西日本主教教区
2010年のニュース


亜使徒聖ニコライ列聖40周年 記念祭
教区会議
教区定例学びの会 京都
福岡伝道所成聖式
教区定例学びの会 豊橋
教区 冬季セミナー
名古屋教会新聖堂成聖式


亜使徒聖ニコライ列聖40年記念祭    
 10月9日−11日 大阪・京都 ロシアからも来賓



 本年より3ヶ年にわたり実施される聖ニコライ記念祭の第1年度行事として「列聖40年記念祭」が行われ、全国から一般の方々も含め約300名が参加。企画実施は西日本主教教区が担当しました。

 本年のサブテーマは「正教を説き明かす神の言葉、聖書祈祷書類の翻訳」。9日には聖ニコライとその翻訳事業を助けた中井木莵麻呂の働きについて、アレクセイ・ポタポフ兄(写真左)、ダヴィド水口優明神父が、中井木莵麻呂ゆかりの大阪大学で、中井師の出身漢学塾である懐徳堂の記念会との共催のかたちで講演会が行われ、また大阪教会3階で資料展示会が一週間にわたり行われ多くの見学者を集めました。

 






10日には府主教ダニイル座下、仙台の主教セラフィム座下、来賓のロシア教会渉外局長府主教ヒラリオン座下、至聖三者修道院長大主教フェオグノスト座下によって聖体礼儀が執行されました。
 
 祈祷後大阪教会境内地内に建設された中井木莵麻呂の顕彰碑がダニイル府主教により成聖されました(写真は成聖後参祷者を聖水で祝福する府主教座下)。

その後、大阪教会信徒会館で祝賀会が開かれ、大阪教会信徒ザザ兄のビオラ演奏、スライドを使った教区内各教会の紹介、また各地の教会が参加した屋台などで盛り上がりました。

11日には、ニコライが成聖した最後の教会として京都教会に会場を移し、聖ニコライへの、そしてニコライを支えた至聖三者への感謝祈祷が行われました。


2010年 西日本主教教区 教区会議
 
                 大阪教会 6/20

聖ニコライ記念祭行事

 
 今回の教区会議の中心は何といっても10月に大阪・京都を中心に行われる聖ニコライ記念祭。開催主体は教団ですが、実質的な企画・運営は西日本主教区の神品と信徒の皆さんとなります。行事のハイライトである記念講演会は聖ニコライの翻訳協力者中井木莵麿師が主宰者であった漢学私塾「懐徳堂」をその前身の一つとする大阪大学との共催となりました。それらについて大阪教会のダヴィド水口神父から、企画内容と進捗状況が説明されました。

パウェル中井木莵麿師 墓碑移転
 記念行事のテーマが「正教を説き明かす神の言葉、聖書・祈祷書類の翻訳」であることから、聖ニコライとともに生涯を祈祷書類の翻訳にささげた中井師の貢献を一層顕彰できるよう、現在不便な遠隔地にある師のお墓を、大阪教会内に、費用は教区の負担(約40万)で移転することが決まりました。

旧小倉正教会基金の還付決定
 教区の伝道資金に編入されていた同基金(2,234,324円)が、編入の際に将来九州北部地域に伝道拠点が設けられた暁には返還するという申し合わせに基づき、福岡伝道所が開設成聖(本年5月23日)されたことを期に、返還されることが決定しました。日本有数の大都市である福岡での今後の活発な伝道活動に生かしてゆきます。  

冬季セミナーは名古屋教会で
 例年2月11日(祝)に大阪教会で行われる主教区の冬季セミナーは、今年度は名古屋教会で開催することが決まりました。

 府主教ダニイル座下 着座10年をお祝い

 教区会議に先立って行われた聖体礼儀の最後に、ことし府主教座へご着座なさってから10年となる、ダニイル座下に、その牧群への愛にあふれたさまざまな諸策、お心遣い、ご苦心に教区を代表してパウェル及川神父から感謝のことばが述べられ、あわせて「お祝い」が贈呈されました。







教区定例学びの会 京都 2010/05/29
「なぜ文語体」
講師 ゲオルギイ 松島雄一神父


 五月二十九日、京都教会で約二十人の参加者を集め、西日本主教区定例学びの会が行われました。今回で五十三回目となります。今回の講師は名古屋教会のゲオルギイ松島雄一神父。テーマは「なぜ、文語体?――正教の奉神礼」です。

 神父はおもむろに参加者に「なぜだと思いますか」という問いかけから始めました。「口語体に変えようにも膨大な聖歌群など、伝統が厚すぎて無理」という現実的な答えもありましたが、ある参加者の「口語体では『ありがたみ』がなくなるからでしょう」という答えに神父は、「その通りです」。


