復活大聖堂成聖式
祝賀会 説教


府主教セリギイ
(長司祭 三井道郎・訳)

1929年12月


  愛すべき兄弟姉妹よ,一九百ニ三年(大正十二年)九月一日以来,断えず私の心に付き纏うて離れなかった苦悶も,今は晴れて清々致しました。 之れは全く,主・神吾等の恩主のお蔭であります。 光栄神にあれ!
  夢に思うことさえ,恐ろしいようであった事が実現せられ,吾等は再び,大聖堂を有つことになりました。 主・神吾等の恩主のお蔭であります。 光栄神にあれ!
  主・神は一九二三年(大正十二年)十月に,大聖堂を復興すべき決心を,吾が日本正教会信徒に吹き込ませ給うたのであります。 光栄は神にあれ!
  主は一九二五年から今日に至る迄の,寄付金募集の際,卿等の心と懐中(ポケット)を開き給いました。 光栄は神にあれ!
  主は奉げたる献納を斥け給わず,また吾等の汚れたる手をも忌み給わずして受け給うたのであります。 光栄神にあれ!
  日本正教会は己れの無を悟り,首より足に至るまで,恩恵を蒙らしめ給うた主・神恩主の前に俯伏せよ。 主・神我等の恩主に光栄と感謝とは,先にも今も亦後にも,無窮の世にあらんことを。 而して我が目は視,我が心は歓喜雀躍する。 今此処に歴史的祝祭に日本正教会の神の子等が,西より北より,南より東方より来り集れるを,我が目今これを視て,我が心は欣快の至りに禁じえぬのであります。 幸いなるかな,卿等京大姉妹達よ。 主は卿等を撰んでこの荘厳美麗なる大聖堂復興の器となし給うたのであります。 然れ共,主は決して卿等の資産を大聖堂の為に,無理に取上げ給うたのでなく,卿等は自由に任意に心から喜捨されたのであります。 己れの豊かなる中より,または乏しき中より施されたので,私は卿等の献身的功労を感激の余り,世界に向って報道せざるを得ない状態にあるのであります。
  一回或はニ回,或は三回までも寄附して下さいました各地諸教会に御礼を申上げます。
  一回或はニ回,或は三回寄附して下さいました各兄弟姉妹に御礼申上げます。
  数百円,数千年,数万円さえも寄附されました教会に御礼申上げます。
  数円,数十円,数百円を寄附して下さいました兄弟姉妹並に教会に御礼申上げます。
  心から喜捨した五円は,神の前に於いては五億円にも劣らぬ価値のあるものであります。
  無記名の数百円,無記名の数十円,無記名の五十銭を献じました方々に御礼申上げます。
  大聖堂建築の為とて金ニ銭を献じた四歳の小児タワイド(徳島教会の一信徒の児)さんに御礼申上げます。 最早や御心配には及びません。 大聖堂は落成致しました! 寄附して感涙し,希望と喜悦の涙を垂れて泣き,喜ばしき希望の涙を流して泣いた方々に御礼申上げます。 卿等御覧の通りに,神様は私共を祝福し給うたのであります。 大聖堂は復興して燦然として輝いて居ります。
  聖なるロシア魂にも厚く感謝申上げます。 自分の祖国を失い他国に避難しているのに,私の手を指示して下さいました凡ての方々に,俯伏して御礼申上げます。 皆様の為に喜び皆様に祝意を表します。 卿等は,神に撰ばれたる方々であります。 卿等を通して神様は,そお奇跡を行われたのであります。 私は『神が奇跡を行われた』と申しました。 何となれば,吾々弱少な幼稚な日本正教会が,斯んな大それた事を成し得ると,吾々の中で誰が想像することが出来ましたろうか。 しかし,叡智なる造営師(造物主)は,大聖堂建設の為には新しき奇妙な材料を認めて居られました。 即ち小石や砂利やセメントでなく,若き教会の磐の如き信仰と,神の佑助に対する堅忍不抜の希望と,若き教会の驚くべき心広き献身的の愛を観て居られたのであります。
  この『信望愛』が備わり,この三徳は聖なる平和の雰囲気の中に大聖堂を建設したのであります。 兄弟姉妹等よ,これ皆神よりの賜なのであります。 信望愛と平和は,神よりの賜であります。 復再感謝と光栄とを神に奉りましょう。
  
