10章 小晩課 (註:テキストの訳文が見つからないものについては、英文のまま記載した。)

この章の大半はスラブ語ティピコン(エルサレム聖サワ修道院ティピコン)の第1章、第2章の翻訳で、修道院の実践方法が示されている。実際の教区での実施方法については、ブルガコフ、ニコリスキー、モスクワ総主教庁の『ウカザニヤ』などから引用して注をつけた。

 土曜日の夕刻、パラエクレシアルコス(点灯係)は司祷者または管轄司祭(教会の専従司祭、スラブ語でプレドストヤテル)に祝福を受け、決められた時に小さな鐘を鳴らす。 

修道士が前院(玄関vestibule)に集まると、司祭「我等の神は・・・」誦経者「我等神や、光栄は爾に帰す」「天の王」「聖なる神」から「天にいます」。高声の後、九時課と発放詞。修道士は聖所に入る。九時課が聖堂内で読まれる場合には、司祭発放なし。むしろ司祭は「我等の神は崇め讃めらる」、誦経者「来たれ」(3回)、103聖詠「我が霊」を静かな声で読む。聖詠の終わりに「光栄は」「今も」「アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ、神や光栄は爾に帰す」(3回)。

 連祷なし。誦経者「主憐れめよ」(3回)「光栄、今も、アミン」「主や爾に呼ぶ」を主日の調で歌い、4スティヒラ、3つしかない場合は第一スティヒラを繰り返す。「光栄は、今も、アミン」生神女讃詞(ドグマティカ)

 「聖にして福たる」、ポロキメン「主は神なり、彼は威厳を衣たり」(句)「主は能力を衣、又之を帯にせり」また「主は神なり・・・」聖入なし、「叡智、謹みて立て」は至聖所で司祭が唱える。

 「主よ、我等を守り、罪なくして」、主日の挿句のスティヒラ一つ歌う。生神女のスティヒラ3つ。(八調経に順番に記載)「光栄、今も、アミン」生神女讃詞

 「主宰よ、今爾の言に循ひて」

 聖三〜天主経、主日のトロパリを歌う。「光栄、今も、アミン」主日生神女讃詞。

 司祭短い連祷「神や爾の大なる憐に因りて我等を憐めよ、爾に祷る聆き納れて憐めよ」、「主憐れめよ(3回)」「又教会を司る我等の主教(某)及び・・」「主憐れめよ(3回)」「我が国の天皇及び国を司るものの為に」「主憐れめよ(3回)」「又我等の兄弟、諸司祭、諸修道司祭、及びハリストスに於ける我等の衆兄弟の為に祷る」「主憐れめよ(3回)」高声「蓋爾は慈憐にして人を愛する神なり、我等光栄を爾父と子と聖神に献ず、今も何も世世に」「アミン」。

 司祭「我等の神や、光栄は爾に帰す、光栄は爾に帰す」聖歌隊「光栄は、今も、アミン、主憐れめよ(3回)、福を降せ」小発放詞「ハリストス我等の真の神は、其至浄なる母の祈祷と、諸聖人の転達に因りて、我等を憐れみ救はん、彼は善にして人を愛する主なればなり」

 発放のあとは「アミン」を言わない。

 万寿詞「神や、我が国の天皇を・・・」

 

食堂に入った後、以下の部分を唱える。「貧しき者はThe poor shall eat and shall be filled: and they shall praise the Lord who seek Him: their hearts shall live forever and ever. 光栄は、今も、アミン、主憐れめよ(3回)、福を降せ」

司祭祝福を(食卓に)与えて、軽食を取る。以下の祈りを食後に唱える。

「光栄は、今も、アミン」

The Womb is the holy table filled with the heavenly bread, Christ, our God; whosoever eats of this does not die, so says, O Theotokos the nourisher of all.

「ヘルビムより尊く」を唱え

Thou has made us to rejoice in Thy creation, O Lord; and in the works of Thy hands shall be glad.  The light of Thy countenance , O Lord, is signed upon us:  Thou has given me gladness in my hear.  From the fruit of wheat, wine and oil, they are multiplied.  In peace I will both sleep and rest, for Thou, O Lord, has made me alone to dwell in hope.

「光栄は、今も、アミン、主憐れめよ(3回)、福を降せ」司祭「God is with us, with His grace and love of mankind, always, 今も何時も世々に、アミン」

 

第11章 平日晩課

 ポリエレイ、あるいは徹夜祷を行うように指示された祭日以外の全ての日には、年間通して平日晩課を行なう。

 司祭はエピタラヒリとフェロンをつける(実際にはエピマニキアもつける)宝座のカバーを取り、カーテン[1]を開き宝座の角に接吻して奉事経をとり、北門を出て王門の前で3回躬拝(四旬斎であれば3伏拝)。まっすぐ立って晩課の祝福の高声「我等の神は崇め讃めらる、今も何時も世々に[2]」続いて、司祭は光耀祝文を黙唱。終わると南門から至聖所に入る。輔祭は王門の前に来て、大連祷を唱える。輔祭のいない場合は、司祭はそのまま王門前にとどまり連祷を唱え、高声の後至聖所に入り、宝座の角に接吻して、宝座の前の定位置に立つ。

 祝福に続いて、誦経「アミン」「神よ、光栄は爾に帰す」「天の王」「聖なる神」「至聖」「天主」「アミン」「主憐れめよ(12回)」「光栄、今も、アミン」「来れ」第103聖詠を読む。アコルティア(祈祷のひとまとまり)の最初の課が晩課の場合はこのように始まるが、それ以外は祝福後「来れ」から始める[3]。しかし、降誕祭前晩、神現祭前晩、聖大金曜日は、上記のような完全な形で始める。誦経者はステハリを着て、聖堂中央、またはクリロスの上の定位置(救主のイコンの近く)に立って(この場合、ひとつひとつのことばが会衆にはっきり聞こえるように幾分会衆の方へ向いて)読む。103聖詠の後「光栄は、今も、アミン」「アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ、神よ、光栄は爾に帰す(3回)」

 大連祷を王門で唱える。高声のあと、カフィズマ誦読。「主憐れめよ(3回)、光栄、今も、アミン」カフィズマの第一段のあとカフィスマタ(セダレン)を読む。「光栄は」アリルイヤ、アリルイヤ

 「主憐れめ」(3回)「光栄、今も、アミン」指示されたカフィズマの第1段(スタチア)を読む。「光栄」、「アリルイヤアリルイヤアリルイヤ 光栄は爾に帰す」(3回)「光栄、今も、アミン」第2段を読む。第3段の聖詠のあと結びの句「光栄、今も、アミン」「アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ、神よ、光栄は爾に帰す(3回)」

大斎の時、特に先備聖体礼儀が行われる時は、カフィズマの段(スタチア)の間に小連祷を唱える。セダレンが終わった後、小連祷を唱える。高声に続いて「主や、爾に呼ぶ」を指定された調(第一スティヒラに記載された超)で歌う。平日は年間通して、また大斎にも6スティヒラ。大斎の主日前晩には10スティヒラ。「光栄は、今も、アミン」生神女讃詞またはスティヒラ。スティヒラの句が記載されていない場合は『時課経』の「主や爾に呼ぶ」のあとに記載されているので、それを見ること。

 大斎期間中はカフィズマの区分の間々に小連祷。先備聖体礼儀のある時は特に第3段のあとにも小連祷

 [聖入]

 年間通して、大晩課と同じ形式で「聖入」が行なわれるのは、特定の祭日のみ。司祭または輔祭は行進の時、香炉を持つ。福音が読まれる時は福音経を持つ。平日晩課で、聖入が行なわれるのは、乾酪の主日晩課、主の迎接祭の祭日前期(プロヘオルティア)の前晩(2月1日/15日)が乾酪の主日の土曜日に重なる時)。聖枝祭晩課、大斎第2週から第6週の平日の晩で、ポリエレイを伴う聖人の祭がある場合。

「叡智、謹みて立て」「聖にして福たる ……」、聖入のない場合は、司祭は「叡智、謹みて立て」を至聖所で唱える。その日のポロキメン、または断肉の土曜日の前晩または五旬祭土曜日の前晩にはアリルイヤ。大斎中のポロキメンは各パレミヤの前に記載。ポロキメンのあと王門を閉じる。「主や我等を守り罪なくして」を読む。連祷「我等主の前に吾が晩の祷りを」高声「蓋爾は善にして人を愛する神なり・・・」「衆人に平安」「爾の神にも」「我等の首を主に屈めん」高声「願わくは父と子と聖神の…」連祷は王門の前で言う方がよい。

