『誰でも知っておきたい正教会の諸習慣と常識』


    ≪ 恩 恵 ≫   
(問) 私たちが神の恩恵(恩寵)をうけるにはどんな方
   法がありますか。
(答) 私たちは神の恩寵を二つの特殊な方法でうけます。
    1.聖機密
   2.教会の祈祷



    ≪ 聖 機 密 ≫
(問) 聖機密とは何ですか。
(答) 聖機密とは聖神の見える形と見えない形の賜こお
  いて人々に分与される方法です。それらの事を機密(
  秘蹟,礼典)と呼びます。というのは祈りを通して聖
  神の神秘な神聖なはかりきれない力の形のもとに見ら
  れるのです。

(問) 聖機密を行うのは誰ですか。
(答) すべての機密は直接こあるいは間接に私たちの主
  なる基督彼自身に依つて行われておりました。私たち
  は聖堂め中に、つまり聖使徒の教えや書き物の中に、
  あるいは聖伝(聖伝承)の中に見る事がでさます。

(問) 機密はどのように分れておりますか。
(答) すべての機密は二つの部分から成つております。
     1.見える部分‥‥形式につかわれるところの祈
      り,器物,儀式。
     2.見えない部分‥‥機密をうける人の上に降る
      特別の恩寵。

(問) 機密の特徴は何ですか。
(答) すべての機密は次のような特徴をもつております。
     1.それらは主教達や司祭達を通して教会に依っ
      てのみ行われるものです。
     2.見える事物が使われる事。例えば(洗礼の水
      傅膏機密の油など)。
     3. 言葉や祈りや儀式の一定した形式がある事。
4. 洗礼は教会に入る手段(方法)である以上,
  他のすへての聖機密は洗礼をうけた基督者だ
  けになされるべきものです。

(間) 聖機密にはどんなものがありますか。
(答) 七つの聖機密があります。
     1.洗礼
     2.傅膏
     3.痛悔
     4.聖体
     5.神品
     6.婚配
     7. 聖傅 


    ≪ 洗 礼 機 密 ≫
    最初の機密は洗礼です。洗礼を通して一人の基督
  者になります。つまり正教会の会員の一人になるので
  す。洗礼機密は次のような聖書の中で、基督が次のよ
  うに命ぜられている事こ依つて行われます。”爾等往
  きて萬民に教を伝えて,彼等に父と子と聖神との名に
  因りて洗を授け”(マトフェイ28の19)。

(問) どのようにして洗礼は行われますか。
(答) 洗礼は三度水に沈む事と主教あるいは司祭が次の
  ような言葉をとなえる事に依つて行われます。”神の
  僕(某)は洗を領く父及子及聖神の名に因るアミン”

(問) 洗礼の効果はどの上うなものですか.
(答) 洗礼を通して,一人の人は原罪を許され、潔めら
  れ、あるいほその時までおかした他の罪をも許され、
  潔められます。洗礼をうけた人(受託者)は精神生活
  に再び生まれかわつたのです。

(間) 洗礼機密は誰が行う事ができますか。
(答) 主教あるいは司祭のみが洗礼の機密を行う権限が
  あります。もしも主教や司祭がいなくて、ある人が死
  の危険にさらされている時、男女の別なく機密の最初
  の部分、つまり三回きれいな水の中で人を浸水(潅水)
  をし、”神の僕(某)は洗を領く父及子及聖神の名に
  因るアミン”′ととなえて機密を行う事ができます。
  もしも人がこのような緊急によつて、洗礼をうけたい
  時、神父(あるいは主教)は摂行洗礼を行います。こ
  の摂行洗礼は死に瀕した人のみにだけ行われます。そ
  れはその人が原罪を潔められないで死ぬ事のないため
  です。
  
(問) 誰が洗礼を受けなければなりませんか。
(答) すべての人が洗礼を必要とします。というのはど
  んな人でも原罪を背負つて生まれてくるからです。人
  々は洗礼だけを通してこの原罪を潔める事ができます
  機密を受けなかつた大人達、生後間もない乳子は洗礼
  を受けなけれはなりません。

(問) 人はどの上うな状態において洗礼機密を受けなけ
  れはなりませんか。
(答) 洗礼を受ける人がもしも悪事から正しい事を区別
  できる年令ならは、彼のおかした罪を悔いて基督と彼
  の教えを信じなければなりません。

(問) なぜ幼児が洗礼を受けるのですか。
    幼児は原罪をもつて生まれ、そして聖神の祝福なし
  しで死の危険にさらされないために洗礼を受けます。
  彼等は自作罪がないので痛侮の必要がありません。基
  督の信仰に従つて、幼児は彼等の両親と代父母の信仰
  の上に洗礼を受けるのです。

