奉神礼の音楽とは何か デヴィッド ドゥリロック著 |
デヴィッド・ドゥリロック氏はアメリカ正教会ウラディミル神学校で長年聖歌教授を勤められた方です。ロシア移民の家庭に生まれ、ボリス・レトコフスキイの指導を受け、多年にわたってアメリカの聖歌の発展に寄与してこられました。ここでは正教会聖歌の「祈りの歌」としての特徴を簡潔に述べられています。写真は2004年の退官記念講演「私と教会聖歌」の時のものです。この論文は1983年のアメリカ正教会発行のOrthodox Church Musicに掲載されたものです。
初期キリスト教徒たちの集まりは、かなり早い時期から厳粛な祈りが行われていたと思われます。旧約時代の伝統を受け継ぎ、祭司の祈祷と犠牲の儀式が明確に規定されたエルサレムの神殿の祈りだけではなく、シナゴーグ(会堂)の礼拝の影響も受けました。神殿では選ばれた祭司が祈祷を行いますが、シナゴーグでは一般信徒が積極的に参加して、聖書の一節が読まれ、聖詠が歌われていました。新約の民であるキリスト教徒たちは自分たちの礼拝に対して、イイススハリストスが明かし創始した神の国に洗礼を通じて入ってきた「聖徒たちによる神の礼拝」、「神と真実による礼拝」という新しい全くパースペクティブを与えました。
「神の礼拝」は「歌」になると、この上なく自然に表現されます。クリスチャンとは洗礼によって「変えられた」ものですから、教会の礼拝で神をさんびする時には、当然この「変容」が反映されます。神のさんびを「この世のことば」へと縮小できませんし、バランスやリズムやハーモニーを損なうこともできません。「神のことば」と「人の応答」は決して「普通の会話」のようには行われません。ことばは感情に満たされ、聖神の力に満たされます。ことばは伝えるべきメッセージの内容が与えられると秩序(リズム)とメロス(高さのアレンジ)を持ち、自然と音楽の形になろうとします。つまり、完全なことば、十分熟したことばはそれ自体に歌の性質があります。
もちろん私祈祷と公祈祷の違いはあります。「あなたは祈る時、自分のへやにはいり、戸を閉じて、隠れた所においでになるあなたの父に祈りなさい。すると、隠れた事を見ておられるあなたの父は、報いてくださるであろう(マタイ6:6)。」と、書かれていますが、教会の公の祈り「リトゥルギア」では、声を合わせて一つの歌を歌うとき、「あつまり」の生きた構造が現れます。声は様々でも、教会は一つの心で祈ります。
聖アンブロシイは「群衆はひとつの歌となり、ただの集まりだったものは、固く結ばれた一体になる。」と書いています。聖金口イオアンもコンスタンチノープルの聖イリネイ教会の聖歌についての話すなかで、やはり「多様性の中の統一」を強調しています。「今祈りの中で聖詠が歌われました。すべての声が渾然一体となって完全に調和のとれた一つの歌になりました。老いも若きも、富者も貧者も、男も女も、自由民も奴隷もすべてが一つの歌のメロディを歌いました。私たちは一つになって、ひとつの聖歌をつくり、まったく正しく、天の国を表します。これが教会の尊い性質です。」
音楽は礼拝のなかで大きな役割を果たすので、用い方が厳しく限定されています。聖歌にかかわるものはその規則を知らなければなりません。音楽は創造的な芸術ですが、教会は多くの「決まりごと」をつくり、創造的な活動を大はばに制限しました。「可能なことにまで何の手もつけられていない」などと、教会の与えた規則は批判的に言われることが多いのですが、驚くことはありません。
初代教父たちは、キリスト教徒を祈りから遠ざけるような要素を取り除くことに何より気を配りました。俗謡や、楽器の使用がかたくなに退けられたのはそのためです。金口イオアンは「聖詠を歌う者は聖神に満たされるが、悪魔的な歌を歌う者は悪魔に満たされる」と言いました。当時の歌はおおむね劇場で作られ、そこで、みだらな動作をしながら歌われていました。聖なる歌詞がついてもメロディが劇場と同じでは、みだらなことを連想させてしまいます。聖大ワシリーは同じ理由から器楽の使用に反対しています。「琴やチターは酒に溺れる人をふやし、人々が主のことばに思いを寄せることから遠ざける。」現代では、楽器に対する見方は、聖大ワシリーのころとは異なっていますが、その使用の是非について慌てて結論を出すべきではないでしょう。