福岡伝道所 成聖式  

 5月23日(日)、このたび福岡市内に完成した「福岡伝道所」の成聖式が行われました。福岡伝道所は福岡の篤信信徒から、取得された用地の使用を教会に使用していただけないかという申し出を期に、かねて九州宣教に情熱を傾けてこられたパウェル及川神父さまを中心に、資金集め等準備が進められ、完成に至ったものです。ささやかな会堂ですが、これから定期的な聖体礼儀の執行が可能となり、福岡という大都市での正教伝道の拠点となります。地元の皆さんと全国から、20数名の参加者が集まり、復活祭祈祷と祝賀会を分かち合いました。







教区定例学びの会 豊橋 2010/3/22
「旧約聖書における神の怒りと救い」


講師は九州・人吉教会のパウェル及川神父。
一般信徒にもなじみ深い、創世記にあるノイの箱舟、バベルの塔、ソドムとゴモラ、出エジプトの話から、こうした神の激しい報復に見える災い(奇蹟)は、実は神の深い悲しみの顕現であることを、保護司(服役者の釈放後の精神的なお世話をする、国が定めた役割)を長年ボランティアとして奉仕してこられた体験などもまじえ、お話し下さいました。地元豊橋の他、名古屋、大阪からの参加者もまじえ、20名を越える信徒が耳を傾けました。




西日本主教教区 冬季セミナー開催

 211日(木・祝)大阪正教会信徒会館において、表記教区行事が開催された。あいにくの雨天にもかかわらず、七五人が参集し、共に祈り、貴重な学びと交流の機会を分かち合った。

言(ことば)の実践 それは愛の実践

 午前中は徳島のグリゴリイ小川公神父様の講話。聖書や祈祷文を引用し説明を加えながら、神の言(ことば)をいかに日常の信仰生活に生かすべきかを、丁寧に語られた。たとえばテモフェイ前書三章に「懇(ねんご)ろに遠人(えんじん)を待(あしら)い」とある。これは神に対するごとく人に接する、つまり真心をこめてもてなすということ。幼児が何回も何回も教わるように、繰り返し祈り学ぶことで、神言は、心身に染みこんでいく。人はその時が満ちるまで悔い改めながら神の愛の中を生きていく。神言のなか祈り合うことは、教会と教会、人と人同志が神の愛に結ばれることである等々、じっくりと講話された。

グルジア正教会とブルガリア正教会について

 午後の部。グルジア正教会についてはザザ・ゴグア氏(ヴィオラニスト)、ブルガリア正教会についてはゲオルギ・タルノフスキー氏(大阪大研究員)。通訳に藤岡姉、いずれも大阪正教会信徒。大画面に投影されたカラー映像を見ながらの講話で、各教会の歴史、素晴らしい聖堂や聖像、聖人の生涯、お国柄と教会の特徴をわかりやすく説明。国名グルジアはロシア語読みで、世界的にはジョージアもしくはサカルトヴェロ(グルジア語)と言う。葡萄の樹を亜使徒聖ニノの髪の毛で編んだ「グルジア十字架」は神秘的な美しさだ。

ブルガリア正教会の苛酷な歴史の話。約五百年にわたる「オスマン・トルコの軛(くびき)」と社会主義政権下にあって、国民全体が長く苦難の日々にあったことを知った。

 午後三時過ぎに散会したが、とても充実した会であった。会場の大阪正教会の皆様ありがとうございました。                 (パウエル及川記)


名古屋ハリストス正教会「神現聖堂」成聖式
















2010年1月11日、名古屋教会ではダニイル府主教座下とセラフィム主教座下をお迎えして、新聖堂「神現聖堂」の成聖式が挙行された。日本はもとより世界各地から集まった300名近い参祷者は、聖堂内には入りきれず、聖堂2階のギャラリーや聖堂と連結した集会所にも満ちあふれた。当日はダニイル府主教座下、セラフィム主教座下をはじめ、府主教座下随行の松浦長輔祭、セラフィム主教随行の児玉神父、西日本主教教区から小川神父、及川信神父、酒井以明神父、小野神父、水口神父、松田輔祭、ロシア正教会駐日ポドヴォリエからニコライ神父が参加、さらに名古屋教会が招待した元名古屋教会管轄司祭としてお世話になった酒井満神父とロシア正教会ワラーム修道院典院セラフィム神父、さらにご休職中の及川淳神父、また東京大主教教区から水野神父らが神品として参加された。


