なごや聖歌だより
2004年3月号

大斎を楽しもう!その2

ワシリーの聖体礼儀

 2月22日の乾酪の主日晩課で被いや祭服が黒っぽい色になり、平日のお祈りの連祷のメロディも変わり、復活祭を待ち望む「悔い改め」の期間に入りました。
 大斎の時には「祝祭」である聖体礼儀は行われませんが、土曜日(スボタ)と日曜日は例外です。土曜日は「金口イオアンの聖体礼儀」が、日曜日には「聖大ワシリーの聖体礼儀」が行われます。祭服も平日は黒ですが、土日は紫や緑になります。
 ところで、聖大ワシリーの聖体礼儀と言っても何がいつもと違うのでしょうか。聖歌で気づくのは、聖変化の部分に、いつもと違う歌が歌われることだけです。
 実は、一番の違いは至聖所内で司祭が読む祝文にあります。聖大ワシリーの祝文は、いつもの金口イオアンより古く長いために、それにマッチするように歌も長くなっているのです。
 残念ながら、司祭祈祷では王門の扉が閉じているために至聖所で祈られる祝文がほとんど聞こえませんが、ハリストスによって救われたことへの感謝、受けるに値しない私たちが神の尊体と尊血を分け与えられることへの喜びがみずみずしく歌い上げられています。
 司祭が代表して唱えますが、教会全体が一つになって祈らねばなりません。ですから聖歌も至聖所の祈りに心と耳を傾けながら、そこで祈られていることばと心と一つにして歌いたいと思います。
 参考のため、一部現代語訳をつけた冊子を用意したので読んでみて下さい。聖堂にあります。


大ワシリー
名古屋の聖堂の入って右側の上金色のイコンの黒いヒゲの聖人。(ちなみに反対側が金口イオアン。)カッパドキア(今のトルコ)の主教で、正教会では大変尊敬されている聖師父。




連載
聖歌の伝統 

正教会聖歌のなりたち−−エルサレムからナゴヤま


2.パンを割く祈りと聖体礼儀

 言うまでもなく、聖体礼儀は受難に向かう主が御弟子さんたちに教えられた「パンをさく儀式」、最後の晩餐のできごとから始まります。

「取りて食へ、これ我が体、爾等のためにさかるる者、罪の赦しを得るを致す、」
「皆これを飲め、これ我の新約の血、爾等及びおおくの人のために流さる者、罪の赦しを得るを致す」
「これを行ひて我を記憶せよ」
(マトフェイ:26:26-28、ルカ22:19、マルコ14:24)

 初代教会の信徒たちは頻繁に集まって、「パンをさく儀式」を行いました。最初のうちは、聖使徒パウエルの手紙からわかるように、仕事のおわった夕刻に集まっていましたが、やがて、早朝に行われるようになりました。遅くとも2、3世紀には日曜日の朝の集まりが定着したようです。
 ところで、当時の聖体機密はどんなところで行われていたのでしょうか。昔見た映画では、地下墓地(カタコンベ)に隠れての集会シーンがありましたが、実際は裕福な信徒の家の一部を改修して利用することが多かったようです。下図はメソポタミアで発掘されたキリスト教徒の集まりの家です。中央の中庭を囲んで左側が集まって祈る場所、右側は洗礼聖堂であったと思われ、イコンの元祖ともいえるフレスコ画で飾られていたそうです。(デュラ・エウロポスの遺跡)

聖書に従って、奉神礼を作ったのではない

 前回もお話ししましたが、聖書に書いてあるから、それを元にして誰かが聖体礼儀を設計したのではありません。むしろ、実際にハリストスに教えられたとおりに、ハリストスや直弟子の使徒たちがやっていたことを「真似」し続けてきて、それが聖書や他の文書に記録されたのです。聖大ワシリーや金口イオアンの名前が冠されていますが、彼らが作った作品ではありません。ハリストスが教えられ連綿と続けられたことに聖人の名が冠されました。
 人々が集まって、その代表者(主教や司祭にあたる人)が、「さあ、祈りましょう」と参加者の心を促し、参加者も「アミン。そうなりますように」と答え、心を合わせて祈りました。
 アナフォラ(聖変化の祈り)の最初の部分から当時の様子を思い描いてみて下さい。私たちは二千年前の御弟子さんたちと一緒に祈っています。 



【アナフォラから】
司祭 正しく立ち、畏れて立ち、敬みて安和にして聖なる捧げ物を奉らん
    (正しく立って、神を畏れる気持ちで立とう。平和な心で聖なる献げものを捧げよう。)
信徒 安和の憐、讃揚の祭を、
    (平和の憐れみを。さんびの犠牲を)
司祭 願くは我が主イイスス ハリストスの恩み、神・父の慈、聖神の親しみ  は、爾衆人と偕に在らんことを、
    (私たちの主、イイススハリストスの恩寵と、神、父の愛と聖神の交わりがあなた方すべてとともにありますように。)
信徒 爾の神とも、
    (あなたのたましいとともありますように)
司祭 心上に向ふベし、
     (心を上にあげましょう)
信徒 主に向へり、
     (主の方に心を持ち上げましょう)
司祭 主に感謝すべし、
     (主に感謝を捧げましょう)
詠隊 父と子と聖神、一体にして分れざる三者に伏し拝むは当然にして義なり、 (父と子と聖神、一つの分けられない本性の至聖三者に礼拝するのは、当然で正しいことです。)