なごや聖歌だより
2004年9月号

天上の教会と地上の教会  


 外国の友人からこんなイコンが送られてきました。生神女マリアの両脇でダマスクのイオアンと聖歌者ロマンが歌っています。その下では地上の教会に集まった老若男女が神を讃える歌を歌っています。正教会では祈りの時、地上の教会は天に上げられ、私たちは本当に神の面前で聖人や天使とともに歌うのだと教えられます。
 私たちの歌は千年以上前にイオアンやロマンが作った歌です。伝説は、どんなに頑張っても上手にできなくて泣いて祈ってると生神女が巻物を入れて助けて下さったと伝えます。
 イコンの中央で生神女マリアはオモフォル(白い布)を私たちの上に広げておられます。私たちが神を求め、一生懸命祈り、歌うとき、この世の美を越えた喜びが豊かに与えられるのだと思います。

このイコンはインターネットで見られます。
http://members.home.nl/sarov/bmkliros.jpg


連載
聖歌の伝統 

正教会聖歌のなりたち−−エルサレムからナゴヤま


10.苦難の時代
−ロシア聖歌の成熟とバリエーション−

 13世紀からの200年はロシアにとっても正教会にとっても苦難の時代だった。モンゴルの大帝国はほぼロシア全土を支配下に置き、特にキエフは破壊し尽くされ、キエフ府主教座は北方のウラディミルに移された。当時のロシアは小さな公国に分かれ互いに紛争が絶えず、西からはドイツ騎士団やスウェーデンが常に侵略の機会をねらっていた。
 一方コンスタンティノープルも十字軍による支配(ラテン帝国1204-61)やオスマントルコの攻撃を受け、ロシア教会とビザンティンとの関係は次第に薄れていった。そのため13世紀以後コンスタンティノープルで起こった奉神礼や聖歌の改訂はロシアでは反映されなかった。
 ユーラシア大陸の中央にモンゴル支配地が広がったために、正教の中心は北西のノブゴロドや北方の湿地帯、また南西ロシアの山岳地帯へと押しやられ分断された。南西ロシアは独自の府主教を立てた。西方の影響を強く受けた、ロシア本土とは幾分異なる聖歌が発展してゆく(キエフ・チャント)。
 モンゴル支配が終息する15世紀以降、ロシアもモスクワ公国を中心に国家としてのまとまりを見せ始め、雷帝として知られるイワン四世の時代にはバルト海からシベリアに至る広い領土を支配した。
 イワン雷帝は恐怖政治で知られるがノブゴロドから聖歌手を招き宮廷聖歌隊を組織し、自らも聖歌(スティヒラ)を書いた。また1551年ストグラフ(百章)という教会会議を召集し、多数の改革が提案された。聖歌の面では「信経」と「天主経」を全員で歌うことなどが決められた。(ギリシアでは全員で唱える。歌わない。)
 ロシア聖歌はビザンティン以来、伝統的に単声(単音)であったが、16世紀ごろのノブゴロドの写本に三声聖歌が表れる。中の声部が主旋律で、即興で重唱で歌われたとされる。ロシアの多声音楽の出現についてはまだ決定的な学説がないが、ノブゴロドはハンザ同盟に属し西方との交易都市であったので市民が西洋の多声音楽にいち早く触れるチャンスは多かったのは確かだろう。
 このほかにディメストヴェニイというこの時代独特の多声聖歌が表れるが未解読の部分が多いのでここでは省略する。後代の合唱聖歌との直接の関係は見られないと言われる。


参考資料:ゼルノーフ『ロシア正教会の歴史』日本基督教団出版局、H.テュヒレ他『バロック時代のキリスト教』講談社、Gardner “Russian Church Singing” vol. 1-2, SVS, Morosan “One thousand years of Russian Church Music”, Musica Russica


料理の味

 昔、フランスで食べたフランスパンの味が忘れられなくて色々な店を食べ歩いたことがある。確かにフランスパンなのだが、どうしても日本のフランスパンは日本風の味がするような気がした。
 正教会の聖歌も、同じメロディを同じスラブ語で歌ってもアメリカのものはロシアと味が違う。まして日本語や英語で歌えばずいぶん違う。しかし正教会は無理してギリシア風やロシア風の味を守ることよりも、そこで手に入る最高の材料を使って神を讃美することを大切にしてきた。かつてコンスタンティノープルでは、パレスチナやアフリカや世界各地からやって来た正教徒が各国のことばとメロディで様々な聖歌を歌っていたそうである。
 だからロシア聖歌が歴史の中で西洋音楽の材料や味付けの影響を受けたとしても不思議はないし否定することもない。意図的に異質なものをとりいれることは正教の伝統に反するが、しらずしらずのうちに個々の皿の味付けが少々変わったとしても、正教の奉神礼という料理のコース全体からはずれていなければいいのである。ニコライ大主教の日記にも日本語の聖歌や日本風のメロディを歓迎した様子が見られる。モーツァルトの作品を演奏者が勝手に編曲することは考えられないが、聖歌がロシアのオリジナル曲と多少変化したとしても問題ではない。決め手は正教の奉神礼としてふさわしいかどうかにある。むしろ避けなければならないのは、西洋音楽の物差しを持ち込んで聖歌を単に音楽として審議することであろう。正教会は画一的でも硬直的でもない。