◆第1世紀◆

 キリスト教時代は第一世紀に起きた出来事、すなわち、ベツレヘムでイイスス・ハリストスが童貞女マリヤから生まれ、生き、死に、そして復活し、天に昇ったことにより幕が開きました。ペンテコステ(五旬祭)の祭りの日、ハリストスの弟子たちの上に聖神(せいしん・聖霊)が降り、彼らは力強くこれらの出来事を証言しました(聖使徒行実二章)。この事件はしばしば「教会の誕生」と呼ばれます。
 
 第一世紀には、ハリストスの復活の証人として、使徒たちが福音を伝えました。聖使徒パウェルについては、その伝道の旅の行程が「聖使徒行実」に伝えられていますが、他の使徒たちについては、彼らがどの地域に伝道していったかは正確にはわかりません。聖伝では、彼らは世界中に散らばってゆき、福音を伝え、聖使徒イオアン以外は皆、ハリストスへの信仰のため致命(殉教)しました。

 福音書と書札(使徒たちの書簡)など新約聖書にまとめられている文書はすべて第一世紀に書かれました(現代の聖書学者の中には二世紀にかかるものもあるという意見もある)。またこの時期に、最初のクリスチャンの共同体(教会)が小アジヤ、ギリシャ、そしておそらく北アフリカの主要都市に、また帝国の首都ローマにも創設されました。

教会
 よく誤解されているのとは逆に、クリスチャンの教会は最初は都市に成立し、やがて後になって田舎に広がってゆきました。また現代流に言うと「中産階級」の人々が主な構成メンバーでした。ですから、キリスト教は最初の足場を、耐え難いこの世の生活への「天上的な慰め」を求めた、無教育な被抑圧階級の人々の間に獲得したと考えるのは間違いです。
 第一世紀の教会の中心的な出来事は、異邦人(ユダヤ人以外の人々)たちを教会に招き入れ、モイセイの律法の儀礼的な条項を守ることを免除したことです(聖使徒行実十五章、ガラティヤ書、ロマ書等参照)。それによって、最初ローマ帝国内にユダヤ教の「ベールをかぶって」入ってきたキリスト教会は、やがてユダヤ人のみの信仰から脱皮し、あらゆる国々から招かれた「神の民」として、メシヤ・ハリストスに結合し、ハリストスを人類とこの世界の救主として信仰告白する一団となってゆきました。

 キリスト教会への入会に際して求められたのは、イイススを「主」として、また「ハリストス」(「油を注がれた者」というヘブライ語「メシヤ」のギリシャ語訳。「救世主」を意味する)として信じること、罪の悔い改め、イイススの名によって洗礼を受け聖神の賜物を受けることでした。これらの要求を満たした者は、各地域にその地域ごとの共同体として創設され、「主教」または「長老」と呼ばれる人たちに率いられた教会に入会したのです。主教たちは使徒たちから按手礼(手を受ける者の頭上に置き、聖職者としての神の賜物を伝える儀式、今日の神品機密の起源)により任命されました。使徒たち自身は、各地への福音伝道と教会の設立を使命とし、特定の地域の特定の教会の主教ではありませんでした。

 「そして一同はひたすら、使徒たちの教えを守り、信徒の交わりをなし、一切のものを共有にし、資産や持ち物を売っては、必要に応じてみんなの者に分け与えた」(聖使徒行実2:42、44、45)

 このエルサレム教会についての描写が、ほぼすべての初代クリスチャンの共同体にあてはまりました。