音楽を礼拝に取り入れる主な理由は、その働きにあります。音楽は「聖詠や歌を個人的な解釈を交えずに提供する」ことができます。「ハリストスのしもべよ、歌おう、自分の声によってではなく、その口からでることばによって神を喜ばせるように。」と、聖イエロニムスは書いています。361年のラオディキアの公会でも「チャンター(歌い手)は祈りの秩序を乱すような大声を出したり、気分を煽るような歌い方をしたりしてはなりません。悔い改めの心をもって、心を込めて聖詠を神に捧げるのです。」もちろん、音をきちんと合わせ、美しい音色で、正しいバランスで最高の聖歌を歌うべきです。大切なのは、音楽そのものではなく、「祈り」です。音楽は祈りを助けるものです。
5世紀まで、ビザンチンの聖歌者によって次々と新しい歌が奉神礼(典礼)に導入されました。一番古い形がトロパリで、最初は聖詠の句の間に挿入される短いさんびの歌でした。6世紀になると、主要な詩形はコンダクになりました。コンダクは18から24節をもち、各節は同じメロディで歌われました。コンダクの内容は、その日またはその祭日の詩的「説教」です。9世紀になると新しい詩形カノンが発展し、コンダクにとって代わりました。カノンは旧約聖書の九つの歌頌をモデルに作られています。カノンが発展したのは、教会が礼拝の中で聖書をもう一度強調しようとしたからだと言われています。ビザンチンの三つの宗教詩はどれをとっても、深い聖書的宗教的情熱が見られます。悔い改め、讃美、悲しみと喜び、聖師父の伝統に根ざした神学、公会の達成した教理に貫かれています。聖歌には、人や世界や神を教えるだけではなく、主、神に結合し、いのちが変えられてゆく道が示されています。復活祭の美しく豊かな祈り、ダマスクの聖イオアンが書いた偉大な「復活祭のカノン」は、まさに奉神礼の宝物です。正教会が迫害と破壊にさらされた時代にも、聖歌は知識とインスピレーションの発信源であり続けました。
ビザンティン・チャントは奉神礼のための音楽です。純粋な声楽で、中世の写本にはポリフォニー(多声合唱)の記録はないので、モノフォニー(単声)で歌われていたと思われます。メロディには旋法(と定型のセット)があり、8つの調(オクトエコスと呼ばれる8つの旋律構造のシステム)に従って歌われました。後にギリシアの使節によってロシアに移植され、「ズナメニー・チャント」と呼ばれる独自の伝統聖歌を作り上げました。
ビザンティンでも、ロシアでも、セルビアでもどこの正教会のものも、聖歌を研究するなら、ことば(祈祷文)と音楽の両方を扱わなければなりません。なぜなら、この二つは深く織り合わされ、奉神礼の不可分な要素となっているからです。
チャント(歌)の曲付けや装飾には、奉神礼と聖歌の形式の根本的な関係が表れています。音楽は奉神礼の真の「はしため婢」として用いられており、奉神礼的な意味を広げる働きをします。常にことば(祈祷文)が首位にあります。メロディと形式は奉神礼的な動作と密接に関係し、たとえば、聖体礼儀の始めに歌われる聖詠、アンティフォンは、形としては「シラビック」(一音節に一音をあてる)なシンプルなメロディのチャントです。音楽的なアクセントはおおむねことばのイントネーションから形づくられました。このようにシンプルな音楽形式がとられたのは、アンティフォンの奉神礼的な役割が「集まり」を神の道へと集団を導くことにあったからです。逆に、アリルイヤの音楽は、(アリルイヤは神をさんびするの意で、高い声で喜びの挨拶をかわすこと)ずっと装飾的です。聖体礼儀では福音の読み、すなわち「神ことばの」登場の直前にアリルイヤが歌われますが、このアリルイヤの奉神礼的機能は福音の読みを高らかに宣言することにあります。アリルイヤはメリスマティック(小節のような装飾が多い)な形で曲付けされており、歓喜の叫びという奉神礼上の役割と一致しています。福音の読みは聖体礼儀の中心ポイントのひとつなので、アリルイヤの歌も音楽的ハイ・ポイントを作っています。連祷(「主憐れめよ」など)は、極めてシンプルなシラビックな音楽で、わざわざ譜面に書かれないことも多く、歌う箇所も特に記載されません。連祷は、司祷者の祈りの一つ一つに応答して全会衆が歌います、そのため、会衆が無理なく歌えるようにシンプルなメロディになっています。
私たちには奉神礼に用いうる音楽が豊富に与えられています。ズナメニーなどの伝統的なチャントに加え、聖なる祈祷のことばにインスピレーションを得た近代の作曲者たちが作った教会音楽もたくさんあります。正教会の奉神礼の中で音楽の果たすべき一番大切な目的は何なのかをしっかりと心に持って、選曲し、教会音楽と取り組まねばなりません。
アメリカ正教会発行 「正教会音楽」第1号から