なごや「聖歌」だより 11  2003年2月号


目で見る聖歌 
体で歌う「聖歌」です。お祈り全体が、音楽をこえた「音楽」です。

伏拝  大斎

 正教会は「動作」を大切にします。祈祷に「立つ」、十字を「描く」、ひざまづく、「伏拝する」など、色々あります。

 現代人は、「わかっているから、別にやらんでも。」とかく頭で考えがちですが、祈りのことばを唱えながら、実際に、聖堂で、腰をかがめ、頭を床につけてみると、何かが変わります。
 そこには今流行の「いやしの音楽」なんて安直なものではなく、体の底から洗われ、浄められ、光の粒で満たされていくような、神が与え給うた美しい「音楽」があります。

 静かな誦経に耳を傾け、控えめで美しい聖歌を歌い、「主よ、我罪人を憐れみ給へ」と唱えながら、何度も伏拝をします。
 平日のお祈りに参加してみて下さい。 体中で歌い、味わってみて下さい。
 


願わくは我が祈りは、
  香炉の香のごとく 爾の顔の前にのぼり、
我が手を挙ぐるは
  暮れの祭のごとくいれられん。
                      第140聖詠(詩篇141番)


これは水曜日と金曜日の先備聖体礼儀の前に歌われる美しい歌です。

王門が開け放たれ、司祭(輔祭)が静かに香炉をふります。私たちの祈りの歌は、香炉の煙とともに、陽光に輝いてゆらゆらと天にのぼってゆきます。

 朝から、早課、一時課、三時課、六時課、九時課と長い祈りをやってきて、体は心地よく疲れています。

 私たちはひざまずいてこの歌を歌い、やがて祈りの最後に「天の糧(かて)」、「生命の爵(しゃく)」と歌われるご聖体(前の日曜日に用意された先備聖体)を頂きます。



ワシリーの聖体礼儀

 大斎になると、被いや祭服の色が紫や黒に変わって、「ワシリーの」歌が歌われるのはご存じだと思います。大斎中でも、日曜日は特別の日ですから、聖体礼儀が行われます。(平日には聖体礼儀は行われません。)

 「ワシリーの聖体礼儀」といっても、歌が変わるのは「聖変化」(親しみの捧げ物)の部分から、「常に福」までだけで、お祈り自体の形も変わりませんが、ここで唱えられる司祭の祝文(祈りのことば)が、いつもの金口イオアンのものに比べて、ワシリーの祝文は長いので、それをカバーするために、聖歌も長くなっています。ですから、あまり慌てて走らないでください。祝文の内容は、前回の聖歌の会の資料にありますので、もう一度、ごらんください。

 ワシリーの聖体礼儀は、大斎中の5つの日曜日、受難週の聖大木曜日と土曜日の晩課の聖体礼儀、ほかに、日本では今は行われていませんが、降誕祭神現祭の前日、聖大ワシリーの記憶日(1/14)におこなわれます。