 修道生活の本領はその生活形態そのものではなく、その献身の精神、神からの呼びかけへの決然たる応えにある。しかし、ごく一部の者だけが呼びかけられているのだろうか。金口はここでも「不平等」を問題にする。「強い」者たちと「弱い」者たちを分け隔てすることは危険なことではないだろうか。あらかじめ誰がそれを判定できるだろう。
 金口は常に現実社会に生きる人々について思いを砕いていた。人々へのアプローチにあるある種の個人主義にもかかわらず、彼は「一致」をもっとも価値あるものとしていた。連帯の精神、助け合いと責任の分かち合い、奉仕の精神である。兄弟姉妹のために奉仕しない者に、徳の成長はない。そのために、彼は常に愛のわざを強調した。愛のわざを行わなかった者はハリストスの婚宴の部屋には入れない。両手を天に差し伸べるだけでは充分ではないと彼は言う。貧しい者たちに手を差し伸べねばならない。そうしてはじめて神父にあなたの祈りは届けられる。最後の審判についてのたとえ話を念頭に、彼は、審判の時私たちが問われる唯一の問いは「愛のわざ」をなしたかどうかであると言う。しかし、繰り返し言うが、これは道徳主義ではない。彼の倫理は明らかに神秘主義的な深みを持っている。まことの宝座は人々の体そのものである。宝座に向かって祈るだけでは充分ではない。生きた霊によって形作られたもう一つの宝座がある。この宝座はハリストスご自身、そのお体である。正義と憐れみの献げ物がこの宝座にも献げられてはじめて、私たちの献げものは神のまなざしの内に祝福を受ける。愛のわざは、渇きと悲しみと苦痛を癒すためにこの世に来られたハリストスへの究極的な献身と傾倒によって、常に霊を吹き込まれていなければならない。

 金口は抽象的な神学的図式を信じなかった。彼はクリスチャンの愛が持つ創造的な力に燃えるような信頼を抱いた。これこそが、いつの時代にも、教会が彼を教師、預言者として讃えてきたゆえんである。若い頃、彼は何年か砂漠で過ごした。しかし彼はそこに留まろうとはしなかった。彼にとって修道的な孤立は単なる訓練期間に過ぎなかった。彼は福音の力を宣言するために、世俗社会に帰ってきた。彼は伝道を自らの使命とした。使徒的、福音的な熱情が彼に溢れていた。彼が望んでいたのは、彼を鼓吹する霊を兄弟姉妹と分かち合い、神の国を打ち立てるために働くことだった。彼は、人々が荒れ野に完全を求めて引き込むことなど必要がないよう、都市の普通の生活の中に同じ精神が溢れることをいつも祈ったのである。彼は都市そのものを改革することを求め、そのために司祭職と使徒職をあえて身に引き受けたのだ。

 これは空想的な理想主義者の夢物語だろうか。世界を造り変えこの世界の世俗性を覆すことは可能だろうか。金口の伝道は成功したのだろうか。彼の生涯は波乱と苦難に満ちたものだった。忍耐と受難の日々だった。彼は迫害され拒否され流刑地の囚人のように枕する所もなく死んだ。彼を迫害したのは異教徒たちではなかった。正しい道を見失ったクリスチャンの同労者たちだった。しかし彼は、耐える他ないものを喜んで受け入れた。その苦難を、ご自身拒絶され処刑されたハリストスが自らの手でお渡しになるものとして受け入れた。
 やがて教会は、彼に感謝し、彼の正しさを証しし、彼をいつの世までも人々を教え続ける「全世界の教師」の一人として厳かに認めた。

 金口の著作にはどこか現代的な響きがある。彼の生きた社会は緊張に満ち、彼の歩みは常に未解決の問題を抱えていた。私たちの時代によく似ている。彼の勧告は彼の時代よりむしろ私たちの時代に訴える力をもっているかもしれない。しかし彼の勧告は首尾一貫したキリスト教精神への呼びかけに貫かれている。そこでは我等の主イイスス・ハリストスを通して、信仰と愛が、信仰と実践が、神の圧倒的な愛への無条件の降伏に、神の憐れみへの無条件の信頼に、神の働きへの無条件の委ねに結びつけられている。


