ヴァラーム修道院から典院セラフィム神父

 ロシアのサンクトペテルブルグの北方の湖の島、ヴァラームにある名高い修道院からセラフィム神父が日本教会を訪問。西日本主教区では大阪教会、京都教会、名古屋教会、半田教会、豊橋教会を訪問しました。(左は豊橋訪問時、イサイヤ酒井神父、ゲオルギイ松島神父と共に)。
 10月15日に関西国際空港に到着、大阪教会のダヴィド水口神父と名古屋教会のマリア松島純子姉がお迎え、翌日大阪教会、京都教会の後名古屋に。16日から18日にかけ名古屋教会の集会室に宿泊し、半田、豊橋の教会を訪問、それぞれの教会で交流の時を持ち、17、18日にはちょうど祭日に当たっていた全ロシアの奇蹟者「ペトル・アレクセイ・イオナ・フィリップ祭」の前晩祷(晩課)、聖体礼儀を共に祈りました。19日に函館へ、20、21日は仙台教会、22日から東京、24日には成田からアラスカへ無事ご出発されました。神父はフランス生まれのロシア人で、20才でアトスの聖シルワン長老の弟子で長老の伝記が世界中で広く読まれているソフロニイ掌院が開設したイギリスの修道院に入り、90年代末にヴァラームへ。その温かい人柄はお目にかかった信徒それぞれに強い印象を与えました。
 名古屋教会でお話し下さった、説教をご紹介します。



偉大な師父アトスの聖シルワンは次のように言いました。「兄弟を愛する者はさいわいである。兄弟は私たちの生命そのものだから」。同じことを聖使徒福音記者イオアンは「兄弟を愛する者は光のなかにいる。兄弟を憎む者は、やみの中におり、やみの中を歩くのであって、自分ではどこへ行くのかわからない。(1イオアン2:10-11)」と言いました。

親愛なる神父さま、兄弟姉妹の皆さん、愛は生命であり、憎しみは死です。これがハリストスの福音の本質です。それを心にとどめ、それに従って生きることが大切です。

今の世の中は悪が増大し、人々の心の中に愛が冷えてしまったので、ハリストスのことばに従って愛することは難しいと言う人もいます。そう、確かに愛することは何よりも難しいことです。なぜなら愛することにはあなた自身の犠牲が求められるからです。愛が大きければ大きいほど、犠牲も大きくなるからです。

神・父は世をとても愛されたので、独り子を与えられました。人が滅びることなく、神・ことばによって永遠に生きるために送られました。

私たちの救主ハリストスは私たちを深く愛し、ご自分の肩に私たちの罪を背負い、十字架と死と埋葬を担われました。自分が神であるにもかかわらず、愛のために地獄にまで降りました。

受難の前に「友のために生命を棄てるほど大きな愛はない」ということばを私たちに残されました。ハリストスは私たちに『道』を示されました。ハリストスは完全な愛の手本、完全な愛の型を見せてくれました。

聖使徒イオアンが言うように、ハリストスは私たちのために、生命とたましいを投げ出してくださったのだから、私たちも兄弟のために生命とたましいを献げねばなりません。

「愛は完全」とも言えます。愛はすべてを含みます。愛はアルファでオメガ、始まりであり終わりでもありす。

ですから、愛の行いの始まりは小さなことです。「ささいなこと」から始まります。私の師父ソフロニーは言いました「キリスト教徒の人生において、聖神に従う人生において『ささいこと』『取るに足らないもの』は一つもありません。すべてが大切です。」

というのは、ほんの一言で、ほんの一つのまなざしで、ほんの一つの動作で兄弟姉妹を大きく傷つけてしまうことがあるからです。

ハリストスはこの兄弟姉妹の心やたましいのためにご自身を投げ出されました。だから私たちもその心やたましいを少しでも傷つけてはならないのです。それはハリストスの教えの根本です。

そのためには自分自身を常に顧みて、自分の心や考えが何をしようとしているのか吟味しなければなりません。ハリストスがおっしゃったように悪いもの、汚れたものは私たちの心から出てきます。

祈りなしには自分の思いや心をコントロールすることはできません。
あらゆる使徒、聖師父たちは「常に祈りなさい」という戒めを教えました。ハリストスご自身も「いつも目を覚ましていなさい」と教えられました。

聖シルワンは「神とすべての奇蹟、機密は聖神によらなければ理解できません」と言いました。今日私は皆さんにお会いして、愛を分かち合っています。主が聖神の恵みをみなさんひとりひとりに豊かに与えて下さるように祈ります。そうすれば皆さんは確かに主の福音が確かに生きていることを感じられます。そうなるように願っています。

最後に是非覚えておいて頂きたいのは、「互いに愛し合うなら、あなたがたは私の弟子である」というハリストスのことばです。アラスカの聖ゲルマンは「明日からとか、そのうちではなくて、今、この瞬間から始めよう。ハリストスの愛の戒めに従って生きよう」と言いました。私たちも「今、この瞬間からハリストスの愛の戒めを始めましょう」

今晩みなさんと一緒に晩課をお祈りしました。日本語とロシア語という二つの言語でしたが、一つの口一つの心で神を讃美できたことに大変感動しました。

ハリストスにあるとき、聖神によって、私たちはひとつです。

家族の中で、社会の中で、国同士の中にいさかいがあります。隔ての壁を乗り越えて行きましょう。主の祈りにあるように「爾の国は来たり」、神の国は平和、愛と聖神に満ちあふれています。

主の憐れみと、聖神の支えによって、家族のなかや私たちの仲間の中にある、互いを分裂させるものに打ち勝って行きましょう。