新 聖 人 列 聖
ユダヤ人を救出しガス室で致命したマリア等列聖される


 フランスのパリで、コンスタンティノープル総主教庁西ヨーロッパロシア府主教区とモスクワ総主教庁共同でマリヤ・スコブツォワ修道院長その協力者、司祭ディミトリイ・クレピニン、マリヤ・スコヴツォワの息子ゲオルギイ、イリヤ・フォンダミンスキー、また、司祭アレクシイ・メドヴェドコフが列聖されました。

+聖マリヤと協力者たち+
 聖マリヤはロシアに生まれ、若い頃から霊的生活や神学に深く心をよせ、革命後各国を廻った後フランスへ渡り、府主教エヴロギイの祝福の元、夫と別れ修道女になり、ホームレスや虐待を受けた人々を世話し収容するシェルターを運営する修道院を作りました。

 第2次世界大戦がはじまり、ドイツのフランス占領、ヴィシーのペタン傀儡政権が成立、ユダヤ人への迫害が始まると、修道院付司祭であった聖ディミトリイ・クレピニン(フロロフスキーの霊の子)はまずユダヤ人への偽洗礼証明書を発行し始めました。聖マリヤもこれに協力、徐々にこの活動は拡大し、秘密裏にユダヤ人を地下ルートで安全な地域に避難させる組織網を作りました。

 有名なエピソードとして聖マリヤはある時、強制収容所への移送のためスタジアムに集められたユダヤ人の中にゴミ収集人に変装として入り、ゴミ箱の中に子供達を隠し、救い出したというものがあります。

残念ながら1943年の2月彼らの活動はナチの秘密警察ゲシュタポに摘発されてしまいます。クレピニン神父へのホフマンと言う苗字のゲシュタポの尋問の様子がこのように残されています。

ホフマン:神父、もし私があなたを釈放したら、ユダヤ人を二度と助けないと誓えますか?
神  父:そんなことはしません。私はハリストス者であり、私がしたようなことを、まさにしなければなりません。それがハリストス者としての義務です。
ホフマン:(ホフマンはクレピニンの頬を打った)ユダ公好きめ!よくもお前はあんな豚どもを助ける事をハリストス者の義務だなんて言えるな!
神  父:(ポドリャスニクの上に掛けた十字架を握って指し示し)あなたはこのユダヤ人を知っていますか? (神父は床に殴り倒されてしまった。)


 彼らはフランス内の収容所で同年12月まで留め置かれた後、聖ディミトリ・クレピニン神父ら男性陣はアウシュヴィッツとならぶ絶滅収容所としてしたれたブッヒェンヴァルト強制収容所へ、聖マリアはラーフェンスヴリュック強制収容所へ送られました。フランス内の収容所で聖ディミトリは毎日聖体礼儀を行っていました。輸送後程なくゲオルギイが疥癬のため'処置'され致命、聖ディミトリも衰弱のため致命しました。

 聖マリアはしかしながら過酷な状況に耐え、その愛に満ちた姿は収容者の大きな慰めの光となりました。多くの生存者ががいかに聖マリアに勇気つけられたかを記しています。しばしば聖マリアはわずかな食料を糸と布に換え、刺繍でイコンを作りました。しかしながら過酷な生活は聖マリアの体を蝕み、またナチの収容者にたいする基準が上げられたため、終戦間際の1945年3月30日、赤軍の砲撃が収容者に聞こえるほど迫っていた、聖大金曜日に『労働不適格者』としてガス室へ送られ致命しました。

+聖アレクシイ+
 聖アレクシイはその祈りの生活で尊敬を集めていた方で1934年に永眠しました。
                                               (イオアン庄司 将敏 記)