1月5日/18日 神現祭前期

又聖致命者フェヲペムプト及びフェヲナ并に克肖女シンクリティキヤの記憶


晩課

「主よ、爾にぶ」に致命者の讃頌三、克肖女の三。

(致命者及び克肖女の奉事は皆月課經に載す)。

   光榮、今も、祭前期の讃頌、第六調。

イオルダン河よ、己を備へよ、蓋視よ、ハリストス神はイオアンより洗を受けん為に来る、其神性を以て爾の水の中に蛇の見えざる首を砕かん為なり。イオルダンの野よ、慶べ、諸山よ、楽しみて躍れ、蓋永久の生命はアダムを喚び起さん為に来る。嗚呼呼ぶ者の聲たる前駆イオアンよ、呼べ、主の道を備へ、其径を直くせよと。

   挿句に讃頌、第六調。

地及び地上の者よ、喜びて躍れ、甘味の流は河に洗を受けて、悪の灌漑を涸らし、神聖なる赦を流し給ふ。

句、故に我イオルダンの地より、エルモンより爾を記憶す。

光を施す者たるイイススは洗を受くるを要せずして、黒闇に居る者を照さんと欲して、身にてイオルダンの流に上り給ふ。我等信を以て熱切に彼を迎へん。

句、神よ、水は爾を見、水は爾を見て懼れたり。

ハリストスよ、爾は僕の形を受けて、僕よりイオルダンの流の中に洗を受けん為に来りて、我等を古の罪の奴隷より脱れしめ、我等を成聖し、光照し給ふ。

   光榮、今も、第六調。

イオルダンの野は歓ぶべし、花の如く榮ゆべし、其中に主の道を備へよと呼ぶ者の聲聞えたればなり。蓋水準を以て山を立て、尺度を以て谷を定め、神として一切を充つる者は僕より洗を受け豊なる恩賜を施す者は始めて貧しくなり給へり。エワは悲の中に子を生まんと聞けり、今童貞女は恩寵を蒙れる者、慶べよ、大なる憐を賜ふ主は爾と偕にすと聞き給へり。

   讃詞、第四調。

昔イリヤが上りて後、イオルダン河はエリセイの衣に由りて反りて、水左右に分れ、湿ひたる路は彼の為に乾ける路と為れり。此れ實に洗禮の形象なり、蓋我等は此に由りて生命の流るる途を渉る。ハリストスは水を聖にせん為にイオルダンに現れ給へり。一次。

晩堂課に規程。其冠詞は、今日も大なる「スボタ」を歌ふ。「イルモス」二次、讃詞六句に。後に「イルモス」を両詠隊共に歌ふ。第六調。

   第一歌頌

イルモス、昔逐ひつめし窘迫者を海の波にて匿しし主をイオルダンの流は覆ひて匿す、是れ今人として我を潔め給ふ者なり、彼厳に光榮を顕したればなり。

主我が神よ、我神現の歌頌と祭前期の詩賦とを爾に歌はん、蓋爾は神聖なる顕現を以て奥密に我等を新にして、神聖なる光照に升せ給ふ。

救世主よ、天上地下の者は爾が上に在りて、永遠の者にして、下に在りて新に現れたるを覩て驚き、爾が言に超ゆる謙卑を歌頌せり。

萬有を爾の光榮に満たさん為に爾は己をツクして僕の像にまで至り、今僕の如く首を僕の手の下に傾けて、我に潔浄と更新とを賜ふ。

   第三歌頌

イルモス、造物は爾、全地を寄する所なくして水の上に基けし者が、身にて水の中に匿るるを覩て、大く懼れてべり、主よ、爾の外に聖なるはなし。

爾曩には諸預言者を以て爾の神現の状を示し、今は實行を以て隠れたる事を知らせ、今日人々に秘密を顕して、新なる再生を賜ふ。

イオルダンは慄きて其水を背の如く伸べて、身にて洗せらるる造物主、主よ、爾の外に聖なるはなしとぶ衆を聖にする者を受く。

ハリストスは其神聖なる光照を感じ受けて、楽しみ歌ひて、人を愛する主よ、爾の外に聖なるはなしとぶ者に救の道の為に大なる備として洗禮を賜ふ。

   第四歌頌

イルモス、アウワクムは爾が洗禮の為に来るを先見して、驚きて呼べり、救世主よ、爾は爾の馬を海に放ちて、大水の淵を渉れり。

爾身にて現れしに、地は聖にせられ、水は祝福せられ、天は照され、人類は敵の甚しき苛虐より脱されたり。

今前駆は神の言に由りて野よりイオルダンに来りて曰ふ、悔改せよ、蓋天國は邇づきて、衆を神の光榮に召す。

先に海を陸に變じ、泉を巖より流しし主は、今イオルダンの流の中に神゜の火を以て諸罪の潔を行ひ給ふ。

   第五歌頌

イルモス、ハリストスよ、イサイヤは我等の為に仁慈に因りて行はれし爾が神聖なる顕見の暮れざる光を見て、夜中より醒して呼べり、光照せらるる者よ、来りて、神聖なる水にて洗はれ、神゜にて霊と體とを明に潔めよ。

造成主よ、爾は新なるアダムと為りて、地に生るる者を新にし、火と神゜と水とを以て奇異なる再生、神妙なる更新を行ひ、破壊と鎔解とを用いずして、神功の洗禮に由りて改め造り給ふ。

爾は神゜を以て霊を新にし、水を以て合成の體を聖にして、人を活ける者として改め造り、霊體の醫師なるに因りて、睿智なる摂理を以て両の者に適合する醫治を與へ給ふ。

救世主よ、爾は世々の先に父より生れし者にして、至浄なる童貞女より出で、胎の荒れたる婦より生れたる者に来りて、人として洗禮を求めたり、然れども水に因りて神゜を以て奥密に先に子なき教会を子の多き者と為し給へり。

   第六歌頌

イルモス、神聖なる授洗者は畏懼に圍まれたれども、長く留められざりき、蓋草にして火に近づくを避けんとしたれども、今姑く許せと聴きて、僕として急ぎて命に従ひ、上より永久の子を證する神聖なる聲を聞きたり。

爾はケサリの命に因りて籍に登りたれども、奴僕と為らざりき、我等を奴隷より釋かん為に甘じて服従し、殿税を納めたれども、我等先に罪の法を以て賣られたる者を今自由の者と為して、子たるに堪へさせ給へり。

救世主よ、爾は本性の王にして、王の位を有てども、世俗の如きにあらず、肉體を以てダワィドの族より生れて、其國の寶座を承けたれども、獨爾に属する権を有ち給ふ、世々の先より恒に父及び聖神゜と偕に王たればなり。

救世主よ、昔世の君及び水中に在る者の首と名づけられし者は、爾の洗滌に由りて仆されて、大隊が湖に於ける如く滅され、彼より奴隷とせられたる爾の手の造物は爾の権能の手にて釋かれたり。

