なごや聖歌だより
生神女マリヤ
アギア・ソフィヤ大聖堂
2007年10月号

「生きた」伝統


 正教会は伝統を守る教会といわれますが、その「伝統」はいわゆる文化財保存や伝統芸能保存とは異なります。ハリストスから弟子たちへ、ハリストスの教会に『生きたもの』として手渡されてきたものです。
 日本人は「しきたり」や「きまり」を守ることに大変マジメで、それ自体は悪いことではありませんが、外面的な形にとらわれてすぎてしまうと、ニッチもサッチもいかなくなってしまいます。
 聖歌やイコンも教会の『奉神礼(礼拝)』の一部であって、時代の流行や個人の表現の場ではありませんが、過去の作品の丸ごとコピーでもありません。言語、国民の感性、時代の要求などが反映されてきました。
 イコンは「型」が決まっています。イコン画家は聖堂の構造や配置を考慮して構図を考え、予算、気候、その他の条件を鑑みて、ガラス片を用いてモザイクにするのか、板にタマゴテンペラで描くのか、漆喰にフレスコにするのか、アクリルなどの新しい材料を用いるのかを考えます。
 聖歌も同じです。聖歌の場合は歌詞となる「祈祷文」が「型」にあたるでしょう。まず祈祷書を調べます。聖堂の大きさ、その日の祭日性の度合い、選ばれたプロ級の聖歌隊が歌うのか、会衆参加で歌うのか、その技量、男女の人数比、年齢など色々な条件も考慮して、「祈祷文」にふさわしい彩りを与える音楽を選びます。
 それぞれの教会で、その時その時で条件は違います。常に可能な限りで最高の「奉神礼」を探す努力が必要です。私たちの聖歌は聖神の助けを得て「生きるもの」です。博物館の展示品のままでは「生き」ません。 

どれも十字架のイコンです。おおまかな形は同じですが、よく見て下さい。材料、細かい配置やポーズ、背景、色はそれぞれ異なります。聖歌の音楽も同じです。どんな材料で、どんな色づけをするかは各教会に任されています。それだけ責任も大きいと言えます。


奉神礼と聖書

聖詠に親しむ


118聖詠/詩編119番 1-2

道に玷(きず)なくして主の律法を履み行う者は福(さいわい)なり。
主の啓示を守り、心を盡(つ)くして彼を尋ぬる者は福(さいわい)なり。
     


 第118聖詠はスラブ語の冒頭のことばから「ネポロチニ」と呼ばれます。聖詠150編中、最も長く176節から成り、さらに8節ずつ22組に分けられ、それぞれにヘブライ語のアルファベット22文字が当てはめられています。
 ほとんどの節に「律法」「啓示(定め)」「命(命令)」「律(掟)」「誡(戒め)」「ことば(仰せ)」などのことばが見られ、神の与えた「律法」を守るよろこびが歌われます。たとえば「爾の啓示は我が慰めなり(楽しみです)24節」「我が口には蜜よりも甘し(103節)」という具合です。神のことばに耳を傾け、神の導きに従って生きることは喜びです。そういうものとして神は人を創られました。
 ところが、この世に罪が入り込んで、人は神から離れ、「死」んだような状態で生きるもの、「生ける屍」になってしまいました。神は人を憐れみ、独り子ハリストスを遣わし、その死をもって死を滅ぼし、人が神との交わりに生きる道を回復しました。
 正教会の奉神礼では「埋葬式」に、神の手にあるせいめい生命への讃美と祈願をこめてこの聖詠が歌われます。聖大土曜日には、人の救いのために人となり死に至った主を讃美する「讃美詞」を挟み込んで、同じ聖詠が主の墓前で歌われます。

 
「我が目を啓き給え、我爾が律法の奇蹟を見ん(18節)」
[讃美詞]我が生命なる救世主よ、爾は死して死者に降り、地獄の柱をくじきて腐敗よりのぼり給えり。
「爾が口の律法は我がために金銀千々より貴し(72節)」
[讃美詞]ことばよ、爾甘んじて死者として柩に入りたれども生き、かつ我が救世主よ、かつて預言せしごとく、爾の復活をもって人々を興し給う。

 この聖詠は悪と死を越える生命と神の義の勝利の歌です。神に全信頼を置き、すべてを委ねきった義なる人のイコン、すなわちハリストスを表す言語によるイコンです。

 埋葬式や死者を記憶する土曜日早課では、続いて118聖詠の12節「主や爾は崇め讃めらる、爾の律(誡め)を我に訓え給え」を附唱に、死者のための5つのトロパリが歌われます。日本では2つだけしか歌われていませんが、3つめのトロパリでは「狭く苦しき路を過りて、生けるうち、十字架をくびきの如く負ひ、信じて我に従いし衆人よ、来りて、爾等のために備へたる褒賞と天の栄冠とを楽しめよ」と呼びかけられています。
 続く土曜日の早課では同じ附唱「主や爾は崇め讃めらる」に続いて主の復活を讃美する5つのトロパリが歌われ、死への勝利が高らかに宣言されます


参考資料:『聖詠経』、口語訳聖書『詩編』、Christ in the Psalms Patrick Henry Readon, Commentary on the Psalms, 正教基礎講座テキスト『奉神礼』(トマス・ホプコ神父)Краткий устав-схема заупокойных служб, обиходные песнопеня Панихиды и Отпевания, Е. Кустовский


<参考資料>