◆第2世紀◆

迫害
 第二世紀にキリスト教信仰は大きな発展を遂げましたが、同時にそれはローマ帝国の権力者からのいっそう激しい迫害を呼び起こします。彼らにとってキリスト教は非合法宗教の一つにすぎませんでした。
 ローマ人の目からは、クリスチャンは宗教上ばかりでなく政治上の犯罪者でもありました。彼らは、帝国の臣民の一員として求められていた、皇帝を王として、主として、神として崇めることを拒否しました。これは国法への違反でした。クリスチャンは国家の権威者たちのために祈り「敬うべき者は敬い」ましたが、神とハリストスのみに帰すべき光栄と礼拝を、地上の王に捧げることは拒否しました。そこで、ローマの法はクリスチャンであることを非合法と宣言しました。

 一般の人たちの残したクリスチャンたちについての証言ので最も古いものの一つに、二世紀の、小プリニウスとトラヤヌス帝(98-117在位)の間で交わされた書簡があります。この書簡では、クリスチャンは「わざわざ探し出されるべきではなく、また子供をいけにえに献げ人肉を食べるといった(信徒だけの秘密の集まりで行われていた聖体機密に対しての誤解)馬鹿げた告発については無罪である」ことを認めていますが、「それでもなお、もし彼らが逮捕されたとき、信仰を捨てる事を拒否したら、処刑されるべきだ」という皇帝の方針が記されています。キリスト教は確かに禁止されていたのです。

 二世紀のクリスチャン迫害は、ローマの辺境で、その地方の有力者たちの強い反感によって引き起こされたものが主でした。しかし、やがてその動きは全土に広がり、クリスチャンはどこでも憎まれるようになりました。当時の最も寛容で自由な考えを持っている人々も例外ではありませんでした。多くの場合クリスチャンは、彼らの頑迷さと不寛容の表れと受け取られた、ハリストスのみを「主」として礼拝することによって、憎まれたのです。彼らへの迫害のもう一つの理由は、帝国の支配のもとでの法と秩序への政治的危険因子と見なされたことです。特に、教会に身を投じる者の数が増え続けてゆくことは支配者たちを脅かしました。 

 教会の指導者で二世紀に致命(殉教)した人たちの中で特に有名なのは、アンティオケアの主教イグナティ(†110)、スミルナの主教ポリカルプ(†156)、哲学者イウスティン(†165)です。彼らはそれぞれに二世紀の教会生活と信仰を生き生きと伝える著作を残しています。 その他の二世紀の重要な著作は次のようなものです。「ディダケー」、「ディオグネトスへの手紙」、「ローマのクレメントの手紙」、「バルナバの手紙」、「ヘルマスの牧者」。アテネのアテナゴラス、サルディスのメリト、アンティオケアのテルフィリスなどの護教家たち、また二世紀の最も偉大な神学者リオンのイリネイらの著作。

アンティオケアの主教イグナティイ「ローマ信徒への手紙」から

円形競技場での猛獣による処刑のためローマに護送されるイグナティイは各地の教会に手紙を書きました。ローマ教会の信徒たちには、官憲から彼を救い出すようなあらゆる企ては無用であると諭します。

「どの教会宛の手紙にも書くことは、私が喜んで神のために死を遂げることです。…、どうか、ご親切がかえって私にとって迷惑にならないようにお願いいたします。私を獣の餌食にして下さい。それが神へ到達する道なのです。…むしろ獣をけしかけて下さい。…私は今に至るまで奴隷の身です。しかし苦難を受ければ、イイスス・ハリストスによって解放され、イイスス・ハリストスにおいて自由の身としてよみがえるのです。…見えるもの、見えざるもの、何ものも妬みによって私がイイスス・ハリストスに到達することの妨げにならないように。火、磔刑、獣の襲来、砕骨、手足の寸断、全身の粉砕、悪魔の重圧、来たらば来たれ。…私の探し求めているのは、我々のために死んで下さったその方であり、私の慕っているのは、我々のために復活されたその方です。私の誕生は眼前にせまって来ました。兄弟たちよおゆるし下さい。私の真の生命にじゃまを入れないで下さい。神を望んでいる人間をこの世に渡し、物質によって欺いてはいけません。私に汚れなき光を仰がせて下さい。その時こそ私は真の人間になるのです。どうか我が神の受難に倣うことをおゆるし下さい。主を自分のうちに宿すものは、誰でも、私の期待に同感し、私の煩悶に同情してくれるでしょう。」


