第1章 聖 堂

 ティピコンは聖堂で行われる聖なる奉事を説明するものである。  聖堂とは神のために成聖された建物で、信者が集まって主に共同の祈りを捧げ(ルカ19:46)、聖体機密やその他の聖機密を通して神の恩寵を受ける。(コリンフ前11:22)  聖堂は教会とも呼ばれる。イイスス・ハリストスを信ずる人々の「集まり」を表す(コリンフ14:23,ティモフェイ前3:15, 使徒行実5:11)。ティピコンでは「教会」は一般に「聖所」と呼ばれる所について用いられることが多い。「聖所」は啓蒙者のための場所「啓蒙所」に対して、信者のための場所である。正教の各聖堂は「神の宮」であり「主の家」である(ルカ19:45〜46)。聖堂内にある至聖所の「宝座」(祭壇)は、至聖三者の神の宝座、王座である。  各聖堂には名称が与えられる。「ハリストス降誕聖堂」、「生神女就寝聖堂」「聖ペトル・パウェル聖堂」、「衆聖人聖堂」などと呼ばれる。聖堂の名前は、信仰の歴史上のできごとや、主の前の転達者として共同体(教区)のために特別に選んだ聖人を記念して聖堂が建立され、成聖されたことによる。

 しばしば聖堂の中に他の聖堂が複合されることがある。ひとつの部分、またはその聖堂の最大部分が主聖堂で、2番目のチャペル(付属聖堂/宝座がある)は、パラエクレシアと言われる。パラエクレシアも祭や聖人を記念して成聖される。複数のパラエクレシアが異なる記憶日2人またはそれ以上の聖人を記念してささげられることもある。このようなパラエクレシアがある場合は年に数回堂祭が行われる。

[聖堂の設計]
 聖堂にはいくつかの様式がある。「十字架型」は十字架を通してハリストスの教会が生命と力をうけたことを象る。「円形」の建物は、円には初めも終わりもないことから、教会が永遠であることを表わす。「星形」(8角形の星)は教会が星のようにハリストスの光を放つことを表わす。長い「舟型」は、教会が生命の海を通って永遠の生命の港へ私達を運ぶ舟であることを表わす。

 聖堂の屋根はドームやクーポルがつけられる。一つのクーポルは教会の至高のかしら、ハリストス・イイススを表わし、三つのクーポルは至聖三者のペルソナを教え、五つのクーポルは主イイスス・ハリストスと四福音記者を表わし、七つのクーポルは聖神の七つの機密、聖神の七つの恩寵、七つの公会議を表わす。九つのク−ポルは天使の九つ品位、十三のクーポルは、ハリストスとその十二使徒を表わす。  十字架は勝利のしるしで、教会の一番高い所クーポルの頂上に据えられる。もしクーポルもド−ムもない場合は建物の最も高い所につけられる。横棒3本(ロシア十字架)でも横棒1本の十字架でもよい。

 旧約聖書のソロモンの神殿が、神の旨に従って、至聖所(Holy of Holies) 聖所(Sanctuary)と前庭(Court yard)の3部分に分けられていたように(出エジプト25:40)、キリスト教の教会も3つの基本部分の合成である。「至聖所」(Sancutuary), 教会、正しくは「聖所」(nave)、前院(vestible)と玄関のポーチからなる啓蒙所である。ティピコンでは内部の啓蒙所(前院vestible)をトラペザと呼ぶ。修道院の聖堂では通常ここが修道院の食堂となっている。  至聖所は、神が永遠の光の中にいる天の世界、私達の元祖アダムとエヴァの住んだ地上の楽園を表わし、究極的には、そこから我等の主が教えを宣べ伝えるために出て来られたところ、聖体機密をたてた場所、苦しみを受け、十字架上で死に、死から甦り、天に昇られた場所を表わす。至聖所は、司祷者と補助者(司祭、輔祭、副輔祭、堂役--皆祭服をつける)だけが光栄の王の宝座に仕える場所で、他の者は至聖所に入ってはならない。(第4回全地公会69条, Laodoc. 44 など.)  教会または聖堂(聖所)は信者のための場所で、ハリストスを信じ、教会の生命に機密的に参加する信徒のための部分である。前院は、「神の恩寵の国」に入ることを望む人の準備の場所で、啓蒙者と痛悔者(penitents)が立つ。