   第七歌頌

イルモス、言ひ盡されぬ哉奇蹟や、爐に於て敬虔の少者を焔より救ひし者は首を傾け、僕に洗を請ひて、贖罪主神よ、爾は崇め讃めらると呼ぶ者を潔め給ふ。

昔イオルダンの流はウワギを以て截(き)られて、爾の洗禮を預象せり、是に因りて、神に爾は崇め讃めらると呼ぶ者の為に諸慾のウワギは裂かれ、不朽の衣は製らる。

富める哉流や、蓋己の中に洗せらるる造物主を受けて、生を施す水の泉と顕れたり、我等、贖罪主神よ、爾は崇め讃めらると歌ふ者の救の為なり。

我等は洗禮に於て三たび水に沈めらるるを以て奥密に神聖なる死を像りて、ハリストスと共に起き、三日目の復活に與りて、ハリストスに呼ぶ、爾は世々に崇め讃めらる。

父と子と聖神゜との惟一の恩寵は、信を以て神聖なる洗禮を望む者をして價なく全備せしめ、之に子たる権を與へて呼ばしむ、神よ、爾は崇め讃めらる。

   第八歌頌

イルモス、天よ、畏れて戦け、地の基は動くべし、蓋視よ、昔水を以て神妙に義人の祭を焼きし者は水を衣せらる、少者よ、彼を崇め讃めよ、司祭よ、讃め歌へ、民よ、萬世に尊み崇めよ。

ハリストスは洗禮を以て衆信者に救を施さん為に来る。蓋此を以てアダムを潔め、陥りし者を起し、倒しし暴虐者を辱しめ、天を開き、神聖なる神゜を降し、不朽に與ることを賜ふ。

敵の迷は熄みたり、蓋野に呼ぶ者の聲は命じて言ふ、主の道を備へ、其径を悉く直くせよ、谷は填められ、地上の者の性は挙げられ、諸敵の山と岡とは卑くせらる。

嗚呼至榮なる賜や、嗚呼神聖なる恩寵及び言ひ盡されぬ仁愛や、蓋視よ、造物主及び主宰、罪なき者は、我の性を衣て、今イオルダンに於て水を以て我を潔め、火を以て我を照し、神聖なる神゜を以て我を全備せしめ給ふ。

   第九歌頌

イルモス、悪に服せし人々よ、失望の網に括められて、徒に泣く毋れ、我等霊の傷感に於て、獨潔き者として一切を浄め、洗禮を以て赦を賜ふ主に就かん。

神の言よ、爾は先に童貞女より性に超えて神妙に生るるを以て榮を顕せり。今は尊貴なる洗禮に與りて、洗盤を以て聖神゜に由りて多くの子を産する大なる機密を立て給へり。

言よ、爾の聖なる降誕に因りて地は聖にせられ、天は星を以て爾の光榮を傳へたり。今は爾身を以て洗を受くるに因りて水の性は祝福せられ、地に生るる族は初の良産に回されたり。

地は皆喜ぶべし、天は楽しむべし、世界は祝ふべし、河は手を拍つべし、泉と池と淵と海とは共に欣ぶべし、蓋ハリストスは神聖なる洗を以てアダムを潔めて救はん為に来り給ふ。

   又「イルモス」、及び躬拝。

 

早課

「主は神なり」に祭前期の讃詞、三次。

   「カフィズマ」の第一の誦文の後に坐誦讃詞、第一調。

イオルダン河よ、楽しめ、蓋萬有の造成主は、慈憐なるに因りて、甘じて爾の中に僕より洗を受けん為に来る。アダム及び原母エワよ、喜びて祝へ、衆の救なる至仁の神は来り給へり。

   光榮、今も。同調。

甘味の流なる主宰は我に潔浄の水を飲ませんと欲して、河の流水に洗を受けん為に来る。イオアン彼を見て呼べり、何如ぞ我が手を萬有の戦く所の爾の首に按せん。

   第二の誦文の後に坐誦讃詞、第二調。

仁慈なる主よ、爾はアダムの裸體に光榮の衣を衣せて、イオルダン河に身にて裸體とならんと欲す。嗚呼至榮なる奇蹟や、主宰主よ、何如に水は爾、録さるる如く、水の上に爾の宮を建つる者を戴かん。恩主イイススよ、我等皆爾の顕見を歌ふ。

   光榮、今も、同調。

雲たる童貞女より光り出でたる大なる日はイオルダンに輝かん為に往く、是れ罪の幽闇を逐ひ、世界の四極を照し給ふハリストス我等の神なり。我等敬虔の心を抱き、大なる憐を蒙らん事を求めて、其光照を受けん為に祈らん。

規程三篇。祭前期の規程、「イルモス」と共に六句に、「イルモス」二次。救命者及び克肖女の二規程、八句に、月課經に載す。

   祭前期の規程、第一調。

   第一歌頌

イルモス、イズライリは苦しき奴隷より脱れて、渉られぬ處を陸の如くに過れり。敵の溺るるを見て、恩主たる神、高き臂を以て奇蹟を行ふ者に歌を奉る、彼光榮を顕したればなり。

ハリストスは洗の為に往き、ハリストスはイオルダンに来り、ハリストスは仁慈なるに因りて今我等の罪を水の中に葬る。我等楽しみて彼に歌はん、彼光榮を顕したればなり。

叢雲は楽しみて永遠の楽を注ぐべし、ハリストスイイススはイオルダンの水を以て罪の流を溺らして.衆に光照を賜はん為に来り給ふ。

視よ、光は現れ、視よ、潔浄は示され、視よ、救世主は前に立ちて、幽闇に居る者に神聖なる光線を輝かさんと欲す。我等清き思を以て欣ばしく彼を接けん。

   第三歌頌

イルモス、死すべき者は己の智慧と富とを以て誇るべからず、主を信ずる信を以て誇りて、正しくハリストス神に呼びて、常に歌ふべし、主宰よ、爾の誡の石に我を固め給へ。

世の無き先より父及び聖神゜と偕に坐する主、末の時に親ら知るが如く童貞女より身を取りし、ハリストスは今洗の為に来りて、神聖なる浴盤を以て衆に不死を賜ふ。

ハリストス神は大なる憐に因りて我等の罪をイオルダンの流水に葬らんと欲して、来りて、洗禮を以て我等朽ちたる者を改め造り給ふ。

ハリストス獨憐多き主よ、爾は原祖アダムの耻づべき裸體を蔽ひて、甘じて裸體と為り、水の上に爾の宮を建つる者にして、己をイオルダンの流にて蔽ひ給ふ。

   祭前期の小讃詞、第二調。

ハリストスよ、爾は仁慈に因りて衆の多くの罪を除かんと欲し、量り難き慈憐を以て人の如くイオルダンの水に洗を受けん為に来りて、我無慙に古の光榮をがれたる者に衣を着せ給ふ。

   聖人等の坐誦讃詞、月課經に載す。

   光榮、今も、祭前期の、第一調。

大なる雨は河の流に来りて、身を以て洗を受けんと欲す。神聖なる前駆は驚きて彼に謂へり、何如ぞ我爾聊も汚なき者に洗を授けん、何如に我が右の手を萬有の戦く首に按せん。

   第四歌頌

イルモス、ハリストスよ、昔アウワクムは爾の奇妙なる風聲を聞きて、懼れて呼べり、神は南より来り、聖なる者は樹蔭繁き山より来りて、其膏つけられし者を救はん。主よ、光榮は爾の力に帰す。

生命の水を汲め、視よ、今實に平安の河は来りて、不信の濁りたる水を涸らし、彼に主よ、光榮は爾の力に帰すと歌ふ者に光照を流し給ふ。

曾て乾ける野たる人々の全性よ、楽しめ、今甘味の流は顕れて、イオルダンの水を以て罪の旱を釋く。我等信を以て彼に歌ふ、主よ、光榮は爾の力に帰す。

呼ぶ者の聲は預言に適ひて曠しき思に響きて云ふ、来り給ふハリストスの為に直き途を備へよ、彼が洗禮を以て古びたる我等を浄めて、古の定罪を解かん為なり。

   第五歌頌

イルモス、ハリストスよ、我等信を以て爾を歌ふ者の心に爾の入らざる光を輝かして、智慧に超ゆる平安を我等に與へ給へ、我等が爾の光に由りて無知の夜より日に趨りて、爾人を愛する主を讃栄せん為なり。