(間) 代父母とは何の事ですか。
(答) 代父母とは洗礼に保護者となる成人の正教徒達で
  す。もしもある幼児が洗礼を受けれは、代父母はその
  子供の代りに信経を読む事こよつて信仰の告白をしま
  す。代父母は保護者となつてあげる者達の精神的両親
  です。この理由に依つて本当の両親達は自分の子供達
  の代父母こなる事ができません。代父母は神の前に告
  白し、受洗者が正教徒の信仰に生きる事を保証します。
  このために正教会以外の他の宗教の人(あるいは他の
  教派の人)を代父母にする事はできません。
  教会は次のような条件をそなえた人々に代父母になつ
  てくれるように望んでおります。
    1.代父母になる十分な年令は,代父は普通15オ
      以上、代母は13オ以上でなけれはなりません。
    2.正教の良き信者である事。正教会の教えの知
      識をもつている事。基督者として立派に生活
      している事。
    3.精神的両親の義務をもつて行ける事ができる
      事。それ故に修道士、修道女など修道院に住
      む者、外国に住む人もあるいは牢獄こある者
      は代父母になる事ができません。
  教会は一人の代父、あるいほ代母、又は結婚した者を
  代父母とする事を望んでおります。もしも一人の代父
  (母)の時は、彼あるいは彼女が洗礼を受ける者と同
  じ性の者でなけれはなりません。
  
 
(間) いつ子供達は洗礼を受けなけれはなりませんか。
(答) 幼児の洗礼には定まつた時期がありません。それ
  にもかかわらず、教会はもしも幼児が病弱であつた時
  洗礼は生後のすぐ後に行わなければならない事を義務
  ずけております。もしも乳児が健康であった時は,一
  番良い時として生後八日目こすすめております。もし
  もある理由によつて洗礼がこの時期内に行われない時
  は、後ほどにのはしても良いが、教会は数ケ月、ある
  いは数年の間洗礼をさずけないでおく事を禁止してお
  ります。というのは、幼児の救いが危放にさらされた
  り、神の恩寵の祝福を彼から遠ざけないためです。
    洗礼の日と時間には教会として定まつた規則はあ
  りません。日本では聖体礼儀が行われる前こ洗礼がさ
  ずけられます。しかし、いついかなる時に行なつても
  かまいません。

(問) 洗礼はどこで行われるべきですか。
(答) 病気あるいは緊急の場合以外は教会でなされるべ
  きです。教会において祈祷は教会の入口あるいは洗礼
  室で行われ、教会の真中や宝座の前で行われるべきで
  はありません。というのは洗礼を受ける人はまだ正教
  徒でないからです。

(問) 洗礼は繰り返す事ができますか。
(答) いいえ、でさません。機密は一度だけしか行われ
  ません。というのは、それは一つの主、一つの信仰、
  一つの洗礼という事からです。この精神的再生は自然
  の誕生のようにたった一度だけ行われるのです。もし
  も正教会で洗礼を受けないで他の教会で洗礼を受けた
  人は、司祭はもしもその人が以前に聖三者の名によつ
  て洗礼を受けていたかどうかを調べてその上で洗礼を
  考えます。もしもその人が以前に有効な洗礼を受けて
  いたならば、改宗の祈祷をし、もしもそうでないなら
  ば、新たに洗礼を受けなければなりません。
 
(問) 洗礼の特徴は何ですか。
(答) 洗礼の祈祷はその光栄ある全機密の重要なものと
  して明らかに定められております。最初に悪魔の放棄
  が行われ、引き続いて基督との配合が行われます。こ
  の後に、水の成聖(祝福)が行われ、司祭は神に彼が
  この機密を行うに価値あるものとなる事を祈ります。
  水は基督の時から用いられております。”誠に爾に語
  ぐ、人若し水及び神より生れずば,神の国に入るを得
  ず”(イオアン 3の5)。世界は水によつてすべてを
  洗い去つた洪水のように水に依って潔められるのです。
  水の祝福の後に、人は前顔、胸、両手,雨足,雨耳な
  どに聖油をつけます。この傅膏(聖油をづける事)は
  私たちに旧約聖書の傅膏を思わせ、基督の体が葬りの
  前に香ばしき油をつけられた事を思いおこします。こ
  の祈祷の最も重要な部分は、洗礼を受ける人の三度の
  浸水と聖三者の名をとなえる事です。三度の浸水は、
  私たちの信仰の基礎が聖三者にある事を象り、またあ
  るいは墓の中に三日間基督が横たわつていた事を思わ
  せます。水から上る事は、主基督の復活を意味します。
  この理由によつて正教会は三度の浸水をする事を放棄
  できません。灌水に依る洗礼は病者あるいは十分に水
  がない所の大人あるいは他の事情こ依る者にだけ行わ
  れます。正しい形はすべての人が三度の浸水式に依つ
  て洗礼を受ける事です。


