クロンウェシタトのイオアン神父


     神 父 の 祈 り (その2)  

 長司祭ウラジミル(1948年存命中)師はイオアン神父
の奉神礼に就いて記して言う。私は1906年1月18日モス
クワのアンテオフ聖堂において,イオアン神父と共に祈
祷することの幸福に浴した。当時78才のこの老神父は少
し前かがみで聖堂に入って来られた。神父の顔は挨拶の
心で呼吸しておられた。
 「神父さん方,兄弟よ,さあ主にお祈りをいたしまし
よう」「今日の記憶の聖致命者プラトンに専敬を捧げま
しよう」と言って,自ら朝の領聖規定を読まれた。
 規定が終わって入堂式も終わって3人の司祭が宝座の
両側に立つ,第4の司祭が聖体準備を終わると老神父は
宝座の前に立たれた。驚くべし,かれが宝座の前にある
ことは恰も燭台にローソクが立っているように不動の姿
せい,至聖所は全く聖気に満たされ,地上総ての雑念は
われらの心中から消えさる。
 時課が終わると神父は感動すべき大声を発して「天の
王慰むるもの」「至と高きには光栄神に帰し」等の挙手
の祈りの後「父と子と聖神の国は崇め讃めらる」と高ら
かに唱せられる。修道院の聖歌隊の静かな,厳かな聖歌
が堂に満つ。天上の美は一段一段とそそがれる。この進
行につれて78才の神父の顔は一段一段と輝いて来る。祈
りの熱と共にかれも青年のように血色を帯びて来る。
 かれの眼は祈樽中大方閉じられている。しかし時とし
てにわかに救主ハリストスの聖像に向かって開かれる。
へルビムの歌の時,神父の眼は生,死者の記憶をした献
祭の上に注がれて良く祈られる。それは全霜国より来た
記憶を請われた総ての霊の子のために祈られるのである。
 領聖詞が始まる。聖爵の前に総ては直立し,総てが敬
けんに総ての霊は聖事の一点に集注して,領聖が終わる。
聖体礼儀が終わり,神父は主日の福音から簡単な教話を
された。
 狐には穴あり,空の鳥には巣がある,されど人の子に
は頭を枕するところなし,ということについて「穴及び
巣とは人々が自己の欲望にとらわれている罪悪の状態で
ある。このような心の内に主ハリストスは頭を枕されな
い,改悔しなさい。心を清めなさい。ハリストスを宿す
に適した心の準備を常にしなさい,と神父は説教を終わ
って至聖所に入り,そこで祭服を脱がれた。驚いたこと
に祭服の白い下着の背中は汗でびしょぬれである。ああ
実にかれの涙とこの汗こそかれの熱祷のしるしである。
 大いなる牧者,熱誠なる祈祷者の称はここから発せら
れるのだと思われる。


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