ハリストスよ、爾は平安の王にして、地に居る者に肉の形にて現れて、仇の隔を毀ち給へり。故にイオアンは爾の来るを見て、爾に手を按するを命ぜられて、驚き畏れたり。

ハリストスは今急ぎて水中に蛇の頭を砕かん為に来り、戦ける授洗者に呼ぶ、爾の手を舒べて我の首に触れよ、畏を退けて、命ぜられしことを行へ。

昔預言者は衣を以てイオルダンの流を撃ちて、神聖なる神゜に由りて洗禮の恩寵を顕せり、蓋流は分れて、其中に現れしハリストスに由る神聖なる重生の途を我等の為に啓けり。

   第六歌頌

イルモス、我全身無量の慾に圍まれて、諸悪の淵に陥れり。祈る、神よ、曩にイオナを救ひし如く、我を淪滅より引き上げて、信に由りて我に無慾を賜へ、我が讃美の聲と眞實の神゜とを以て爾を祭らん為なり。

ハリストスは慈憐の多きを顕して、變易なき者にして僕の形を以て僕に来り、洗を請ひて、人々を奴僕より脱し給ふ、イオアンは彼の来るを驚きて、畏れ慄く。

無原なる神の言よ、何如に河の流は爾堪へ難き火、今行く者を受けん、何如に天の使等は爾の裸體を覩ん、何如にイオアンは爾彼を地より造りし者に手を按せん。

海は走り分れて、新なる民の為に神聖なる渉を示せり、是れ至榮にして石より水を流しし者が肉體にて河に来りて為しし所なり。我等は彼を我が壊を改め造りし神として讃栄せん。

   祭前期の小讃詞、第四調。

主は今日イオルダンの流に在りてイオアンに呼ぶ、我に洗を授くるを畏るる毋れ、蓋我は始めて造られしアダムを救はん為に来れり。

   同讃詞

我爾授洗者に界を踰ゆることを促さず、爾が不法の者に言ひ、罪人等に誨ふることを我に告げよと言はず、唯黙して我を洗して、洗禮に由ることを待て、之に因りて爾は天使等にもあらざりし尊榮を受けんとすればなり。蓋我爾を悉くの預言者より大なる者と為さん、彼等の中一人も明に我を見ざりき、唯比喩に影に夢に於てせり、爾は己の前に立つ者として見たり。蓋我は始めて造られしアダムを救はん為に来れり。

   第七歌頌

イルモス、昔敬虔に由りて明に聖なる者と現れし少者は、婚筵の宮を過るが如く、爐の堪へ難き焔を渉り、聲を合せて歌を歌へり、先祖の神よ、爾は崇め讃めらる。

救なるハリストスは現れて、光照を賜ふ。天は歓ぶべし、雲は實に、先祖の神よ、爾は崇め讃めらると呼ぶ者に義を注ぐべし。

ハリストスよ、ゲデオンが見し所の羊の毛、水を滴らせて盂に盈てたる者は、明に我等の洗禮を示せり、爾が洗せられて、先祖の神よ、爾は崇め讃めらると歌ふ者に賜ふ者なり。

エリセイは塩を以て生産なからしむる水を治して、奥妙に、先祖の神よ、爾は崇め讃めらると歌ふ者にあらんとする尊き洗盤の多産を前兆せり。

   第八歌頌

イルモス、昔火と露との爐は天然に超ゆる奇蹟の象を示せり、蓋火は少者を焚かずして、ハリストスの童貞女よりの種なき神聖なる産を顕せり。故に我等歌ひて呼ばん、悉くの造物は主を崇めて萬世に讃め揚げよ。

我等聲を高くして讃歌を主宰に奉らん、雲を以て天に衣する者は来り、現れ、水に上り、裸體と為り、洗を受けて、我等を浄め給ふ。故に我等歌ふ、悉くの造物は主を崇めて萬世に讃め揚げよ。

来りて、思を馳せてイオルダンに適き、彼處に大なる顕見を観ん、蓋光照たるイイススは臨みて、僕の手の下に屈み給ふ。故に彼は戦きて呼ぶ、悉くの造物は主を崇めて萬世に讃め揚げよ。

イサイヤの見たるヤケ炭はイオルダンの水の中に燃えて、罪の悉くの物質を焚き盡し、壊れたる者に改造を與へたり。故に我等歌ひて呼ばん、悉くの造物は主を崇めて萬世に讃め揚げよ。

   第九歌頌

イルモス、童貞女の秘密は言ひ難し、蓋彼は天と現れ、ハリストス神全能者のヘルワィムの寶座及び光を放つ宮と現れたり。我等敬虔に彼を生神女として崇め讃む。

我奇異にして至榮なる秘密を瞻る、イイススは甘じてイオルダン河に来りて、イオアンに呼ぶ、友よ、爾の右の手を我、吾が民を益せん為に畏るべき事を行ふ者に假せ。

イオルダンの野は華さくべし、幽暗に伏す者は大なる光の爾等に現れしを見て楽しめ。ハリストスはガリレヤより来りて、肉體にて僕より洗を受けんことを望み給ふ。

イオルダンよ、今楽しみて躍れ、イオアンよ、祝へ、全世界よ、歓べ、観よハリストスは現れ、裸に為り、洗を受けて、人間に不朽の衣を衣せ給ふ。

   光耀歌

イオルダンは爾が裸に為りしを見て、戦きて、素妊まざる者より生れし者に謂へり、嗚呼イオアンよ、火と神゜とを以て萬物を浄むる主に洗を受けんことを許せ、蓋彼は斯く地上の者と水の性とを聖にせん為に来り給へり。

   光榮、今も、

ワィフレエムに童貞女より肉體を以て輝き出でし者は今イオルダンに急ぎ往く、神聖なる洗を以て地に生るる者の汚を洗ひて、幽暗に居る者を光に導かん為なり。

「凡そ呼吸ある者」に四句を立てて、左の讃頌を歌ふ、第六調。

授洗者よ、何ぞ我が衆の救の為に行ふ摂理を察せざる、今故きを遺てて新なることを思へ、降りし神を信じ、就きて我に役せよ。蓋神は慈憐に因りてアダムを堕落より潔めん為に来れり。

イイススよ、爾は我等の罪を肩に荷ひて、イオルダンの流に臨み給へり、我は爾の畏るべき来臨に驚けり。何如ぞ我に洗を爾に授けんことを命ずる、親ら我を浄めん為に来り給へり、何ぞ衆の潔浄なる者にして、我に洗を求むる。

吾が性の言は暁り難し、我僕の形を衣てイオルダンに来れり、聊も我より避くる勿れ、進め、畏るる勿れ、我に近づけ。爾の右の手を我が首に按せて呼べ、現れし我が神は崇め讃めらる、光榮は爾に帰す。

嗚呼神の言よ、爾の無量の謙遜は智慧に超ゆ、我は爾が慈憐に因りて陥りし我の為にアダムを衣て、アダムよりする者を改め給ふを知れり。爾の命に従ひて、信を以て爾に呼ぶ、現れし我が神は崇め讃めらる、光榮は爾に帰す。

   光榮、同調。

イオアンは戦慄を以て主宰に役して、霊に喜び、楽しみて呼ぶ、原祖の衆族は我と偕に歓べ、蓋我等の期望は来り、ハリストスは仁慈なるに因りて衆をアダムの罪より潔めん為にイオルダンに来り給へり。

