なごや聖歌だより
生神女マリヤ
アギア・ソフィヤ大聖堂
2007年11月号

八調のアリルイヤ


 「アリルイヤ」は神を讃美する喜びの歌で、言語によって「アレルヤ」「ハレルヤ」などと書かれる場合もあります。「アミン」「オサンナ」などと同様、ヘブライ語がそのまま残ったことばです。
 正教会ではいろいろな場面で通常3回ずつアリルイヤが歌われます。聖詠の読みのあと、早課やパニヒダの始まり、聖体礼儀では、使徒経の読みのあと福音経の前にアリルイヤが歌われるほか、ヘルビムの歌の終結、領聖詞、領聖後の感謝の祈りのあとにも「アリルイヤ」が歌われます。
 日本ではあまり知られていませんが、アリルイヤにも八調のメロディが指定されています。たとえば通常歌われているのは1調のアリルイヤで、パニヒダのアリルイヤは八調です。
 主日聖体礼儀では本来その週の調でアリルイヤを歌います。、メロディはポロキメンと同じで、ポロキメンと同様、聖詠の句をはさみながら3回歌われ、ポロキメンは「使徒経」の読みの先ぶれであるのに対し、アリルイヤは「福音経」の読みを告げるファンファーレの役割をします。アリルイヤの聖詠の句は使徒経巻末の各日のポロキメンの次に書かれています。
 アリルイヤは八調外のメロディで歌われることも多く、たとえば名古屋でもお馴染みのモスクワ調アリルイヤは調とは関係なく用いられます。
 ロシアでは聖歌隊が不慣れな場合は、1調や6調など歌いやすいメロディで代用することも多いそうです。多分ニコライ大主教も「とりあえず毎週1調で歌えばよい」と教えられたのでしょう。
 聖詠の句を省いて、アリルイヤだけを続けて歌うのも当時のロシアの習慣です。今はロシアでも多くの教会で奉事規程どおり聖詠の句をはさみながら「アリルイヤ」を3回歌っています。ポロキメンと同じメロディで「アリルイヤ」が3回高らかに繰り返されると、「福音」に向かって高揚していく動きが強調されます。


奉神礼と聖書

聖詠に親しむ


148聖詠(148詩編)

天より主を讃め揚げよ、至高きに彼を讃めあげよ(1)

地より主を讃め揚げよ(7)

その諸聖人イズライリの諸子、彼に親しき民の栄を高くせり(14)


 聖詠150編の最後の3つ、148聖詠から150聖詠は「讃揚歌」または「高揚歌」とも呼ばれる讃美の歌で、正教会でもローマカトリック教会でも朝の祈りとして歌われてきました。
 正教会では早課の終わりごろ、大詠頌の直前に歌われます。カノンの第8歌頌で歌われる三人の少年が炉の中で歌った讃美の歌(ダニイル、3:52-90/ダニエル書補遺29-67)とよく似ています。 聖詠も「三人の少年の歌」も、まず「天にあるもの」すなわち天使、天軍、日、月、星などに呼びかけ、「地にあるもの」海、大魚、風や霧、植物、人間に向かって、すべての被造物に対して、ともに主のわざを讃め揚げようと呼びかけます。
 「彼言いたれば、すなわち成り、命じたれば、すなわち造られたり(6)」。主はすべてを「よきもの」として造られました。
 ところがアダムとエヴァは主の命を離れ、神と交わる生き方、神を讃える生き方を失ってしまいました。その結果、神の造った善き世界はすっかりゆがみ、苦しみに満ちたものになりました。
 神は深く世界を愛し、独り子ハリストスを遣わし、人に神との和解の道を与えられました。人となった神が十字架上で死に、三日目に復活し、罪と死は滅ぼされ新しい世界が始まりました。神との交わりが回復されました。人が神との交わりに生きること、神への讃美を取り戻すこと、それは人の救いであるばかりでなく、全被造物の救いでもあります。
 聖使徒パウエルは語ります。「滅びのなわめに縛られてきた被造物(ローマ8:20)」は「実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいた(8:19)」。 「万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られた・・・。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。・・・そして自らは、そのからだなる教会のかしらである。彼は初めの者であり、死人の中から最初に生れたかたである。・・・そして、その十字架の血によって平和をつくり、万物、すなわち、地にあるもの、天にあるものを、ことごとく、彼によってご自分と和解させて下さったのである。(コロサイ1:16-18)
  この聖詠は主日領聖詞として歌われています。 「七日の初めの日」すなわち日曜日はクリスチャンにとっては創造の第1日であると同時に、主の復活によって始まった新たなる時の第8日でもあります。私たちは教会として集まり、主を讃美し、献げものをし、「聖なるものは聖なる人に」と呼びかけられ、主のお体を頂きます。私たちはハリストスによって「神の子」「世継ぎ」とされました。金口イオアンは「その諸聖人、イズライリの諸子、彼に親しき民の栄えを高くせり(14)」を「あなたがたが聖であるなら、あなたがたが神に近ければ、大きな栄光を楽しむだろう」と説明しています。
 天と地、すべての被造物が声を合わせて主を讃美する『神の国』が、聖体礼儀のうちにあります。今、主のお体を頂く喜びに満ちて教会全員がこの聖詠を歌います。
 名古屋では加藤都也子さん作曲の「天より主を讃め揚げよ」のリフレインの間に148聖詠の句を一つずつ唱えて歌っています。これは10世紀頃のビザンティンの歌い方です。昨年の子供会以来、聖詠の句は子供たちが詠んでいます。


参考資料:『聖詠経』、口語訳聖書『詩編』、Christ in the Psalms Patrick Henry Readon, Commentary on the Psalms, 正教基礎講座テキスト『奉神礼』(トマス・ホプコ神父)Commentary on the Psalms, St. John Chrysostom