[挿句のスティヒラ]

 「光栄、今も、アミン」生神女讃詞または祭日前期(プロヘオルティア)または祭日後期(メテオルティア)のスティヒラ。大斎中は「光栄、アミン」のあと三歌経のスティヒラを読む。

 「主宰や、今爾の僕を安然として…」「聖三」〜「天主」、「アミン」のあとトロパリ。「光栄、今も、アミン」に続いて生神女讃詞。大斎中は以下のトロパリを歌う。

生神童貞女よ、慶べよ、恩寵に滿たさるるマリヤよ、主は爾と偕(とも)にす、爾は女の中にて讚美たり、爾の胎の果も讚美たり、爾は我等の霊を救ふ主を生みたればなり。(伏拝)

光栄は父と子と聖神に帰す。

ハリストスの授洗者よ、我等衆人を記憶して、我が不法より救はるるを得しめ給へ、我等の為に祈祷する恩寵は爾に賜はりたればなり。(伏拝)

今も何時も世世に「アミン」。

聖使徒と諸聖人よ、我等の為に祈りて、我等に禍と憂より救はるるを得しめ給へ、爾等は救世主の前に吾が熱心の中保者なればなり。(伏拝)

生神女よ、我等爾が慈憐の下に趨り附く、危き時に於て我等の祈祷を斥くる勿れ、独り浄く、独り崇め讚めらるる者よ、我等を諸の禍より救ひ給へ。

[結び]

 重連祷「神や爾の大いなる憐れみに因りて」

 大斎中は連祷の代わりに、前述のトロパリのあと、誦経者はただちに、「主憐れめよ」(40回)「光栄、今も、アミン」「ヘルビムより」「主の名に依って福を降せ」司祭は祝福して「永在の主ハリストス我等の神は崇め讃めらる、今も何時も世々に」誦経「アミン」「天の王よ、我が国を佑け」司祭はエフレムの祝文を唱え、伏拝(司祭がことばを唱え全員が伏拝。小さな声あるいは黙って「神よ、我罪人を浄め給え」と唱える毎に躬拝、司祭は再び全文を途切れずに通して読み「アミン」で結んだあと、全員伏拝)司祭「ハリストス我等の神よ、光栄は爾に帰す、光栄は爾に帰す」誦経または聖歌「光栄は、今も、アミン、主憐れめよ(3回)福を降せ」司祭は発放、聖歌隊は万寿詞。

(注意)司祭が発放詞を「人を愛する神なればなり」と結んだあと、「アミン」と答えるのはまちがい。言うべきではない。ただちに万寿を歌う。

 大斎以外の時は連祷「神や、爾の大いなる憐れみに」と、高声「蓋、爾は善にして人を愛する…」、司祭は終わりの式順に従って「叡智」、聖歌隊「福を降せ」司祭「永在の主、ハリストス」詠「神や我が国の天皇と正教のハリスティアニン ……」司祭「至聖なる生神女や」聖歌「ヘルビムより」司祭「ハリストス我等の神や、光栄は爾に帰す ……」聖歌「光栄は、今も、アミン、主憐れめ(3回)福を降せ」司祭 発放、万寿詞。

(注意) 大斎中の平日は、エフレムの祝文(16伏拝)のあと、「聖三」「天主」「主あわれめよ」(12回)「至聖なる三者、一性の権柄、分かれざる国 ……」「願わくは主の名は崇め讃められ、今も何時もにアミン」(3回)「光栄は、今も、アミン」第33聖詠「叡智」「常に福」「光栄、今も、アミン」「主憐れめよ(3回)福を降せ」発放詞、万寿詞。


<脚注>
[1]  カーテンは晩課の間は開いたまま。王門は聖入の時以外閉める(もし聖入があれば)。

[2] 晩課に続いて聖体礼儀が行われる場合の始まりは宝座の前で「父と子と聖神の国は …」

[3] 晩課のあと早課が指示されている場合は、大晩課と同じく司祭が「来れ」を読む。光明週には、「来たれ」の代わりに「ハリストス死より」を3回歌う。103聖詠の代わりに「ハリストス死より」と聖詠の句「神は起き」などを加えて歌う。フォマの主日から昇天祭までは「来たれ」の代わりに「ハリストス死より」を歌って103聖詠を読む。司祷者と至聖所の教役者前院で「ハリストス死より」を2回半、3回目を聖歌隊が締めくくる。


12章 大晩課

 日没、点灯係(パラエクレシアコス)は、司祷する司祭の祝福をうけ、第118聖詠(ネポロチニ)または50聖詠を慌てずに自分に向かって唱えながら、大鐘をゆっくり叩く。鐘をついた後、聖堂に戻り閉じた王門の前に、火を灯したロウソクを置く。

 司祷者はエピタラヒリを着装。エピタラヒリの首の部分の十字架に接吻。香炉に乳香を入れ、香炉の祝文を黙唱。宝座の四角、奉献台、至聖所、(宝座の後ろの十字架、至聖所内の右側のイコン、向きをかえて高所、左側のイコン、王門の上の内側のイコン)に炉儀する。王門を開き、そこから出て、イコノスタス、会衆、聖堂の右側、前院、聖堂左側、再び至聖所に入り、宝座の前に立ち、香炉を掲げて十字を描き「光栄は一性にして生命をほどこす分かれざる聖三者に帰す、今も何時も世々に」、聖歌隊「アミン」。

 司祷者と至聖所内の人々は「来れ、我等の王」を小さな声で歌う。2つめ「来れ、ハリストス…」は幾分大きな声で歌う、3つめの「来れ、ハリストス我等の王と神…」は更に大きな声で歌う。そしてもう一度「来れ、我等の王、神に叩拝俯伏せん。」聖歌隊と会衆は103聖詠を歌う。

 大聖堂、教区教会では聖務司祭はポドリヤサ、リヤサ、エピタラヒリ、エピマニキア、フェロンをつけ、祈祷の間ずっとフェロンを着装。輔祭も輔祭の祭服をつける。

[大連祷]

 最後の「来れ」のあと王門閉じる、カーテンはあける。司祷者は王門の前に行き、光耀祝文を黙唱。帽子は取ること。輔祭がいる場合は祝文が終わったら至聖所に戻る。輔祭は至聖所から出て、王門の前で大連祷を唱える。司祭ひとりで行なう場合は王門前で大連祷を唱えてから、至聖所に戻る。

(注)大晩課式が単独で行なわれる場合は(つまり早課がつづけて行なわれない場合)の祝福は「我等の神は崇め讃めらる、今も何時も世々に」

 教区教会では、司祭は前述の通り着装し、宝座に近寄り接吻し、王門を開き、宝座の四角に炉儀、奉献台、至聖所内を炉儀して、宝座の前に立って「光栄は一性にして生命を」(早課が続く場合、晩課のみなら「我等の神は」)と唱える。「来れ」を歌い、イコノスタス、会衆、全堂に炉儀。炉儀が終わったら、王門を閉じ、その前に立って光耀祝文を読む。輔祭がいても、ここでは輔祭は炉儀を行なわず、大ロウソクを持って司祭の炉儀を先導する。

(注意)輔祭は、至聖所の炉儀の終わり司祭の祝福の前に、王門を通ってソレヤに出て導入句 「謹みて立て、君や祝讃せよ」を唱え、続いて司祷者の全堂炉儀に従う」[4](注)(輔祭が「謹みて立て」聖歌隊が「君よ、祝讃せよ」と応じる方法をとるところもある)

[カフィズマ]

 大連祷の高声に続いて、第1カフィズマを歌う。「悪人の謀に行かざる者は福なり アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ」実際には、第1カフィズマの聖詠から、一般的に選ばれた句に近代的な音楽づけがなされて歌われている。選ばれた句だからと言って、不必要な短縮化をしないこと。

[主は爾に呼ぶ] ケクラガリオン

 小連祷、高声「蓋、権柄及び国と権能と・・・」。「主や爾に呼ぶ」をその日の調で歌う。炉儀は至聖所全体、イコノスタス、会衆、堂内。この炉儀は輔祭がおこなう。輔祭がいなければ司祭。

