なごや「聖歌」だより 2  2002年4月号


聖歌の始まりは替え歌だった…

ユダヤ教を離れて、初代キリスト教徒が独立した集まりを持つようになると、新しい聖歌が歌われ始めます。最初は即興のようなものでした。また、当時は、説教も含めて、すべて「詩」の形で歌うように唱えられるのが常識だったそうです。

正教会では、祈りが「ムード」に走ることを戒めて、美しい音楽を取り入れることに否定的でしたが、異端の一派であるグノーシス派の人々が、自分たちの教えを歌にして流行させ、どんどん広めていました。それを憂いたシリアの聖エフレムは、「敵の武器である音楽を用いて、正しい教えを広めよう。」と敵方の作戦を逆手にとって、正教の教えを音楽にのせて、歌い広めたと伝えられています。

古い聖歌(4−5世紀)は、当時誰もが知っているメロディに正教の教えの歌詞のせた一種の替え歌でした。

今でも、聖体礼儀の第1アンティフォン、真福九端、1調トロパリなど同じメロディで歌詞を変えて、替え歌ふうになっているものがたくさんあります。



トロパリ(讃詞)

やがて、ユダヤ教から受け継いだ「聖詠」に付け加えられて、キリスト教独自の聖歌が作られるようになりました。今歌われている中で一番古いのが「トロパリ」という歌の形です。
r
そもそも、トロパリというのは、だいたい4−5行の短い詩の形です。晩課の「聖にして福たる」は最も古いものの一つで、4世紀頃と言われます。
r
トロパリは聖詠の間に挟み込まれて、繰り返して歌われました。今は、聖体礼儀では、前半部分の「小聖入」のあとで歌われ、晩課、早課、時課などでも歌われ(誦され)ます。トロパリはその日のテーマソングです。ですから、日曜日のトロパリは「復活」について、祭日はその祭日の特徴が手短に歌われます。生神女讃詞は神の母をとなったマリア様を讃える歌ですし、致命者讃詞は殉教した聖人を讃える歌です。 

マメ知識 「アヴェマリア」は生神女讃詞
西方教会のアヴェマリアは生神女讃詞の一つで、晩課の最後に歌われる「生神童貞女よ、慶べよ」にあたります。