神は我等とともにす

降誕祭の晩堂大課の始まりに何度も歌われます。
「神は我等とともにす」神は私たちとともに居る、どういう意味があるのでしょうか。
 神はこの世界すべてをお造りになった方です。旧約聖書の時代には顔を合わせたら死んでしまうといわれていました。創られた私たちを遙かに超える方です。
 その神が、病と死、憎しみやねたみやわがままに囚われて苦しむ私たちを救うために「人」となりました。私たちと一緒に居て、苦しみや悲しみを分かち合って下さいます。やがて来る復活の喜びへ、手を取って引き上げて下さいます。

*   *   *

 救世主の到来は旧約聖書に預言されていました。
その一つイサイヤの預言書の一節が読まれます。
「神は我等とともにす」全文を歌った後、預言書の一句一句に続いて「神は我等とともにすればなり」と歌います。今預言は成就した、神は私たちとともにいると力強く答えます。

神は我等とともにす、
異邦人や、これを知りて従へよ、
神は我等とともにすればなり

地の果てまでもこれを聴け、
権力ある者よ、従へよ、
また勢いを張らば、また敗られん、
謀を設けば、主はこれをこぼたん、
ことばを出ださば、必ず成らざらん、
爾等の畏るる所は我等畏れず、驚かず、
主我が神を以て聖と為す、彼は我が畏れとならん、
我彼をョまば必ず我を聖にせん、
我彼を望み、彼によりて救を得ん、
視よ、我及び神が我に与へたる諸子はここに在り、
くらやみの中を行く民は大いなる光を見たり、

死のかげの地に居る者よ、光は爾等を照らさん、

けだし、おさなごは我等の爲に生れ、子は我等に賜はりたり、
権柄はその肩に在り、
その和平は終わりなし、
其の名は大なる議事の使者と称へらる、
神妙なる議士と称へらる、
大能の神、主宰、和平の君と称へらる、

来世の父と称へらる、

<イサイヤ(イザヤ)の預言書8:9〜9:7>

光栄は父と子と聖神に帰す、
今も何時も世々にアミン

神は我等とともにす、
異邦人や、これを知りて従へよ、
神は我等とともにすればなり

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