 10スティヒラを歌う。「我が霊を獄より ……」の句から。その調の主日のスティヒラ3つ。アナトリのスティヒラ4つ(八調経のその日のスティヒラのあとに書かれている)月課経から聖人のスティヒラ3つ(月課経があれば月課経からとる。なければ八調経に載っているアマレイアの聖パウエルによる至聖生神女のためのスティヒラから3)これらは前述の7スティヒラに続いて唱える(歌う)。「光栄は」のあと聖人の生神女讃詞。なければ「光栄は、今も、アミン」と八調経の生神女讃詞(ドグマティク)または「光栄は」聖人のもの、「今も、アミン」八調経のもの。「今も、アミン」を歌う時、王門を開ける。 

[聖入]

 王門を開けた後、輔祭は香炉を取り、司祭に祝福を請い、宝座に接吻。堂役(ロウソク持ち)が先導し、司祭、輔祭、堂役は宝座をぐるっと廻って北門を出て、王門の中央に立つ。司祭は中央で宝座に向って立つ。輔祭は司祭の前、幾分右よりのすみに立って右手にオラリを取る(祈願の位置)。頭を下げ、司祭にのみ聞こえる声で「主に祈らん」。

 司祭は聖入祝文を捧げる。

万有の主宰や、我等晩と朝と晝とに爾を讃美し、爾を祝讃し、爾に感謝し、爾に祈祷す、我等の祷を香炉の香の如く爾の前に登らしめ、我等の心に邪なる言或は思に傾くを容す毋れ、乃我等を凡そ吾が霊をあみする者より救ひ給へ、蓋主や、主や、我等の目は爾を仰ぎ、我等爾を恃む、我が神や、我等を辱むる毋れ、蓋凡そ光栄尊貴伏拝は爾父と子と聖神に帰す今も何時も世世に「アミン」

 祝文のあと輔祭は司祭に頭を下げ、右手にオラリを持って東を指して「君や聖入に祝福せよ」と唱える。司祭は宝座に向かって(東を向いて)右手で祝福しながら、「主よ、爾の聖者の入るは崇め讃めらる、今も何時も世々に、アミン」

 生神女讃詞の終わりに、輔祭は右手の香炉を上げて、(頭の上から始めて)十字を描き、「叡智、粛みて立て」聖歌隊と会衆は「聖にして福たる」を歌う。輔祭は至聖所に進み、宝座の(四隅から)まわりと高所を炉儀。司祭は王門の柱の小イコンと宝座に接吻し、高所に行き十字を描き、躬拝。中央右よりに(宝座の東南の角)会衆の方を向いて立つ。輔祭は王門を出て会衆に炉儀。向きをかえて宝座正面と司祭を炉儀し、香炉を堂役に渡し、宝座に接吻し、宝座の左に立ち、高所に向かって躬拝。司祭に頭を下げ、宝座の北東の角に(司祭と同じ線上)に立つ。

[聖にして福たる]

 「聖にして福たる」を歌い終わると輔祭は「叡智」司祭「衆人に平安」司祭は右手で会衆を祝福。主教がいる場合は、司祭は何時も自分の手で祝福しない)輔祭(輔祭なければ司祭)「叡智、粛みて立て」。

ポロキメン(土曜の晩は6調)

 輔祭 「主は王たり 彼は威厳を衣たり」

 聖歌隊 くり返す

 輔祭 「(句)主は能力を衣又之を帯にせり」

 聖歌隊 「主は王たり ……」

 輔祭 「(句)故に世界は堅固にして動かざらん」

 聖歌隊 「主は王たり ……」

 輔祭 「(句)主や聖徳は爾の家に属して永遠に至らん」

 聖歌隊 「主は王たり ……」

 輔祭 「主は王たり」

 聖歌隊 「彼は威厳を衣たり」

 司祭と輔祭は(通常最後の「主は王たり」の時)向きをかえ、高所に向かって十字を描き躬拝。定位置につく。司祭は王座の前へ、輔祭は王門を閉じ、連祷のために北門を出て王門前に立つ。

(注意) 司祭がひとりで行なう場合には、聖入は以下のとおり。開いた王門の前に来たあと、右手に持った香炉を左手に持ちかえ、聖入祝文を捧げ、右手で祝福。香炉を頭上高く上げ、香炉で十字を描き、「叡智、粛みて立て」。宝座正面、他の三面、高所を炉議し、宝座正面に戻り、香炉を堂役に渡し、宝座に接吻し高所に行く。会衆の方を向いてポロキメンを行なう。輔祭の時のように会衆に炉儀しない。

[連祷二つ]

 重連祷「我等皆霊を全うしていわん…」高声「蓋爾は慈憐にして人を愛する神なり…」のあと誦経者または司祭は「主や我等を守り罪なくして…」を唱える(歌う)。それから増連祷「我等主の前に吾が晩の…」高声「蓋爾は全にして人を愛する神なり、我等光栄を ……」「アミン」「衆人に平安」「爾の神にも」輔(司祭)「我等の首を主に屈めん…」「主爾に」司祭はこの間に屈首祝文を黙唱する。

主我が神、天を屈めて人類を救ふが為に降りし者や、爾の諸僕と爾の嗣業とを顧み給へ、蓋爾の諸僕は、爾畏るベくして人を愛する審判者に首を屈め、己の頸を伏し、人の助を俟たず、乃爾の憐を俟ち、爾の救を仰ぐ、求む彼等を恒に護り、爾等を此の夕にも、次ぎて至る夜にも、凡の敵凡の悪魔の姦謀と虚しき思慮と悪しき意念とより護り給へ、

高声「願わくは爾父と子と聖神の国の権柄は…」

(注意)上記の連祷は輔祭が閉じた王門前で唱える。輔祭がいない場合は、司祭が宝座の前で唱える。ただし王門は閉じたまま。

[リティヤ]

 王門が開き、ロウソク持ち、輔祭、司祭は行進して前院へ進む。(前院がなければ聖堂の後ろの方へ)香炉を持つ。現在は一般的に、五餅の祝福は毎土曜の大晩課のたびに行わず、大祭の前晩のみに行なわれる。行進の間、聖歌隊は「リティヤのスティヒラ」を歌う。司祭は中央に立ち、ロウソク持ちはその前と両側、輔祭は司祭の右前方。ブルガコフの       p.768では、輔祭は至聖所に残り、この行進のために至聖所イコノスタス、会衆堂と司祭を炉儀してからリティヤの位置に来る(これはキエフのやり方で、王門は開けたままになっている)。しかしながらティピコンでは、王門は閉じていて、行進は北門を出てリティヤの場所に行き、輔祭は前院のイコン、司祷者、ランクにしたがって司祭、聖歌隊を炉儀し、自分の位置に立つ。王門は主教祈祷の時のみ開く、連祷は輔祭(輔祭がいなければ司祭)が唱え、最後の祈り「主宰大仁慈なる主ハリストス・イイスス」は司祷者が西を向いて(高声にて)唱え、全員が頭を下げる。行進は聖堂(聖所)に入り、聖堂中央のパン麦、ワイン、油を用意した盆をのせたテーブルのところへ進む。

[挿句のスティヒラ] アポスティカ

 聖歌隊は挿句のスティヒラを歌う。句は「主は王たり、彼は威厳を衣たり」。他のスティヒラ、「(句)主は能力を衣、又之を帯せり」、またスティヒラ、「(句)故に世界は堅固にして動かざらん」またスティヒラ、「(句)聖徳は爾の家に属して永遠に至らん」またスティヒラ、「光栄は」月課経の生神女讃詞(あれば)、なければ「光栄、今も、アミン」八調経の生神女讃詞

(注意)祭日前晩の挿句のスティヒラの句については月課経(または祭日経)または三歌斎経、五旬経にある。平日の挿句の句は時課経にある。

 聖歌隊(会衆)は「主宰や今爾の僕を安然として」を歌う。「聖三」「至聖」「天主」を読む。「アミン」のあと発放生神女讃詞4調を歌う。

生神童貞女よ、慶べよ、

恩寵に満たさるるマリヤよ、主は爾と偕にす、

爾は女の中にて讃美たり、爾の胎の果も讃美たり、

爾は我等の霊を救ふ主を生みたればなり。

 

