なごや「聖歌」だより 7 2002年 10月号

第3回 聖歌練習会 報告

「信経」 を学ぶ

講話: 司祭ゲオルギイ松島

9月16日(月・祝)、第3回聖歌練習会が開かれ、18名が参加して、信経を学びました。
日頃何気なく唱えている信経が、神への「告白」であること、そこには責任と大きな喜びが伴うことをまなび、実際にどう歌えばいいかを全員で考えました。
今月号は、特集として、練習会の内容をご紹介します。

信経の歴史

 毎回、私たちは12箇条のまとまった信仰告白として「信経」を唱えていますが、それはキリスト教会が生まれてから、使徒の時代、迫害の時代、異端との戦いの中で、自分たちの信ずるものを確認してきた結果、少しずつまとめられてきたものの集大成です。
 最終的には、西暦312年と381年ニケアとコンスタンティノープルで開かれた、全地公会(全ての教会の代表が集まって大切な教義など決めた会議)で私たちの今唱えている信経が定められました
 正教会はこのとき決められた信経を、いささかの改ざんも省略もせずに、唱え続けています。

聖体礼儀での位置づけ

 信経は、聖体礼儀の後半、「信者の礼儀」で、大聖入のあと行われます。
神を信ずるものどうしが、互いの愛を確かめ、その愛は、信仰によってハリストスに結びつけられた者、すなわち「新たなる神の民」の愛であることを、確認します。
 神品が複数いる場合、至聖所では、互いに、「ハリストス我らのうちにあり」「誠にあり、また永くあらんとす」と言い、互いに肩に接吻しあいます。今は至聖所だけですが、昔はすべての信徒が接吻し合いました。
 そして、祈りは「聖変化」へと向かいます。神との愛の交わりが回復され、教会として集う「新たなる神の民」の互いの愛が、聖神の働きを呼び求め、パンとぶどう酒(人のために神から贈られた贈り物)を「聖変化」させます。この世を神の国へと変えることのできる「愛の力」「愛の創造性」が証されています。
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他はすべて「我等」なのに、ここだけは「我信ず」と単数形です。信仰は誰にも肩代わりしてもらえません。洗礼の時と同じく、ひとりひとりが「我信ず」と神の前に告白し、それが集まって共働の祈りとなります。

信経 キーワード集 当日のレジュメから

四つの信ず+一つの認む+一つの望む

○至聖三者へ
+父

我信ず、一つの神、父・全能者、天と地見ゆると見えざる万物を造りし主を。

至聖三者の神への信仰を、父への告白から順に述べてゆく。

我信ず 聖体礼儀のなかで第一人称単数形「我」で祈られる箇所は「領聖祝文」以外ここだけ。誰も自分のかわりに信じてもらうことはできない。聖体礼儀は神の民の協同の祈りであるが、洗礼の時に告白された各人の「我信ず」がなければ、この祈りは、この共同性は成り立たない。「告白」の「重み」を改めて確かめる場である。

一つの神 唯一の神 そしてこの神は「父」、ハリストスの父、全能なる創造者。いっさいのうちに生きて働くお方。

天と地、見ゆると見えざる万物 物質的世界と霊的世界をふくむ一切。

+子

又信ず、一つの主イイススハリストス、神の独生の子、万世の前に父より生まれ、光よりの光、真の神よりの真の神、生まれし者にて造られしに非ず、父と一体にして万物彼に造られ、我等人々のため又我等の救いのために天より降り、聖神及び童貞女マリヤより身を取り人となり、我等のためにポンティ・ピラトの時十字架に釘うたれ苦しみを受け葬られ第三日に聖書に叶うて復活し、天に昇り父の右に坐し光栄を顕わして生ける者と死せし者とを審判するためにまた来り、その国終りなからんを

独生の子 ひとり子 万世の先に 永遠の先に、「いつから」ということではない。
父より生まれ 聖神は「父より出で」。
父と一体にして ハリストスも神の子として父と同じ「神」の本性を分かち合い一体である。アリウス派がハリストスは神によって創造された被造物であり、神ではないと主張したことへの正統派からの答え。
万物彼に創られ 父の「両手」として子と聖神が協同して世界を創造。
聖神及び… ルカ1:34〜
マリヤは御使に言った、「どうして、そんな事があり得ましょ うか。わたしにはまだ夫がありませんのに」。御使が答えて言 った、「聖神があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおお うでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神 の子と、となえられるでしょう。あなたの親族エリサベツも老 年ながら子を宿しています。不妊の女といわれていたのに、は や六か月になっています。神には、なんでもできないことはあ りません」。そこでマリヤが言った、「わたしは主のはしため です。お言葉どおりこの身に成りますように」。そして御使は 彼女から離れて行った。
聖書に叶うて 旧約聖書の預言通りに。イオナは大魚の腹の中に三日三晩飲み込まれて、後はき出された。ホセヤ書6:2でも「主は、ふつかの後、わたしたちを生かし、三日目にわたしたちを立たせられる。わたしたちはみ前で生きる」と主の復活を預言する。
天に昇り 復活の四〇日後の昇天
父の右に座し 父の権威のもとで
光栄を現して… 最後の審判
その国終わりなからんを 永遠の神の国

+聖神
又信ず、聖神、主、生命を施す者、父より出で、父及び子と共に拝まれ讃められ預言者を以てかつて言いしを。

聖神、主 主(神)である聖神。聖神を神とは認めない人たちへの聖神の神性の宣告
生命を施す者 生かすお方。
共に拝まれほめられ 共に礼拝されるということは、同じ神の本性を分かち合い一体であること。すなわち聖神は神であるということ。
預言者をもって 預言者の預言は聖神の働き

+教会
又信ず、一つの聖なる公けなる使徒の教会を、

唯一の、神がお立てになった、いつの時代いかなる地域においても同じ正しさを分かち合う、使徒たちから連綿とつながる、この「正教会」を…

+洗礼
認む、一つの洗礼以て罪の赦しを得るを。

「古き人」が洗礼によってその罪がきよめられ「新たな人」へと再生する。クリスチャンはこの再生された生命を生きる喜びと、感謝を聖体礼儀という「感謝」という名の礼拝で表す。

+復活
我望む、死者の復活並びに来世の生命を。アミン

我望む 
これまで告白されてきた信仰は希望によって強められ、希望によって喜び溢れたものとなる。

来世の生命 
これは「天国の生命」「彼岸の生命」「霊の世界」…ではなく、私たちが確かに体をもって復活し、永遠に集う、再臨のハリストスによってこの世が再創造されて実現する「神の国」。

アミン 
「しかり」「その通り」

実際に歌ってみる:

まず、誦経のような棒読みで何度も唱える。ことばのリズム、表している内容を味わって、聖堂を流れる息の流れを感じながら。すると、自然に声が一つになってきます。次に、ドとレだけのメロディで歌う。早口言葉になったり、音符に気をとられて「ちち−や−」のようにぞんざいにならないように気をつけて。それから三度上とバスのハーモニーをつけました。見違えるようにきれいな、ことばの聞こえる力強い信経になりました。