参考資料:
ロシアのチャントについて


「ロシア正教会の聖歌」J.V.ガードナー第3章から


ロシア教会の正典的聖歌には四つのチャント体系がある。最初の二つはたいへん重要である。

1.ズナメニイ・チャントまたはストルプ・チャント(Знаменны または столповой роспев)

ロシア教会の最古の、最も完全なチャント。最古のものは12世紀初頭に書かれ、18、19世紀まで発展し続けた。初期の写本では、無譜表のネウマや記号を用いて記譜される。記号の意のズナミヤ(знамя)という言葉から派生した名称。またその記号の形から、クリューキ(鈎)とも呼ばれる。ズナミヤは個々の音楽記号だけを表すのではなく一般的に記譜という意味で用いられる 。ズナメニイ・ラスペフの名称はもともと口述伝承から区別して、ある種の記号で記録されたチャントに対して用いられた。

 このチャントの別名ストルプ・チャントはストルプстолп (表柱:前述した8週周期の8つの調)から派生したことばで、言い替えれば八調(オスモグラシエ)の体系に従うチャントと言える。チャントを記譜する表記はストルプ表記 (столпное знамя столповая)と呼ばれる。

 ズナメニイ・チャント体系は奉神礼上必要な聖歌すべての種類のためのメロディを持つ。即ち(1)スティヒラ、(2)トロパリ、コンダク、セダレン、(3) カノンのイルモス、(4)プロキメン、アリルイヤ、他の応答的な歌、(5)聖体礼儀、徹夜祷の変わらない歌である。メロディは八つの調(グラス)にしたがって構成され、メロディの複雑さによって大、中、小と名付けられている。

2.キエフ・チャント(киевский роспев)

キエフ・チャントはズナメニイ・チャントのヴァリアンテと見ることができ、歴史的にはリューリック王朝によって建てられた公国、ロシア府主教区の西部及び西南ロシアがリトアニア・ポーランド王国の統治下にあった時に生じたと見られる。キエフ・チャントも八調の体系に基づき、ズナメニイ・チャントと同じ旋律構成の原則がある。しかしながらキエフ・チャントがズナメニー・チャントから進化した陰には西洋音楽の影響が否めない。キエフ・チャントは地域的なヴァリアンテとして発展したが、皇帝アレクセイ・ミハイロヴィチとニーコン総主教の時代、1654年に西ウクライナとモスクワ公国に行政的に統合され、キエフの聖歌隊がモスクワに招聘された時から重要性を持つようになる。キエフ・チャントはすべての種類のメロディを持つ完全なチャントであるが、メロディの内容はズナメニイほど豊富でない。


3.ギリシア・チャント(греческий роспев)

 このチャントは完全なチャントでなくスティヒラ、ポロキメンなど聖歌のある種類の歌のメロディが欠けている 。これはギリシア・チャントとは呼ばれるがギリシア・ビザンティン聖歌との共通性はなく、9世紀にギリシア人によってキエフ・ルーシにもたらされたビザンティン聖歌と混同してはならない。ギリシア・チャントはずっと後世に始まるもので、17世紀中ごろ、当時モスクワにいたとされるギリシア人の聖職者やカンターの歌い方をウクライナやモスクワ公国の聖歌隊長が書き記したものに起源を持つ。当時ロシア人が用いていた全音階的旋律と記譜のシステムがギリシア聖歌の装飾的な旋法性や特異な微少音程を書き記すのに全く不適当であったために、メロディはロシア化され元の面影は全くなくなってしまった。このチャントは主に譜表表記で書かれており、一部はストルプ記号で書かれる。  
 ギリシア・チャントのメロディの一部はギリシア人聖歌者がいたキエフで書かれた可能性もある。いずれの場合も、シノド発行のチャント本に記載されたギリシア・チャントのメロディにはキエフ・チャントとの類似が濃い。ギリシア・チャントには有節歌曲的楽節の形や、間違いなく西洋音楽から派生したと考えられる定量的和声的原則がある。ポーランドとの深い繋がりからローマ教会の音楽に接触し、すでに西洋音楽に親しんでいたウクライナの聖歌者によってもたらされた。
 ギリシア・チャントも八調の原則に基づく。