 至聖所は聖堂の東部分にあるので、すべての祈祷は東を向いて行われる。伝統的に楽園は東にあったとされ、我々の救済も「東」において起こった。主は東(オリエント)(ザハリア6:12 聖詠7:34)、東旭(あさひ)は上より(ルカ1:78)真実の子(正義)(マラキ4:2)などと呼ばれる。  聖大ワシリーはキリスト教徒は常に東を向いて祈るように言った。宝座(ラテン語のalta ara--犠牲のための高くなった所)は高くなっているか、聖所より高くなった至聖所の中にあるので、人々は容易に見ることができて「天の国」へと目を上げるができる。

第2章 モスクワの教会の牧者、総主教アレクセイ聖下の復活祭のメッセージ 1946年

 祈祷するために教会に招かれたとき、そこの牧者から奉神礼や聖堂内での決まりについて、どんな教育が必要であるかを尋ねられることがある。こういう場合は、先ず、一般的な説明にとどめ、それから、祈祷の秩序の間違いや、聖堂の装飾、歌などについても個々の場所で話すのがよいだろう。

 従って、ここで一般的に受け入れられているオーダーを紹介するために、私の個人的な好みではなく教会規則の精神そのものに従って、聖堂の装飾、祈祷、特に聖歌について理解するところを述べる。私は以下の教示を、すべての尊神父、牧者、その教区に与える。

[神の教会の内部装飾について]

 私たちの注意を神の宮に向けよう。そこでは、我たちをとりまいているものが、平生我々が生活する所で見ているものと異なっていることに注意しよう。イコンは家にあるものと異なり、壁はイコンのように書かれ、すべてが輝いている。すべてのものはたましいを上昇させ、私たちをこの世の煩いや印象から切り離す。聖堂の中で、その崇高な目的と合わないものを見ると、私たちの知覚は汚されてしまう。聖師父は儀式を確立しただけでなく、聖堂の外観と同様内装の規則も作った。すべてのことが深く考えられ、すべてのものは予見され、すべては、祈りを捧げる人々の内に、特別の心がまえを作り出すように設定されていなければならない。従って人々が見たり聞いたりするのに妨げになるものは聖堂内にあってはならない。また人々の心が天に、神に向うのを妨げてはならない。

 病院においては肉体的な病人に対して必要な良好な状態をつくるために、すべてが予測をたてて行われる。従って、精神的な病院である神の宮でも、すべては予測をたてておこなわれなければならない。

[聖堂の電飾について]

 教会から電飾という不必要な魅惑の習慣をとりのぞく時が来た。電飾はとりつけられた場所のみならず、イコンをとりまき、至聖所の7本の燭台にも入りこみ、しばしばとても見栄えのしないことになっている。無秩序である。巨大な電灯の洪水が尊い教会のイコンをてらす ……その結果は、聖堂を明るくしているのではなく、めちゃくちゃなイルミネーションである。こういうものは店のショーケースや劇場の入口、鉄道の駅、道路にはよいだろう。聖堂の中にはこの種の照明は最低限にすべきだ。

 電灯が普及した時、聖堂内ではシャンデリヤの光源としてのみ許された。しかしランパートや祝福された教会のろうそくによる伝統的、神聖な昔からある灯火に取ってかわることではない。  ランパートのまたたきやろうそくの優しい光、敬虔な信徒が心から祈るために聖堂に入る時、見たいのはこういう明かりである。ちかちかする人工的な明かりは、祈りのムードを作らないだけではなく払い去ってしまう。

 従って人工的な光は、聖堂のシャンデリアのみ、必要な照明として許す。しかし、聖堂の他の場所、特に至聖所では、その使用を排除し、できるだけ削減する。いかなる場合でもイコノスタスやイコンにカラフルな電球の縁取りはしない。聖堂を暗くしよう。信徒の心の中に平静が勝り、そこから内なる光が輝き出す。

[祈祷の歌について]

