『第七全地公会規則』



ニケヤ第七全地公会規則

第一條 神品の位を受けたる者は既に議定せられたるの規則律例を以て啓示と為し指導と為し欣々之を遵奉して神の預言者ダウィドと共に主・神を謳歌す可し曰く我爾が啓示の道を悦ぶこと諸の貨財を悦ぶが如し(聖詠百十八ノ十四)又曰く爾の命ぜし啓示は義なり爾が啓示の義は永遠なり我を悟らせ給へ則ち我生きん(聖詠百十八ノ百三十八,百四十)若し夫れ預言者の言既に我等に永く神の啓示を守り之に循ひて生活す可きを命ずとせば其の啓示の損傷せず変更せずして永存するや勿論なり。蓋し神を見たるのモイセイ亦曰く之を増す毋れ亦之を減する毋れ(復傳律例書十二章三十二節)又聖使徒ペートルは之を頌讃して曰く神使も之を察せんと欲す(彼得前書一生十二節)又パウェル曰く或は我儕或は天よりの使者若し我儕曾て爾曹に傳へし者に異なる所の福音を以て爾曹に傳ふるあらば則ち詛はるべし(加拉太一章八節)此の事や眞實にして且確然我等に証明せられたるを以て我等は恰も巨利を獲たる者の如くに之を悦び欣然として聖規則を受け聖神の聖角たる讃栄すべきの使徒及び聖全地六公会及び此の如き誡命を編成するが為に地方に集会せし者并びに我等の諸聖父の述べたる諸規則の完全変更す可らざる規律を遵奉せん。蓋し彼等は皆同一の聖神に啓発せられて有益の事を制定せり。故に彼等の「アナフェマ」に處する者は我者も「アナフェマ」に處し彼等の除黜する者は我等も除黜し彼等の親與を絶つ者は我等も之を絶ち、彼等の懲罰(エピティミヤ)に服する者は我等も亦之に服せん。蓋し三層の天に昇りて不可言の言を聞きたる神の使徒パウェルは明言して曰く貪婪の所為有る勿れ有する所を以て足れりと為せ(希伯来十三章五節)

第二條 我等聖詠に於て神に爾の誡命を学び爾の言を忘れず(聖詠百十八ノ六節)と約するに由り凡そ「ハリスティアニン」たる者亦皆己の救贖の為に之を遵守す可し神品の位を受けたる者は殊に然りとす依りて議定すること左の如し凡そ主教の位に登崇せらるる者は必ず聖詠に通暁し且悉く其の教衆の者にも之を学ぶことを諭す可し。又府主教(ミトロポリト)は彼の主教が疎忽を以てせず、熟慮を以て聖規則聖福音書聖使徒の書并びに其の他凡ての聖書を誦読するや否能く神の誡命に循て行ひ其の委任せられたる人民を教誨するの熱心を有するや否を精密に験査せざる可らず。蓋し我等の神位の本義は大ディオニシイの云ひし如く神より授かりたるの言即ち聖書を真実に識得するに在り。若し心志確定せずして此の如く行ひ此の如く教誨するの熱心を有せざる者は之を按手す可らず蓋し神は預言して曰く爾知識を棄つるを以て我亦将に爾を棄て爾をして我が祭司たらしめず(何西オシヤ四章六節)

第三條 凡そ世俗の有司の執行する主教或は司祭或は輔祭の選挙は規則(使徒規則三十條)に循ひて無効たる可し其規則に曰く世俗の官長を利用して教会に書教の権を得たる主教は除黜せられ且親與を絶たる可し凡そ之と交通する者も亦然りと蓋しニケヤに集会したる諸聖父の規則(第四條)に定められたる如く主教に登崇せらるる者は諸主教に由りて選立せられざる可らず其の規則に曰く主教は其の州中の悉くの主教にて立つるを最も適当なりとす若し已むを得ざるの事故に由り或は道路の遠隔なるに由りて之を行ふに不便なる時は少なくとも三主教一所に集会し不参の者も此の選挙に干與し書を以て同意を表し而して後按手を行ふ可し各州に於て此の如き事を認定するは其の府主教(ミトロポリト)に属す。