輔祭は香炉を取り、司祭から炉儀の祝福を受ける。リティヤの盆のあるテーブルのまわりを3回炉儀(トロパリを歌う間に)最後の一周の時、司祭の方を向いて炉儀、またテーブルの正面(パン)を炉儀、輔祭「主に祈らん」司祷者は五餅の祝文を捧げる。

「主イイスス・ハリストス我等の神、五餅に福を降して五千人を飽かしめし者や、爾親ら亦此の餅(右手でパンの1個をとり持ち上げる。「餅」と言う時パンを指さす)、麦(麦を指さす)、ぶどう酒(左側のぶどう酒を指さす)、油(右側の油を指さす)に福を降し、是を此の都邑(住居、街、修道院)と爾の世界とに満たし、及びこれを領食する信者を聖にせよ。蓋ハリストス我等の神や、爾は万の者に福を降し、これを聖にする主なり、我等光栄を爾と爾の無限の父と至聖至善にして生命を施す爾の神°とに献ず、今もいつも世々に」

聖歌隊「アミン」「願わくは主の名は崇め讃められ」(3回)、第33聖詠1~10まで「我何の時にも主を讃め揚げん…唯主を尋ぬる者は、何の幸福にも欠くるなし」

[発放]

 司祷者は、王門の前に会衆の方を向いて立ち、聖詠を読み終わったら「願わくは主の降福は其の恩寵と仁愛とに因りて常に爾等に在らん、今も何時も世々に」。

誦経者は続いて六段の聖詠へ、「至と高きには光栄神に帰し…(2回)」「主よ、吾が唇を開け、(1回)」

(注意)日曜日の大晩課(または土曜日の晩)、現代では、たいていリティヤは行われていない。以下のことに留意。2つの連祷の後、挿句のスティヒラ、生神女讃詞を歌う。「主宰よ。今爾の僕」「聖三」から.「天にいます」。「天にいます」の始まりの時王門開く。特に指示がなければ「生神童貞女や喜べよ」を3回歌う。(たとえば「生神童貞女や」の代わりに祭日のトロパリにする、あるいは「生神童貞女や」2回、3回めに祭日のトロパリとか指示された場合はそれに従う)第33聖詠は前述のとおり。

 晩課にひき続いて早課が行なわれない場合は以下のとおり。

司祭「叡智」、聖歌隊「福を降せ」、 司祭「永在の主ハリストス我等の神…」、聖歌隊「アミン、神や我が国の…」、 司祭「至聖なる生神女や、我等を救い給え」聖歌隊「ヘルビムより」司祭「ハリストス神我等の恃みや…」聖歌隊「光栄は、今も、アミン、主憐れめよ(3回)、福を降せ」  司祭は西を向いて(会衆の方を向き)発放詞を唱える。 「ハリストス我等の真の神は…」 聖歌隊は万寿詞を歌う。発放の時に、司祭が手持ち十字架を用いる指示はない。手で祝福する(ブルガコフp.788)。主教がいる場合は、司祭は手で祝福せず、頭をさげるだけにする。

王門とカーテンを閉じ司祭と輔祭は宝座に接吻し、祭服室にゆき、祭服をぬぐ。


<脚注>

[4] Bulgakov, Nastol’naya Kniga, p.762

 


13章 早課

 早課を晩課と切り離して執行する場合、司祭は大晩課と同じに祭服(含フェロン)をつけ、カーテンを開ける(早課の間中開けておく、王門は閉じる。)宝座の前で伏拝または躬拝。香炉を受取り「我等の神は崇め讃めらる、今も何時も世々に」司祭は四方から宝座を炉儀、奉献台、至聖所を炉儀して北門から出てイコノスタス、会衆、全堂炉儀のやり方に従って残りの場所を炉儀。

 完全な形の始まりは、誦経者「アミン、我等の神や光栄は爾に帰す、光栄は爾に帰す、天の王、聖三、至聖、天主(九時課等、他の祈祷がこの前にない場合。他の祈祷から続く場合は、司祷者の祝福の後、「聖なる神」または「来れ」から始まることもある。特別の指示が在る場合にはそれに従う。)

 誦経者が第19聖詠20聖詠を終えた後、「光栄は、今も、アミン」「聖三」〜「天主」「アミン」トロパリ「主は爾の民を救い…」「光栄は」「甘んじて十字架に挙げられしハリストス…」「今も…」「威厳にして恥を得ざる転達、至善にして…」

 司祭は短い重連祷、「神や爾の大いなる憐れみに因って」応答は「主憐れめ(3回)」「又、我が国を司る者の為に祈る」「又教会を司る我等の府主教・・・」「又、我等の兄弟…」高声「蓋爾は善にして人を愛する神なり…」聖歌隊「アミン、神父や主の名に依って福を降せ」(主教がいる場合は、InMaster Bless)司祭は香炉を持ち上げ十字を描き、「光栄は一性にして生命を施す分かれざる聖三者に帰す、今も何時も世々に」聖歌隊「アミン」と「至と高きに光栄…」(2回)「主よ、我が唇を啓け」(1回)

[6段の聖詠] Hexalmos

 「至と高き」と「主よ、我が唇」は降誕祭、神現祭、福音祭、堂祭には古来の習慣に従って厳粛に歌う。他の場合は唱える(チャント)。また六段の聖詠後の「アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ、光栄は爾に帰す(3回)」の3回目は通常は歌う。

 誦経者はポドリヤサかステハリを着て聖堂中央で6段の聖詠を読む。

 王門は司祭が「至と高き」を祝福するために開き、「至と高き」のあと閉じる。ティピコンでは、ロウソクもいくつか消す。(実際には灯りのいくつか。)この聖詠の悔い改めの性格と、信者の祈りの気分を保ち高めるため。

(注意)早課を徹夜祷の一部として分割せずに行なう場合は、誦経者(または祈祷に立たない教役者)、は聖堂中央に出て、晩課の終わり頃の司祭の祝福にひき続いて六段の聖詠を読む。単独で始める時の始めの部分と第1920聖詠は不必要。

 最初の聖詠三つが読まれた後、司祭は、至聖所から出て、閉じた王門前に立ち(帽子をとる)(カーテンは開いたまま)早課の祝文(12祝文全部、奉事経、早課を見よ)を黙唱。輔祭がない場合は、大連祷のために、そのままとどまる。輔祭がいれば至聖所に戻り、輔祭が王門前で大連祷を唱え高声の後至聖所に戻る。

カノナルク(ソロ聖歌者、先導者)が「主は神なり」を唱える。カノナルクがいない場合は、司祭はソレヤにとどまり、「主は神なり」を唱える。通常、大きな声で「第◯の調べ」(例:第1の調べ、「主は神なり…」)と知らせてから「主は神なり我等を…」、聖歌隊は「主は神なり…」をトロパリと同じ調で歌う。聖歌隊は合計で4回くり返す。第1句「主を尊み讃めよ、彼は仁慈にして其憐は世世にあればなり」、聖歌「主は神なり・・・」第2句「彼等我を囲み我を環れども、我主の名を以て之を敗れり」、「主は神なり」、第3句「我死せず、猶生きて主の行ふ所を伝へん、」詠「主は神なり」第4句「工師が棄てし所の石は屋隅の首石となれり、是主のなす所にして我等の目に奇異なりとす

第4句のあとは、聖歌隊は復活トロパリを2回くり返して歌う。「光栄は」(あればその日の聖人のトロパリ)「今もアミン」とあと聖人のトロパリの調の生神女讃詞を歌う。聖人トロパリがなければ「光栄、今も、アミン」のあとその主日の調の生神女讃詞。

聖歌隊は「主憐れめよ(3回)光栄は父と子と聖神に帰す」

 

誦経者「今も何時も世々に、アミン」のあと、聖詠のカフィズマを読む。「主よ、我心をつくして、爾を讃め揚げ(主日の場合、第2、3カフィズマ)」(カフィズマの指定参照のこと)王門前で小連祷を唱える。

[アリルイヤ]

(注意)アリルイヤは「主は神なり」の代わりに歌われる。アリルイヤも4回歌うが、死者のための祈祷の場合は3回。アリルイヤは死者の記憶日と三歌経に示された以下の日にうたわれる。(1)乾酪週の水、金(主の迎接祭、当日及びその祭日前期と祭日後期(アポドーシス(祭期末日))が重ならない時)(2)大斎第1週の月〜金 (3)第2週〜第6週の月〜金、ただし福音祭、ポリエレイ、徹夜祷のある聖人の祭日が重ならない場合。(4)聖週間の月〜金、ただし福音祭が重ならない場合。