 これについては、今までたくさんのことが言われ、また言われ続けているが、今のところ結果は明らかでない。

 信徒の大多数は声楽のエキスパートではない。しかし、教会の歌に何を期待しどんな種類の歌を望むか尋ねてごらんなさい。彼らは、こう答えるでしょう。「心に触れる歌がいい」「感動の涙に心が動くような歌」「私達のたましいを昇らせ、祈りを助けてくれる歌」人々は教会の聖歌の真の精神、ふさわしい調子、聖歌の心を完全に理解しており、音楽のエキスパートよりも劇場の歌と教会の聖歌を識別している。どうして人々の祈りの心が拒むものを押し付けるのか。彼らが精神の「やすらぎ」を探しているとき、なぜこの世的な「感傷的」な喜びを押しつけるのか。

 私たちが人に何か頼み事をする時、ていねいに、しかも一生懸命懇願するだろう。私達はそういう質を保たねばならない。なぜ我々が神に願いごとを言うのに、厚かましくも、敬虔さを押し流してしまうような薄っぺらな劇場的な調子の聖歌を選ぶのか。 聖歌を世俗の歌のように叫ぶような調子や、熱情的なオペラのアリアのように歌っては、祈りに集中するチャンスも、歌のことばの内容や意味をかいまみるチャンスも与えない。

 こういう歌は聴覚にある種の印象を与えるだけで、たましいには何の刻印も残さない。教会の立場から、無味乾燥な世俗の歌のイミテーションを追い出さなければならない。なぜだろうか。私たちは教会の伝統と時によって成聖された全く教会的な最もすばらしい音楽の形をもっている。

 尊い聖師父たちは聖堂で歌う歌が、名ばかりでなく実際においても厳密に奉神礼的(教会的)であることが大切だとしている。半端な信仰の聖歌指揮者を喜ばすために教会の精神に相いれない音楽を取り入れるなどという妥協はありえないことだ。  特に、信経と天主経は常に全会衆で歌われるべきである。

 たいていの場合、右聖歌隊が祭日の祈祷に備え、左聖歌隊は連祷や他の簡単な歌を歌うようになっているように思われるが、これは悲しい印象を与え、祈祷の尊厳さをそこなう。  もう一つ個人的な意見であるが、聖体礼儀前主教の入堂の時、「From the rising of the sun」を聖歌隊がせかせかと大声で歌い、そのあと全く沈黙があって、主教がソレヤに近づいた時、「常に福」や「歌頌」を歌い始め、しかし主教がイコンに接吻しようとしたとたん、歌が終わってしまうことがおこる。そのあと王門で祝文を唱える間、聖歌隊は沈黙しているか、さもなければ歌の最後のことば「爾を崇め讃む」を果てしなく繰り返す。  こういう途切れや繰り返しは祈祷の厳粛さをそこなう。

 「From the rising of Sun」は、慌てた感じでなく、たっぷり厳粛に歌う。「常に福」や「イルモス」は、途切れ目なしに続けて歌い、主教が王門前で祝文を唱え終わってから、歌い終わるのを待っていられるようにゆっくり歌う。 「作法」  祭日の時、特にイコンや福音書に接吻する時、人々が祝福を受けに来る時の作法がなっていない。尊い教会での祈祷中の正しい態度や順序について世話をするように教区会(?)に指導するのは不可能だろうか。  教会の牧者はこのことに気をつける義務がある。

 主教が祝福を与える時、イコンや福音書を拝する時、係の執事は秩序を守らせなければならない。そうすれば主教は平安に個々に祝福をあたえることができ、人々は敬虔な気持ちで受取ることができる。

[誦経者]

 誦経者は、必ずステハリを着装しなければならないことをつけ加える。また誦経の時にファイルやノートを用いてはならない。アナロイの前の立って必要な祈祷書をそこに置いて行う。また乳香を用いる時は(残念ながら常におこなわれている訳ではない--しばしば残念なことに個人的理由で乳香がたかれない)香炉に乳香をたくように頼む必要がある。

[花]