護教家たちの時代…信仰の弁護
 迫害と教会の拡大に加え、第二世紀での最も重要な展開は、キリスト教信仰を間違った教えから守る護教(弁証)活動です。それはユダヤ教や異教に対してばかりでなくキリスト教の間違った理解(異端)に対するものでもありました。この時代にはまた、教義の基礎固めがはじまり、聖使徒たちの次の世代の指導者(「聖使徒師父」と呼びます)たちによる神学が現れました。また、それぞれの教会が、それぞれの主教・司祭・輔祭に指導されるという、共通の教会秩序が確立され、ユダヤ教の会堂(シナゴーグ)から完全に脱皮したキリスト教的奉神礼と機密の基礎が築かれました。また新約聖書のカノン(正典)が確立し始めたのもこの時代からでした。

外典・偽典
 一世紀の終わりと二世紀の最初の時期に、ハリストスについて誤った多くの著作が生まれました。それらは外典(旧約聖書外典と混同しないで下さい)や偽典と呼ばれます。これらの著作は使徒たちの名前を冠され、教会の中にたくさんの、イイススの幼年時代や生神女マリヤの生涯や使徒たちの活躍についての空想的で伝説的な物語を持ち込みました。

グノーシス主義との闘い
 これらの偽典と共に、グノーシス主義の間違った教えがあらわれました。これは、キリスト教を神霊主義的・二元論的・知性主義的な哲学のたぐいに変えてしまうものでした。正統的なキリスト教はこれらと闘わねばなりませんでした。この闘いの結果「護教家」たちの神学が生まれました。彼らは真の信仰とハリストスの福音の本来の姿を守ったのでした。

「使徒的継承」の教え
 この闘いのもう一つの結果は、「使徒的継承」の教えです。キリスト教の正しい信仰と生活は、教会の聖なる伝統(「聖伝」)を継承することによって教会から教会へ、世代から世代へ、ある地域から別の地域へと受け継がれてゆきます。この継承を保証するのが、使徒たちの教えと実践を共通の絆とする主教たちです。複数の主教の合意と祝福の下で新しい主教が立てられる(叙聖される)事により聖伝の継承が現実のものになります。

正典化の始まり
 もう一つの結果は、どの著作が教会の聖なる書物(カノン:正典)に属し、どの著作が属さないかをはっきり厳密に決定し始めた事です。その決定の基準は、そこに表れているのが間違いなく使徒たちの証言であるかどうか、また教会の奉神礼で使用されてきたかどうかでした。

リヨンの主教聖イリネイ 「異端駁論」より (三・24)

教会に溢れる神聖神

 
 …教会には神のこの賜物が贈られているからだ。世界の創造の時に、神自らがその手でお造りになったもの(人間)にいのちの息が吹き込まれたように、教会には神聖神が贈られた。だから、教会のメンバーは誰でも聖神に与りそのいのちを受け取ることができる。教会にはハリストスとの交わり、即ち聖神が、私たちの不朽の保証、信仰の堅め、神へと私たちが昇って行くためのはしごとして預けられている。だから、パウェルも書いているように、教会には、使徒、預言者、教師、そして他の多くの聖神を受けて働く人々が置かれているのだ。教会に加わることを拒否する人たちはこの聖神に与れない。その結果、彼らはその邪悪な考え方と不寛容な行いによって、自らを「いのち」から引き離してしまう。なぜなら、教会のあるところ、そこにはまた神の聖神がおられ、神の聖神のおられるところ、そこには教会と全ての恵みがあるから。そして、聖神は真理であるから。
  イリネイ(エウレナイオス)は、グノーシス主義と闘った二世紀の偉大な護教家。

