教区「定例学びの会」開催(5/17)

西日本主教教区「定例学びの会」が、司祭ゲオルギイ松島雄一師(名古屋)を講師に迎え、去る5月17日(土)京都正教会を会場として開催されました。教話主題は、「領聖祝文を味わう」。豊橋・大阪・神戸からも参加者を迎え、22名が学びの時を持ちました。

領聖祝文」は、領聖(聖体拝領)に際して唱える祈祷文として正教会が受け継いで来ているものです。キリスト教が『聖体』をどう捉え、その聖体を受ける時にどのような心で臨むべきかがこの祈祷文に凝縮されています。

松島師は、聖書、祈祷文、聖師父の言葉、近代の正教会神学者シュメーマン神父の著作を引用しながら、領聖祝文の意味と領聖の意義を熱く詳しく説いて下さいました。

「領聖は、信仰に欠くことの出来ない『心棒』。領聖祝文は、単なる機械的承認を口にしているのではなく、神が命じられたことへの我々からの積極的応答として、信仰の具体的コンテンツ(内容)への同意を表明している。そこにあるのは、見せ掛けの謙遜ではなく、神が救うために来て下さった罪人のうちの『第一』の人としての『喜び』。神を自らに迎える領聖に、人の努力だけで充分にふさわしくなることは不可能。領聖へのふさわしさは、『ふさわしくなさ』の徹底した自覚という究極の逆説=ひたすら神に乞い願う心にある。こうのような領聖の意義を再確認するのが『領聖祝文』である。」(以上、大意)

昼食を挟み、自己紹介を兼ねて行われた質疑応答では、「ともすると文字面だけ追って通り過ぎてしまっていた『領聖祝文』の本当の意味と大切さがよく分かった。今後は、祈祷文の意味をかみしめて唱え領聖に臨みたい」という感想が多く寄せられました。また、「領聖後に唱える『領聖感謝祝文』と思い違いしていた。別の機会に『領聖感謝祝文』の意味を学ぶ機会も是非設けて欲しい」という、教話主題の要望(リクエスト)も寄せられ、充実した学びの時に感謝して散会しました。