   今も、同調。

人々よ、童貞女より生れ、イオルダンの河に洗を受くる者を歌ひて、彼に呼ばん、萬物の王よ、我等に定罪なく、浄き良心を以て、爾の死よりの聖なる三日目の復活に至らんことを賜へ。

   挿句に讃頌、第二調。

視よ王、視よイズライリの期望は来れり、人々よ、喜べ、蓋光は現る。

句、故に我イオルダンの地より、エルモンより爾を記憶す。

今神聖なる光は肉體と共に地に居る者に見られ、幽暗に居る者に顕れて、恩寵は衆に輝けり。

句、神よ、水は爾を見、水は爾を見て懼れたり。

預言者よ、燈としては光に、暁としては日に、前駆としては言に、友としては新娶者に奉事せよ。

   光榮、今も第八調。(アナトリイの作)。

胎内に在りて我羔を知りたるイオアン授洗よ、河に於て我に役せよ、天使等と偕に我に奉事せよ、爾の手を舒べて、我が至浄なる首に触れよ。山の震ひ、イオルダンの反るを見る時、是等と偕に呼べ、我等の救の為に童貞女より身を取りし主よ、光榮は爾に帰す。

   「至上者よ主を讃栄し」の後に聖三祝文。「天に在す」の後に讃詞。次ぎて聯祷。發放詞。

神現祭前日の時課式に関する指定はハリストス降誕祭前日の時課式に載する所の如し。(第101頁を看よ)。

 

神現祭前日の時課式

   第一時課

司祭曰く、我等の神は恒に崇め讃めらる、今も何時も世々に。

誦經者、「アミン」。我等の神よ、光榮は爾に帰す、光榮は爾に帰す。「天の王」。聖三祝文。「天に在す」の後、司祭高聲、「蓋國と権能」。誦經、主憐めよ、十二次。光榮、今も、「来れ我等の王」、三次。

   次に第五聖詠

主よ、我が言を聴き、我が思を悟れ云云(第102頁を看よ)。

   第二十二聖詠

主は我の牧者なり、我萬事に乏しからざらん。彼は我を茂き草場に休はせ、我を静なる水に導く。我が霊を固め、己が名の為に我を義の路に赴かしむ。若し我死の蔭の谷を行くとも、害を懼れざらん、蓋爾は我と偕にす、爾の杖爾の挺は是れ我を安んず。爾は我が敵の目前に於て我が為に筵を設け、我が首に膏を潤し、我が爵は満ち溢る。願はくは斯く爾の仁慈と慈憐とは我が生命ある日我に伴はん、然せば我多くの日主の家に居らん。

   第二十六聖詠

主は我が光、我が救なり、我誰をか恐れん、主は我が生命の防固なり、我誰をか懼れん。若し我の仇我の敵たる悪者は我を攻めて、我が躯を食はんと欲せば、彼等自ら躓きて仆れん。軍隊陣を列ねて我に敵すとも、我が心懼れざらん、軍起りて我を攻むとも、我に尚恃あり。我一事を主に願へり、我唯之を求む、即我生涯主の家に居り、主の美しきを仰ぎ、其聖殿に升るを得ん、蓋彼は我が患難の時に於て、或は我を其幕の中に蔽ひ、我を其住所の秘なる處に匿し、我を磐の上に挙げん。其時我が首は我を環る敵の上に昂らん、我其幕の中に讃榮の祭を捧げて、主の前に歌ひ頌はん。主よ、我が呼ぶ聲を聞け、我を隣み、我に耳を傾け給へ。我が心は爾の言を云ふ、爾等我が顔を尋ねよと、主よ、我爾の顔を尋ねん。爾の顔を我に隠す毋れ、怒りて爾の僕を退くる毋れ。爾は我を佑くる者たりき、神我が救主よ、我を棄つる毋れ、我を遺す毋れ、蓋我が父我が母は我を遺せり、唯主は我を納れん。主よ、我に爾の途を訓へよ、我が敵の故に我を義の路に導き給へ。我を我が敵に付して其意に任す毋れ、蓋偽の證者は起ちて我を攻めて、悪気を吐く。然れども我信ず、我が主の仁慈を生ける者の地に見るを得んことを。主を恃め、勇め、爾の心は固くなるべし、主を恃め。

   光榮、今も、「アリルイヤ」。三次。主憐めよ。三次。

   光榮、讃詞、第四調。

昔イリヤが上りて後、イオルダン河はエリセイの衣に由りて反りて、水左右に分れ、湿ひたる路は彼の為に乾ける路と為れり。此れ實に洗禮の形象なり、蓋我等は此に由りて生命の流るる途を渉る。ハリストスは水を聖にせん為にイオルダンに現れ給へり。

   今も、生神女讃詞。

嗚呼恩寵に満たさるる者よ云云(第105頁を看よ)。

次ぎて左の讃詞を歌ふ、各二次、第八調。(イエルサリムの總主教ソロフニイの作)。

今水の性は聖にせられ、イオルダンは分れ、主宰が洗を受くるを見て、其水の流を停む。

左列詠隊同讃詞を附唱なくして歌ふ。

次ぎて右列詠隊左の附唱及び讃詞を歌ふ。

句、故に我イオルダンの地より、エルモンより爾を記憶す。

ハリストス王よ、爾は人の如く河に来給へり、善にして人を愛する主よ、爾は我等の罪の為に前駆の手より僕の洗禮を受けんことを願ふ。

左列詠隊第二の附唱を歌ふ。

句、神よ、水は爾を見、水は爾を見て懼れたり。

   復同讃詞。次に光榮、

主よ、爾は僕の形を受けて、主の道を備へよと野に呼ぶ者の聲に就き、罪を知らざる者にして洗禮を求め給へり。水は爾を見て懼れ、前躯は戦きて呼びて曰へり、如何ぞ燈臺は燈を照さん、如何ぞ僕は主宰に手を按せん、世界の罪を任ふ救世主よ、我と水とを聖にせよ。

   今も、同上。

   次に提綱、第四調。

主は天に轟き、至上者は己の聲を與へたり。句、主我の力よ、我爾を愛せん、主は我の防固なり。

   喩言

   イサイヤの預言書の読(第三十五章)。

主是の如く言ふ、荒野と枯れたる地とは楽み、沙漠は喜びて百合の如く華を開かん。盛に咲きて喜び、祝ひて歌はん。リワンの光栄、カルミルとサロンとの華美は彼に與へられん。彼等は主の光栄と我が神の大なる事とを見ん。弱りたる手を強くし、顫える膝を固くせよ。心の卑怯なる者に言へ、強くなれ、懼るる毋れ。視よ、爾等の神は此に在り。復讐は来り、神の報は来らん。彼来りて爾等を救はん。其時瞽者は目を明き、聾者の耳は啓かん。其時跛者は鹿の若く躍り、唖者の舌は歌はん。蓋荒野に水涌き出で、沙漠に川は流れん。水の幻像は変じて湖と為り、乾きたる地は水の源とならん。野犬の臥す所の棲處には、葦ととの茂る處あらん。彼處に大路あり。其道は聖なる道と名づけられん。不浄の者は之を過ぎざらん。此れ唯彼等の為に備へらる。是の道を行く者は、未熟なりとも迷はざらん。彼處には獅無く、猛獣も之に登らず、彼處に於て之に遇はざらん。唯贖われたる者は行かん。主に依りて救はれし者は帰り、歓び呼びてシオンに来らん。永遠の喜は其首の上に在り。彼等は喜と楽とを得ん。哀と歎とは離れ去らん。

