名古屋正教会 青年会誌 大正10年〜昭和10年

ぱんだね


『ぱんだね』は大正から昭和初期にかけて名古屋正教会青年会(後にぱんだね社)から発行されていた月刊の同人誌である。

192110月、名古屋正教会の信徒で印刷所を経営していた半田鍵次郎の篤志によって、『酵(ぱんだね)』は創刊された。以後、1935年までの14年間、書名が『酵』から『ぱんだね』に、発行元も名古屋正教会青年会からぱんだね社に、副題も「宗教雑誌」、「修養雑誌」、「基督教雑誌」に、また発刊当初は無料であったが、1924年頃には第三郵便物許可を受けて、定価5銭(年間60銭)になるなどの変遷があった。購読者も名古屋から徐々に拡大して、大連や台北にまで至る全国の幅広い読者を獲得していた。

『ぱんだね』の内容は宗教講話、神学論考、聖師父の説教、キリスト教史を中心とするが、随筆やロシア文学の翻訳も掲載された。執筆者も当時の日本正教会を代表する論者がそろって投稿している。中でも後に上智大学のロシア語の教授となった高野槌蔵によるチェーホフの翻訳はかなり初期に属し、ロシア文学の受容史という観点からも興味深い。また関東大震災で日本正教会機関誌『正教時報』が一時、発行不可能になると、いち早く震災の惨状を伝えるなど日本正教会を代表する雑誌となった。

19358月、編纂者であり、事実上の主筆であった小寺徳神父が名古屋から転任するにあたり、『ぱんだね』は突然、廃刊となる。

『ぱんだね』は正教信徒による地方の同人誌であるが、キリスト教史、ロシア文学、出版史などさまざまな観点から見て、きわめて貴重な記録となっている。(輔祭グレゴリイ伊藤記)


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