    ≪ 傅 膏 機 密 ≫
    聖膏(聖油)に依る傅膏は洗礼を受けた基督者が
  聖神の賜を自らの精神生活に役立たせるために受ける
  ところの機密です。

(間) いつ傅膏機密は行われますか。
(答) 聖膏こよる傅膏は洗礼の後、直に行われます。つ
  まり司祭が定められた祈祷文を誦して心の祝福のため
  に前額や目や鼻やロや耳などの五感こ祝福し、油をつ
  けるのです。また心の祝福のために胸や良き仕事をす
  るためにその出入を祝福するために手や足に油をつけ
  ます。油をつける度に司祭は”聖神の恩賜の徴”とと
  なえます。傅膏機密は常に洗礼と一掛こ行われます。
  それ故に多くの人は新しく洗礼を受けた人が同時に二
  つの機密を受けている事に気がつきません。

(間) 傅膏機密の源は何ですか。
(答) 傅膏機密は聖使徒連が新しく洗礼を受けた者の上
  に手をのせて彼らに新しい基督者の信仰が豊なる事を
  祝福した事から始まつております。後に、新しく洗礼
  を受ける者が増えて、聖使徒達の後継者である主教が
  それぞれの者に達する事ができなくなつてきたので、
  按手礼が傅膏に依つて代えられる事となつたのです。
  福音記者聖イオアンは”爾等は聖なる者より傅膏せら
  れて,知らざる所なし””且爾等が彼より受けし所の
  傅膏は爾等に居るなり”(イオアン第一公書 2の20
  〜27)。

(間) 停育とは何ですか。
(答) 司祭は傅膏機密を主教の代表者として行ないます。
  そうなので主教は聖膏を司祭に与える人です。聖膏(
  聖油)というのはオリーブ油を沢山の芳香のある植物
  とまぜたもので,受難週間の最初の三日間の間に特別
  な祈祷をもつて作られるものです。多くの種類の香ば
  しい植物は、主教に依つて聖膏をつける準備をなし、
  聖神を受ける新しい受洗者への賜物として特徴あるも
  のです。聖膏が準備され祝福された後に、主教はそれ
  を各司祭にくばります。司祭は聖膏を祝福できません。
  ただ、主教の居る教会法的に正しい司祭だけが傅膏機
  密を行う事ができます。それ故、正教全の教会法に依
  ると、どの主教管区にも属しないいわゆる独立した司
  祭はこの機密を行う権がありません(独立した司祭と
  は今日の世界情勢に依りどの教区にも属さない司祭で
  す。例えは,ロシア革命や第二次世界大戦のために世
  界中に散つた司祭はどこの主教管区にも属さないでお
  る者がいます)。

(問) 聖膏が信者達につけられるのは諸祭日においてで
  すか。
(答) いいえ、違います。聖膏は聖傅機密執行のため、
  あるいは主教に依つてアンチミンス(代案)を祝福す
  るため、あるいは新しい教会の成聖式(新築)の祈祷
  の時だけに使われます。聖膏が諸祭日に信者に司祭達
  に依つてぬられるという考えは間違つております。こ
  れらの場合には、信者は祝福された単なる一時的の聖
  油をぬられるのです(その祭日のために特別祝福され
  た油の事で聖膏ではありません)。大低は、これらの
  事が祭日あるいは聖人の聖像のランパートカ(聖像の
  前にある火をともしている小さな器の油は植物牲であ
  り、その油は祭日やあるいは特定な日にぬられる油と
  して使用される事を言う)からとつて使われます。ま
  た、各日曜目に信者達にぬられるという考えも間違つ
  ております。正教会の習慣によれば、この油をぬる事
  は、この油を信者の額にぬる事は大低聖人の日や教会
  の成聖式や主教の訪問をうけた時や主の諸祭日などに
  行われます。もしもそれが更に度々行われるというな
  らは、その意味を失う事になるでしよう。

(問) 傅膏機密の特徴は何でしようか。
(答) 子供(幼児)あるいは人が洗礼を受けた後、傅膏
  機密はすぐ後に続いて行われます。定まつた祈りがと
  なえられた後、司祭は新しく洗礼を受けた人と代父母
  と共に洗礼盤と聖福音経が置かれている机の囲りを次
  のような讃歌を歌いながら環ります。”基督に於て洗
  を領けし者ほ基督を衣たり、アリルイヤ”。洗礼盤を
  環る事は新しい信者がその教会の中に受け入れられた
  という教会の喜びを意味します。司祭が聖膏をぬつた
  体の部分をスポンジで拭い落した後で,使徒経と福音
  経が読まれます。初代の教会に於ては初代の基督者の
  多くが大人であつたので、この拭い落しは後の日にな
  つて行われました。それというのは、ぬられた聖膏が
  汚れ得る事がないように守る事がでさたからです。続
  いて他の祈りが誦された後に、新しく洗礼を受けた人
  の頭髪を切ります。その祈りは”神の僕(婢)剪髪せ
  らる、父と子と聖神の名に因りてなり、今も何時も世
  々に、アミン”この頭髪を切る事は、新しく洗礼を受
  けた人の神の命令への服従を意味します。祈祷の後に
  は、新しく洗礼を受けた人は御聖体をうけ正教会の真
  実の会員として充実するのです。

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