なごや聖歌だより
福音者聖イオアン修道院
ペテルブルグ
2006年4月号

中身を知って歌う

聖歌で「中身を知って歌う」という場合、歌詞の内容や語句の意味もありますが、奉神礼全体の流れとお互いの役割を理解することが大切です。

正教会では司祭の唱える部分、誦経として読む部分、聖歌として歌う部分などに分担され、しかもそれが一つの「体」になって「神の方へ」向かうことが求められます。「声と心」が一つになった奉神礼のためには、全体の理解、また互いの理解が不可欠です。

 神は、ご自身に「礼拝するもの」として、人間を創りました。奉神礼は人間が本来の姿を取り戻し、神との交わりを回復するために与えられました。奉神礼は共同作業です。愛によって互いを気遣い、力を合わせて神を讃美し、手を携えて神に向かって行くことを学びます。やがて最後に「平安にして出ずべし」と促されて、そこでの経験を生活の場に広げてゆきます。

 奉神礼では各人にさまざまな役割が与えられています。祈りをリードし祈りのことば「祝文」を唱える司祭、連祷など信徒の祈りをまとめ司祭を補佐する輔祭、聖歌を歌い、唱え、祈りの流れを支える聖歌者や誦経者がいます。祈りの場に立ち、十字を描き、ロウソクを献げる一人一人の参祷者も祈りの一部分を構成しています。役割の違いは優劣ではなく、ひとりひとりが不可欠の生きた肢体として同じ目的に向かって働きます。レンガの一つが欠けても建物全体がぐらぐらになるし、部品一つ壊れても車は走りません。

 聖歌と至聖所の司祭輔祭の祈りは密接に関わり合っています。司祭祝文には、祈りの核心があります。ヘルビムの歌や「平和の憐れみ」が歌われる間、至聖所では大切な祈りが行われています。聖歌も司祭の祝文の内容と深く関わり、それを支えます。聖歌を歌うとき、至聖所では何が祈られているかを理解して歌います。 

 祈祷文は便宜上から別々の祈祷書に収められるようになりました。司祭や輔祭の読む部分は『奉事経』に、聖歌や誦経の部分は『八調経』『三歌斎経』『祭日経』など、また聖歌者用のものとして『連接歌集』があり、いずれも明治時代にニコライ大主教によって翻訳されています。

時課経や聖詠経も奉神礼に用いられますが、これらはもともと修道院で発達した祈りの本です。『奉事経』や、『八調経』などの聖歌本は主にビザンティンの街の教会で発達しました。今の奉神礼には街の教会の祈りと修道院の要素の両方が入っています。



祝文入り『聖体礼儀』のテキスト

2月11日に大阪で行われた西日本主教区の冬季セミナーでは、楽譜のない歌詞だけのテキストを用いて聖体礼儀を学び、行いました。このテキストには司祭祝文や主な聖書の引用箇所も記載されています。まだ残部がわずかありますので、希望者はお申し出ください。(コピー代300円、pdfファイルの場合は無料)
歌詞も漢字仮名交じり文で書いてあります。「真福九端」の「あくを得んとすればなり」という歌詞が「飽く」であることを知って初めて意味がわかったと言われた方があります。聖歌譜の仮名だけではわからないことも漢字の入った文で読むだけで理解が違います。




4.神の国はもう来ている
第3アンティフォン-真福九端

日曜日に歌われる「真福九端」はハリストスが山の上で弟子たちに行った説教(山上の垂訓)の一部です。「さいわいだ、○○の人たちは、なぜなら・・・」と、9つの福(さいわい)が教えられ、そのままマトフェイ(マタイ)伝5章6節から12章に収録されています。

 ところで、それに先だって「主よ、爾の国に来たらん時、我等を憶(おも)い賜え(あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出してください)」という句が歌われます。ルカ伝23章の、イイススとともに十字架刑に処せられ、悔い改めた盗賊のことばで、正教会では「右盗」のことばとして十字架の下の横棒が右下がりになっていることの由来になるほど重視され、領聖祝文でも引用されています。この願いに対し、イイススは「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と答えられました。

 前々回聖体礼儀は時を超えた「神の国への旅行」とお話ししました。『爾の国に来たらん時』すなわちイイススが神の国に審判者として来られる『終末』の時は、いつ来るかわからない将来の時ですが、私たちが聖体礼儀で集まるとき、すで『時』は来ているのです。神の国への旅を始めた私たちは「ハリストスとともに」あり、今ハリストスのもとにあって、弟子たちとともに山上の説教を聞いています。

心(神°しん)の貧しきものはさいわいなり
 (自分ではなく)神に依存する人は幸いだ。
義に飢え渇くものはさいわいなり
 神の正しさに飢え乾き求める人は幸いだ。


 私たちが神に向き返り、神にすべてを委ね、神を頼み、神の本当の真理を求めるとき、神の豊かな憐れみによってそれらは既に与えらています。私たちの信じる神は放蕩息子が帰宅の一歩を始めたときに、駆け寄ってこられた神です。私たちが神を求めて集まる聖体礼儀のとき、神はともにあり、私たちは「すでに楽園にある」のです。

 真福九端は伝統的に左右詠隊に分かれてアンティフォン形式で歌われます。『連接歌集』にあるように一句ずつ交互に歌うこともできるし、上半句下半句に分けて掛け合いで歌うこともできます。最後の『喜び楽しめよ』を全員で声を合わせて歌えば、『喜び』がさらに強調されます。
 また日本ではほとんど行われていませんが、八調経祭日経などによれば、真福九端の句の間にスティヒラが挿入されて歌われるのが本来の形です。

参考資料:新共同訳聖書、正教基礎講座「奉神礼」「教義」(トマス・ホプコ著) 、「天主経について」(講話:トマス・ホプコ)、西日本主教教区冬季セミナー「神は我等とともにす」(講話:小野神父)