 最近地方教会に侵入してきた、聖堂に常時花を飾る習慣について一言つけ加える必要がある。たいていの場合、花は貧相な造花である。その上厳粛な祭には、至聖所に花かごがそっくり据えられる。またイコンのまわりに布をかけるのも貧相である。この習慣は勧められるべきでなく認められるべきでもない。造花は造花であるが故に教会に受け入れてはならない。  モスクワの府主教フィラレトは、造花、イミテーションの宝石、その他の同様の装飾について話したことがある。彼は「こういうものは価値が低いから非難されるのではなくそれが人造のもので、それ自身の中に偽りを含んでいるから非難されるのである。従って、現在の状況で、美しくなく、たいていの場合飾ったものを逆に醜悪にしてしまう造花の使用を教会から完全に排除することをお勧めする。切り花、生花は教会で用いてよいが、今日教会で見られるような方法ではない。こういう醜い不格好なバスケットに土を入れ、枝や木をばかげた具合に結びつけ、部屋に置いても相応しくないようなものは、聖堂、特に至聖所には全く問題外である。  生花はバスケットを用いずに、イコンをかざるのに用いることができるが、至聖所に持ちこまない。(生花を入れた花瓶は宝座の向う側や横においてもよいだろう。しかし絶対に宝座の上に置かないこと)  ここに述べたのは司祭の方々の要望に答えて祈祷や聖堂の作法に関しての指示として必要なことを述べた。  これらの事を心にとどめ実行するように努力してほしい。これは遂行するのが難しいことではなく、あなた方自身このアドバイスが的を射ていることを確信していると思う。


アレクセイ  モスクワの総主教 1946年3月25日(4月7日)モスクワ (教会カレンダー1947年 p.47〜49)


第3章 教会ティピコン  

ティピコンとは、一日の周期(早課、時課、聖体礼儀、晩課、晩堂課)週の周期(八調経)、月の周期(月課経/ミネヤ)、大斎の奉神礼(三歌斎経)と五旬経の周期の奉神礼を執行するための指示と、祭日が重なった場合に必要な儀式の組み合わせ方を載せた本である。  教会ティピコンは聖なる教会によって受け入れられ、1000年以上に渡って用いられている。司祭と輔祭は叙聖の時これを遵守する誓いをたてる。すべての正教会の主教は叙聖の時「信仰告白」の儀式において、主教、教役者、会衆の並ぶ前で、敬虔に教会ティピコンを守る厳粛な誓いをたてる。  ティピコンは、全能の神の聖なる奉事の外見のために教会で法的力を持つ。教会はそれを人の心で書いた普通の作品ではなく聖なる書物として見なし、すべての普遍的な(カトリコスな)正教徒が奉神礼の執行において守るべき義務と見なす。1000年以上も用いられ、教会のティピコンは形骸化することもなく死せる指示書にもならなかった。それは常に新しい祈祷と儀式に富んでいた。ティピコンでは奉神礼の典型、モデルを描写しているが、奉神礼の細かいきまりをすべて決めてしまうのでもなく、司祷者の自由も排除していない。教会ティピコンの指示に従って理想をかなえたいという無意識の願いから出てきたものである。

 ティピコンの主な内容は膨大で、聖師父の著作や教会の修道また祈りを含む。例えば、ダマスクの聖イオアン、聖コスマ、聖大ワシリー、神学者イオアン、金口イオアンの祝文と歌、また、神品, 儀式、行事などが含まれ、教会によって受け入れられ守られてきた。5世紀にさかのぼるエルサリムの聖サワ修道院で祝福されたティピコンが今も用いられている。  祈りは正教徒の霊的生活における主な活動である。祈りは霊的な成長や情念との戦いに必要な道具で、信者にとって終わりなく必要なものである、しかし祈りは、祈りにおいて完全を獲得した人々の指導のもとで学ばねばならない。聖師父の祈り、儀式、伝統は、全教会に受け入れ、奉神礼の秩序の中に導入された。そこからティピコンの神聖な性質を推しはかることができる。教会ティピコンの指示や、大きさの尺度、教育的特徴、力は、例えば「生神女福音祭」の奉事、大斎の各日、復活祭のティピコンに見ることができる。

 敬虔にかつ正確にティピコンを遂行することは、教役者や信徒にとって大変重要である。それは全ての人々を一つにし、正教を守り、彼らを世俗主義やル−テル主義、ローマ・カトリシズムから守る。特に我が総主教区(ロシア)の辺境の主教区においては、これを念頭においておくことが重要である。ティピコンを遵守することを誓った神品はそれを信徒だけのものではなく、全ての人に共通に関わることとして見なさねばならない。従って、奉神礼の間に、宝座を離れて痛悔を聞きに行ったり(時には集団痛悔を行なっていることすらある)記憶やプロスフォラの小片をとるために祈祷の途中で奉献台に立つ司祭の行為は正当ではない。奉神礼の間に個人的なこと、例えばアカフィストを読んだり、奉献礼儀を行なうことは許されない。また祈祷の順序を変えたり、自分の祈り、歌、儀式を取り入れることも許されない。