前晩祷

1月10日成聖式の前日、セラフィム主教座下司祷による旧聖堂での聖体礼儀後、信徒たちは新聖堂へ移って準備に取りかかった。午後四時からの小聖水式に続いて、前晩祷が午後5時より開始された。祈祷の最中、王門は閉じられ、その前には翌日の成聖式に用いる聖器物一式が用意されていた。

成聖式と聖体礼儀

1月11日成聖式当日は午前8時に新聖堂が開場し、痛悔機密と時課の後、午前九時からのダニイル府主教座下とセラフィム主教座下の入堂によって成聖式が始まった。まずは聖堂の中心となる宝座の成聖である。「スラキツァ」(特別の白い服)を着けた主教以下の神品によって、木製の宝座の四隅に蜜蝋がそそがれ、その上に天板が載せられる。そして石を使って釘が宝座に打ち付けられ、釘あとは蜜蝋で封印される。その後、宝座を熱湯で洗い、ぶどう酒とバラ水が混ぜたものをすり込み、それを白い布で拭き取る。さらに主教は天板の上に聖膏で十字架のしるしを書く。そして白い覆いを宝座にかぶせ、全体を幾重にもひもで結ぶ。最後に上覆いがかけられて宝座の成聖が完了する。宝座の成聖はすべて至聖所内で行われ、その間聖所では聖詠が歌われた。次に至聖所、高座の窓の上、教会の西門、南面などの壁に、長い竿のついた筆を用いて聖膏で十字架がしるされ堂内は聖にされた。続いて不朽体の嵌入と十字行となるが、十字行は敷地スペースの関係上、聖堂周囲を回ることができないので、堂外へ出ることをもって行われた。主教が聖堂の外から「門よ、爾の首を挙げよ、世世の戸よ、挙がれよ、光栄の王、入らんとす」と唱えれば、聖歌隊が聖堂の中から「この光栄の王は誰ぞ」と歌うやりとりは、今まさに入ろうとする新しい聖堂の主が「光栄の王」すなわち神であることを表している。そして主教らは王門から至聖所に入り、前日から聖堂内に安置されていた亜使徒日本の大主教聖ニコライの不朽体を宝座の下にある十字架のついた小箱に嵌め込んだ。最後に主教品が至聖所および堂内の四方に聖水をそそぎ、以上で成聖式は終了した。

続いて聖体礼儀となったが、領聖者は二百名を超え、領聖を待つ信徒の列がしばらくとぎれないほどであった。また祈祷後の写真撮影も多人数のため三班に分けて行われた。

なお成聖式の様子は、ロシア国営テレビの取材を受け、当日夕方のニュースで報道された。

祝賀会は新聖堂から徒歩五分ほどにある愛知勤労会館にて開催された。ダニイル府主教座下とセラフィム主教座下からご祝辞をいただいた後、新聖堂を設計した鈴木貴詞一級建築士と、施工を担当した徳倉建設株式会社に府主教座下より感謝状がそれぞれ贈呈された。その後、乾杯、食事および歓談となったが、その際、マキシム野村おさむ兄のマリンバとエウフラーシア岡崎由美子姉のピアノ伴奏による演奏があり、ご夫婦ならではの息の合ったアンサンブルが披露された。それに続いて新聖堂建設に至る経緯がスライド上映された。明治から戦後にかけての写真が紹介された後、土地購入から基礎成聖式、クーポルと十字架の取り付けなどといった新聖堂の建設状況が順を追って説明された。ニコライ高橋文彦兄(仙台)、ニコライ尾島祐太郎(復活大聖堂)、ワシリイ松本望兄(神戸)から、それぞれの教区を代表してご祝辞をいただいた。参加者は名札にしたがって、テーブルについたため、一カ所に多人数が集中することなく料理もいきわたり、終始くつろいだ雰囲気で交流の場をもつことができた。なお、名古屋教会ではこの成聖式を機会に、A4版40ページ、カラー印刷で「名古屋教会史」を制作、神現聖堂のイラストをあしらった一筆箋とともに、成聖式参加者への記念品として配布した。

最後に、このようにして無事に成聖式を終えることができたのは至聖三者の祝福と恩寵に他ならないが、これまで物心両面において支えてくださったダニイル、セラフィム両座下、教団・教区の関係者の皆さま、さらに各地の信徒のみなさまのご協力、ご加祷の賜物でもある。名古屋教会信徒一同、ここに深く感謝を申し上げます。(副輔祭グレゴリイ伊藤慶郎 記)