生神女マリヤ マイアンドルフ神父「ビザンティン神学」より(G.I兄翻訳)

 ビザンティン教会が公式に付したマリアに対する唯一の教義的規定は、彼女をテオトコス(Thetokos)、「生神女」と呼んだエフェソ公会議の布告である。明らかに、マリア論ではなく、キリスト論的に。それでもこの布告は「新しいエワ」というマリア論のテーマに一致している。「新しいエワ」というマリア論のテーマは、2世紀以降キリスト教神学の文献に表れており、アダムから受け継いだものに対する東方の観点から、西方で普及していたそれよりも楽観的な、人間の自由の概念の証拠となっている。

 アレクサンドリアのキリルは、イイススと先在のロゴスとのペルソナ的、ヒュポスタシス的な一致を主張し、それはエフェス公会議で支持されたのだが、そのアレクサンドリアのキリルの神学こそ、5世紀以降マリアの人格に中心をもつ、敬虔の途方もない発展に対するキリスト教の基礎に役だったのであった。神は人となることで我々の救世主となった。しかし、この神の「人間化」はマリアによって起こったのである。そのマリアは、彼女の息子の人格と働きから不可分である。イイススにおいて、人間のヒュポスタシスはなく、母はただ「なにか(something)」ではなく「だれか(someone)」の母であることができたため、マリアはまさに籍身したロゴスの母、「生神女」なのである。そして、人間の神化は「ハリストスにおいて」起こるため、彼女はまた、人の「ハリストスへ」の参与と同じく現実という意味で、教会の体全体の母でもあるのだ。

 このマリアのハリストスとの近さは、東方において、マリアの死後の肉体の光栄を伝える外典の伝承の流行をますます大きくさせることへと至った。これらの伝承は、生神女就寝祭(コイメーシス(Koimesis)、8月15日、グレゴリウス暦上では8月28日)の聖歌の詩において見いだせるが、神学の思索や教義の規定の対象には決してならなかった。マリアの体の「被昇天」の伝承は、終末の兆候、ハリストスの復活の徹底、普遍的な復活の予期として詩や説教によって扱われた。そのテキストは非常にはっきりと乙女の自然死を語っている。乙女の自然死は、不死を彼女に帰し、受け継がれた可死性としての原罪の東方の観点からはまったく理解できないであろう、無原罪懐胎という教義とのいかなる可能な関連をも排除している(註)。したがって、ビザンティンの奉神礼における、マリアの敬虔と献身の無限の表現は、神性と人性のハリストスにおけるヒュポスタシス的な統一の教義の例証に他ならない。ある意味、それは5、6世紀のキリスト論のやや抽象的な概念を、素朴な信者のレベルに移した正当で本質的な方法を表している。

(註)ローマ・カトリックの神学者の何人か(例えば、M. Jugie, l'Immaculee Conception dans l'Ecriture sainte et dans la Tradition orientale, Bibliotheca Immaculatae Conceptionis, 3 [Rome, 1952])がそう主張しているのにもかかわらず、私はここで無原罪懐胎の西方の教義が必然的にマリアの不死性を意味しているとは言わない。


領聖の意味
アレキサンドル・シュメーマン神父「聖なるものは聖なる人に」から

 「ふさわしくないままで、パンを食し主の杯を飲む者は、主のからだと血とを犯すのである。誰でもまず自分を吟味し、それからパンを食べ杯を飲むべきである。主のからだをわきまえないで飲み食いする者は、その飲み食いによって自分にさばきを招くからである。(コリンフ前書11:27〜29)」

 私たちは、この聖使徒パウェルの言葉の真の意味を、自らに問わねばなりません。初代教会も聖師父たちも、この一節を、「ふさわしくないままで、パンを食し主の杯を飲む」ことの反対は「領聖しないこと」であり、聖機密への崇敬と冒涜への畏れから聖なる賜物を受けるのを辞退するのが当然、とは理解していませんでした。勿論、それはパウェルの意図したところでもありません。クリスチャンの倫理と精神性の土台は実際にはあからさまな逆説によって成り立っていることと、パウェルの数々の書簡と諸勧告にこそ、その最初の表現が見出されることを忘れてはなりません。
 パウェルはコリンフの教会にあてて次のように書いています。