 だから我々はすべてのことを聖使徒パウェルの命に従って、「適切に秩序正しく」(コリンフ前14:40)行なう。教会ティピコンの指示を守ること、その教育的特質は最も効果的現実的である。  このティピコンの注釈は1947年のカレンダーに記載された。 総主教指示書 1947年教会カレンダー p.47

第4章 正教会の祈祷の構造


【教会の一日】The Ecclesiastical Day
 教会の一日は真夜中ではなく日暮れに始まる。日暮れから日暮れは、奉事の秩序の連続晩課、晩堂課(ス:ポベチェルニエ、ギ:アポディエプノン)、夜半課、早課、一時課、三時課、六時課、ティピカ、九時課で占められ、総して「一日の周期」と呼ばれる。
 一日の周期の奉事は二つの要素を融合して行われる。ひとつは各課の特徴を表す「変わらない」枠組みで、その時に応じた材料が枠組みに挿入される。

 「変わらない」枠組みは奉事のアコルティア(ギAkolouthia, スposledovanie)と呼ばれる。
 挿入される材料がとられる出所はSequenceと呼ばれる。Sequenceは一日の周期におけるアコルティアに、週の何曜日か、月の何日か、復活祭の直前直後の期間かなどによって記憶する内容に応じてた材料を供給する。たとえば12月6日の日曜日であるとすれば、、復活祭を中心とする調の循環のなかでのその週の調による素材(すべての日曜日は復活祭の記憶が行われる)、12月の日付に従って、その日の聖人である聖ニコライに捧げられる材料が一日の周期の枠組みのなかに組み立てられて各アコルティアが構成される。これらのsequence, 復活に関するものと聖ニコライに関するものは、秩序に従って表される。晩課の「主や、爾に呼ぶ」は、一日の周期を作るアコルティアの秩序において、変わらない特徴的な枠組み要素にその日を特徴づける素材が挿入される最初の箇所であるといえる。

【周期】
三つの重要な周期がある
1.復活祭とその周期
ひとつの復活祭から次の復活祭まで広がる周期、復活祭から日を数え、一般の暦の日付とは異なる。
2.ミネヤ(月課経)の周期
ふつうの暦のように毎日を数えるが、1月1日ではなく9月1日を始まりとする。
3.週の周期
復活祭の周期を月課経の周期の一般的記憶と一緒にした者。1週間を7日に分け、日曜日を第一日とし復活を記憶する。月曜日は天使、火曜日は授洗イオアン、水曜日はユダの裏切りと十字架、木曜日は使徒とhierarchs主教と奇蹟者(特に聖ニコライ)、金曜日は十字架刑と十字架、土曜日は致命者、修道者、衆聖人、死者を記憶する。

また8調の周期、早課の11復活福音の周期の二つも復活祭の周期に依存する。五旬祭後の次の日曜日が8調で第1福音で、その次の日曜日は1調で第2福音と続き、それぞれが次の復活祭まで繰り返される。
いろいろな場合にアコルティアの構造を決める規則はティピコンに含まれる。関連する章はパスハとミネヤの周期の章典として印刷されている。

第5章 正教会の祈祷書

アコルティアもSequence(挿入される素材)も以下の奉神礼用祈祷書に分割収録される。(一般信者用ではなく)教役者が奉事で用いるもののみを上げる。

1.大奉事経(ギリシア)
晩課、早課、3つの聖体礼儀、諸機密、埋葬、修道士用のためのアコルティア、あまり用いられないアコルティアと、特別の時の祝文が収録される。
スラブ教会では便宜上から以下のように分冊になっている。
(1) 奉事経(ギ:Litourgicon、ス:Sluzhebnik):晩課、早課、3つの聖体礼儀、アコルティアに関連して教役者が必要な材料いくつか
(2) Archieratikon、ス:Cinovnik:主教祈祷用のアコロウス
(3) 聖事経 Euchologion、ス:Trebnik: 奉事経に含まれないもの、たとえばイコノスタスや新船、祭服の成聖など