第四條 真理の伝道ものたる神の使徒大パウェルはエフェスの長老等及び彼等に由りて凡そ神品の者に規則を與ふるものの如く侃々として謂て曰く人の金銀衣服は我未だ曾て之れを貪らず我凡事に於て爾曹に示すに是の如く勤労して柔弱者を扶持し且人に與ふる者は人より受くる者に較ふれば更に福たることを憶ふ可きを以てせりと(行實二十章三十三,三十五節)是故に我等も彼に学んで主教は決して卑陋なる利慾よりして無実の罪を口実と為して其部下の主教或は教衆或は修士より金銀若くは其の他のものを要求することを図る可らずと議定す蓋し使徒曰く不義の人は神の國を嗣ぐを得ず(哥林多前書六章九節)又曰く子は親の為に財を積まず親は子の為に積むべき者なりと(哥林多前書十二章十四節)故に若し金銀若くは其の他の者を獲んが為め及び其の他己の慾念に由りて其の教衆に聖務を行ふを禁止して之が親與を絶ち或は尊貴なる聖堂を閉鎖して之に神の聖務を行はしめざる者ありて認めらるる時は此の如き者は無感覚に向ひて狂暴なる事を行ひたるに由り實に自ら無情者たるを以て神の誡命及び使徒の規律を犯したる者として之を其の自ら他人を處したるの罰に服し其の暴を以て其の頂に帰せざる可らず(聖詠七ノ十四)蓋し最高の使徒ペートル亦誡めて曰く宜しく神の群の爾曹の中に在る者を牧し且之を監督すべし強に由るに非ず乃ち願に由り且神に由る汚利に由るに非ず乃ち楽に由る神の業に主と為らずして乃ち群の式と為れ。而して牧長顕著する時不敞の栄冠を得可し(彼得前書五章ニ,三,四節)

第五條 罪を犯して悔改せざるは死を致すの罪なり。貨財を以て神に順従するよりも重しと為し其成律定規を守らずして漫に敬虔及び真理に敵する者は其罪更に大なり此の如き者若し自ら謙遜して其罪を悛改せざる時は主神其心に在らず。彼等須く神に就き宜く痛心を以て其罪の赦免せられんことを請ふべく不義の献金を為して誇稱す可らず。蓋し主は心の傷める者に近し(聖詠三十三ノ十九)故に若し献金を以て教会の位に立てられこの神の旨に背き神品に違ふの悪例を恃んで耻る色なく徳行を以て聖神に選ばれ献金を以てらずして挙げられたる者を罵詈凌蔑する者あらば先づ之を其の最下の位に貶黜し而して若し尚ほ執拗して聴かざる時は懲罰を以て悛改せしむ可し。若し按手の時之を行ひたること露顕せば使徒の規則に循ひて之を處分す可し其規則(二十九條)に曰く主教或は司祭或は輔祭にして金銀を以て其位を得たる者は其者並に之を立てたる者共に除黜せられ且全く親與を絶たる可し猶ほ巫祝シモンは我ペートルにて絶たれたる如しと又ハルキドンに集会せし我等の克肖なる諸父の規則第二條に循ふ可し其規則に曰く若し主教金銀の為に按手ほ行ひ不可賣の恩寵を化して賣物と為し金銀の為に主教或は「ホレエピスコプ」或は司祭或は輔祭或は其の他凡そ教衆に属する者を立て又は金銀の為に主計(エコノム)或は「エクディク」或は「パラモナリイ」或は凡て嫌悪すべき利慾の為に人を教会の職に登庸し而して此事を行ひたるを罪せられたるときは自己の職位を褫奪せらる可く又彼等に立てられたる者は決して其の買ひ得たる所の按手若くは登庸を利用すべからず即ち金銀を以て得たる所の位若くは職を褫奪せらる可し。又斯く可悪且不法なるの利慾に媒介する者あるに於ては其者若し教衆なれば其位を除黜せらる可し俗人若くは修士なれば教会の親與を絶たる可し。

第六條 各州に於て一年に二回主教の公会を為して規定に関するの調査を為す可しと云ふの規則あり而して第六公会の克肖諸父は集会者の困難と旅行の為に要するものの乏しきを慮り毎年一次決して逃避推諉することなく公会を為して犯則の事を修正す可きを定めたるに由り我等も此規則を再興し且有司にして之を妨ぐる者あれば其の親與を絶つ可し。若し府主教たる者巳むを得ざるの事故若くは強迫の事有るに非ず及び其他正當の理由有るに非ずして之を執行するを怠る時は規則に循ひ之を懲罰に處す可し。若し規定或は福音の事に付きて公会を為したる時は集会せし主教等は宜しく力を盡して聖にして生活を施す神の誡命を守ることを慮らざる可らず。蓋し之を守る者は大なる寶(たまもの)を得ん(聖詠十八ノ十二)誡命は乃ち燈其法は乃ち光り訓譴は乃ち生命の途なり(箴言六章二十三節)主の誡は明かにして目を明にす(詩篇十八ノ九)又府主教は主教の携ひ来りたる家畜若くは其他の物を要求するを許さず若し此の如き事を為して罪せられたる者は之を四倍にして償還す可し。

