なごや聖歌だより
福音者聖イオアン修道院
ペテルブルグ
2006年7月号

場所も時間も越えて

「天と地の教会が一つになって祈る」とよく言われますが、「教会」としての私たちは場所も時間も超えて繋がっています。
 たとえば復活祭の夜、各国のことばで「ハリストス復活」と呼びかけあい、パスハのトロパリを歌うとき、世界のあちこちで同じように歓びの祭を祝っていることを感じます。海外に旅行してそこの正教会を訪れたとき、ことばや音楽は違っても、確かに同じ祈りが行われていることがわかります。主教の聖体礼儀の聖体礼儀の中では、モスクワの総主教が記憶され、総主教の聖体礼儀では世界の総主教が互いに記憶しあっています。

 私たちの歌う聖歌や祈りのことばは、使徒の時代から歌われています。彼らが祈っていたこと、伝えてきたことはやがて聖書に収録されました。次の時代の人たちは聖書のことばを自分のことばに言い換えて歌いました。たとえば、ある聖書のテーマを4世紀のシリアの聖エフレムが歌ったものを、6世紀の聖歌者ロマンが言い換え、さらに8世紀のダマスクのイオアンが歌い、それらが積み重なって祈祷書に収められています。八調経や三歌斎経などを見ると歌の前に「クリトのアンドレイの作」とか「エフレムの祝文」などと名前が書かれたものもありますが、作者不明のものたくさんあります。
 ロシアに運ばれた聖歌は、スラブ語でスラブのメロディを用いて歌われました。西洋の影響が入ってくれば、合唱聖歌も取り入れてきました。自分の言語を用い、その時その場所にある音楽を器にして神を讃美してきました。

 私たちは昔の聖人たちの歌を、私たちの言語で歌っています。聖人たちに歌を与えた聖神は、私たちがそれを歌うときにも働いています。正教会の伝統保持とは、たんに今あるものを凍り漬けにして保存することではありません。4世紀の聖人が神に出会った感動を自分の心の感動として、自分たちの声にして、生きたものにして歌うのです。それを与えてくれるのが聖神です。
 聖堂の壁に書かれた聖人たち、使徒たち、生神女マリアや天使たちと一緒に歌います。正教会伝統のドームの丸天井には、時間と地域を越えた教会の歌が響きあっています。それはもっと大きな神の教会と一体になっています。


信者の礼儀
8.重連祷と「啓蒙者出よ」
啓蒙者の礼儀の終わり

重連祷

「福音の読み」と説教が終わると、連祷が続きます。重連祷は3度ずつ「主、憐れめよ」を重ねてますが、正教会では「重ねる」ことは熱心な祈願を意味します。祭日晩祷のリティヤなどでは30回、40回、50回と「主、憐れめよ」が祈られます。(日本では12回に短縮されています。)
 聖体礼儀の始まりの大連祷で、私たちは教会全体のために祈ったのに対し、ここでは教会が個々のメンバーのために具体的に祈ります。

・又教会を司る至聖なる我等の主教(某)、及びハリストスに於ける悉くの我等の兄弟のために祷る、
・又我等の兄弟、諸司祭(諸修道司祭)、及びハリストスに於ける我等の衆兄弟のために祷る、
・又恒に記憶せらる、この聖堂の建立者、及び已に寝りし悉(ことごと)くの父祖兄弟、此の処と諸方とに葬られたる正教の者のために祷る 、
・又此の至尊なる聖堂に物を献り、善業を行い、之に労し、之に歌い、及び此に立ちて爾(なんじ)の大にして豊かなる憐れみを仰ぎ望む者のために祷る 、

主教、司祭など聖職者として教会のために働く人々のために、教会のために働いた死者のために、そして今、神の義を求めて、ここに集まり、献げものをし、祈る人たちのために祈ります。「あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう(マタイ6:32-33)」ここで病気の人、苦難にある人などの具体的な名前を挙げて祈ることもあります。

啓蒙者の連祷と啓蒙者出よ

 続いて、これから洗礼を受けようとする人、啓蒙者のために祈ります。金口イオアンの頃は、洗礼を受ける決意をしてから啓蒙者になるまで数年、啓蒙者になって勉強を始めて実際に洗礼を受けるまで2年から3年かかりました。聖体礼儀の前半は「啓蒙者の礼儀」または「ことばの礼儀」と呼ばれますが、聖書のみことばが明かされるからです。 対照的にここから後の祈りは「信者の礼儀」と呼ばれ、洗礼を受け、主の弟子となった信者、ご聖体を分かち合う信徒だけが預かることを許された機密になります。ですから、昔はご聖体を受けることのできない、啓蒙者、悔い改めのために領聖停止になっている人などは「啓蒙者出よ」の時、退出を命じられました。今は啓蒙者や見学者にも最後まで参祷が許されていますが、基本的にはこれ以降は信徒だけの儀式でした。
 ですから彼らが、退出する前に、主が啓蒙者に憐れみをくださるように祈ります。
 司祭の祝文では「爾の僕・啓蒙者その首(こうべ)を爾に屈めし者を顧み、時に随いて、彼等に復生の浴盤、諸罪の赦し、不朽の衣を賜い、彼等を爾が聖・公・使徒の教会に一にし、彼等を爾の選ばれたる群れに合せ給え 」ふさわしい時期がきて彼らが洗礼を受けて罪を赦され、永遠の朽ちない着物すなわちハリストスを着ることができるように、教会の一員となれるように、彼らのために祈ります。

参考資料:正教基礎講座資料「奉神礼」「教義」(トマス・ホプコ) 「Eucharist」(シュメーマン)、聖体礼儀注解(ニコラス・カバシラス)