なごや聖歌だより
2005年10月号

共同の祈り  力を合わせて

ひとりはみんなのために、
       みんながひとりのために

正教会の祈りは共同の祈りです。聖体礼儀の時や晩祷のときも、そのとき参祷した人はもちろんですが、来れなかった人、遠く離れた人、病気の人、死んだ人、すべてが記憶され、一緒に祈られます。
 洗礼、結婚式、埋葬式なども一見個人や家のための祈りのように思われますが、正教会では教会の祈りとして分かち合います。聖歌は私たち一人一人の祈りですが、同時に教会の仲間としての愛のわかちあいでもあります。

 かつて洗礼式や結婚式は聖体礼儀の中で行われました。あたらしく教会のメンバー(ハリストスの肢体)になった人を教会として迎え入れ、一組の男女が親を離れ、一つの家庭を作るカップルとして神に従う新しい生活のスタートとして教会がお祝いします。

 埋葬式も死者のための聖体礼儀を行ってから埋葬に向かうのが本来の形です。今では聖体礼儀とともに行われることはほとんどありませんが、教会の仲間に起こった大切なできごとを教会全体が分かち合って祈るという姿勢は変わっていません。

 息子さんが教会で結婚式をあげた方が「なぜか知らないけれど、嬉しくてたまらなかった。みんなが私たちのためにお祝いしてくれたからだと思う」と話されていました。
 また埋葬式でも、ご遺体が聖堂中央にあり、教会の仲間や親族がそれを囲み、親しく別れを悲しむ様子に、「いいですね」「暖かいお祈りですね」などの感動のことばをお聞きします。

 今の世間の常識では、誕生も、結婚も、死も、個人のもの、せいぜい家の出来事としてしか考えられませんが、正教会では、祝い事も悲しみ事も同じ神さまを信じる仲間の人生の重大事として、みんなで分かち合います。

 だからこそ、聖歌隊は自分のこととして歌います。埋葬式のときも、遠くの斎場であっても車に乗り合させて駆けつけて歌います。歌が上手かどうかよりも、仲間を思う心が暖かい祈りを生み出します。こういう協力は本当に大切だと思います。
 祈り合う仲間、正教会が大切にしてきた伝統です。


連載





 今月から「奉神礼の伝統」シリーズの第3弾として「奉神礼と聖書」を始めます。クロンクの「聖書のメッセージ」(西日本主教区発行、\1500)によると聖体礼儀の中だけで、使徒経や福音経、天主経以外に旧約聖書からの引用は98カ所、新約聖書は114カ所もあるそうです。聖書から直接とられた歌には西方教会と共通する古い歌が多く、たとえば晩課の終わりに歌われる「生神童貞女や慶べよ」(アヴェマリアと同じ)はルカ伝1:27から、真福九端はマトフェイ伝の5:13から取られています。また、最後の晩餐のときハリストスが言われた「取りて食え」「皆これを飲め」などのことばもマトフェイ26章などから引用されています。
 ここで気をつけたいのは、正教会は(当時はローマ・カトリックも同じ教会でしたが)聖書を引用してお祈りを作ったのではないという点です。逆に、新約聖書が書かれるずっと前から祈られていたことが聖書にも収録されました。人々はハリストスに教えられた通りにパンを割き、使徒達の教えを伝えました。だから聖書に収録された歌は、東西の違いが出てくる以前、ローマ世界の各地で共通して歌われていた歌なのです。
 次回からいつも歌っている聖体礼儀の聖歌の歌詞をピックアップして聖書のどの箇所から取られているかをご紹介していきます。東京大主教区で出された「聖体礼儀のお話」西日本主教区の正教基礎講座の資料(ホプコ神父の「奉神礼」)前述のクロンクなどを始め、インターネットなどで手に入る資料もご紹介していきますのでご参照ください。しかし何よりもまず実際に聖書を手にとって見られるのが何よりです。
 日頃あまり気づいていませんが、正教徒にとって聖書は「私たちの祈り」そのものであり、祈りは「生きること」そのものです。
 中身を知ると歌うのがますます楽しくなりますよ。


スタヴロポレオスからプレゼント

8月末から名古屋、半田で一緒にお祈りしてきたルーマニアのスタヴロポレオス聖歌隊から素敵なプレゼントを頂きました。ビザンティンのメロディで歌う日本語の「ハリストス死より復活し」のトロパリです。ギリシア語のトロパリのメロディをもとにしていますが、日本語の抑揚、音節数に合わせて微調整されているので、自然な日本語に聞こえます。言語を生かすというチャントの作曲法がよくわかります。ビザンティンチャントはネウマ記号で記されますが、そこには西洋音楽との考え方の根本的な違いが顕れているそうです。

 来年の復活祭には是非トライしてみたいですね。

 スタヴロポレオスのみなさんは万博の会期を終え、中部空港から帰国されました。マリアン神父さまは「一緒にお祈りできて嬉しかった。まるで家にいるようだった。諸習慣の小さな違いよりも、私たちが同じ信仰を持っていることが感じられた。ルーマニアにも日本にも神は力強く働いておられる」と語られました。