大阪正教会 

イコノスタス百周年記念式典
      
(西日本主教教区協賛「祈りと交流の集い」)の開催

 延べ人数300名近くの参加によって盛大に祝われる

去る十一月十日(土)、十一日(日)に、大阪教会にて、「イコノスタス百周年記念式典」が、西日本主教教区の協賛により盛大に開催されました。イコノスタスとは、至聖所と聖所を隔てるイコンの衝立のことで、大阪教会のイコノスタスは深い歴史をもっています。

日露戦争の時、松山の捕虜収容所で永眠した捕虜たちの安息を祈るために、あるロシア人慈善家の莫大な献金によって松山市内に立派な聖堂が建てられました。このイコノスタスは、その松山の聖堂のために、当時の有名なイコン画家および修復家であるワシリイ・グリヤノフが1907年にモスクワで作成したものです。その後、関東大震災でニコライ堂が崩れてしまったため、松山の聖堂は、東京へ運ばれ、東京でニコライ小聖堂として再建され、ニコライ堂復興後も使用されました。そして、大阪教会が戦災で旧聖堂を焼失した後、1962年に現在の吹田の地に新聖堂を建立した折り、イコノスタスが大阪に運ばれ、今日にいたっています。

 このように、大阪教会のイコノスタスは、日本正教会の苦難の歴史と、それを乗り越えてきた信仰の力の証言者なのです。

このような幾たびもの「移動」にもかかわらず、百年の星霜を感じさせないほど美しいイコンの数々が保たれていることは注目に値します。イコノスタス百周年を祝うことによって、正教会の歴史とイコンのすばらしさが再認識されました。記念品として配布された「大阪生神女庇護聖堂のイコノスタス」という小冊子に、その歴史やイコンの解説が詳しく書かれています。

この式典のために、ダニイル府主教座下にご来阪いただき、聖体礼儀の司祷だけでなく、イコンに関するご教話をいただきました。教区内の司祭も全員集まり、共に祈り、共に祝うという非常に意義深い時間を持つことができました。

十一日(日)に参祷・参加された方は、凡そ二百二十名ほど。地元大阪だけでなく、九州、徳島、神戸、京都、名古屋、そして東京からの参加者がありました。前日の参加者数を加算すると延べ300名近くの参加者となりました。

 十一月十日(土)の午後二時半より、聖堂を会場にイオアン小野神父様より「聖アンドロニク主教と大阪正教会」と題して記念講話をいただきました。聖アンドロニク主教は、亜使徒聖ニコライの後継者として来日したものの病いのために帰国を余儀なくされ、しかしその後、致命の道をたどり聖人となったお方です。大阪教会とも係わりの深いこの聖人を、プロジェクターを使用しながら懇切丁寧に紹介していただきました。

十一月十一日(日)は、午前九時から聖体礼儀、続いてリティヤ(死者の為の祈り)が行われました。この中で、松山ロシア人墓地の九十八名の永眠者たち、そしてイコノスタスと聖堂を献納したクセニヤ姉ためにも祈りが捧げられました。

聖堂で記念撮影をした後、予定どおり午後一時より会館にて祝賀会が開始されました。祝賀会の中では、プロジェクターを使った「大阪生神女庇護聖堂のイコノスタスの歩み」の話と個々のイコンの解説が水口神父によってなされました。また、祝賀会では、「正教基礎講座」の特講修了者に、修了証の授与も行われました。

祝賀会において出された料理は、ほとんどすべて大阪教会のご婦人方の手作りで、参加された多くの方々から感嘆の声が寄せられました。

式典数日前には、このイコノスタスに関する記事が色鮮やかな写真と共に読売新聞の夕刊の一面を飾りましたので、一般からの問い合わせも多く寄せられ、式典後にも見学に来られる方がたくさんいらっしゃいます。(水口神父 記)