なごや聖歌だより
福音者聖イオアン修道院
ペテルブルグ
2006年5月号

救いにあずかる



「死」を間近にしたとき、「すべての終わり」と絶望するか、「死はハリストスによって滅ぼされ、来るべき世での復活が待っている」と信じられるか、人生はずいぶん違ってくると思います。今奉神礼の体験を通して「復活」を信じられる喜びをあらためて感じています。

 大斎が始まって2ヶ月近く肉やタマゴを控え長い祈りに参加して準備を続けきました。受難週が近づくと場面は急展開していき、私たちも奉神礼を通して主の受難に立ち会います。土曜日、友のラザリをよみがえらせ、日曜日、エルサレムに入場した主を「オサンナ」と歌って出迎え、水曜日弟子に裏切られる様子を見、最後の晩餐に立ち会い、金曜日逮捕され愚弄され十字架に釘打たれる様子を息をひそめて見守ることしかできず、アリマフェアのイオシフとともに主を十字架から下ろし、墓に収め、讃美の祈りを捧げます。土曜日晩課、まだ復活は高らかに宣言されていないけれども、「神は起きて地を裁判せよ」の静かな歌とともに聖堂の覆いが黒から真っ白に変わるとき、密かに「復活」が進んでいることが暗示されます。

 真夜中、墓参りに行った女たちのように十字行に行き、からっぽの墓を見つけ、ハリストスの復活を高らかに宣言します。 「ハリストス死より復活し、死を持って死を滅ぼし墓にあるものに生命を賜えり」何度も何度も声を合わせて繰り返すと、復活の喜びが怒濤のようにあふれ出します。

 私たちは毎年毎年、入念に準備し、年に一回の喜びの宴を心ゆくまで楽しみます。救世主イイスス以外に救いはない、死に勝てるのはこの方だけ。復活のイコンのアダムとエヴァのように主に手首をつかんで引き上げてもらえる。聖書に書かれた「受難」も「復活」も、奉神礼の中で顕されて生命が吹き込まれます。

 何度も何度も「ハリストス死より復活し」を歌いながら、救いの確信を体に刻みつけ、喜びの声で世界中に伝え、この救いに招くのが聖歌を歌うものの仕事です。


 私ごとですが大斎の初週、横浜教会の副輔祭キリル井上兄が永眠しました。キリル兄は私の古い友人で、義理の弟です。
 最後の3日間、病室で一緒に大斎の祈りを行いました。午前中は早課から晩課、夜は晩堂大課を司祭の祝文などを除いて大半は私が読み、「アリルイヤ」や「神よ我を憐れみ・・・」などの繰り返しの部分は一緒に歌いました。もう声はほとんど出ない状態でしたが、唇が動いていました。エフレムの祝文「主我が生命の主宰や」や「聖なる神」は家族が手を取って十字を描かせながら一緒に唱えました。
 彼の状態で意識がはっきりしているのは奇跡だといわれました。祈り続け、最後の瞬間まで冷静に死に立ち向かっていました。祈るとき「神がともにある」ことを確信しているようでした。
 難しい聖歌ではなくて、日頃から祈り、歌って暗記している短い繰り返しや簡単な祈祷文は最後まで祈ることができます。祈りは死と闘う武器、神の援軍です。元気なうちに「祈り」を身につけることがどんなに大切かと思いました。死の瞬間まで戦い続けられます。もはや「死は滅ぼされた」という確信を持って。 
   


啓蒙者の礼儀
5.神の国への入場 1

「来たれ、ハリストスの前に」

来れ ハリストスの前に 伏し拝まん、
神の子、死より復活せし主や、
(生神女の祭日 生神女の祈祷によって)
(聖人の祭日  聖人に厳かに現る主や)
我等 爾に「アリルイヤ」を奉る(歌う)者を
   救い給え、