 「あなたがたは知らないのか。自分のからだは、神から受けて自分の内に宿っている聖霊の宮であって、あなたがたは、もはや自分自身のものではないのである。あなたがたは、代価を払って買いとられたのだ。それだから、自分の体をもって、神の栄光をあらわしなさい。(コリンフ前書6:19〜20)」

 この言葉はパウェルのクリスチャンへの一貫した呼びかけを、実に的確に要約しています。私たちは、ハリストスの内にあって私たちに「起きた」事にのっとって生きなければなりません。しかし、私たちがそのように生きられるのは、それが既に「起きた」ことだからに他なりません。なぜなら、救済、贖い、和解、そして「代価をもって買いとられる」ことは、既に私たちに与えられ、私たちは「もはや私たち自身のものではない」からです。私たちは、自らの救いのために働くことができ、かつ、働かなければならないのです。いつも、どんな時にも、既にハリストスの内にあって「そうであるもの」にならなければならないし、すでに「そうであるもの」でなければなりません。「あなたがたはハリストスのもの、ハリストスは神のものである。(コリンフ前書3:23)」

 このパウェルの教えは、クリスチャンの生活全体にとって、とりわけその機密的生活にとって決定的に重要です。これは、クリスチャンの生活が基礎づけられ、クリスチャンの生活がそこから芽生え、それ無しにはキリスト教信仰は放棄され完全に骨抜きにされてしまう本質的な緊張関係を明らかにします。私たち一人一人の内のこの緊張関係とは、「彼が惑いの欲に朽つる所の旧き人」と洗礼盤での死と復活を通じて「彼を造りし者の像によりて改めらるる所の新たなる人」(洗礼機密祝文)の間にある緊張であり、新たなる生活に恵まれる賜物とそれを身につけ自らのものにしてゆこうとする努力の間にある緊張であり、「限りなく賜れる(イオアン3:34)」恩寵と常に不十分な自らの精神生活の現実の間にある緊張です。

 しかし、クリスチャン生活とその精神的努力(精神性)の最初の本質的果実は、諸聖人たちが証すように、どんな意味においても「ふさわしさ」の感覚や意識ではなく「ふさわしくなさ=不当さ」の自覚です。神に近づけば近づくほど、人は神の前で全ての被造物が存在論的に「不当」であることを意識し、神の完全に自由な贈与を意識するにいたります。このような真正の精神性は、その贈与に対して私たちを、その内にあってまたそれによって「ふさわしく」してくれる「功績」、という考えといかなる意味でも両立しません。パウェルは次のように言っているではありませんか。

 「わたしたちがまだ弱かったころ、ハリストスは時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。正しい人のために死ぬ者はほとんどいないだろう。…しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにハリストスが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。(ロマ書5:6〜8)」

 私たちの「功績」や「ふさわしさ」で、この神の贈与を測ろうとすることは、まさに罪の本質であるあの精神的傲慢の始まりなのです。

 この緊張関係の焦点と源泉は機密的生活の中にあります。まさにここで、私たちは、ご聖体に近づくたびに繰り返し自分たちがそこに取り込まれ、人間の理性や論理をもっては逃れることのできない神の「聖なる網」を意識するようになります。なぜなら、もし自分の「不当さ」ゆえにご聖体を受けないとしたら、神からの愛と和解と生命の贈り物を拒絶する事になります。自分自身に対して「親与を断つ」(破門:excommunication…「領聖からはずす」こと)事になります。「人の子の肉を食べず、また、その血を飲まなければ、あなたがたの内には生命はない(イオアン6:53)」からです。しかし、もし「ふさわしくなくないままで」食べ飲めば、人は自らへの定罪を招きます。人は領聖しなければ定罪され、同時に領聖しても定罪されてしまうのです。神の炎にふれて燃え尽きないほど「ふさわしい」者がかつていたでしょうか?
 もう一度申します。いかなる人間の思考を用いても、聖なる機密に、人間的基準や物差し、「合理化」の手法を適用する限り、この聖なる「わな」から逃れられません。
 主教や司祭たちさらに一般信徒も含め、とりわけ「精神性」に通じていることを気取る者たちが、現状の領聖の習慣を伝統的で自明のことだと弁護する時にある、安易でもっともらしい意識には、恐るべき危険が内在しています。彼らが「伝統的で自明」だとしているのは、五十一週間は自分の「不当さ」から聖爵に一切近づかないが、五十二週目には幾つか定められた規定をこなし、四、五分間の痛悔機密を受け赦罪してもらい突然にして「ふさわしい」者となり、領聖が終わったら「不当」なる者へ直ちに逆戻り、これこそが信仰生活の「よい姿勢」であるとする習慣です。そういう状況では、クリスチャン生活に真の意味を与え、になうべき「十字架」となり、聖体礼儀で際立って明らかになるものが排除されてしまいます。それは、キリスト教は私たちの物差しや基準に合わせることはできず、私たちの言葉でなく神の言葉に於いてしか受け入れられないことです。