 大斎中の句は第1句「我夜中我が霊にて爾を慕えり、あしたより我が中心にて爾を尋ねん」「アリルイヤ(3回)」、第2句「(蓋爾の審判が地に行なわるる時、)世に居るものは義を学ぶ」「アリルイヤ(3回)」第3句「爾の民を憎むものは辱めを受けん」「アリルイヤ(3回)」(これが4回めのアリルイヤ、1回めは司祭のアリルイヤのあと歌う)第4句「主よ、爾民を増し、已に民を増して、己の光栄を顕せり*[5]」に続けてトロパリを歌う。

死者のための句は、第1句「爾が選び近づけし者は福なり」、第2句「彼等の記憶は世々に至らん」、第3句「彼等の霊は福楽に降らん」(24聖詠13)「アリルイヤ」に続けてトロパリ、トロパリ(すべて2調)

使徒、致命者、預言者、成聖者、克肖者及び諸義人、善く戦を終へて信を守りし者よ、祈る、仁慈なる救世主の前に勇みを保つ者として、彼に我等の霊(たましい)の救はれんことを祈り給へ。(2次)

光栄は父と子と聖神に帰す。

主よ、仁慈なるに因りて爾の諸僕を記憶して、其の在世の時に行ひし諸罪を赦し給へ、罪なきものなければなり、唯爾は罪なし、且つ世を逝りし者に安息を賜ふよ能接吻。

今も何時も世々にアミン。

言ひ難き光の聖なる母よ、我等天使の歌を以て爾を尊みて、敬虔に崇め讃む。

続いて第16カフィズマ等。

 カフィズマのスティヒラ(セダレン)はその日の指示に従って、各カフィズマが終わるたびに唱える。八調経、月課経、三歌斎経から。カフィズマを二段読んだ後、小連祷、3つめのカフィズマ(その主日に17カフィズマが指定される場合)のあとは小連祷なし。代わりに復活のエフロジタリアのトロパリ「主や爾は崇め讃めらる」これらもアモモス(ネポロチニ、道にきずなくして)と呼ばれる。

[ネポロチニ]

 第17カフィズマは以下の主日早課で歌われる。(1)携香女の主日から五旬祭まで、(2)衆聖人の主日から922日(105日)(31220日(1月2日)から114日(27日)(4)税吏とファリセイの主日(5)大斎中の第12345主日。他の日曜日と祭日にはポリエレイが歌われる。しかし主日に主宰や生神女の祭日が重なった場合、徹夜祷またはポリエレイが行われる聖人の祭日が重なった場合には118聖詠(エフロジタリア)から選ばれた句「道にきずなくして主の法律を・・・」は歌われず、ポリエレイだけ。続いてエフロジタリアのトロパリ「主や爾は崇め讃めらる・・・、天使の軍は」が歌われる。

 「天使の軍は」とそれに続くトロパリは、フォマの主日を除くすべての主日で、主宰の祭日と重ならない場合に歌う。復活祭、五旬祭、聖枝祭には歌わない。生神女の祭日及び聖人の祭日と主日が重なった場合には、讃歌に続いて歌う。蕩子の主日、断肉、乾酪の主日には第137聖詠「我等かつてバビロンの…」のあと歌う。主日の他には、ラザリのスボタの早課にのみ歌われる。

(注意)かつて、ポリエレイ、ネポロチニを歌う間や、福音の読みの前、途中、後に献金する習慣があったが、ブルガコフ(780ページ)は(聖シノドの1890年の決定に従って)早課の時点で献金集めをしてはならないと強調している。実際、早課には捧げ物をする時はないので、必要ならば祈祷の終わりに執事会のメンバーが前院のドアのところで献金の盆を持てばよいだろう。

[ポリエレイ]

 ポリエレイは第134135聖詠からとられる。「主の名を讃め揚げよ、主の諸僕、主の家、我が神の家の庭に立つ者よ、讃め揚げよ。アリルイヤ。イエルサリムに在す主はシオンに崇め讃めらる。・・・アリルイヤ」ポリエレイを歌うかどうかは祈祷書に指示される。ポリエレイを歌う間、王門は開く。全堂炉儀。またポリエレイを歌う時シャンデリヤを灯す。しかし今の近代的な状況ではリティヤや(連祷)の時、明るくして、この時点までつけっぱなしになっていることが多い。リティヤのあと灯りを一旦暗くして、再び明りを灯して祭的な雰囲気を作るのはふさわしいだろう。

[讃歌] Megalynarion

 讃歌が指示されている祭日に重なった場合には、ポリエレイに続いて讃歌を歌う。司祭(他の教役者全員、司祭、輔祭、堂役も)は聖堂中央の祭日のイコンの前で第1回めの讃歌を歌う。(ロウソクを陪席者や会衆に手渡すために、長々と途切れさせないこと。これはポリエレイの始まりに行なうべきである。)司祷者は輔祭に先導されて、アナロイのまわりを炉儀、この時聖歌隊は句[6]と、2回めの讃歌を歌う。聖歌隊「アリルイヤ、アリルイヤ、アリルイヤ神よ、光栄は爾に帰す」を2回。教役者は「アリルイヤ…」と、3度めの讃歌を歌う。

 [アンティフォン] Anabaathmoi 品第詞 ステペンナ

 

  小連祷、高声「蓋、爾父と子と聖神の名は讃揚せられん…」聖歌隊「アミン」

  続いて、復活の(主日の)調(又は祭日の調)でイパコイを歌い、そして読み。品第詞 Anabathmoi(登上のアンティフォン/ステペンナ)を八調経の、その主日の調で歌う。主の祭日が日曜に重なった場合は第4調のアンティフォン「我が幼き時より」を歌う。平日でも、ポリエレイを歌うように指示された場合は「我が幼き時より」だけを歌う。聖枝祭、フォマの主日、五旬祭と十字架挙栄祭、降誕祭、神現祭、変容祭が日曜に重なった時には「我が幼き時より」4調だけを歌う。

 

[ポロキメン] 福音前の

 輔祭あるいは司祭は、ポロキメンを唱える。「粛しみて聴くべし、叡智、ポロキメン、第○調べ、」と句を唱える。(主宰の祭日と主日が重なった場合には、ポロキメンは通常4調、アンティフォンと同じ調になる)聖歌隊はポロキメンをくり返す。輔祭(司祭)が句を唱え、聖歌隊はポロキメンを歌う。3度めはポロキメン前半を輔祭(司祭)が唱え、聖歌隊が後半を結ぶ。ポロキメンは宝座のところか、アンボン上で言う。(輔祭が、唱える場合、アンボンの下か上かは、福音が読まれるのがどこか、宝座か、堂中央かによる。)

 輔祭「主に祈らん」司祭「蓋我が神や、爾は聖にして聖なる者の中に…」聖歌隊「アミン」輔祭(司祭またはカノナルク)「凡そ呼吸ある者は主を讃め揚げよ」、聖歌隊第1句をくり返す。輔祭「凡そ呼吸ある者は」、聖歌隊「主を讃め揚げよ」、輔祭「我等に聖福音経を聴くを給ふを…」、聖歌隊「主憐れめよ」(3回)、輔祭「叡智、粛みて立て、聖福音経を聴くべし…」、司祭「衆人に平安」、聖歌隊と会衆「爾の神にも」、司祭「○○伝による聖福音経の読み」聖歌隊「主や光栄は爾に帰す」

[福音の読み]

 主日には、福音は宝座で読む。祭日に祭日のイコンが捧げられている場合は、堂中央のイコンのある所で福音を読み、読み終わったら宝座に戻す。

 福音が読み終わったら、聖歌隊は「主や光栄は…」と「ハリストスの復活を見て」続いて50聖詠。司祭は福音経を堂中央に運び(頭上というより胸の位置で持つ)アナロイの上に置く。信者が拝するため。信者の叩拝が終わったら開いた王門を通って王座に戻す。

