伝統的単旋律聖歌

正教会のチャント


1.ギリシア聖歌 ビザンティン・チャント 工事中
2.ロシア古聖歌 ズナメニイ聖歌

3.セルビア・チャント モクラニャッツ聖歌 new


チャントを日本語で歌ってみよう MP3 & pdf
 


 実際にはさまざまな形式の聖歌が許容されているが、厳格に言えば、教会の「正統的」聖歌は無伴奏の単旋律聖歌であった。一般にチャントと呼ばれる。賛美、教義、祈願などの祈祷のテキストを音楽をつけて歌う。ローマ・カトリック教会では、ラテン語のグレゴリオ・チャントが正統聖歌であった。正教会は地域の多様性を認めるので各国各地域に異なるチャントが存在する。

 ビザンティン・チャントはビザンティン帝国で歌われた聖歌とそれを継承する聖歌の総称で、すべての正教会のチャントの原点である。ビザンティン帝国の歴史を見ると、今使われている聖歌のテキストや祈祷書がほぼ完成するのが9世紀から10世紀で、コンスタンティノープルに遷都されてからほぼ500年かかって完成したことになる。音楽は時代や地域の影響を受けて変化した。もともとが口伝なので古い時代のものは記録がなく、とくに広く歌われていたものほど記録がない。テキストの完成後も音楽は変化を続けた。

 今ギリシアで歌われている聖歌の音楽はビザンティン時代と全く同じではないが、楽器を用いないこと、ことばに重点がおかれること、八調(オクトエコス)と呼ばれる音階と各調に含まれる旋律定型によって構成されるシステムなど、ビザンティン時代以来のチャントの原則は保たれている。正教会の伝統継承では、ティピコン(礼拝規則)、テキスト(祈祷書)の内容、正教会の礼拝観、教会観に基づく聖歌の役割が保持されていれば、音階、メロディの種類など外面的な形にはこだわりがなく、時代や地域によって多様である。

 キエフ・ルーシ(ロシア)は10世紀ごろに正教を受け入れたとき、ビザンティンから聖歌者を招き、ビザンティンチャントを導入した。最初はギリシア語のまま歌っていたが、次第に祈祷文がスラブ語に訳され、ビザンティンのメロディにスラブ語のテキストをあてはめて歌っていたが、言語の特性、ロシア人の音楽性などの影響を受けて次第に変化し、約500年かかってロシア独自のチャントが成立していった。ロシア地域内でも民族の音楽性が異なり、各地にさまざまなヴァリアント(変化形)が存在した。

 そのなかでも最も数が多く、各調(オクトエコス、オスモグラシエ)そろっているのがズナメニイ・チャント(ズナメヌイ・ラスペフ)で、ロシア古チャントの一般名称としても用いられる。そのほかにウクライナ地方で歌われたキエフ・チャント、ブルガリア・チャント(ブルガリア風といわれるが、由来は不明)、ギリシア・チャント(ギリシア風といわれるが、由来は不明)などがある。

少し時代がくだって、ディメストベニイ・チャント(単声のみならず、独特の多声聖歌もある)、プティ・チャントなどがある。その他にも、大修道院や地域の名前で呼ばれるヴァリアントがある。(例:聖セルギイ至聖三者修道院のラスペフ、ワラーム修道院のラスペフなど)
 
 17世紀ニーコンの改革以降、ロシアでは西洋音楽の影響を受けた合唱音楽が主流となり、単旋律聖歌は古儀式派の教会や一部の修道院などに細々と残るのみとなった。が、19世紀末になって、古聖歌の研究が進み、再び注目を集めるようになった。スモレンスキーやカスタリスキー、後にラフマニノフはズナメニイを初めとするチャントのメロディをモチーフにし、西洋音楽の手法もとりいれて聖歌の傑作を次々と生み出した。

 しかしこうした動きはロシア革命と宗教弾圧政策によって70年間凍結されてしまった。ペレストロイカによって信仰の自由が認められ、1990年代から伝統の見直し、古聖歌の研究、実践が始まった。

 今では旧儀式派のみならず、聖セルギイ至聖三者修道院の至聖三者聖堂、聖アンドロニク修道院(モスクワ/ボリス・クトゥゾフ)、総主教庁聖歌隊(アナトリイ・グリンデンコ)、レウシンスキー修道院のポドヴォリエ(ペテルブルグ)などでもズナメニイ聖歌による礼拝が行われている。そのほかの地方でも、ソロフキー修道院、ワラーム修道院、エカチェリンブルグ、ノヴォシビルスクなどでも実践され、インターネット上にもさまざまなサイトが開かれ、CDや楽譜(クリュキ−記号によるもの、五線譜に書き直したもの)の出版、全国規模の会合も開かれている。