なごや聖歌だより
聖王ダヴィード
聖詠作者
2008年1月号

奉神礼(礼拝)と聖書

聖詠(詩編)に親しむ


113聖詠(114詩編)

海は見て走り、イオルダンは後へ退けり。
(113:3)
海よ、爾何事に遭ひて走りしか、イオルダンよ、爾何事に遭ひて後へ退きしか。(113:5)

神現祭、早課ポロキメン


これらの句には「山々は雄羊のように、丘は群れの羊のように踊った」という句が続きます。自然の常識を越えた神の奇蹟を見て、動かないはずの山や丘も喜び踊って神のわざを讃美しました。 
 ユダヤの民がエジプトの奴隷生活を逃れ、カナアンの地にわたった時の奇蹟がテーマです。「海」はモーセに率いられた民が紅海を渡った奇蹟、「モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。(出エジプト記14:21)」

 「イオルダン」はヨシュアに率いられてイオルダンをわたったときの奇蹟です。「春の刈り入れの時期で、ヨルダン川の水は堤を越えんばかりに満ちていたが、(契約の)箱を担ぐ祭司たちの足が水際に浸ると、川上から流れてくる水は、はるか遠くのツァレタンの隣町アダムで壁のように立った。(ヨシュア記3:14-15)」

 『聖水式』で三度十字架が沈められます。主イイススが人となり、ヨルダン川に入り、世界は成聖されました。混沌、よどみであった水は、聖なるものとなり、全人類と全被造物の救いが始まりました。自然の常識を越えた奇蹟を見て私たちも喜び歌って、神のわざを讃美します。

 正教会のお祈りでは、神現祭早課のポロキメンとして歌われ、聖体礼儀の第1アンティフォンにもこの聖詠が歌われます。聖歌者のソロにリードされ全会衆が聖詠の1句をリフレインとして繰り返すビザティンの大聖堂の歌い方が今も残っています。

 ところで、イコンによっては、イイススの足下にふたりの人物が小さく描かれています。ひとりは男性でイイススに背を向け、もうひとりは女性で今にも逃げ出そうとした姿で描かれます。これは「海は見て走り、イオルダンは後へ退けり」を描いたもので、旧約における洗礼の預象になっています。列王記上2:8でイリヤが天に上げられたとき、エリシャがイリヤのマントをとって水を打ったら、水がわかれたという話をふまえて、前日のトロパリでは、「これ実に洗礼の形象なり、蓋我等はこれによりて生命の流るる途を渉る。ハリストスは水を聖にせんためにイオルダンに現れ給へり」と歌われまます。


参考資料:『聖詠経』、口語訳聖書『詩編』、Christ in the Psalms Patrick Henry Readon, Commentary on the Psalms, 正教基礎講座テキスト『奉神礼』(トマス・ホプコ神父)『聖詠講話』Commentary on the Psalms, St. John Chrysostom, Meaning of the Icon, V.Lossky,