【日本正教会訳聖詠94:1-6】

来りて主に歌い、神我が救いの防固に呼ばん、
讃揚を以てその顔の前に進み、歌を以て彼に呼ばん、
蓋主は大いなる神、大いなる王にして諸神に勝る。
地の深き所は其の手に在り、山の頂も彼に属す、
海は彼に属す、彼之を造れり、
陸もまたその手の造りし所なり。
来たれ叩拝俯伏せん、    

【口語訳詩編95:1-6】
さあ、われらは主にむかって歌い、われらの救の岩にむかって喜ばしい声をあげよう。われらは感謝をもって、み前に行き、主にむかい、さんびの歌をもって、喜ばしい声をあげよう。主は大いなる神、すべての神にまさって大いなる王だからである。地の深い所は主のみ手にあり、山々の頂もまた主のものである。海は主のもの、主はこれを造られた。またそのみ手はかわいた地を造られた。 さあ、われらは拝み、ひれ伏そう、



 三つのアンティフォンは「来たれ」と「聖なる神」までが一体となって「聖入」を形作っています。ビザンティンではアンティフォンは聖堂に向かう行進、「聖入」は聖堂前に集まった人々が神の国である「聖堂」に入っていくことでした。

 「来たれ」はもともと第三アンティフォンの一部でした。日本はスラブの奉事規則に従っているので日曜日には第三アンティフォンには真福詞が歌われますが、コンスタンティノープルの伝統では選ばれた聖詠とトロパリが歌われます。日曜日の聖詠が94聖詠の1-6句です。しかしロシアの伝統でも、最後の句「来たれ叩拝俯伏せん(94:6)」が残りました。

 聖入歌は神の国に入っていく歌です。「来たれ」はそこに臨在する神に向かい、伏し拝むことを呼びかけます。ニコラス・カバシラスは「主が近づき現れ、主に出会う。主を象る福音書が運ばれてきて、私たちはそれを見る。預言者(聖詠作者)はハリストスの来臨を胸に、歓喜にあふれてこの歌を歌った。他の人たちとも喜びを分かち合いたくて『来たれ、ハリストスの前に伏し拝まん』と歌った」と語っています。また「主が来なければ誰も喜べない。」私たちは奉神礼という機密の中で、主にほんとうに出会い、ひれ伏し、讃美の歌を歌います。

 「イオアン伝で主ご自身が『あなたたちの父アブラハムは、わたしの日を見るのを楽しみにしていた。そして、それを見て、喜んだのである(8:56)』と話されました」(カバシラス)

「来るべき日」「神の国」は時を越え、空間を超えて、今ここに存在します。


ティピコンの違いについて

 ティピコンという名前を聞いたことがありますか。奉神礼の細かい動きや順番、いろいろなしきたりを書いた本です。正教会の儀式は世界中ほぼ共通ですが、詳しく見ると大きく分けて二つの伝統があります。

 一つはギリシア系やアンティオキア系の教会が使っているコンスタンティノープル・ティピコンで、街の教会の伝統が元になっています。もう一つは聖サワ・ティピコンとかエルサレムティピコンと呼ばれるもので、パレスティナの聖サワ修道院の伝統が元になっていて、後にアトスで採用され、ロシアに伝えられたものです。日本はロシアから正教が伝わったので、後者の伝統につらなっています。

 コンスタンティノープル・ティピコンでは祭日だけでなく日曜日にも「救世主や、生神女の祈祷によって」などのリフレインと聖詠の句を詠うように指示しています。街の教会の儀式をベースにしているので、一般の信者の参加が多くなっています。エルサレム・ティピコンは修道院の伝統がもとになっているので聖詠が多く、日曜日には102,145聖詠と真福詞を歌うように指示しています。このセットは「ティピカ」と呼ばれ、先備聖体礼儀の時(九時課の後)や時課経に『聖体礼儀代式』として書かれており、もともとは修道士がご聖体を居室に持って帰って頂くときの祈りだったと言われています。
 ティピコンはガンジガラメの規則ではなく、細かい点ではかなりのバリエーションを許容しており、その教区の主教や司祷者の判断に任された部分も多くあります。