Instruction to Church Readers

誦経者(聖歌者)の手引き
「神を畏れる者は」

「正教会の祈祷、教役者と一般信徒のための実践的ガイド」(キエフ神学校のG.シマンスキー著から)


このページは英語のサイトからの翻訳です。
主に誦経者の注意すべき心得についての覚え書きですが、聖歌者としても参考になる点が多いと思います。聖歌を歌うときの、自分自身への反省もこめて、翻訳してみました。


神を畏れる心をもった敬虔な態度

1. 神を畏れる誦経者は、「今私は、教理や祈りのことばを自分に向かって、また教会で共に祈るすべての人々に向かって宣言しているのだ」ということを忘れてません。目には見えなくても、ここには神ご自身、また至浄なる母、天使、そして聖人たちが、いつも私たちと一緒にいます。主は心を知る者です。主はあなたが何を感じ、どんな態度で読んでいるかすべてご存じです。

2.神を畏れる誦経者は、自分の間違いや不注意などが、参祷者を誘惑するかもしれないことを知っています。ですから、神の怒りを畏れ、自分の不注意を大目に見ません。聖書には、「主のわざを行うことを怠る者はのろわれる。」(エレミヤ48:10)とあります。聖なる教会で、祈りのことばが読まれるとき、すべての信徒が耳を傾けています。そこでは、神のわざが行われているのです。

入念に準備する

3.誦経を担当する部分は、入念に準備します。正しく、意識的に、他の人にも意味が分かるようにするには、あなた自身が、前もって書かれていることを理解し、その上で注意深く、ことばの発音とアクセント、内容に気を配ります。もし、あなたが下手な読み手なら、何度も祈祷書の文を読んで慣れてしまいましょう。何度も読んで、誰か上手な人にチェックしてもらいましょう。

意味が分かるように読む

4.まず、自分自身が理解しましょう。そうすれば、読んでいる祝文や聖詠があなたの心に染み渡ります。敬虔な心で、正しく、きちんと、はっきりと慌てずに読まなければなりません。

5.同時に、教会で一緒に祈る人たちのことを忘れてはなりません。皆が理解できるように読みましょう。彼等もあなたと一緒に、一つの口で、一つの心で祈るのです。それが教会に集まって祈る目的です。

6.参祷者全員の祈りがあなたの唇にのせられ、神の宝座に上げられます。唱えられたことばのひとつひとつが、一緒に祈るひとりひとりの耳に響き、ひとりひとりのたましいに染み渡らなければなりません。

いそがず、はっきり、正確に読む

7.聖なる祈りを読む時、急いではなりません。速いばかりで聞き取れないような誦経で、祈りの意味を失わせて、神を怒らせることのないように。速すぎて不明瞭な誦経は、神のことばを心や思いで感じることができません。ザドンスクの主教聖ティーホンの言葉を借りれば、ただ速いだけの読み方や歌い方は、「怠け者にとっては喜び、正しき者にとっては悲しみと嘆息、そしてすべての参祷者にとっては誘惑と害」です。

8.早読みをしても、少数の者が喜ぶだけで、多くの人々から敬虔に祈るチャンスを奪ってしまいます。誦経者の不心得は、多くの人の祈りを邪魔し、誘惑することになります。人々が教会を離れていってしまう危険すらあります。神を畏れる誦経者はそれを知っていますから、慌てたり、ぞんざいに読んだりしません。正教会の中でセクト主義に傾いている人たち、また概して正教会を短絡的に見ている人たちは、不注意で不敬虔な誦経や歌を聴くと、「正教会なんてこんなものか」とすぐに失望し、正しい信仰から脱落して、ますますセクト主義になっていくか、信仰に冷笑的になってしまいます。誦経者(聖歌者)の不心得が、正教会の聖なる祈祷、教会、教役者、また教会そのものに汚名を着せます。ぞんざいな誦経は、祈祷書に盛られた豊かな内容と宗教的道徳的な教えを聞く者から奪うのです。

ですから誦経者は雑になりがちな速読みをしてはなりませんし、急ぐように頼まれても、神から与えられた大切な義務である「敬虔な誦経」をないがしろにしてはなりません。私たちは「人間に従うよりは、神に従うべき」(使徒5:29)です。

9.どのぐらいの速さがよいか目安としては、まず、内容を理解して読むことです。機械的につらつら読んだり、外面的な様式にとらわれず、内容に注意を払うことです。言い換えれば、あなたのたましい霊が祈れる速さがふさわしい速度です。

途中でつかえずに、すらすら読む練習をしましょう。ことばの発音、祈祷書の省略形、アクセント、音の高さ、声の大きさ、上げ下げなどがなめらかに行われなければなりません。読み方のテクニックにかかわることに、ほとんど気をとられなくなるまで練習し、読んでいる内容の意味に集中することです。誦経者は心で理解して読むのです。

10.ある種のリズムを保って読みなさい。聞いている人は祈りのことばの一つ一つを連続して理解することができ、心で感じていくことができます。敬虔な誦経者が読んだ時の感覚は、教会や家で精神と心を集中して祈ことで修得できます。速く読んだのでは、祈りの内容を捉え続け、精神と心で祈ることができないことがだんだんわかってきます。そうはいっても、不必要に伸ばして読むのもよくありません。

意味が分かるように区切って読む

11.祈りのことばの内容をよりわかりやすくするために、節(フレーズ)と節の間に少し間をおいて、若干声をひっぱって読みます。文そのものも、意味を分かりやすくするために、間をおいて(ゆっくりする)、意味で区切って読みます。