   聖使徒行實の読(三十三端)

彼の日イオアン其職を卒ふるに臨みて曰へり、爾等我を誰なりと意ふか、我は彼に非ず、然れども視よ、我に後れて来る者あり、我其足の履を解くにも堪へずと。兄弟よ、アウラアムの族の諸子、及び爾等の中に神を畏るる者よ、此の救の言は爾等に遣されたり。蓋イエルサリムに居る者、及び其有司等は、彼を識らずして、彼を罪に定めて、安息日毎に読む所の預言者の言を応はせ、一も死に當る故を獲ずして、ピラトに彼を殺さんことを求めたり。一切彼を指して録されし事を卒へて後、彼を木よリ下して、墓に置けり。然れども神は彼を死より復活せしめたり。彼は多日の間、彼と偕にガリレヤよりイエルサリムに上りし者に現れたり、彼等は今民の前に彼を證する者なり。我等も爾等に福音して云ふ、我が先祖に賜はりし許約は、神之をイイススを復活せしめしを以て、其子孫なる我等に応はしめたり。

輔祭、睿智、粛みて立て、聖福音經を聴くべし。

司祭、マトフェイに因る聖福音經の読(五端)

彼の時授洗イオアン来り、イウデヤの野に於て教を宣べて曰く、悔改せよ、蓋天国は邇づけり。此の人は、乃預言者イサイヤの言ひし者なり、曰く、野に呼ぶ者の声ありて云ふ、主の道を備へ、其径を直くせよと。イオアンは駱駝の毛衣を衣、腰に皮の帯を束ね、蝗蟲と野蜜とを其食とせり。当時イエルサリムと全イウデヤと、イオルダンの四方と出でて、彼に就き、己の罪を認めて、イオルダンに於て彼より洗礼を受けたり。イオアンはファリセイ及びサッドゥケイ等の多く其洗を受けん為に来るを見て、之に謂へり、蝮の類よ、誰か爾等に将来の怒を避くることを示したる、然らば悔改に合う果を結べ、自ら意ひて、我等の父はアウラアムなりと云ふ勿れ、蓋我爾等に語ぐ、神は此の石よりアウラアムの為に子を興すを能す、既に斧も樹の根に置かる、凡そ善き果を結ばざる樹は斫られて、火に投げられん、我水を以て爾等に洗を授けて悔改せしむ、然れども我の後に来る者は更に我より強し、我其履を提ぐるに堪へず、彼は聖神゜及び火を以て爾等に洗を授けん。

   次に讃詞

我が足を爾の言に固め給へ云々(第109頁を看よ)。

   聖三祝文。「天に在す」の後に司祭、「蓋國と権能」。

   小讃詞、第四調。

主は今日イオルダンの流に在りてイオアンに呼ぶ、我に洗を授くるを畏るる毋れ、蓋我は始めて造られしアダムを救はん為に来れり。

主憐めよ。四十次。次に祝文、「何の日何の時にも」。(第110頁を看よ)。主憐めよ。三次。光榮、今も、「ヘルワィムより尊く」。神゜父よ、主の名を以て福を降せ。

司祭、神よ、我等に恩を被らせ、我等に福を降し、爾が顔を以て我等を照し、並に我等を憐み給へ。

誦經、「アミン」。次に祝文、「眞の光なるハリストス」。(第111頁を看よ)。

 

第三時課

来れ、我等の王、神に叩拝せん。三次。

   第二十八聖詠

神の諸子よ、主に献ぜよ、光栄と尊貴とを主に献ぜよ、主に其名の光栄を献ぜよ、主に其美しき聖所に伏拝せよ。主の聲は水の上に在り、光栄の神は轟けり、主は多水の上に在り。主の聲は強く、主の聲は厳なり。主の聲は栢香木を摧き、主はリワンの栢香木を摧きて、之を犢の如く躍らせ、リワンとシリヲンとを稚き野牛の如く躍らす。主の聲は火の焔を撃ち出す。主の聲は曠野を震わせ、主はカデスの曠野を震わす。主の聲は鹿に子を生ませ、又林を露わす、主の殿の内には其光栄を伝へざる者なし。主は洪水の上に坐せり、主は坐して世々に王たらん。主は其民に力を賜ひ、主は其民に平安の福を降さん。

   第四十一聖詠

神よ、我が霊爾を慕ふこと、鹿が水の流を慕ふ如し。我が霊は勇毅生活の神に渇く、我何の時にか至りて神の顔の前に出でん。人毎日我に向ひて、爾の神は何処に在ると言いし時、涙は晝夜我の食となれり。我此を記憶して、我が霊を注ぐ、蓋我嘗て大衆の中に行き、彼等と偕に慶賀する会の忻喜讃栄の聲を以て神の家に入れり。我が霊よ、爾何ぞ悶え、何ぞ擾るる、神を恃め、蓋我仍彼我が救主我が神を讃栄せん。我が霊我の衷に悶ゆ、故に我イオルダンの地より、エルモンよりツォアルの山より爾を記憶す。爾が瀑布の聲を以て淵は淵を呼ぶ、爾の悉くの水、爾の波は我が上に度れり。晝に主は其憐を顕し、夜に我彼に歌い、我が生命の神に祷らん。我神我を護る者に告げん、爾何ぞ我を忘れたる、我何ぞ敵の侮に因りて憂ひて行く。我が敵は我を辱しむること、我が骨を撃つが如く、毎日我に向ひて、爾の神は何処に在ると言ふ。我が霊よ、何ぞ悶え、何ぞ擾るる、神を恃め、蓋我仍彼我が救主我が神を讃栄せん。

   第五十聖詠

「神よ、爾の大なる憐に因りて」。(第112頁を看よ)。光榮、今も、「アリルイヤ」。三次。主憐めよ。三次。光榮、讃詞、第四調、「昔イリヤが上りて後」。(第260頁を看よ)。今も、生神女讃詞、「生神女よ、爾は實の葡萄の枝」。(第114頁を看よ)。

   次ぎて左の諸讃詞、第八調。

前駆・授洗・預言者、悉くの預言者より尊き者が、今爾世界の諸罪を潔むる神の羔を見る時、其右の手て顫ひ、彼畏を抱きて呼べり、言よ、我爾の首に觸るるを敢てせず、慈憐の者よ、親ら我を聖にし、我を光照し給へ、蓋爾は世界の生命、光及び平安なり。二次。

句、故に我イオルダンの地より、エルモンより爾を記憶す。

   次に讃詞、第四調。

三者我等の神は今日分離なく己を我等に顕し給へり。蓋父は明なる證を以て己の子を宣言し、聖神゜は鴿の形にて天より降り、子は其至浄なる首を前駆の前に屈め、洗を受けて、人類を奴隷より救ひ給へり、人を愛する主なればなり。

句、神よ、水は爾を見、水は爾を見て懼れたり。

   復右の讃詞。

   光榮、第五調。

生命を賜ふ主よ、爾は肉體を以てイオルダンに来り、人の形に於て洗を受けんと欲す、仁慈なるに因りて、迷はされし我等を凡の蛇の悪謀と網より脱して、光照せん為なり。父は爾の為に證し、神聖なる神゜は鴿の形を以て爾に現れたり。人を愛する主よ、祈る、之を我等の霊に居らしめ給へ。

