クロンシュタットの聖イオアン

     レウシンスキー修道院

レウシンスキー修道院ポドヴォリエ
Храм св. Ап. и Ев. Иоанна Богослова
Леушинское Подворие
(ペテルブルグのモスクワ駅近く)

191014,
Санкт Петербург, ул. Некрасова 31
(812)273-96-19
主任司祭:長司祭ゲンナディ神父
http://www.leushino.ru/

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イオアン神父はいくつもの教会や修道院の設立に尽力したが、なかでも修道院長マートシュカ・タイシャ(写真)とともに1875年に創設したレウシンスキー女子修道院(ペテルブルグの南東300キロほどのシェクスナ川沿いにあった)は晩年のイオアン神父の霊的な子となり、サーロフの聖セラフィムにおけるディヴィーエヴォ修道院の役割をになった。イオアン神父は霊的師父として修道院を指導し、マートシュカ・タイシャはイオアン神父の活動を助けた。

1894年には同修道院のポドヴォリエ(出張所)をペテルブルグ市内に建てた。ここは神父お気に入りの場所となり、晩年の14年間に150回もの聖体礼儀を行った。神父はこの聖堂のアンボン上でロシア革命を予見し、「恐ろしいときが近づいた。悔い改めなさい」と人々に神への立ち帰りを説いた。

共産党政府によって1920年修道院は閉鎖され、1940年モスクワ・ペテルブルグ運河とダム建設のために水没させられてしまった(写真:水没した修道院の塔)。残ったポドヴォリエの建物も精神病院に転用されていたが、ペレストロイカ後三階部分の使徒福音記者聖イオアン聖堂が返還修復された。ここのクーポールの天蓋の至聖三者の壁画はクロンシュタットの聖イオアンが54年間奉職した聖アンドレイ聖堂のものを模写して描かれたものだが、閉鎖中も奇跡的に残り修復された。

主任司祭ゲンナディ神父(写真中央)は聖イオアンが愛したこの聖堂を誇りにし、積極的な伝道活動を行っている。さまざまな夜間コースも開かれ、誦経者や聖歌者養成のほかに聖堂用フラワーアレンジメントのコースもある。

聖歌はペテルブルグ音楽院でロシア古聖歌を学んだというアナスタシアとナタリアの二人の若いレゲントが指導し、ロシア古来の単旋律聖歌ズナメニイで歌われている。水曜夜の聖歌コースでは女性信徒たちがクリューキ(記号)を見ながら練習していた。息のあったユニゾンが美しい。