  大聖堂は出来上りました。 併し乍ら,前とには如何程の事業があるか測り知られないことを思うべきであります。 吾等はこれから,日に日に正教魂の活ける大聖堂の建設に着手しなければならぬのであります。 而して前途に,吾等の前には聖堂の事業のみ構っているのではありません。 今や全世界は紊乱しています。 価値の再吟味が行われています。 帝王の王座が顛覆され,世界の地図は改造されている有様であります。 種々有害なる思潮の波涛が起って,島国である日本帝国の海岸にも襲来して来ました。 併し,日本帝国は巍然として,王座を中心にして聳立しています。 この日本帝国は,目下世界万国の間にあって,楽園に非ずして何でありましょうか。 されど思想的疫病の閃光が,吾が日本帝国にも時々現れざることもなきに非ずであります。
  兄弟姉妹等よ,神の佑助を信じ,終局の成功に希望を置き,献身的愛の雰囲気のうちに皆一心同体,正教魂の活ける大聖堂を建設することに着手致しましょう。 これは吾等の主要問題であります。 この大工事の中心となるべきものは,則ち復活大聖堂なのであります。 然りと雖も,我が国の基礎が動揺しないように,帝国の基礎(いしづえ)が永久に堅立するように,全力を尽し,熱心に努力せねばなりません。
  今私は卿等を呼んで何を致しましょうか。 爆弾や剣や拳銃を手にして『主義』と戦いに行くべきでしょうか。 否,主義(思想)は,武器では制止せらるべきものではありまん。 剣を取ることは,救主ハリストスが禁じ給う他のであります(マトフェイ伝廿六章五二節)。 『主義を弁駁うる小冊子,書籍,宣伝ビラ等を印刷することを致しましょう。』否,斯ることは文部省の為す所です。 捜索して伝染病即ち危険思想を抱く者を捕えて,社会から駆逐しましょうか。 否々,これは内務省の役人の為すべきものであります。
  兄弟姉妹等よ,私は卿等を政治問題研究の為に呼ぶのではないのです。 若しそんな事をしたなら,故大主教ニコライ師は墓の中で喫驚されることでしょう。 私はそんな事に,卿等を祝福することは致しません。 全然政治に関係しないと云うことは,吾等の本領であります。 而して国の基礎を堅立する為には奮闘努力しなければなりません。 是非せねばなりません。 ハリストスの道を践みつつ努力しましょう。
  塩一匙は食物に味を添えるのであります。 塩一斤は食物の腐敗を防ぐに足るものです。日本に於ける四万の正教信徒と,三十万の他派の基督教徒は,これ食物に対する塩の一匙ではありませんか。 実に七千万の人口に対しては,僅かに一匙の塩に過ぎません。 努力を二倍し,三倍し,十倍し,勢力を十倍し,三十倍し,六十倍して働きましょう。 吾々正教信者は四万人ではなく,四十万人に致しましょう。 日本に於ける基督教徒は三十万ではなく,三百万に達せしめましょう。その時こそ,吾々は実に腐敗を止める能力となるのです。 若し腐敗が醸してあったとしたならば,健全たる青年として腐敗に罹らないように努力致しましょう。 
  これ即ち聖なる事業ではありませんか。 将又帝国の臣民としての吾等の事業ではありませんか。
  奮闘的伝道を以て生々として栄ゆる教会に,生々として栄ゆる基督教界に至らしめんことを努力しましょう。 生気溌剌,生々として栄ゆる基督教を経て,堅牢なる国家に至らしめんことを努力致しましょう。
  帝国の臣民にして,忠誠なる基督教徒の数百万人は,これ吾等の将来に於ける事業の表題であります。 願わくは,神は吾等を助け給うて,この聖なる事業を達成しめ給わんことを。     「アミン」