12.経験や技術の足りない初心者は、句読点に従って間をおくとよいでしょう。「、」は短く、「。」は少し長めにとり、声を引っ張ります。

教会の作法に従って正しく読む

13.古代から教会の守ってきた伝統に従って読みましょう。ことさらに強弱をつけずに、書いてあるとおりに素直に読みます。世俗的な芸術表現は、教会にはふさわしくありません。声色を変えたり、変化を付けたりして自分の感情を注ぎ込んではなりません。甘ったるさ、感傷、厳かさ、いかなる個人的感情も付け加えてはなりません。まして偽りの感情など論外です。誦経者は役者ではないのです。神のことばが聞き手の精神的な力を通して働けるようにします。自分の感動や経験を他の人にも与えてやろうとか、声に変化をつけて感動させてやろうなどと思うのは、うぬぼれや自尊心のなせるわざです。(主教イグナティウス・ブリアンチャニノフ)

14.自然な声で読みなさい。格好をつけてはいけません。あまり低いのもよくありません。低いとこもってしまい、聞きづらくなりますし、誦経者自身も疲れやすくなります。歌うときの自然な音の高さに近い音で読みます。

15.チャント(朗唱)の声で、半ば歌うように、淡々と同じ高さで読みなさい。上がり下がりは一音か半音です。これは正教会が大昔から行ってきた方法です。

16.慎み深い声で読みなさい。弱めたり強めたりしてはなりません。バランスよく読めば、すべてのことばが、祈る者の耳にはっきりと届きます。大教会の場合や参祷者が多い時、声が大きくなるのは当然ですが、だからといって叫んではいけません。

17.誦経者は祈祷書の前にまっすぐ立ちます。頭を振ったり、足から足へ体重を移動したり、片足を外に出したり、体を揺すったりしてはいけません。両手はぶらぶらさせず自然におろし、急がず、伸ばさず読みます。ことばをはっきりと(明瞭な発声、正しい発音、文の意味が通るように区切って)、正確に発音します。

アナロイの前で読むときは、覆い布が曲がったり、引っかかっていたりしないか注意し、万一落ちていたら拾ってください。

上手に読むために

18.わからないところがあったら、前もって司祭か誦経者に聞きなさい。読み始めてから聞いたり、探したり、ひそひそ声で教えてもらうのはよくありません。間違えたり、遅れたりするたびに参祷者がざわざわして、祈りから遠ざけられてしまいます。

19.上手な誦経者でも間違えて覚えていることがあります。ですから、常に自分をチェックして、誰かに指摘されたときは、逆らわず感謝しなさい。誰か他の人(カンターか敬虔ある誦経者)に聞いてもらって、間違いを指摘してもらいなさい。間違いを繰り返さないために。

うぬぼれず、まごつかず、びくびくしない

20.最高の誦経者も自惚れるとダメになります。まして、他の人に比較されてほめられたり、初心者の場合なおさらです。これを克服するためには、自分がいかに神の前においてふさわしくないかを見、自分の能力も声も神から与えられたのだということを思いだすことです。善のため、神に答えるために用いねばなりません。自分の役割を果たしているだけなら、高慢になることはありません。

21.誦経者や聖歌者などのクリロス(教衆)は、人をねたんだり、意地悪をしたりしてはなりません。逆に、神の光栄のために共に働けることを喜びましょう。

22.若い誦経者、初心者は不必要に戸惑ったり、びくびくしないようにしなさい。私たちは神の前で、神に向かって祈りを捧げるのです。人からどう見られるか、どう思われるかを考えないで、精神を集中して読みなさい。

教会の祈祷書の取り扱い

23.祈祷書は敬虔にていねいに取り扱いましょう。聖師父たちが聖神の恩寵に従って書いた歌や祈りがはいっています。ただの本ではなくて、聖なる本です。何世紀にもわたって、命を吹き込まれ、祈りがこめられ創造された教会全体の宝です。

24.祈祷書は注意深く取り扱いましょう、破ったり、汚したりしないで、きちんとページを繰りましょう。折らないでください。ページをめくるとき指をなめたり、鉛筆やインクでしるしをつけたり、訂正したりしてはいけません。

ロウソクを持って読むときは、行に沿って動かしてはいけません。融けたロウが落ちます。ろうそくは右でも左でも具合のいい脇で持ちましょう。

神は、神のわざを愛するよい優れた誦経者や聖歌者を祝福します。神の助けを頂いて、主のことばを聞くことができるでしょう。「良い忠実な僕よ、よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」(マタイ25:21)またあなたが不注意でなまけものであるなら、この預言者のことばを忘れてはなりません。主のわざを行うことを怠る者はのろわれる。(エレミヤ48:10)

家での準備

思慮深く、真摯で、正直で、信仰深い誦経者(聖歌者)は家で準備するのも聖なる仕事と考えます。祈祷書を借りて帰って、今度祈祷で読むところを暇な時間に読んでおきます。すると、祈祷の順番がわかりますし、家で、注意深く、じっくり何度も読むことで、意味が分かる誦経ができるようになります。そういう人が行う誦経や聖歌は、正確で、味わい深く、生き生きとして、誰にでもわかるもので、実り多く、喜びにみちたものとなります。

この指導書は「正教会の祈祷、教役者と一般信徒のための実践的ガイド」(キエフ神学校のG.シマンスキーが1956年にタイプ印刷したものを、1996年ペテルブルグSATIS出版で発行。) 英訳は1998年7月誦経者ダニエル・オルソン。 聖ニコラス教会のサイトから許可を得て、翻訳、ただし教会スラブ語の読み方に関する項は省略

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