(注意)徹夜祷でリティヤが含まれる場合には、信者が福音経(祭りのイコン)を拝しに来た時に油をつけ、アルトクラシアのパンを分ける。

 福音の拝し方は、司祷者から始めて、躬拝2回の後、福音経に接吻。もう一度躬拝。他の人達も同様にして、司祭、アナロイの左側(宝座の方に向かって左)に立ち信者の方を向いている司祭に頭を下げる。福音書は行進の形をとって宝座に戻し、司祷者は会衆に向き直り、通常ソレヤの上で福音経で祝福する。

 50聖詠の後「光栄は…」「憐れみ深き主や、聖使徒…」「今も、アミン」「憐れみ深き主や、至聖なる生神女の…」「神や爾の大いなる…」「あらかじめ言ひしが如く・・・」(これは主日のスティヒラ)(注意)降誕祭、神現祭などの変更は祈祷書の規定を見よ。

 輔祭(司祭)大きな転達の祈りを唱える「神や爾の民を救い…」聖歌隊「主憐れめよ(12回)」高声「爾が独生子の仁慈と慈憐と仁愛とに因りてなり、爾は彼と至聖至善にして生命を施す爾の神と偕に讃揚せらる、今も何時も世世に、」「アミン」

 信徒が叩拝するために福音経が堂中央に運びだされていない時で、輔祭がいない場合は、「神や爾の民を…」を司祭が宝座で唱える、輔祭がいる場合はソレヤの、救主のイコンの前で唱える。

[カノン]

 高声「爾が独生子」のあと、その調の(主日の調の)カノン第1歌頌のイルモスを歌う。続くトロパリ(讃詞)は通常読まれる。司祭(司祷者)が右聖歌隊の前、クリロスに出て来て、自分でトロパリを読んでもさしつかえない。各トロパリを唱える(チャント)の前に附唱を唱える。「主や光栄は、爾の聖なる復活に帰す」など。トロパリの他の附唱はイルモロギオン(連接歌集)に一覧されている。

[カタワシヤ]

 第3歌頌のトロパリのあとカタワシヤを歌う。カタワシヤは、実際には他のカノンのイルモスである。カタワシヤには2つの形がある。

1)カタワシヤは第3、第6、第8 第9歌頌のあと歌う。

2)カタワシヤをカノンの各歌頌後ごとに歌う。

 1)のカタワシヤの歌い方は、祭日でない平日、祭日前期、祭日後期に用いられる。衆聖人の主日から乾酪週までの間、土曜日のカタワシヤは八調経から取られ、他の平日は月課経からとる。2つの聖人が重なる場合、カタワシヤは2人目の聖人のカノンからとったイルモス。三歌斎経を用いる期間(大斎のサイクル)には、カタワシヤは月課経と三歌斎経のイルモス。時には、第3歌頌後のカタワシヤは月課経から、他は三歌斎経からということもある。

 2)のカタワシヤの歌い方は、(「ティピコンに従って」とか「「順々に」とか言われることもあるが)主宰と生神女の祭日全部と、徹夜祷とポリエレイが指示されている祭日全部、一年中で大詠頌のある早課、断肉週の土曜日と五旬祭前の土曜日、一年のうちに様々なカタワシヤが歌われるが、中、小の祭日には、一般的なカタワシヤ生神女のカノンのイルモス「我が口を開きて」が歌われる。主宰の祭日と前後祭期には、主の祭日の特別のイルモスに代る。十字架挙栄祭の前には、挙栄祭のカタワシヤは81日(8月14日)から、降誕祭前は1121日(12月4日)から歌われ始める。他の祭日についてはティピコンに記載された時期に従う。

 三歌斎経の時期においては、「我が口を開きて」のカタワシヤを税吏とファリセイの主日、大斎第2、第4、第5主日、祭日のかさなった大斎平日に歌う。三歌斎経からのカタワシヤは蕩子の主日、乾酪の主日、第1、第3、第6、第7週に用いる。税吏とファリセイの主日が115日(128)から主の迎接祭の祭日後期(アポドーシス・祭期末日)の間になった場合、これらの週のカタワシヤは、祭日のカノンのイルモス「昔、日は深処より出でたる」。祭日のアポドーシス以降の週は様々なカタワシヤに変わる。十字架叩拝の週の木曜日には、パスハのイルモスではなく、7調の「ハリストスよ、預言者アワクムは爾が肉体を以て来たるを信ぜしめて呼べり

[カノンの間の連祷について]

 第3歌頌のカタワシヤのあと小連祷。高声「蓋爾は我等の神なり、我等光栄を爾父と子と…」月課経の聖人のコンダクとセダレンを読む、または唱える。輔祭は閉じた王門の前ソレヤで連祷を唱える。司祭は王座の前にいるときは、高声も至聖所内で唱える。もし司祭がクリロスにいる場合、王門前に歩いてきて唱える。福音、またはイコンに接吻する際、中で司祭がまだアナロイ前にいる場合は、そこで高声を唱える。

 第6歌頌のあと、小連祷、高声は「蓋爾は平安の王及び…」コンダクとイコスを歌う。

 第8歌頌のとき、輔祭は司祭から至聖所(ベマ)を炉儀する祝福を受け、北門からソレヤに出てイコノスタスの右側を炉儀。イコノスタスの生神女のイコンの前に立ち、第8歌頌のカタワシヤの終わるのを待つ。(カタワシヤの前に「我等主を崇め讃めて伏し拝みて世々に歌い讃めん」を歌う。)輔祭は香炉を上げて「生神女光の母を…」を唱える。それからイコンに3回炉儀、イコノスタス左側、会衆、聖堂内の残りのイコンに炉儀する。聖歌隊は「我が霊は主を崇め、我が心は救主を喜ぶ・・・」を歌う。各句ごとに躬拝。

[讃揚のスティヒラ] Ainoi

 「凡そ呼吸ある者」

 第9歌頌のあと小連祷、高声「蓋天の衆軍爾を讃揚す…」司祭は宝座の前に立つ。輔祭(司祭)「主我等の神は聖なり。」聖歌隊はその主日の調でくり返して歌う。第2句「主は高く衆民の上にあり」聖歌隊「主我等の神は聖なり」をくり返す。続いて主日のエクサポスティラリを歌う。もしあれば「光栄は」のあと聖人のエクサポスティラリ、「今も」のあと主日の生神女讃詞。

 次に讃揚歌「凡そ呼吸ある者」を、その日の調で歌う。聖詠の8句と讃揚の8スティヒラが示される。八調経には「復活の」4スティヒラに4句、それに「アナトリの」4スティヒラと句が載っている。最初の句は(時課経には6スティヒラの時の始まりとして書かれている)「彼等の為に記されし審判を行なわん為なり。斯の栄は其悉くの聖人に在り」この句は8スティヒラの場合の開始の句となる。以下の2句は全体として8にするためにつけ加えられる「主我が神よ、起ちて爾の手を挙げよ、苦しめらるる者を永く忘るる勿れ」「主よ、我心を尽くして爾を讃め揚げ爾が悉くの奇蹟を伝えん」。主日ならば、「光栄は」のあと順序の福音のスティヒラ(Heothinon[7]。「今も」のあと生神女讃詞2調「生神童貞女や爾は至りて」。スラブ系教会(ロシア、ブルガリア、セルビア)では「生神童貞女や…」は8調各調で歌われる。「徹夜祷執行のための指示、(モスクワ教会カレンダー1949p.6669)」ではその日の調で歌うように指示されている。

[大詠頌]

 歌う詠頌(「至高きに光栄神に帰し・・・」)を「大詠頌」と言う。祭日でない日には詠頌は誦読され、「讃は爾に帰し、歌は爾に帰し光栄は父と子と聖神に帰す、今も何時も世々にアミン」で結ぶ。詠頌の終わりに「主よ我等を守り」が挿入されているが、大詠頌(歌う場合)では、中間に挿入され、「主や爾は崇め讃めらる、爾の誠を我に教へ給へ」(3回)を歌う。読む場合には、「主よ、爾は崇め讃めらる、爾の誠を我に訓へ給へ、主宰よ、爾は崇め讃めらる、爾の誠を我に悟らせ給へ、聖なる者よ、爾は崇め讃めらる、爾の誠にて我を照らし給へ」大詠頌は、天使の歌「聖なる神」の歌で集結。