   今も、同上。

   提綱、弟六調。

神よ、水は爾を見、水は爾を見て懼れたり。句、我が聲神に向ふ、我彼に呼ばん、我が聲神に向ふ、彼我に聆かん。

   イサイヤの預言書の(一章)

主是くの如く言ふ、己を洗ひ、己を浄めよ、爾等の悪業を我が目の前より去れ、悪を行ふを罷めよ、善を行ふを学べ、義を求めよ、虐げらるる者を救へ、孤子を護れ、寡婦の訟を理めよ。主云く、其時来りて論議せん、爾等の罪若し紅の如くならば、我之を雪の如く白くせん、若し丹の如く赤くば、羊の毛の如く白くせん。爾等若し肯ひて順はば、地の善物を食はん、若し肯はずして逆はば、剱爾等を齧まん、蓋主の口之を言ふ。

   聖使徒行實の讀(四十二端)

彼の日アポルロスのコリンフに居る時、パワェル上地を経て、エフェスに来り、或門徒等に遇ひて、之に謂へり、爾等は信ぜし後聖神゜を受けしか。彼等曰へり、我等は聖神゜の有ることだに聞かざりき。彼曰へり然らば爾等は何に因りて洗を受けしか。彼等曰へり、イオアンの洗禮に因りてなり。パワェル曰へり、イオアンは悔改の洗を授けて、人人に彼に後れて来る者、即ハリストスイイススを信ずベきことを言へり。彼等之を聞きて、主イイススの名に因りて洗を受けたり。パワェルが彼等に手を按するにびて、聖神゜彼等に降り、彼等異方の言を言ひ、且預言せり。其数約十二人なりき。パワェル會堂に入りて、毅然として言ひ、三月間神の國の事を論じ、且勧めたり。

   福音經はマルコ一端

神の子イイススハリストスの福音の始なり。諸預言者に録されしが如し、云く、視よ、我我が使を爾の面前に遣し、爾に先だちて、爾の道を備へしめん。野に呼ぶ者の声ありて云ふ、主の道を備へ、其径を直くせよと。イオアン野に在りて洗を授け、罪の赦の為に改悔の洗礼を伝へたり。イウデヤの全地及びイエルサリムの人人出でて、彼に就き、己の罪を認めて、皆イオルダン河に於て彼より洗を受けたり。イオアンは駱駝の毛衣を衣、腰に皮の帯を束ね、蝗蟲と野蜜とを食へり。彼宣べて曰へり、我の後に更に我より強き者は来る、我は屈みて、其履の帯を解くにも堪へず。我は水を以て爾等に洗を授けたり、彼は聖神゜を以て爾等に洗を授けん。

次に「主は日々に崇め讃めらる」。(第117頁を看よ)。聖三祝文。「天に在す」の後に司祭、「蓋國と権能」。小讃詞、第四調、「主は今日イオルダンの流に在りて」。(第264頁を看よ)。主憐めよ。四十次。次に祝文、「何の日何の時にも」。(第110頁を看よ)。主憐めよ。三次。光榮、今も、「ヘルワィムより尊く」。神゜父よ、主の名を以て福を降せ。

司祭、吾が諸聖神゜父の祈祷に依りて、主イイススハリストス我等の神よ、我等を隣めよ。

誦經、「アミン」。次に祝文、「主宰神父全能者」。(第118頁を看よ)。

第三及び第六時課には、輔祭唯福音經、聖像、司祭、及び両詠隊の前に爐儀を行ふ。

 

第六時課

来れ、我等の王、神に叩拝せん。三次。

   第七十三聖詠

神よ、何為れぞ永く我等を棄て、爾の怒は爾が草苑の羊に燃えたる。爾が古より獲たる會、贖ひて爾が嗣業の柄となしし者、即爾が居る所の此のシオン山を記憶せよ。爾の足を歴代の廃址に動かせ、敵は聖所に於て悉く毀てり。爾の敵は爾の會の中に吼え、我が幟に代へて己の記號を樹てたり。己を顕はすこと、高く斧を挙げて交りたる樹の枝を伐らんとする者の如くせり。今彼等は斧を以て鉞を以て、一時に其悉くの彫刻を毀てり。爾の聖所を火に付し、全く爾の名の住所を汚せり。其心に謂へり、全く彼等を壊らんと、遂に地上にある神の會の處を盡く焚けり。我等は我が幟を見ず、預言者已になし、我等の中誰も此くの如きことの何の時に至らんとするを知る者なし。神よ、敵の謗ること何の時に至らんか、豈に仇は永く爾の名を侮らんや。爾何胡為れぞ爾の手、爾の右の手を避くる、爾が懐の中より彼等を撃ち給へ。神、我が古世よりの王、救を地の中に作す者よ、爾は己の力を以て海を裂き、爾は蛇の首を水の中に砕けり。爾は鰐の首を砕き、之を曠野の人に予へて食となせり。爾は泉と流とを截り出し、爾は大なる河を涸せり。晝は爾に属し、夜も爾に属す、爾は諸の光と日とを備へたり。爾は地の悉くの界を立て、夏と冬とを設けたり。記憶せよ、敵は主を謗り、無智の民は爾の名を侮る。爾が班鳩の霊を野獣に投ずる毋れ、永く爾が貧しき者の會を忘るる毋れ。爾の約を顧みよ、蓋凡そ地の暗き處は強暴の住所に充てられたり。迫害せられし者に羞を得て帰らしむる毋れ、願はくは貧しき者と乏しき者とは爾の名を讃め揚げん。神よ、起きて爾の事を衛れ、無智の者が日々に爾を謗るを記憶せよ、爾が敵の聲を忘るる毋れ、爾に逆ふ者の譁擾は起りて息まず。

   第七十六聖詠

我が聲神に向ふ、我彼に呼ばん、我が聲神に向ふ、彼我に聆かん。我憂の日に主を尋ぬ、我が手は夜中伸びて下らず、我が霊は慰を辭む。我神を記憶して戦き、之を想ひて我が霊弱る。爾我に目を閉づるを許さず、我顫ひて、言ふ能はず。我古の日、過ぎ去りし世の年を思ひ、我が夜間の歌を記憶し、我が心と謀り、我が霊は尋ぬ、豈に主は永く棄てて、復恩を加へざるか、豈に其憐は永く息みて、其言世世に絶えしか、豈に神は憐むことを忘れしか、豈に怒を以て其仁慈を塞ぎしか。我謂へり、是れ我の憂なり、至上者の右の手の変易なり。我主の作為を記憶し、爾が古の奇迹を記憶せん、我爾が悉くの作為を思ひ、爾の大なる行を考へん。神よ、爾の途は聖なり。何の神か我が神の如く大なる、爾は奇迹を行ふ神なり、爾は己の能力を諸民の中に顕わせり、爾は臂を以て爾の民イアコフ及びイオシフの諸子を援け給へり。神よ、水は爾を見、水は爾を見て懼れ、淵は戦けり。雲は水を注ぎ、黒雲は雷を出し、爾の矢は飛べり。爾の雷の聲は穹蒼にあり、電は世界に閃き、地は動きて震へり。爾の途は海にあり、爾の径は大水にあり、爾の蹟は測りし。爾はモイセイとアアロンとの手を以て、爾の民を羊の群の如く導き給へり。

第九十聖詠、「至上者の覆の下に居る者は、全能者の蔭の下に安んず」。(第121頁を看よ)。光榮、今も、「アリルイヤ」。三次。主憐めよ。三次。光榮、讃詞、第四調、「昔イリヤが上りて後」。(第260頁を看よ)。今も、生神女讃詞、「生神童貞女よ、我等夥しき罪ありて」。(第122頁を看よ)。

