アンドレイの大カノンの音楽付け      

参考楽譜
 明治時代に作られた横長楽譜
 Sputnik Psalmschikaの四角音符の楽譜
 ボルトニヤンスキー作曲(M.I. Baschemko, Sankt Peterburg 1997)

 モスクワのナピエフによる掌院マトフェイのハーモニー付け(Irmologion:moskva 1983)*
      *Sputnik Psalmoschikaのメロディを和声付けしてアレンジしたもの

 アンドレイの大カノンのイルモスを始め、6調と指定されたメロディは和声的短音階が用いられ、単音にした場合歌いにくい箇所があるので、歌いやすくする方法を考えてみようと思う。

日本のアンドレイの大カノンは何をもとにしたか

 まず、明治時代に出版された楽譜は単音だが、ボルトニヤンスキー作曲の大カノンのアルトパートから旋律をとったと思われる。第1歌頌の最初のフレーズを比較すると音節数は異なるが、メロディの動きはだいたい同じである。ボルトニャンスキーのアルトパートを取り出し、そのまま音符を増やして日本語の歌詞をあてはめたと思われる。

ボルトニヤンスキーは18世紀の作曲家で、ウクライナ出身。幼少時からペテルブルグ宮廷聖歌隊で歌い、イタリアに音楽留学し、イタリア風聖歌を正教会に導入した。宮廷の西洋化政策にともない、西洋音楽が聖歌にも積極的に取り入れられた時代である。

このアンドレイのカノンも、西洋和声の規則に則って4拍子の四部合唱曲(原曲ニ短調/上記単音譜はアルト旋律をト短調に移調)として書かれているが、全くの創作ではなく、もともとあったチャントのメロディをもとにして和声付けしたと考えられる。参考楽譜 原曲d min


単語のアクセントへと音楽付けの関係を見る

 

音符の下のアンダーラインはスラブ語のアクセント位置を示す。


正教会聖歌の伝統チャントでは語のアクセント位置に配慮してメロディをあてはめる。チャントに限らずスラブ語聖歌の場合、アクセント位置を間違えると、ことばとして通じなくなってしまうので、祈祷書にもアクセント位置の表記がある。ここでもアクセントのある音節に、長い音符、高い音があてはめられているのがわかるる。

たとえば上記の第1歌頌の冒頭では、最初の語のpo-mosch-nikのアクセントは第2音節にあるために、冒頭poに弱拍の@の四分音符を加え、アクセントのある第2音節のmoschはAの位置の二分音符があてられている。また和音上も@には<V>がおかれ、<I>に移行しやすくなっている。

日本語は音節数が多く、強弱アクセントではない。もともと弱拍で<I>へ導くために付加された<V>の和音に含まれるF#の音に「たすけま」までがあてはめられたために不安定で歌いにくくなったといえる。またこのF#の音は<V>の和音の一部として歌えば自然だが、単音として取り出して歌うのはむずかしく、特に日本人にはこの半音が苦手な人が多い。

次に「神よ、我を憐れみ、我を憐れみ給へ」の部分で、古チャント(Sputnik)のメロディとボルトニャンスキーのメロディを比較してみる。



古いチャント(Sputnik)のメロディとボルトニヤンスキーのメロディはよく似ているが、Sputnikトには<lui>の部分に#がない。ロシアでは18-9世紀、チャントのメロディの和声化が行われ、和声化のために#が付け加えられ、逆に6調のメロディそのものが変えられてしまった。


日本語の単音を歌いやすくするための工夫の試案

日本語では強弱アクセントを考慮する必要がないので、最初の音をF#ではなくGの音から始めることで随分歌いやすくすることができる。

文章の構成を考察する。4行の詩として考える。

佑け護る者顕れて、我が救と為れり、
彼は吾が神なり、我彼を讚め揚げん、
彼は我が父の神なり、我彼を尊み頌わん、
彼厳に光栄を顕したればなり。

1行目は、救世主が現れて、私の救いとなったという文だが、ここで「顕れて」と「救い」を強調されるべき語と考え、高い音をあてはめた。日本語のイントネーションにも注意する(例:「み」)。従来のF#の音は省いて、Gから始め、G、A、B♭、Cの四音だけの幅に収めた。冒頭以外もF#は避けた。また、2行目と3行目は内容が並列なので同じメロディをあてはめた。

次に「今も何時も世々にアミン」のリフレインの部分を3例あげる。実際に歌ってみて比較して欲しい。

参考楽譜 準備中