クロンウェシタトのイオアン神父


   は じ め に


   クロンウェシタトのイオアン神父

                 ニコライウスキー著
                1948年ミュンヘンにて発行

 露国アルハンゲリスク県ニヒチェフスキイ郡スール村
の誦経者の子であって,1855年ペトルブルグ神学大学卒
業後,クロンウェシタト軍港町のアンドレイ聖堂の司祭
に叙聖されたのが聖職者の始まりであった。
 この港は主都に近く,以前は犯罪の流刑所であった関
揉もあって,町の住民の性質は良くなく,酒のみ,盗賊
窪乱,貧乏,博打など,いろいろな犯罪が盛んに行われ
た町姿であった。
 このようなありさまの町に任命されて来た若い神父イ
オアンはこの現実を目の前に見て,どのようにしてこの
町に自分の聖職の任務を遂行してゆくべきかと,静かに
祈って決意をされたのであった。
 何よりも先ず祈り,聖体礼儀での熱祷をすべきだと考
えたので,かれは最初の聖体礼儀を執行したあと,第一
声を掲げて言われた「私が司祭として与えられたこの地
における神の使命は,主ハリストスに対する愛,並びに
兄弟である皆さんに対する愛,ただこれだけである。愛
程偉大なものはない。弱いものを強くし,ほろびようと
するものをおこし,小さなものを大いなるものとする,
これが福音の教えようとする純な愛の性質である」と。
 以来神父はこの第一声の実行に努力され,毎日貧民,
頑迷なもの,溺れているもの,病んでいるものを訪問し
て金と物を与えつつ,霊の開発に努力されるのであった。
 浅はかな人達による嘲笑や攻撃はたえなかった。家族
のものも神父があまりに施してしまうので苦情を言う,
同寸の司祭からも「司祭たるものは祈祷と説教をしてい
ればそれで良いのではないか,自分の給料や着ているも
のまでも施さなくてもよいのだ。アンドレイ聖堂の周り
には神父の赴任するまでは乞食が10人しかいなかったの
に,神父が来るようになってむやみに施すので,今は100
人もの乞食が集まるようになった。ここの貧乏人は先天
的なものなのだから放っておけば良いのだ。それに施す
ということは乞食を製造することだ」などの悪口がとん
だ程である。
 そこで教会は神父への給料を神父に渡さないで,神父
の奥様に渡すようになった。しかしイオアン神父はこの
ような周囲の状況に落胆したり憤慨することもなく,た
だ主の命ずる愛の実行に努力して,うむところを知らな
かった。
 祈りと愛,あらゆる嘲罵,苦難への忍耐はおもむろに
勝利の光を出し始めた。施しに与かろうとして聖堂の入
口に待つ多くの貧者等はおいおい神父の真剣な熱誠な祈
祷の声に耳を傾けるようになり,その言ばがかれらの心
に入るようになって来た。
 神父は重要な祈りの言ばを読む時には,必ず人々の方
に白かって一句一句明瞭に,よく分かるように読まれた。
この祈りと説教と愛の行いとは遂に人間の堕落に勝ち,
迷い.さまよい,はろびつつある人々を神の祝福を受け
るのにふさわしい人と化してゆかれたのである。
 神父は言われる「ク港の何処に私のおらない所,おら
ない時があったか」「私は常に皆さんのために祈ってお
ります。特に無血祭のなかで自分と皆さんの罪の赦しを
一心に祈っております」と。
 神父の祈りと愛の行いはク港からおいおい全露に響き
わたり,ついには全世界に散在する正教徒の問にイオア
ン・クロンウェシタトの愛称のもとに,信徒の信仰の心
を燃やしたのである。


次のページへ

目次へ | TOPへ