   次ぎて讃頌、第八調。

主は斯くイオアンに言ふ、預言者よ、来りて、我爾を造りし者、恩寵を以て衆を照して浄むる者に洗を授けよ、我の神聖なる首に觸れて、疑ふ毋れ。預言者よ、今姑く許せ、我凡の義を盡さん為に来りしに因る。故に爾敢て疑ふ毋れ、蓋我水の中に潜める敵、黒暗の君を滅して、今世界を其網より救ひて、之に永遠の生命を賜ふべし、人を愛する者なればなり。二次。

句、故に我イオルダンの地より、エルモンより爾を記憶す。第六調。

今日聖詠の預言は應ふに及べり、蓋言ふ、海は見て走り、イオルダンは後へ退けり、此れ主の顔の前、イアコフの神、僕より洗を受けん為に来りし者の顔の前に於てせり、我等も彼に由りて、偶像の汚より洗はれて、霊の光照せられん為なり。

句、神よ、水は爾を見、水は爾を見て懼れたり。 復同上。

   光榮、第五調。

嗚呼イオルダンよ、何為れぞ爾の水を廻し、何為れぞ流を停めて、爾の性に順ふ途を行かざる。曰ふ、我を焚く火を我忍ぶ能はず、我極めて大なる謙遜に驚きて懼る。蓋我は潔き者を洗ふを習はず、罪なき者を拭ふを学ばざりき、即汚れたる器を潔むるのみ。今我の中に洗を受くるハリストスは我に諸罪の棘を焚くを教ふ、イオアンは之を我に證し、言の聲は呼ぶ、視よ、神の羔、世の罪を任ふ者なりと。我等信者は彼に呼ばん、我が救の為に現れし神よ、光榮は爾に帰す。

   今も、同上。

   提綱。第四調。

爾の途は海にあり、爾の径は大水にあり。句、爾の雷の聲は穹蒼にあり。

   次に喩言。

   イサイヤの預言書の讀(十二章)

主是の如く言ふ、楽を以て救の泉より水を汲め。彼の日に於て爾言はん、主に歌へ、其名をべ。諸民の中に其光栄を傳へよ。其名の高く挙りたるを記念せよ。主に歌へ。蓋彼は大なる事を為せり。之を全地に傳へよ。シオンに住む者よ、喜びて楽め。蓋イズライリの聖なる者は、其中に高く挙りたり。

   聖使徒パワェルがロマ人に達する書の讀。(九十一端)

兄弟よ、我等ハリストスイイススに於て洗を受けし者は、皆彼の死に於て洗を受けしなり。故に我等は死に於ける洗を以て彼と偕に葬られたり、ハリストスが父の光栄を以て死より復活せし如く、斯く我等も新にせられたる生命を度らん為なり。蓋我等若し彼の死に效ふを以て、彼と接合せられしならば、乃復活に效ふを以ても、接合せらるべし。蓋我等知る、我等の舊き人は彼と偕に釘せられたり、罪の身滅されて、我等復罪の奴とならざらん為なり、死せし者は罪より釈かれしに因る。我等若しハリストスと偕に死せば、則亦彼と偕に生きんことを信ず、蓋知る、ハリストスは死より復活して復死せず、死は復彼に主たらざるを、彼の死せしは罪の為に一次死し、彼の生くるは神の為に生くればなり。是くの如く爾等も、己を以て、ハリストスイイスス我等の主に在りて罪の為に死し、神の為に生くる者と意へ。

   福音經はマルコ二端

彼の時イイスス、ガリレヤのナザレトより来りて、イオルダンに於てイオアンより洗を受けたリ。直に水より上る時、天開け聖神゜鴿の如く其上に降るを見たり。又天より声ありて云へり、爾は我の至愛の子、我が喜べる者なり。聖神゜直に彼を引きて、野に適かしむ。彼は彼の野に在ること四十日、サタナに試みられ、野獣と共に居り、天使等彼に奉事せり。イオアンの囚はれし後、イイススガリレヤに来り、神の國の福音を伝へて曰へり、期は満ち、神の国は邇づけり、悔改して福音を信ぜよ。

次ぎて「主よ、願はくは爾の慈憐は」。(第126頁を看よ)。聖三祝文。「天に在す」の後に司祭、「蓋國と権能」。小讃詞、第四調、主は今日イオルダンの流に在りて」。(第264頁を看よ)。主憐めよ。四十次。祝文、「何の日何の時にも」。(第110頁を看よ)。主憐めよ。三次。光榮、今も、「ヘルワィムより尊く」。神゜父よ、主の名を以て福を降せ。

司祭、「吾が諸聖神父の祈祷に依りて」。誦經、「アミン」。次に祝文、「神天軍の主、萬物の造成者」、(第127頁を看よ)。

 

第九時課

来れ、我等の王、神に叩拝せん。三次。

   第九十二聖詠

主は王たり、彼は威厳を衣たり、主は能力を衣、又之を帯にせり、故に世界は堅固にして動かざらん。爾の寶座は古より堅く立ち、爾は世々の前より在せり。諸川聲を騰げ、主よ、諸川其聲を騰げ、諸川其波を騰ぐ。然れども主が最高きに於て強きは、多くの水の聲に勝り、海の強き浪に勝れり。爾の啓示は誠に正し。主よ、聖徳は爾の家に属して永遠に至らん。

   第百十三聖詠

イズライリエギペトより出で、イアコフの家異邦民より出でし時、イウダは神の聖所となり、イズライリは其領地となれり。海は見て走り、イオルダンは後へ退けり。山は牡羊の如く躍り、邱は羔の如く躍れり。海よ、爾何事に遭ひて走りしか、イオルダンよ、爾何事に遭ひて後へ退きしか。山よ、爾何為れぞ牡羊の如く躍る、邱よ、爾等何為れぞ羔の如く躍る。地よ、主の顔の前、イアコフの神の顔の前に震へ、彼磐を変じて池となし、石を変じて水の泉となす。我等に非ず、主よ、我等に非ず、乃爾の名に光栄を帰せよ、爾の憐に縁り、爾の真実に縁る。異邦人何為れぞ彼等の神は何に在ると云ふ、我等の神は天に在り、地に在り、凡そ欲する所を行ふ。彼等の偶像は乃銀、乃金、人の手の造工なり。彼口ありて言はず、目ありて見ず、耳ありて聴かず、鼻ありて嗅がず、手ありて捫らず、足ありて行かず、其喉は聲を出さず。願はくは之を造る者と凡そ之を恃む者とは是と相似ん。イズライリの家よ、主を恃め、彼は我が助なり、盾なり。アアロンの家よ、主を恃め、彼は我が助なり、盾なり。主を畏るる者よ、主を恃め、彼は我が助なり、盾なり。主は我等を記念し、我等に福を降し、イズライリの家に福を降し、アアロンの家に福を降し、主を畏るる者に、小大の別なく、福を降す。願はくは主は爾等に増し加へ、爾等及び爾等の子孫に増し加へん。爾等は天地を造りし主に降福せられたり。天は主の天なり、地は彼之を人の諸子に与へたり。主を讃め揚ぐるは死者に非ず、凡そ墓に降る者に非ず、乃我等生ける者は主を崇め讃めて今より世世に迄らん。

第八十五聖詠、「主よ、爾の耳を傾けて我に聴き給へ」。(第129頁を看よ)。光榮、今も、「アリルイヤ」。三次。主隣めよ。三次。光榮、讃詞、第四調、「昔イリヤが上りて後」。(第260頁を看よ)。今も、生神女讃詞、「我等の為に童貞女より生れ」。(第130頁を看よ)。