教会の秩序と奉神礼
 二世紀の護教家、致命者、また聖人らの著作を読むと、それぞれの地域の教会には一人の主教(監督)がその首長として立てられ、教会は彼によって治められ、司祭(また長老)たちによって運営され、輔祭(執事)たちによって奉仕されていたことがわかります。アンティオキヤの聖イグナティはその手紙の中で次のように書いています。

 私は、すべてを、神により、心を一つにして行うように努めることを、すすめます。その際、主教は指導者として神の座に、司祭たちは使徒たちの会議の座に、そして最も私に親しい輔祭たちは…イイスス・ハリストスへの奉仕を委ねられているのです。
      (マグネシヤの人々への手紙6:1)

 ですから、(分裂に陥らず)ただ一つのユーカリスト(聖体機密)に与るよう努めなさい。なぜなら、私たちの主イイスス・ハリストスの肉は一つ、彼の血と合一するための杯は一つ、宝座(祭壇)は一つ。それはちょうど、主の僕としての仲間である司祭たちや輔祭たちによって支えられている主教は一人であるのと同じです。(フィラデルフィアの人々への手紙4)
 イイスス・ハリストスのいるところ、公なる教会があるのと同様、主教があらわれるところには、全会衆があらねばなりません。

       (スミルナの人々への手紙8:2)

 聖イグナティイは教会を表すのに「公なる(カトリック)」という言葉を最初に用いた人です。この言葉は、教会がどれほど充実し、理想的で、完璧で、神の恵みと真理と聖性が欠けることなく満ちあふれている全体性を備えているかを表す形容詞です。

 また「ディダケー(十二使徒の教訓)」、ユースティンの「弁証論」、聖イリネイの著作には、キリスト教の機密の描写があります。

 洗礼については次のように行いなさい。上に述べたこと(「生命の道」と「死の道」についての教訓)をあらかじめ述べた上で、流れる水によって、父と子と聖神(せいしん・聖霊)の名によって洗礼を授けなさい。(ディダケー7:1)

 主の名によって洗礼を受けた者以外には、あなた達のユーカリスト(聖体機密)から、食べることも飲むことも許してはならない。(同9)

 主の日ごとに集まって、あなたがたの供え物が清くあるよう、まずあなたがたの罪過を告白した上で、パンをさき、「感謝」(ユーカリスト〈聖体機密のこと、感謝を表す〉)をささげなさい。その友人と争っている者はすべて、和解するまでは、あなたがたと一緒に集まってはならない。それは、あなたがたの供え物が汚されないためです。         (同14)

 太陽の日と呼ぶ曜日(日曜日)には、町ごと村ごとの住民がすべて一つ所に集い、使徒たちの回想録(福音書)か預言者の書(旧約聖書)が時間のゆるす限り朗読されます。
朗読者がそれを終えると、指導者が、これらの善き教えにならうべく警告と勧めの言葉を語ります。それから私共は一同起立し、祈りを献げます。そしてこの祈りがすむと…パンとぶどう酒と水が運ばれ、指導者は同じく力の限り祈りと感謝を献げるのです。これに対し、会衆はアーメンと言って唱和し、一人一人が感謝された食物の分配を受け、これに与ります。また、欠席者には、輔祭(執事)の手で届けられるのです。
 次に、生活にゆとりがあってしかも志ある者は、それぞれが善しとする基準に従って定めたものを施します。こうして集まった金品は指導者のもとに保管され、指導者は自分で孤児ややもめ、病気その他で困っている人々。獄中につながれている人々、異郷の生活にある外国人のために扶助します。要するに彼はすべて窮乏している者の世話をするのです。
さて太陽の日(日曜日)に私どもが皆ともに集う理由は、その日が、闇と質料を変えて神が世界を創造された第一日であり、またイイスス・ハリストス、私どもの救い主が死人の中からよみがえったのもその同じ日だからです。

       (ユースティン第一弁証論67)