 「今も何時も…」を歌う時、王門を開く。司祭は宝座の前に立ち、輔祭はその右、生神童貞女や爾は至りて讃美たる」のあと司祭は高声「光栄は爾、我等に光を顕わせる主に帰す。」(この時、司祭は両手を上げる。これは多くの司祭が行なっている習慣だがティピコンに指示はない)聖歌隊は聖堂中央で大詠頌を歌う。(ニコルスキーP331

 大斎中で早課のポリエレイは歌われるが大詠頌を歌わない場合は、輔祭はポリエレイのあと祭服を脱ぎ、司祭ひとりで斎の早課をおわる。ポリエレイが大斎中の日で歌われる時、または土曜日で、大詠頌が歌われる時は、輔祭は祭服着装のままで最後まで務める。大詠頌中、宝座わきの定位置に立ち、常例に従って最後の連祷をソレヤで唱える。(ニコルスキーP311

 大詠頌に引き続いて復活トロパリ(定規のトロパリ)。これは2種類あって、1,3,5,7調では「今、救いは世界に及べり」。2,4,6,8調の時は「主や爾は墓より ……」

 

[退出] Apolytikion

 特定の祭日には、大詠頌のあと祭日のトロパリ「アポリティキオン」(退出トロパリ)が歌われる。主日早課では、徹夜祷を行う聖人の祭日、祭日前期、祭日後期、生神女の大祭が主日と重なったとしても、ここでは復活トロパリを歌う。主宰の祭日には祭日トロパリを歌う。大斎中の十字架叩拝の主日、914日(927)の十字架挙栄祭には祭日のトロパリ「主や爾の民を救い」(1調)を3回歌う。

 主宰と生神女の大祭が平日に行われる場合には、大詠頌のあと祭日のトロパリを1回歌う。聖人の祭日には、大詠頌のあと、まず聖人のトロパリを歌って「光栄、今も、アミン」に続いて、復活生神女讃詞をアポリティキオンとして歌う。主日の8調のトロパリの一部として、月課経、注釈つき聖詠経、ティピコン、時課経に収録される。

 1調 復活生神女讃詞 「童貞女やガヴリイル爾に慶べよと」

 2調     ”   「生神女や爾の奥義は皆悟り難く」 

 3調     ”   「生神童貞女や我等爾が族の」

 5調     ”   「通り難き主の門や」

 6調     ”   「讃美たる者を爾の母と名づけて」

 7調     ”   「讃美たる者や爾は我が復活の」

 8調     ”   「我等の為に童貞女より」

 土曜日以外の平日には聖人のトロパリの調で生神女讃詞を歌う。2人の聖人が同じ日に記憶される場合には、大詠頌のあと2聖人のトロパリを両方とも歌い、生神女讃詞は2つめの聖人のトロパリ、つまり「光栄は」のあとの「トロパリの」調で歌う。土曜日には、その週の調で生神女讃詞を歌う。祭日が土曜日に重なった場合には祭日の調で生神女讃詞を歌う。

 祭日の前期、後期には、聖人のトロパリを歌い、「光栄、今も、アミン」のあと祭日前、後期のためのトロパリを歌う。

[大詠頌] (詠頌「至高き」を歌う場合)

 大詠頌は1年のうち以下の祭日に歌うように示されている。

 (1)すべての主日、(2)徹夜祷、ポリエレイ、大詠頌のある祭日のある平日。ただし聖フォマの主日から、乾酪まで。大斎中は除く。(3)祭日のアポドーシス(祭期末日) (4)乾酪週から、聖フォマの主日の間の平日のうち(a)乾酪週の土曜日、大斎第5週土曜日、ラザリのスボタ、聖大土曜日 (b)乾酪週の月、火、木に主の迎接祭または堂祭が重なる場合。

 乾酪週に徹夜祷、ポリエレイのある聖人の祭日(130 210 224 39)がかさなっても大詠頌は歌わない。主の迎接祭のアポドーシス(祭期末日)が乾酪週の火、木に重なった場合も歌わない。乾酪週の水、金、大斎、第1、第2、第3、第4、第5、第6週と受難週の月火水木金には祭日に関係なく歌わない。祭の祭、復活祭と光明週、50聖詠を読まないのと同様、大詠頌も歌わない。

[結び]

  輔祭は北門から出てソレヤへ。王門は詠頌のあとは開いたまま。常例の位置で重連祷を唱える。高声「蓋爾は慈憐にして人を愛する神なり…」それから輔祭は増連祷を唱える。高声「蓋爾は仁慈と慈憐との神なり…」司祭は会衆の方を向いて祝福「衆人に平安」答え「爾の神にも」輔祭(司祭)「我等の首を主に屈めん」答え「主爾に」司祭はこの間に祝文黙誦する。終わりに高声「蓋我が神や我等を憐れみて…」「アミン」

[退出]

 輔祭「叡智」と唱えた後、至聖所へ入る。(輔祭がいなければ、司祭が叡智をとなえる)聖歌隊「福を降せ」(注:主教がいる場合あるいは大聖堂ではMaster Bless)司祭「永在の主ハリストス我等の神は」聖歌隊「ヘルビムより尊く…」司祭「ハリストス神、我等の恃や、光栄は」聖歌隊「光栄、今も、アミン、主憐れめよ(3回)福を降せ」司祭は発放詞を唱える。王門とカーテンを閉じる。司祭の発放詞のあとは、いかなる時でも「アミン」は言わない、歌わない。万寿詞を歌う。司祭は手で、会衆を祝福する。手持ち十字架は用いない。十字架接吻もなし。

 

[一時課]

 ひき続き、誦経者は「来れ」第589100聖詠。「光栄は、今も、アミン」「アリルイヤアリルイヤ、アリルイヤ、光栄は爾に帰す(3回)」「主憐れめよ」(3回)「光栄」その日のトロパリ「今も、アミン」1時課の生神女讃詞「嗚呼恩寵に満たさるる者や」「聖なる神、至聖、天主」司祭「蓋国と権能と…「アミン」その日のコンダク「主憐れめよ」(40回)「何に日何の時天にも地にも」「主憐れめよ」(3回)「光栄、今も、アミン」「ヘルビムより …」「主の名に依って福を降せ」

 司祭はソレヤに出て王門前に立つ。エピタラヒリのみをつける。王門とカーテンは閉じたまま。「神や我に恩を降し…」「真の神なるハリストス…アミン」聖歌隊は8調で「生神女や我等爾の僕婢は」歌う。司祭「ハリストス神、我等の恃みや」聖歌隊「光栄は、今も、アミン、主憐れめよ(3回)福を降せ」司祭は、会衆に向かって小発放を唱え、おじぎして至聖所に戻る。

 (注意)早課の終わりに通常の詠頌が読まれた場合は、発放なしで、続いて「神や我が国の天皇と正教会の教えと」第1時課を読む。完全な大発放は一時課のあと行なう。


<脚注>

5 *70人訳に準拠すれば、第4句は「主よ、彼等に艱難を加へ、地の驕れる者に艱難を加へよ」(連接歌集)日本正教会の従来の訳はヘブライ訳。

6 句は「連接歌集」p.328に記載される。

7[1] 訳注:早課の11の福音の読みに対応した11スティヒラがある。


14章 平日早課

 ポリエレイ、大詠頌を伴う祭日と記されていない日に平日早課を行なう。平日早課のやりかたは奉事経とティピコンの第8章、時課経、に記載される。

始まりは祭日と同じ。カフィズマから異なる。各カフィズマの後に八調経、三歌斎経、五旬経からのカフィスマタ(セダレン)、祭日の前期後期には月課経から。

 小連祷、高声のあと、ただちに50聖詠。平日早課の連祷は、記載されていないが、祭の重なり方による。例えば、日曜日(土曜の夜)には3つのセダレンが指示されるが、最初の2つのカフィズマの終わるたびに連祷があるが、3つめのセダレンのあとには指示がなく、「主は爾は崇め讃めらる」のあと小連祷を行なう。前述のように各カフィズマごとにセダレンがある場合は連祷なし。土曜日、日曜日、祭日前期、後期、徹夜祷のある祭日、ポリエレイと大詠頌のある祭日、五旬経の期間には、最初の2つのカフィズマの終わるたびに連祷が唱えられる。しかし上記の祭日が大斎平日に重なる場合には、第3カフィズマのあとにのみ連祷が唱えられ、最初の2つのカフィズマのあとには行なわれない。