   次ぎて讃詞、第七調。

天地の造成主が河に於て衣を解きて、我等の救の為に僕の如く僕より洗を受くるを見るは驚くべかりき、天使の會は異しみて、畏れ且悦べり。我等は彼等と偕に爾に伏拝す、主よ、我等を救ひ給へ。二次。

句、故に我イオルダンの地より、エルモンより爾を記憶す。

   讃詞、第二調。

前駆は光榮の主の己に来るを見る時呼べり、視よ、世界を朽壊より脱れしむる者は来れり。彼は我等を憂患より救ふ、彼は地上にある神として諸罪の赦を賜ふ。仁慈に因りて潔き童貞女より来りて、僕に代へて神の子と為し、黒暗に代へて其神聖なる洗の水を以て人類を光照す。故に来りて、心を合せて、彼を父及び聖神゜とrしく讃榮せん。

句、神よ、水は爾を見、水は爾を見て懼れたり。

   復同讃詞。

次ぎて規程首唱者堂中に立ちて、左の讃頌を高誦す。第五調。

授洗者よ、主宰の至浄なる首に觸れたる爾の手、其指を以て我等に彼を示しし者を、多くの勇あるに因りて、我等の為に彼の前に挙げよ、蓋爾は彼に由りて悉くの預言者より大なる者と證せられたり。授洗者よ、亦爾の目、鴿の形に於て至聖神゜を見し者を彼に挙げて、彼を我等の為に慈憐なる者と為せ、且来りて、我等と偕に立ちて、歌頌に印し、慶賀を導き給へ。

   三拝を為す。

次ぎて輔祭萬寿詞を唱ふ。(第132頁を看よ)。

後両詠隊共に前述の讃頌を歌ふ、光榮、今も、第五調、「授洗者よ」。終に至る。

第九時課には輔祭全堂に爐儀を行ふ。

   次ぎて提綱、第三調。

主は我が光、我が救なり、我誰をか恐れん。句、主は我が生命の防固なり、我誰をか懼れん。

   喩言

   イサイヤの預言書の讀。(四十九章)

主是くの如く言ふ、納るべき時に我爾に聴き、救の日に爾を助けたり、又我爾を守りて民の約と為さん、地を興し、荒れたる嗣業を以て継ぐ者に還し、俘囚に出でよ、幽暗に在る者に顕れよと言はん為なり。彼等は路の旁に牧し、悉くの陵に彼等の牧場あらん、彼等は飢えず、渇かず、熱と日と彼等を撃たざらん、蓋矜恤する者は彼等を導き、彼等を水の泉に攜へ至らん。我凡の山を途と為し、凡の大路を彼等の為に牧場と為さん。視よ、彼等は遠方より来らん。或者は北及び海より、或者はペルシヤの地より来らん。天は楽しむべし。地は喜ぶべし。諸の山は楽を傳へ、諸の陵は義を傳ふべし。蓋神は其民を憐み、苦しむ者を慰めたり。シオンは云へり。主は我を棄て、神は我を忘れたりと。豈に婦は其哺乳児を忘れんや。或は其腹の産みたる者を憫まざらんや、然れども縦使婦此等を忘るとも、我は爾を忘れざらん。主之を言ふ。

   聖使徒パワェルがティトに達する書の讀。(三百二端)

子ティトよ、神の恩寵、衆人に救を施す者は現れて、我等に、不敬虔と世俗の慾とを離れて、自ら制し、義と敬虔とを以て今の世に生を度り、望む所の福、及び大なる神、我等の救主イイススハリストスの光栄の現を待つことを教ふ。彼は我等の為に己を與へたり、我等を凡の不法より贖ひて、己の為に選ばれたる民、善行に熱心なる者を潔めん為なり。然れども我等の救主神の恩寵と仁愛との顕れし時、彼は我等が行ひし所の義の功に由るに非ず、乃己の慈憐に由りて、重生の洗、及び聖神゜の復新を以て、我等を救へり。聖神゜は、即神之をイイススハリストス我等の救主に由りて、豊に我等に注げり、我等が彼の恩寵を以て義とせられて、望に循ひて、永遠の生命の嗣と為らん為なり。

   福音經はマトフェイ六端

彼の時イイススガリレヤよりイオルダンに来り、イオアンに就きて、之より洗を受けんと欲す。イオアン彼を止めて曰く、我爾より洗を受くべきに、爾我に就くか。イイスス答へて彼に謂へり、今姑く許せ、蓋我等は是くの如く凡の義を尽すべし。是に於て之を許せり。イイスス洗を受けて、直に水より上れるに、視よ、天彼の為に開け、神の神゜鴿の如く降りて、其上に臨むを見たり、且天より声ありて云ふ、此は我の至愛の子、我が喜べる者なり。

次ぎて爾の名に因りて我等を終まで棄つる勿れ」。(第136頁を看よ)。聖三祝文。「天に在す」の後に小讃詞、第四調、「主は今日イオルダンの流に在りて」。(第264頁を看よ)。主憐めよ。四十次。祝文、「何の日何の時にも」。(第110頁を看よ)。主憐めよ三次。光榮、今も、「ヘルワィムより尊く」。神゜父よ、主の名を以て福を降せ」司祭、「神よ、我等に恩を被らせ、我等に福を降し」。誦經、「アミン」次ぎて祝文、「主宰イイススハリストス吾が神よ、我等の罪を寛忍して」。及び其他。第137頁より第142頁までに載する所の如し。「神よ、我が自由と自由ならざると」及び「天に在す我等の父よ」の後に小讃詞、第四調、「主は今日イオルダンの流に在りて」。(第264頁を看よ)。主憐めよ、四十次。祝文、「至聖なる三者一性の権柄」。(第143頁を看よ)。若し聖體禮儀あらば、此に「常に福にして」を歌ふ。及び發放詞。

若し聖體禮儀なくば、此に誦す、「願はくは主の名は崇め讃められて」、及び聖詠、「我何の時にも主を讃め揚げん」。(第143頁を看よ)。

次ぎて「常に福にして」、及び發放詞。

晩課は定刻に及びて大ワシリイの聖體禮儀と合せ行ふ。

此の他の式は一月六日に載する所の如し。

 

【注意】知るべし、神現祭の前日若し「スボタ」或は主日に當らば、齋なし。王の時課の諸讃詞を諸誦読と共に「スボタ」及び主日に歌誦せず、即王の時課は預め序に依りて金曜日に歌誦す、前式に示ししが如し。其時には第三十三聖詠、「我何の時にも主を讃め揚げん」を誦す、並に發放詞。此の日には乾酪及び鶏卵を食す。

【注意】前日若し「スボタ」に當らば、提綱「アリルイヤ」、及び領聖詞は本日の。使徒及び福音經は先に神現祭前の「スボタ」の、次に本日の。「特に至聖至潔にして」の後に「常に福にして」を歌ふ。

【注意】神現の前日若し主日に當らば、提綱、使徒、「アリルイヤ」、福音經、及び領聖詞は先に神現前の主日の、次に本日の。「特に至聖至潔にして」の後に「常に福にして」を歌ふ。聖體禮儀の發放の後に餅一片を食す、常食は晩課の發放の後に為して、煮たる植物性の食品に油を加ふるを得、乾酪鶏卵及び魚類を許さず。

若し神現の前日の王の時課を金曜日に歌誦することあらば、此の指定を一月六日に看よ。