2.時課経、ギ:Horologion、ス:Chasoslav
一日の周期のアコロウスを含み、三つの周期(ミネヤ、パスハ、週)のアポリティキア(dismissal:晩課の終わりに歌われるその日のトロパリ)とコンダク、一年中のその日の記憶(あるいはパスハから換算して)を収録。領聖予備規定、その他の祈祷文が含まれる。

3.三歌斎経(ギ:Triodion、ス:Postnaya Triod)
復活祭の10週前、「税吏とファリセイの主日」から始まって大斎40日間と受難週の祈祷。

4.五旬経(ギ:Pentecostarion、 ス:Tsvetnaya Triod)
復活祭から始まって衆聖人の主日まで

5.八調経(ギ:Paracletike、ス:Octoech)
八つの調に従った週のサイクルの祈祷文すべてを含む。ギリシアでOctoechosと行った場合は8調の衆のサイクルの主日の材料だけを分冊にしたものを指す。

6.月課経(ミネヤ)
月課経の周期に含まれる祈祷すべて。月ごとに分冊で全12巻。

7.ギリシアでは見られないスラブ語の祈祷書
(1)祭日経(Prazdnicnaya Mineya)
復活祭以外の大祭日の祈祷。

(2)総月課経(Obshaya Mineya)
主、生神女、分類された聖人の記憶(天使と体のない力、預言者、使徒、致命者など)すべての祭日用。
8.祭日と記憶のシノプシス(Izbornik, Sbornik)
1年中の聖体礼儀、晩課、早課に必要な祭日の材料

第6章 祈祷をまとめて行うことについて(アコルティアのセット)

1.毎日のアコルティアは次から次へと間断なく行われるのではなく、通常3つにまとめられて実施される。日没直後に行われるセット、日の出の少し前に行われるセットと午前中遅く行われる昼間のセットがある。祭の前晩や大聖人の記憶の前晩には「徹夜祷」と呼ばれる特別のセットが行われる。修道院では日没から朝まで続けて祈られたことに由来する。

2.一日の周期のアコルティアは斎であってもなくても行われるが、違いはアコルティアの構成や内容だけでなく、セットのまとめ方にも表れる。
斎の日は「アリルイヤがあるとき」と記されるが、早課の六段の聖詠と大連祷の後、斎でない日には「主は神なり」が歌われ、斎日には「アリルイヤ」が歌われるからである。ひとつのアコルティアまたはそのセットに対して斎日かどうかの区別は「主は神なり」が歌われるか、代わりに「アリルイヤ」が歌われるかで記述される。日曜日または土曜日には斎としての「アリルイヤ」は歌われない。土曜日の「アリルイヤ」は斎の意味ではなく、死者のための「アリルイヤ」である。

3.ある日の早課(大祭の土曜日を除く)には「主は神なり」が歌われるにもかかわらず晩課が徹夜祷に組み込まれない場合、一日のサイクルは以下のようになる。
 晩のセット:九時課、平日晩課または大晩課、晩堂小課
 早朝セット:夜半課、早課(平日または大)、一時課
 昼間のセット:三時課、六時課、金口イオアンの聖体礼儀(特にワシリーと指定がなければ)
徹夜祷が行われる場合には一日のサイクルは以下のようになる。
 晩のセット:九時課、小晩課、晩堂小課(修道院では圧縮される)
 徹夜祷:大晩課、祭日早課、一時課
 昼間のセット:三時課、六時課、金口イオアンの聖体礼儀(特にワシリーと指定がなければ)

4.その日の早課に斎の「アリルイヤ」を歌うとある場合、さらに「先備聖体礼儀」がその日に行われない場合、月曜日以外の平日のサイクルは以下の通り、
 晩の祈祷:晩堂大課
 夜明けのセット:夜半課、平日早課、一時課、
 昼間のセット:三時課と六時課、九時課、ティピカ、平日晩課
月曜日に関しては早朝と昼間のセットは上記と同じで、晩のセットは、斎でないときと同じで、九時課、平日晩課または大晩課、晩堂小課