第七條 神の使徒バウェル曰く或人の罪は先に著はれ或人の罪は後に従ふと(提摩太前書五章二十四節)蓋し先きに著はれたるの罪に他の罪も従ふものなり。ハリストス教を讒謗する者の不虔の異端に従ひて亦他の不虔の事生ぜり。蓋し彼等聖堂より聖像を除去すると共に亦他の或る慣例をも廃棄したるに由り此に之を再興し成文不成文の法規に従て遵守せざる可らず。故に致命者の不朽体なくして成聖せられたるの聖堂は常例の祈祷を以て之に不朽体を置く可きことと定む。若し以後聖不朽体なくして聖堂を聖にするの主教あれば教会の傳を破りたる者として除黜せらる可し。

第八條 エウレイ教派の者にしてハリストス我等の神を凌辱せんと欲し佯りて「ハリスティアニン」と為り陰に之を斥ぞけ竊に「スポタ」を守り其他イウデヤ教の諸禮を遵行する者あるに由り議定すること左の如し彼等をば親與にも祈祷にも聖堂にも受く可らず乃ち彼等は其の宗派に従て顕然エウレイ人たる可し而して彼等の子にも領洗せしむ可らず又彼等に僕を買ひ若くは之を求むるを許す可らず。若し彼等の中より誠実の信を以て帰正し顕然其のエウレイ教の慣習及び所業を棄てて誠心に聖教を奉じ之を以て他人をも譴責して悛改せしめんと欲する者あらば之を受け其子にも洗を施し之をして全くヱウレイ人の妄説を擯斥するの心を堅ふせしむ可し。此の如き者にあらざれば決して受く可らず。

第九條 尊貴なる聖像に對して著述せし児戯的の風説謔言邪書等は悉く之をコンスタンティノポリの主教館に納め他の異端書と共に蔵置せざる可らず。若し此等の書を秘蔵して認められたる者主教或は司祭或は輔祭なれば其位を除黜せらる可し俗人或は修士は教会の親與を絶たる可し。

第十條 教衆の者規則に制定せられたる規律に違背し己の管区を去りて他の管区に転じ就中此の神に救護せらるる王城に来りて世俗の有司の家に住居し其の祈祷室に於て聖務を行ふ者あるに由り其本主教とコンスタンティノポリの主教の許可なくんば如何なる家若くは聖堂にも之を受くるを許さず。若し此事を行ひ執拗して聴かざる者は除黜せらる可し。而して前に云ふ所の聖治理者の許諾を得て之を行ふ者は神聖なる規則を以て行ふことを禁ぜられたる如く世俗の業務を担任す可らず。若し貴紳と稱する者の家に在りて俗務を執る者あれば或は之を中止す可し或は除黜せらる可し。寧ろ往て幼童家児に教授し之に聖書を講説す可し蓋し之が為に聖職を得たればなり。

第十一條 我等凡そ聖規則を格守するを勉め各教会に主計(エコノム)を立つ可きを命ずるの規則をも変更せずしてセ全然守らざる可らず。府主教若し各々己の教会に主計(エコノム)を立つれば善し若し立てざればコンスタンティノポリ主教は己の権を以て其教会に主計(エコノム)を任定するの権有る可し。若し府主教に従属するの主教等も己の教会に主計(エコノム)を立つるを欲せざる時は府主教にも亦之を立つるの権有り。修道院に對しても同じく此事を格守す可し。

第十二條 若し主教或は修道院長(イグーメン)たる者主教館若くは修道院に属するの地を官長の手に売却し或は其他他人に譲與せしこと露顕する時は聖使徒の規則に循て其の譲與は無効たる可し主教は神に監視せらるる者として教会の諸物品を慮り之を管理す可し然れども主教は其中一物たりとも己の私有と為し若くは神に属する者を以て己の親戚に與ふるを許さず若し其中貧者あらば貧者として之に施す可し但し之を辞としして教会に属する者を販売す可からず(使徒規則三十八條)仮令其地は損毛を来たし毫も利益を生ぜざるの口實ありとするも地を其處の官長に譲與せずして教衆若くは農夫に譲與す可し。若し狡猾の手段を用ひ官長は教衆若くは農夫より其の地を転売することあるも其売却は無効の者と為し主教館若くは修道院に其賣物を返還す可し而して此の如く行ふの主教或は修院長は放逐せらる可し即ち彼等は妄りに己の積まざるものを散ずる者として主教は主教館より修院長は修道院より放逐せらる可し。

