なごや聖歌だより
2005年9月号


いろいろな聖歌の伝統があります−−正教会の祈り

 ルーマニアの首都ブカレストの中心にあるスタヴロポレオス教会のマリアン神父さまと聖歌隊が、愛知万博でビザンティン聖歌を紹介するために来日し、28日名古屋教会で一緒に聖体礼儀をお祈りしました。
 冒頭の連祷はルーマニア調のメロディで日本語で歌い、第1第2アンティフォンは名古屋教会聖歌隊で、第3アンティフォンはスタヴロポレオスがビザンティン聖歌を歌う、というふうに分担しました。
 始まる前は、全く異なるメロディ、音階構造をもつ二つの聖歌がちぐはぐしないかちょっと心配でしたが、全くの杞憂で、「ひとつ」の聖体礼儀ができました。



ルーマニアでは私たちもおなじみの連祷や復活祭のトロパリのような、簡単なメロディの合唱曲も歌われていますが、修道院やいくつかの教会ではギリシアから伝えられたビザンティン聖歌をルーマニア語で歌っています。

 ビザンティン聖歌は、祈祷書の文字の上にネウマと呼ばれる記号で歌い方が書かれ(右図:文字の上の記号が歌い方)五線譜よりも細かい音程を含みます。ギリシア風のイソン(通奏低音)に支えられ、こぶしのきいた馴染みのないメロディでしたが不思議なぐらい違和感なく私たちの聖歌とマッチしました。

 ひとつにはお祈りの順番が同じなので、お互いにどこを歌っているかわかるという利点もありますが、それ以上に表面的な違いの奥底にある「同じ」神を信じ讃える一つのこころがあるからではないかと思いました。今回伝統のビザンティンチャントを体験して、日本語でも是非歌ってみたいという声も聞かれました。滞在中はまた来会なさるということなので、是非一度体験してみてください。

 また、ルーマニアパビリオンでも公演をおこなっているので、万博に行かれる際は是非お立ち寄りください。またスタヴロポレオス教会のホームページは:
http://www.stavropoleos.ro/ (ルーマニア語のページですが聖歌も聞けます)


文字の上に書かれているのが歌い方の記号。最後の部分にアリルイヤと書かれ書かれている。音の高さの変化、リズム、歌い方などが表される。ギリシア教会では今でもネウマが用いられる。ロシアでも表記の仕方は異なるが、15世紀ぐらいまでストルプという記号で書かれた。五線譜にはあらわせない細かい音程や歌い方の表現が含まれるという。記号はギリシアと同じ。


連載
聖歌の伝統 2


3 共同の祈り

7月31日の講演会「正教会聖歌−−祈りの音楽」でも、講師のウラディミル・モロザン博士から、奉神礼を表すギリシア語「リトゥルギア」は「共同の仕事」を意味し、聖歌もそれを実現するように働かねばならないという話がありました。
 「気」の入った「主憐れめよ」を祈るか、「主を讃めあげよ」と讃美の心をこめて歌うか、奉神礼が聖神の力を得て、神の光に輝く祈りの場となるかどうかは、私たちひとりひとりにかかっています。
 それに加えて、参祷してこられたかたをどうやって祈りの輪にお誘いするか、それも私たちの隣人愛、心配りです。

 正教会の祈りは「共同の祈り」だとよく言われます。聖体礼儀が教会全体の共同の祈りであるのは言うまでもありませんが、結婚式や、洗礼、お葬式なども教会全体の祝い事、行事と考えます。とかく結婚式やお葬式は各家の個人的な行事のように勘違いされがちですが、教会全体の祝いです。みんなが自分のこととして喜び悲しみ、聖歌や堂役などの奉仕を行います。決して結婚式場や葬儀場が提供するような、サービスの提供ではありません。
 教会の祈りは信徒が力を合わせて作る共同の祈りですが、それと同時に、この祈りの場に人々を招いています。結婚式やお葬式は信徒以外のかたもたくさん来られますから、正教会の祈りのすばらしさを分かち合う大きなチャンスでもあります。

 そのためには聖堂を整えたり、聖歌練習に励んで美しい聖歌を提供することも大切ですが、一歩進んで、参祷された方にも、ひとつでもふたつでも祈りに参加して頂けるような工夫が必要なのではないかと思います。
 今までもみなさんが色々実行してくださっているように、祈祷文や楽譜をお渡したり、聖歌隊にお誘いたりすることもできますが、なかなか初めての方には難しいものもあります。

 そこでまず連祷の「主憐れめよ」に積極的にお誘いして、一緒にお祈りして頂けたらいいと思います。結婚式の時、ご家族ご親戚お友達も一緒にふたりの幸せを願いたいとお思いでしょう。司祭の唱える様々なお願いに一緒に「主憐れめよ」と祈るのは、ふたりにとっても、お祝いに駆けつけた人々にとっても喜びになると思います。

 そのために、日頃から聖歌を歌っているみなさんにお願いです。「主憐れめよ」をしっかり支えて、教会の祈りをリードして頂きたいのです。

 司祭の唱える願いのことばをしっかり聴いて、それと一息になるように「主憐れめよ」を歌って下さい。参祷された方達の声をひとつにするためには、日頃歌っておられる聖歌隊の息が司祭の息と一つになって、動いていくことが大切です。私たちの息がひとつになって教会が息づき始めると、参祷されたかた達の息もひとつにすることができます。そこに神の息、聖神が働きます。



ウラディミル・モロザン 講演会
「正教会聖歌−−祈りの音楽」

 7月31日(日)午後、ロシア聖歌研究者のウラディミル・モロザン氏の講演会「正教会聖歌−−祈りの音楽」が大阪正教会で開かれ、予想を大幅に超える130人が参加しました。モロザン氏はロシアの合唱聖歌の美しさの粋を知るロシア音楽研究の第一人者ですが、祈りの場では、音楽としての美しさ以上に、奉神礼の機能に即した聖歌が大切であることを語られました。正教会の奉神礼が昔から、誰もが参加できるように簡単な繰り返し、覚えやすく美しい音楽を提供してきたこと、音楽は神のことばの理解を助ける働きをしてきたことをCDや実演を交えて語られました。講演の様子はDVDに撮ったものが教会にありますので、当日来られなかった方も是非ご覧ください。

 毎年ラフマニノフの晩祷を演奏しておられる合唱団の方が、「正教会では会合の始まりや終わりにも祈るんですね。みんなが歌って参加できること、音楽が祈りであることはすばらしい」と話しておられました。私たちにとって「天の王」や「常に福」を歌うことはあまりに当たり前になっていて忘れがちですが、生きた信仰をかえって再認識させられた思いでした。