先備聖体礼儀が行われるときは以下の通り、
 晩と早朝の祈りは上記と同じ、
昼間のセットは:三時課と六時課、九時課、ティピカ、晩課に続いて先備聖体礼儀

大斎中の土曜日は、
 晩:晩堂課
 早朝:夜半課、平日早課、一時課
 昼間:三時課と六時課、金口イオアンの聖体礼儀

5.今まで大半の場合の平日のサイクルを述べたが、いかに主な例外を示す。
(1) 聖大木曜日
晩:晩堂小課、
早朝:夜中の一時頃に夜半課、平日早課、一時課
昼間:朝9時頃に三時課、六時課、九時課、ティピカ、
   午後2時頃に晩課に続いて聖大ワシリーの聖体礼儀

ここに記した受難週間のアコルティアは三歌斎経とスラブのティピコンによる。
修道院では夜半課は、聖大木曜日から光明週間の夜半課は修道士の自室で読む。大聖堂や教区教会では通常通り教会で行う。

(2) 聖大金曜日
晩:食事後に晩堂小課
早朝:午後8時頃、十二福音の早課を始める
昼間:朝八時頃から王時課(一、三、六、九時課とティピカ)を始める。

(3) 聖大土曜日
晩:午後四時頃から葬りの大晩課
早朝:午前一時頃から、lamentationの早課と一時課
昼間:三時課、六時課、九時課とティピカ
       午後4時頃から晩課と聖大ワシリーの聖体礼儀
       午後10時ごろから、特別の夜半課

(4) 復活祭
早朝:パスハの早課、一時課
昼間:パスハの三時課、六時課、金口イオアンの聖体礼儀

(5) 光明週間の平日
晩:パスハの九時課、パスハ晩課、パスハの晩堂課
早朝:パスハ夜半課、パスハ早課、パスハ一時課
昼間:三時課、六時課、金口イオアンの聖体礼儀

6.降誕祭と神現祭

(1) 祭日が日曜日、月曜日以外の時:
祭日の前日(Navecherie)
 晩:九時課、晩課、晩堂小課
 早朝:夜半課、早課、一時課
 昼間:王時課(一、三、六、九時課とティピカ)と晩課から聖大ワシリーの聖体礼儀
祭日当日:スラブでは晩の祈りと早朝の祈りは徹夜祷にまとめられて、晩堂大課、祭日早課、一時課が行われる。昼間、三時課六時課金口イオアンの聖体礼儀が行われる。

(2) 祭日が日曜日または月曜日に当たるとき:
    その前の金曜日に
晩:九時課、晩課、晩堂小課
  早朝:夜半課、早課、一時課
   昼間:王時課(一、三、六、九時課とティピカ)
もし祭日が日曜日にあたる場合、土曜日の祈りの構成、また祭日が月曜日に当たるときの土曜日も日曜日の構成は主の日のためのものと同じ

祭日当日:
晩:スラブ系では午後一時頃、九時課、大晩課(大聖水式)を行う。早朝と昼間の祈りはまとめられて、夜半課、祭日早課、聖大ワシリーの聖体礼儀になる。

7.生神女福音祭
・生神女福音祭が大斎の火曜日、水曜日、木曜日、金曜日にあたるとき、または受難週の水曜日または木曜日に当たるとき:
晩と早朝の祈りは徹夜祷に統合されて、晩堂大課、平日早課、一時課が行われ、昼間の祈りは、三時課、六時課、九時課、ティピカと晩課に続いて金口イオアンの聖体礼儀を行う。聖大木曜日、聖大土曜日、大斎中の日曜日の場合は聖大ワシリーの聖体礼儀。
・福音祭が大斎と受難週の月曜日に当たるとき:
晩:九時課、小晩課、晩堂小課
徹夜祷:大晩課、平日早課、一時課
昼間:三時課六時課、九時課、ティピカ、晩課に続いて金口イオアンの聖体礼儀
・福音祭が大斎中の土曜日に当たるとき:
晩と朝の祈りは徹夜祷に統合されて、晩堂大課、祭日早課、一時課が行われ、昼間の祈りは、三時課、六時課、九時課、ティピカと晩課に続いて金口イオアンの聖体礼儀を行う。
・福音祭が聖大金曜日にあたるとき
晩:晩堂小課
早朝、十二福音の早課
昼:三時課、六時課、九時課、ティピカ、晩課から金口イオアンの聖体礼儀
・ 福音祭が聖大土曜日にあたるとき
晩:葬りの晩課、晩堂小課
早朝:聖大土曜日の早課と一時課
昼:三時課、六時課、九時課、ティピカ、晩課から聖大ワシリーの聖体礼儀