 「神や爾の民を救い」は大斎以外の平日早課には言わない。大斎中には司祭(輔祭よりも)が唱えるが、例外は土曜日とクリトの聖アンドレイの大カノンのある木曜日の早課で、この日は唱えない。福音経が接吻のために堂中央に運ばれていない時は、この「転達」は宝座で唱える。(ニコルスキーp.304)しかし、輔祭が唱える場合は、ソレヤに出て、通常救主のイコンに向かって、またはアンボン(中央)で「転達」を唱える。この転達のあと「主憐れめよ」12回。高声は「蓋爾が独生子の仁慈と ……」地方教会では通常聖詠経からの「句唱」は省かれ、カノンがただちに行なわれる。第3歌頌の後「小連祷」、高声「蓋爾は我等の神なり」。コンダクまたはセダレンを歌う、または読む。第6歌頌のあと小連祷高声「蓋、爾は平安の王…」コンダクとイコスを歌う、または読む。第8歌頌のあと「生神女光の母を…」「我が霊は主を崇め」「ヘルビムより」

 第9歌頌のあと「常に福」小連祷、高声「蓋天の衆軍、爾を…」エクサポスティラリ、スティヒラ(その日の指示にそうあれば)詠頌が読まれる早課では讃揚の聖詠(148150)は次ぎのように行なう。

 第1の聖歌隊が句の半分「天より主を讃め揚げよ」と附唱「讃め歌は爾、神に帰す」を歌う。第1の聖歌隊はもう一度句全体「天より主を讃め揚げよ、至と高きに彼を讃め揚げよ」を歌う。続けて「讃め歌は爾に帰す」(附唱)を歌う。続けて、讃揚のスティヒラを指示されたように歌う、または読む。誦経者は「光栄、今も、アミン」、スティヒラ、「主、我等の神よ、光栄は爾に帰す、我等、光栄を爾、父と子と聖神に献ず、光栄は爾我等に光を顕わせる主に帰す。」誦経者は平日の詠頌(至高き)を読む。スティヒラがなければ、エクサポスティラリのあと「主我等の神よ」のあと詠頌を読む。

 連祷「我等主の前に吾が朝の祈りを」高声「蓋爾は仁慈と慈憐と」「衆人に平安」「爾の神にも」「我等の首を主に屈めん(司祭が言う)」「主爾に」「蓋我が神や我等を憐れみて」

[挿句のスティヒラ APOSTICHA] 

 挿句のスティヒラを読むまたは歌う。八調経に収録。続けて「至上者よ。主を讃栄し、爾の名に歌い、爾の憐を朝に宣ベ、恵を夜に宣ぶるは美なる哉」続いて「聖三」「至聖」「天主」祭日または聖人のトロパリ「光栄、今も」「生神女讃詞」(ふつう発放トロパリと呼ばれる)

 大斎中はトロパリ、コンダクの代わりに「生神女天の門よ、我等爾が光栄の堂に立つに、意は天に立つが如し、祈る我等の為に爾が憐れみの門を開き給へ」「主憐れめよ」(40回)「光栄、今も、アミン」「ヘルビムより」「主の名に依りて福を降せ」司祭「永在の主ハリストス、我等の神は恒に崇め讚めらる」聖歌隊または誦経「天の王よ、我が国を佑け、正教を固め、異教を循はせ、世界を穏やかにし、克く此の聖堂を護り、已に過ぎ去りし、我等の諸父兄弟を義人の住居に置き並に我等の痛悔と承け認めを納れ給へ、爾は仁慈にして人を愛する主なればなり」司祭「主吾が生命の主宰や」(聖エフレムの祝文と伏拝3回または16回)

 大斎以外のすべての日には「発放トロパリ」連祷「神や爾の大いなる憐れみに依って…」高声「蓋、爾は人を愛する神なり」「アミン」司祭「叡智」「福を降せ」「永在の主ハリストス我等の神は」「アミン、神や」発放なし、ただちに一時課。

[発放トロパリ]

 

 (注意)発放トロパリに関する指示は以下の通り。水金以外の平日で祭日前期、後期、以外の場合は、月課経による聖人のトロパリ1回、聖人が二人ある場合は、最初の聖人のトロパリの後「光栄は」続いて2番めの聖人のトロパリ、月の月課経に聖人のトロパリがない場合には聖人の格に応じて、総月課経からトロパリをとる。

 トロパリの後「光栄、今も、アミン」、二人聖人がある場合は「今も」のあと、月火木には生神女讃詞を、水金には十字架生神女讃詞を聖人のトロパリの調に従って歌う。土曜日の生神女讃詞は、早課の終わりにある。また、月の月課経の巻末や注釈つき聖詠経に以下の表題で掲載。「年間歌われる聖人のトロパリに従って晩課、早課の「主は神なり」と早課の終わりに歌う『発放讃詞』」早課の終わりの「この章を見よ」の部分にある。

 

 Proheortia(祭日前期)やMetheortia(祭日後期)が平日に重なる場合には聖人のトロパリあるいは2聖人のトロパリのあと祭日前期、後期のトロパリのみを歌う。聖人のトロパリがない場合は、祭日前期後期のトロパリのみ。

 乾酪週の水、金、大斎中の平日、受難週の最初の3日間には大斎で記した「生神女天の門や…」を歌う。しかし福音祭、またはポリエレイのある聖人の祭日にあたる場合は「生神女天の門や…」のあと祭日のトロパリを歌う。大斎第1週の土曜日は、「聖フェオドルの土曜日」にはトロパリ2調、「信の感化力は大なる哉、聖致命者フェオドルは炎の泉の中に在りて、安息の水に於けるが如く喜べリ、蓋火にやかれて、甘き餅の如く聖三者に献げられたり、ハリストス神よ、彼の祈祷に因りて、我等の霊を救ひ給へ」続いて生神女讃詞2調「言い難き光の聖なる母よ、我等天使の歌を以て爾を讃美し、敬虔にして爾を崇め讃む」を歌う。大斎の土曜日、死者の記憶が行なわれる第2、第3、第4土曜日には、2調で「使徒、致命者、預言者、成聖者、克肖者及び諸義人、善く戦を終へて信を守りし者よ、祈る、仁慈なる救世主の前に勇みを保つ者として、彼に我等の霊(たましい)の救はれんことを祈り給へ」「光栄は」「主よ、仁慈なるに因りて爾の諸僕を記憶して、其の在世の時に行ひし諸罪を赦し給へ、罪なきものなければなり、唯爾は罪なし、且つ世を逝りし者に安息を賜ふよ能接吻(2調)」「今も、アミン」「言ひ難き光の聖なる母よ、我等天使の歌を以て爾を尊みて、敬虔に崇め讃む(2調)」で歌う。断肉の土曜日、五旬祭の記憶の土曜日のトロパリは「惟一の造成主、深き智慧と仁慈とを以て萬事を治め、衆人に益ある事を賜ふ主よ、爾の諸僕の靈を安ぜしめ給へ、蓋彼等は爾造物主と造成主と我が神に恃頼を負はせたればなり。」「光栄」「今も、アミン」生神女、聘女ならぬ聘女、信者の救いよ、我等は爾を垣墻と港、及び爾が生みし神の前に善く納れらるる祈祷者として有つ」

 



[1]  カーテンは晩課の間は開いたまま。王門は聖入の時以外閉める(もし聖入があれば)。

[2]  晩課に続いて聖体礼儀が行われる場合の始まりは宝座の前で「父と子と聖神の国は…」

[3] 晩課のあと早課が指示されている場合は、大晩課と同じく司祭が「来れ」を読む。光明週には、「来たれ」の代わりに「ハリストス死より」を3回歌う。103聖詠の代わりに「ハリストス死より」と聖詠の句「神は起き」などを加えて歌う。フォマの主日から昇天祭までは「来たれ」の代わりに「ハリストス死より」を歌って103聖詠を読む。司祷者と至聖所の教役者前院で「ハリストス死より」を2回半、3回目を聖歌隊が締めくくる。

[4] Bulgakov, Nastol’naya Kniga, p.762

[5] *70人訳に準拠すれば、第4句は「主よ、彼等に艱難を加へ、地の驕れる者に艱難を加へよ」(連接歌集)日本正教会の従来の訳はヘブライ訳。

[6] 句は「連接歌集」p.328に記載される。

[7] 訳注:早課の11の福音の読みに対応した11スティヒラがある。