4.ブルガリア・チャント(болгарский роспев)

 このチャントは特定の聖歌の比較的少数のメロディからなっており、不完全ながら八調のメロディを持つ。このチャントは四角音符による譜表表記でしるされ、17世紀中ごろにウクライナ人の聖歌者がモスクワ公国に持ち込んだ。ブルガリアと呼ばれているがブルガリアの教会聖歌史の徹底研究が行われていないために、このチャントが実際にブルガリア起源のものであるかどうか特定できない。ブルガリアは後期ビザンティン時代に教会スラブ語にブルガリアの発音を採用しており、現在のブルガリア聖歌は全く別物で、ロシアのブルガリア・チャントとは類似が見られない。ルーシのキリスト教化と同時代のブルガリア聖歌の史料が何も発見されていないので、ブルガリア・チャントという名称は今のところ暫定的である。

 これら4つは現在のロシアの正典的聖歌体系において最も重要なチャントである。この他にさらに2つの聖歌のタイプ、体系がある。これらも正典的チャントに含められるが、特別の祭のものしか残っていない。これら二つのチャントはロシアの聖歌の歴史上16世紀から18世紀にかけて優勢であったが、18世紀にはほぼ完全に重要性を失い、シノド発行の聖歌集の数版に数曲が含まれるのみである。


 この二つは(1)プト・チャント(путвой роспев; путное пение) (2)デメストヴェニー聖歌(деиественное пение; демество)である。両者ともあまり研究されていないが、ストルプ(ズナメニイ)表記から派生したネウマによる独自の無譜表表記をもつことが知られている。
プト・チャントはズナメニイの変形であることは間違いない。旋律は八調に従って構成されているが、一般的に言ってズナメニイのメロディよりもメリスマ的で、しばしばシンコペーションが現れる。


 デメストヴェニー聖歌 は八調の体系に従わないために、ロシア正教会の聖歌の全体の体系とは別に存在する。デメストヴェニー聖歌は特に調の指定のない歌(変化しない通常の聖歌)に主に用いられる。特別に祝祭的な場合には、祭日による調の指定のある歌にも用いられることがある。デメストヴェニー聖歌の最初の記録は15世紀だが、それ以前からあったのは間違いない。しかしながら書かれた史料は16世紀後半以降である。歌い方は特別のネウマ記号の特別の無譜表表記で記載される。一部はストルプ記号とプト・チャントから派生したものだが、大半デメストヴェニー聖歌特有のものである。

 デメストヴェニーという言葉は、聖歌隊あるいは歌い手のグループのリーダーを意味するドメスティック( доместик; деместик; дамаственик)に由来する。ラズモフスキーはデメストヴェニー聖歌を家庭における家庭用の歌と説明したが 、この聖歌は聖堂内での奉神礼に用いられたという明かな証拠があるので、この説も間違いである。ラズモフスキーはcantus domesticus(家庭用の歌)として翻訳したが、より正確にはcantus arte domesticorum(しもべの芸術的な歌)と訳すべきである。また、デメストヴェニー聖歌はおもに祭や特に厳粛な場合に用いるように祈祷書に指示があることからも明らかである。

 デメストヴェニー聖歌はユニゾン、ポリフォニーの両方で歌われ、特に17、8世紀には四声を含む楽譜が一般的になった。これらの楽譜において最高音部(時には最低音部)がデメストボと名付けられている 。デメストヴェニー歌唱はユニゾンのものもポリフォニーによる展開も未だにきちんした研究がなされていない。1772年に最初に発行されたシノドの聖歌集に含まれるデメストヴェニー聖歌はごくわずかで、主教祈祷の聖体礼儀のためのものだけである。18世紀の始めにデメストヴェニー聖歌は重要性を失い、18世紀末には完全に西ヨーロッパスタイルの合唱曲に取って代わられた。旧儀式派だけが単旋律のデメストヴェニー聖歌を今日に残している。