ハリストス生まる!          名古屋教会2002年降誕祭
          崇めほめよ!

 ハリストスの誕生は、今日でこそ教会は壮麗に祝い、イルミネーションで輝く街は人々の群れとクリスマスの歌声であふれますが、実際はひっそり人々の目から隠されていました。夜空が一瞬きらめき渡り天使たちの歌声にさざめいたのに気づいたのは、ほんの一握りの人たちでした。
 しかし真の「ユダヤの王」、救い主の誕生により自らの権力が脅かされることを恐れたヘロデ王は、怯える者の敏感さで主の誕生を察知しベツレヘムとその近傍の二歳以下の男子を皆殺しにしました。イイススとその家族はすんでの所でこれを逃れエジプトへ避難し、ヘロデ王の死後イスラエルに戻り、ガリラヤ地方のナザレという町で生活を始めました。
 その後イイススがどのように成長したか福音書は何も伝えません。ルカ伝に十二才の時の逸話があるだけです。私たちはいきなり、ヨルダン河畔で大群衆と共に前駆授洗イオアンの洗礼を待つ三十才の主に出会います。この空白は、その三十年に伝える価値の何ごともなかったことを意味するのでしょうか。せいぜい、主の宣教開始までの準備と成長の期間にすぎなかったということでしょうか。

 ところで皆さんは「毎日どんな風に過ごしていますか」とか「あなたの人生について教えてください」などといきなり聞かれたら、とっさにどう答えますか。
 「取り立てて何ごともありません」というのが大半の方のお答えではないでしょうか。心をハラハラドキドキさせる刺激的な出来事など滅多にありません。格別ドラマティックな半生でもありませんでした。毎日職場で手慣れてはいるけれど退屈な仕事を片づけ、主婦であれば洗濯、掃除、食事の支度に一日をあわただしく過ごし、子供たちは学校で毎日眠気と闘いながら出席をこなしていきます。

 イイススの空白の三十年も同じように「取り立てて何ごともない」三十年だったのでしょう。何か秘密めかしたことがあったわけではなく、ほんとうに何にも特筆すべきことが無かったからこそ、何も伝えられていないのです。しかし、これは、その三十年間に何の価値もなかったことを意味しません。偉大な人類救済のわざが着々と整えられていた偉大な時なのだ、という大げさなことでもありません。取り立てて何ごともない単調な日常を主が、何も記録が残らないほど徹底的に平凡にお過ごしになった、そのこと自体が大きな意味を持つのです。

 四世紀の聖師父、ナジアンザスのグリゴリイがこう言っています。「ハリストスに分かち合われないものは何もあがなわれない」。神が人となってこの世にお生まれになりました。その時、人は神との豊かな交わりへの道を再び歩み始めることができるようになりました。神が人の肉体をおとりになりました、すなわち神が人の肉体を分かち合って下さいました。その時、この私たちの肉体は、手を上げ、声を上げ、神をたたえ、互いに愛を差し出し合うための神が望んだ通りの肉体へと回復されました。ハリストス・神は十字架で肉体的な苦痛をしのび失望と孤独への煩悶の内に死なれました。すなわち人の苦痛、苦悩、そして死を分かち合って下さいました。その時、私たちの苦痛、苦悩、死は神に分かち合われた苦痛・苦悩・死へと変えられ、主の復活を今度は私たち自身が分かち合うようになるための「過ぎ越し」の道、生命の入り口となりました。

 …もうおわかりでしょう。空白の三十年間、ハリストスは「取り立てて何ごともない」私たちの日常をも分かちあって下さったのです。日常はその単調さの中で人が朽ちてゆく場ではなく、ハリストスの日常を分かち合い生命を輝かす場へと変えられました。業病に苦しみ死に直面する人たちの張りつめた時間だけではなく、また修道士や聖職者の特別な使命だけではなく、むしろこの私たちの単調な日常にこそ、神の生命と愛があふれ、恵みへの感謝と喜びが貫かれていなければなりません。だからこそ神は人となった時、王や司祭や学者ではなく小さな町のふつうの家庭のふつうの少年、そして平凡な親の平凡な仕事を当然のこととして継ぐ平凡な大工さんになりました。私たちの神への最高の献げものが一体何なのかを、日常をおとしめず、日常に耐え、与えられた職業を誠実にこつこつ果たしていくことによって示されたのです。

 復活された主は弟子たちに「ガリラヤへ行け、そこで私に会えるであろう」と命じました。ガリラヤのナザレで過ごした主の平凡な日常、そして私たちの日常、私たちのガリラヤ、そこにこそハリストスが私たちとどう関わるお方であるかを問う鍵があります。