 そのような神の言葉とは一体なんでしょうか。司祭が聖なるパンを高く掲げ、初代教会ではまさに信徒を領聖へ招く言葉であった「聖なるものは聖なる人に」という言葉ほどよくそれを示すものは他にありません。この言葉と、この呼びかけに応えて会衆が発する「聖なるはただ一人、主なるはただ一人、神・父の光栄をあらわすイイスス・ハリストスなり、アミン」は、人間的な思考にとどめを刺します。「聖なるもの」、ハリストスの尊体血は、聖なる人にのみあたえられるべきです。しかし、唯一の聖なる主イイスス・ハリストス以外に聖なる人は誰もいません。かくして、みじめな人間的思考による「ふさわしさ」の基準では、扉は閉ざされてしまいました。私たちを聖なる賜物・ご聖体にふさわしくできる「私たちの献げもの」はどこにもありません。ハリストスが無限の愛と憐れみをもって私たちに分かち与えて下さり、私たちを「選ばれた種族、祭司の国、聖なる国民、神につける民(ペートル前書2:9)」にしてくださった、ハリストスご自身の「聖さ」以外にはないのです。私たちを「聖なる者にし、ご聖体に近づきそれを受けるに「ふさわしく」してくれるのは、主イイスス・ハリストスの聖さであり私たちのものではありません。この言葉にニコラス・カバシラスは次のように言っています。
 「誰一人として自分自身で聖性を所有しているものはない。その聖性は人間の徳の結果でなく、すべて彼(ハリストス)から彼を通して来るのである。それはあたかも、太陽の下に置かれた幾つかの鏡のようなものである。一つ一つは輝き光を放つ、しかし実際には一つの太陽がそれらの鏡を輝かせているのである。(聖体礼儀注解36章)」

 これが機密的生活の本性的な逆説です。しかし、これを機密のみに限ってしまっては間違いです。「ふさわしくなく食べ飲む」とパウェルが述べる「汚しの罪」は、(領聖に関してだけでなく)生活全体にかかわります。ハリストスによって成聖されたのは、人間の生活全体、魂と体を合わせた人間全体であり、その聖さは私たちのものではないからです。人間に向けられた唯一の問いは、各人が、この聖性を、へりくだりと従順の内に、すすんで受け入れるかどうかということです。それは、まず最初に、そこに「古き人」をその情欲と腐敗と共に釘りつけ、同時に彼の裁きてとなった「十字架」として、次に、彼の内の「新たなる人」の成長と彼がそこに入れられた新しい聖なる生活のために戦う恩寵と力として、自由に愛をもって与えられた聖性です。
 私たちが、ハリストスによって、またハリストスの内にあって、「聖なる者」にされたという、まさにそのことのみによって、私たちは領聖に与ります。私たちが「聖なる者」になるために領聖に与ります。つまり、いただいた聖性を私たちの生活に開花させるためにです。
 人が「ふさわしくなく食べ飲む」のは、これを悟らないときです。言い換えれば、ハリストスのでなく自分の聖さによって自分自身が「ふさわしい」と考えて領聖するときです。また、領聖を生活全体に、裁きとして、自分自身と生活の変容の力として、赦しとして、努力と戦いの「狭い道」への、そこから入るほかはない入り口として、位置づけずに、領聖するときです。
 私たちに思いだけでなく存在全体でこれを悟らせること、私たちを、神の国の扉を開く唯一の鍵である悔い改めへ導くこと、これが領聖の準備の真の意味と内容です。