第十三條 我等の罪に由りて教会に生じたる災難に由り或る聖堂主教館及び修道院等人の掠奪する所となりて俗家と為りたる者有り若し之が領有者之を還附して舊の如く恢復せんと欲すれば善且つ良なり若し然らざれば父及び子及び聖神に罪せられたる者として神品の者なれば之を除黜し修士若くは俗人なれば其の親與を絶ちて蟲死せず火滅せざるの所に入れらる可し(馬可旧称四十四節)蓋し彼等は我が父の家を以て貿易の家と為す勿れ(約翰二章十六節)と云へる主の言に抗する者なればなり。

第十四條 神品に規順の欠く可らざるるは人の皆明に知る所にして精密に神品職に関する登庸のことを遵守するは神の悦ぶ所なり。然るに幼少の時に只教役者たる剪髪式を受けたるのみにして未だ主教の按手を受けざる者按手を受けずして聖堂の集会に出でて升壇に立て誦経する者あり此の事規則に反するを以て以後之を為す可らざるを命ず。此事修士等にも同じく遵守せしむ可し。各修院長(イグーメン)は己の修道院に於てのみ誦経者の按手を行ふを許す但し其修院長(イグーメン)は素より司祭たる者にして主教の按手に由りて修院長の職を受けたる者なる可し亦「ホレエピスコプ」も舊慣に由り主教の允許を得て誦経者を立つるを得可し。

第十五條 以後教衆は二教会に任定せらる可らず蓋し是事たる商業及び卑陋なる私慾に相當して教会の風習に反する者なり蓋し我等は人二主に事ふる能はず或は此れを悪みて彼を愛し或は此れに親しみて彼を疎むべければなり(馬太六章二十四節)と云へる言を聞きたり。故に各人使徒の言に循ひ其の召されたる所の分に止まりて(哥林多前書七章二十節)一教会に在る可し。蓋し凡そ卑陋なる利慾の為に教会の事に従事するときは神の遠ざくる所と為るなり。過活の資を求むるには種々の業あり之を欲する者は自ら其肉體の為に要する物を求む可し蓋し使徒曰く此手曾て我及び我と偕にせし者の需めに供せりと(行實二十章三十四節)而して此の事は此の神に救護せらるる王城に於て遵守し他の地方に於ては人員の不足なるを以て免除す可し。

第十六條 凡ての華美及び身體の装飾は神品の職位身分に反する者なり。故に錦衣美服を以て己の體を装飾するの主教或は教衆は宜く改む可し。若し聴かざる時は之を懲罰に服す可し香油を用ゆる者も亦然り。苦根滋々長じて(希伯来十二章十五節)「ハリスティアニン」を讒謗する者の異端は公教会の汚点となり之に従ふ者は聖像を嫌厭するのみならず端正敬虔の生活を為す者を嫌忌して悉く敬虔の事を排斥し敬虔は罪人の嫌悪する所なり(シラフ一章二十五節)と云ふの言彼等に應験せしに依り素衣を服する者を嘲笑する者あらば懲罰を以て悔改せしむ可し。何となれば凡そ聖人なる者は古来華美ならざる素衣を服するを以て満足せり蓋し大ワシリイの云ふが如く凡そ需要の為にあらずして装飾の為に用ゆる者は皆虚飾の罪に属するなり。又絹布の錦衣を用ひ及び衣裾に異色の縁を附くることを為さざりき蓋し美服を衣る者は王宮に在り(馬太十一章八節)と云へる神の言を聞きたればなり。

第十七條 修士たる者にして首長たらんと欲し順従することを厭ふて己の修道院を去り竣工の資なくして祈祷室を建ることを企るものあり。若し敢て之を行ふ者あらば該地の主教之を止む可し。若し竣工の資を有すれば其の既に企てたる事を終らしむ可し。此事俗人及び教衆に對して亦同く遵守す可し。

第十八條 神の使徒は外人にも礙を施す勿れと云ふ(哥林多前書十章三十二節)然るに主教館若くは修道院に婦女を居くは諸の誘惑の原因と為るなり。故に主教館若くは修道院に婢或は自主の婦女を置き之に業務を托する者ありて認めらるれば之を懲罰に服す可し執拗して聴かざる時は除黜せらる可し。若し婦女偶々郊外の家に有りて主教或は修院長其處に行かんと欲する時は主教或は修院長の居る前に當りて婦女は決して何等の務をも為す可らず乃ち主教或は修院長の去るに至るまで自ら他處に避けて誹謗を生ぜさるを致す可し。

