なごや聖歌だより
福音者聖イオアン修道院
ペテルブルグ
2006年7月号

「気持ちのよい」祈りとは

 お祈りの後「本当に気持ちがいい」と感想をもらされた方がありました。ある神父さんは「気持ちのいい時とそうでない時がある」と言われました。祈りの気持ちよさは何によって左右されるのでしょうか。必ずしも聖歌の上手下手だけではないようです。

 「今日のご祈祷は気持ちがよかった」というときは、流れがスムーズで、まわりの人たちと一体感があったと思います。参加する者の息が合って、気持ちが一つになるとき、あたかも教会全体が一つの生き物として呼吸しているかのように感じられます。ではそのために私たちはどんな努力ができるでしょうか。

 聖歌を歌う者どうしが息を合わせることも大切ですが、司祭や輔祭と息を合わせることも大切です。今まで何度もお話ししてきたことですが、司祭や輔祭の「~祈らん」を待ちかまえて、その息を感じ取って「主憐れめよ」と出ます。「~祈らん」と「主憐れめよ」は一体の祈りです。司祭が至聖所で唱えている祝文の意味もくみ取って「アミン(そのとおりです)」と答えます。お互いに「聴き合う」ことが肝心です。

 参祷者全員への心配りも大切です。たとえば「信経」など、メロディが単純で慣れた歌はついつい走ってしまいがちです。あえて言葉をはっきりと、冒頭に軽いアクセントを置きながら「われしんず・ひとつのかみ・ちち・ぜんのうしゃ」と多少ゆっくりめに歌えば、初めての人でもついて歌えます。慣れない人たちへの愛の配慮です。

 祈りはチームワークです。聖歌を歌うときは、互いの声を聴き合い、自分の声が他の人の声と調和しているかどうか「聴き」ながら歌います。自分勝手な音量やスピードで歌っては一つの歌になりません。そのためには準備も大切です。朝9時15分頃から、声出しと簡単な練習を行っています。ウォーミングアップの意味もありますが、練習するうちに気持ちが一つになっていく効果もあります。
 聖歌指揮者の仕事は祈りの流れを陰で支えるキャプテンのような役割です。始まりの音を与え、タイミングを合わせますが、必要以上の音取りや、聖歌の中断は祈りの息を乱してしまいます。指揮者を見ることも大切です。

 息のあった祈りは「神の国」へ進んで行く気持ちを高めます。神の国でご聖体を分かち合って歌う「アリルイヤ」はこの上ない歓びにあふれます。
 もちろん神・聖神の力なしには何も行えません。聖神の導きを求めつつ、小さな気配りと努力を重ねましょう。


ダニイル府主教を囲んで
大阪での公会に参加して


 18日大阪教会で行われた聖体礼儀に参加しました。大阪聖歌隊にお願いして、前日の17日合同聖歌練習を行って頂き、主に主教祈祷の歌を練習しました。名古屋からは4名が参加しました。翌日も朝9時から集会室で練習が行われ、7名が参加しました。短い時間でしたが一緒に練習することによって一体感がぐっと高められ、教えられる点もたくさんありました。
 名古屋のメンバーは主教祈祷は久々でしたので足手まといにならないかと少々不安でしたが、マリナ竹中さんの指揮と大阪聖歌隊のリードで無事に歌うことができました。聖体礼儀の後半の連祷や「信経」「天主経」は参祷者全員で歌い、「領聖詞」はミロン水口勇毅くん(12才)が聖詠を唱え、全員がリフレインを歌いました。
 ひとつの主教区のメンバーとして一緒に聖歌を歌い、主教さまを囲む祈りに参加するチャンスを与えて頂いたことに心から感謝します。今後も交流を進めていきたいと思います。




啓蒙者の礼儀
7.神のことばを聴く
プロキメン 使徒経の読み
アリルイヤ 福音経の読み


 「聖入」で神の国に入った私たちは「神ことば」の前に立ち、聴きます。

 「使徒経」(使徒達の手紙)が読まれる前に「ポロキメン」が歌われます。ポロキメンとは「先行する」という意味で、聖詠から取られた句を誦経者と聖歌隊が交互に歌い「使徒経」が読まれることを先ぶれします。主日の場合はポロキメンの句の内容とその日の使徒経の内容との間に直接の関係はありませんが、祭日ではその祭日のテーマにそった句が選ばれています。日本では誦経者はまっすぐに唱えることが多いですが、誦経者もポロキメンのメロディで歌うこともできます。

 「使徒経」では、まず「聖使徒パウエルが○○人に達する書の読み」と告げます。かつて、生まれたばかりの各地教会に対して、聖使徒パウエルやペートルが勧告やアドバイス、励ましの手紙を送り、それが各地の教会でまわし読みされました。私たちも初代教会の信徒たちと同じようにパウエルやペートルのことばに耳を傾けます。

 「使徒経」が終わると「アリルイヤ」が歌われます。日本では19世紀ロシアの影響で「アリルイヤ」を単に3回繰り返すことが多いですが、ポロキメンと同じく間に聖詠の句を挟みながら3回歌うのが本来で「福音経」に対するポロキメンの役割を果たしています。アリルイヤにもポロキメンと同じく8調のメロディがあり、日本で一般的に歌われているのは1調のメロディです。

 司祭または輔祭が「福音経」を読みます。信徒は「主や光栄は爾に帰す」と歌います。ただ単に聖書が読まれるというのではなく、福音経はハリストスご自身を表します。私たちはハリストスの前にあって、ご自身のことばを聴いています。続いて「説教」が行われ、福音の意味が解き明かされます。説教は領聖前に行われることもありますが、福音が読まれた直後に行われるのが古くからの伝統です。

 使徒経も福音経もどこを読むかは教会暦に従って決まっており、本文の欄外に「第○端」と示され、巻末にも一覧表があります(左図)。

 これは5世紀ごろエルサレム教会で始まったと言われ、ギリシア教会の「福音経」は復活祭の読み(イオアン伝1章)から始まるようにイオアン伝から編集されています。

 使徒の手紙も福音書も聖書が一冊の本として完成するよりはるか昔から教会の中で読まれてきました。正教会ではその伝統を引き継いで、今も聖体礼儀の中で聖書が読まれています。

参考資料:正教基礎講座資料「奉神礼」「教義」(トマス・ホプコ著) オックスフォード「ビザンティン事典」