第十九條 教会率先者中に貪利の悪風行はれ敬虔と稱せらるるの男女にして主の誡命を忘れ心迷ふて金銀の為に神品の位若くは修道の業に入らんとする者を受くるあり。大ワシリイの言ふが如く凡そ初め潔からざる者は皆邪なり蓋し人は神と貨財に事ふること能はざるなり。故に之を行ふ者ありて認められたる時若し主教或は修院長或は其の他神品職に在る者なればハルキドン聖公会の規則第二條に循ひ或は禁止す可し或は除黜せらる可し若し女修院長(イグーメニヤ)なれば其修道院より除逐せられ他の修道院に入りて順従を守る可し司祭の按手を受けざる修院長(イグーメン)も亦之に同じ。又父母が聘物の如くにして其子に與ふる物或は自己所有の物を献納する時献納者自ら神に献ずるものなりと明言する時は我等其約の如く之を献納せし者の修道院に居り若くは去るに拘はらず之を去らしめたる源由は院長にあるに非ざれば其約に循て之を留め置く可きことと議定せり。

第二十條 以後二様の修道院を造る可らずと議定す何となれば是れ多人の誘惑躓礙と為るを以てなり。若し親戚の者と共に世を避けて修道の業に従はんと欲する時は男は男修院に往き女は女修院に入る可し蓋し是れ神の悦ぶ所なり。現在尚ほ存する所の二様の修道院は我等の聖父ワシリイが制定したる規則及び誡命に循て管理す可し即ち一私有道院に修士と修道女同住す可らず何となれば同居同住は姦淫の媒介と為るべければなり。修士は修道女と若くは修道女は修士と獨處に於て猥りに談話す可らず。修士は女修院に宿泊す可らず并びに修道女は修士と共に獨處に於て飲食す可らず。若し生活の為に必要なる物を男修院より修道女に送る時は女修院長は数人の老修女と共に其の門外に出でて之を領収す可し。若し修士其の親戚の女を見んと欲せば女修院長の居る所に於て多言を用ひず簡短に之れと談話し宜しく速に去るべし。

第二十一條 修士或は修道女は己の修道院を去りて他に転ず可らず。若し之れある時は之を遇待せざる可らずと雖も其の院長の意に由らずんば之を受く可らず。

第二十二條 凡その物神に献じ己の意の如く使役すべからざるは大事なり。蓋し神の使徒曰く爾曹或は食ひ或は飲み悉く宜しく神の栄の為めにして之を行ふ可しと(哥林多前書十章三十一節)又ハリストス我等の神は其の福音に諸罪の根原を絶つ可きを命ぜり。蓋し彼は只姦淫を罰するのみならず其の言に由るに邪淫に傾きたる意念の発動をも罪せり曰く凡そ婦を見て慾を懐く者は則ち中心既に之と淫せり(馬太五章二十八節)故に我等之を学び意念を潔ふせざる可らず。蓋し使徒の言教誨するが如く凡その物不可なる無しと雖も亦凡その物益有るに非ず(哥林多前書十章二十三節)凡そ人は生活するが為めには必ず食せざる可らず妻子と共に住するの俗人は男女倶に食するも非議す可きことに非ず唯宜く食物を賜ふ者を感謝して猥褻の談話を為し或は「サタナ」の歌を謳ひ簫を吹き淫聲を発して食す可らず蓋し左の預言者の譴責之に應ず曰く禍なる哉琴を以て簫を似て酒を飲み主の功を顧みず其手の作る所を思はざる者や(以賽亜五章中十二節)若し「ハリスティアニン」にして此の如き事を行ふ者あらば宜しく改む可し而して若し改めざる時は曾て制定せられたる規則に従て之を処分す可し又主神に修道の軛を負ふの契約を立てて静寂一様の生活を為す者は宜しく獨座沈黙すべし(耶利米哀歌三章二十八節)又神品の職を択びたる者の獨處に於て婦女と共に食する事も亦全く嘉すべき事に非ず唯神を畏るる敬虔なる男女と共にし殊に其の筵会を心霊の裨益と為すが為めにする時は格別なりとす親族の者に関しても同く之を遵守す可し。若し修士或は神品の者旅行の際要用のものを有せず、已むを得ずして旅舎若くは他の人家に休憩せんと欲する時は不得已に出るを以て之を行ふを許す。


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