第7章 奉神礼で十字を切ることと伏拝について

 正教会のティピコンでは教役者および信徒が奉神礼中に十字を描くこと、頭と膝をかがめて十字を描くことのきまりを与えている。きまりはティピコンの各章、聖詠経などの祈祷書にも書かれる。

1.十字を描くことが求められる:
 (1)聖書の読みの始めと終わり、
 (2)スティヒラ、トロパリ、聖詠などを読む(歌う)ときの始めと終わり
 (3)早課の六段の聖詠の真ん中で「アリルイヤ」が唱えられるとき
 (4)信経の読み(歌)で「我信ず」「主、イイススハリストス」「聖神」のところ
 (5)聖三祝文、早課の始まりと大詠頌の終わり、聖体礼儀で
 (6)発放讃詞、「ハリストス真の神」、その日の聖人の記憶、「尊貴なる生命を施す十字架」。輔祭がリティヤや早課の福音後「神や爾の民を救い」を唱える時。

2.頭を下げて十字を描く
 (1)聖堂に入る時と出る時
 (2)連祷の祈願のたびに
 (3)司祭の高声や誦経者が至聖三者に光栄を帰すとき(「光栄は父と子と聖神に帰す」「父と子と聖神の名によりて」など)
 (4)奉神礼の中で司祭や主教の高声のとき

聖体礼儀で
(1)「正しく立ち、畏れて立ち・・・」
(2)「凱歌を歌い」
(3)「取りて食らえ」
(4)「これを飲め」
(5)「爾の賜を」
(6)信経の最後「来世の生命を、アミン」の部分
誦経または聖歌で
(1)「来たれ」
(2)「聖なる神、聖なる勇毅・・」
(3)カフィズマや時課の聖詠の「アリルイヤ」
(4)スティヒラ、トロパリ、聖詠の終わり
(5)「神や爾の民を救い」で生神女の名を唱える時
(6)カノンの1から9歌頌で、トロパリの前に、主、生神女、聖人などへの冠詞
早課
(1)生神女讃詞を歌う時
(2)「爾を崇め讃む」のリフレイン
(3)「光栄は爾我等に光を顕す主に帰す」
(4)「ハリストス神我等の恃みや」と発放の終わり、  祝文やモレーベンの祝文に先立つ「主に祈らん」「聖人 〜祈らん」

3.十字を描かずに頭を下げる場合の高声
 (1)「衆人に平安」
 (2)「願わくは主の降福は」
 (3)「願わくは我が主イイスス」
 (4)「願わくは大いなる神」
 (5)聖三祝文の前の輔祭の「世々に」の高声
 (6)注、司祭が会衆に香を振るときは、人々は単に頭を下げる(十字は描かない)

誦経者が聖詠やスティヒラを読んだり歌ったりする時、十字を描かない。聖歌隊の場合も同様。福音書や大聖入の時も単に頭を下げる。
大聖入では「願くは主、神は其国に於て、爾衆正教のハリスティアニン等を」のとき頭を下げて「願くは主、神は其国に於て、爾司祭品を恒に記憶せん」と言って応答する

4.十字を描く、ひざまずき
(以下に示した特定の日の例外を含む平日)
 (1)「主に感謝すべし」の高声、成聖の「主や爾を崇め歌い」の最後「爾に祈る」
 (2)「天にいます」
 (3)聖祭品を最初と二番目に持ってくる時(領聖のために)
 (4)「聖なる者は聖なる人に」で伏拝してもよい。

5.大斎中の伏拝
ティピコン、時課経, 三歌斎経に従って、大斎中以下の時に伏拝する。
 (1)早課のカフィズマの読み、3伏拝。時課と晩課のカフィズマは伏拝ではなく小拝。
 (2)早課の生神女の歌のリフレインのたびに
 (3)「常に福にして」
 (4)晩堂大課で、「至聖生神女に祈る祝文」で、続く祈願の間。
 (5)晩課と時課で痛悔のトロパリを歌うとき
 (6)ティピカで「主宰よ、爾の国に来たらんとき我罪人を憶い給え」を歌うとき
 (7)シリアのエフレムの祝文、3伏拝、「我罪人を」に合わせて12躬拝、全文を読む時1伏拝。(九時課の途中と先備聖体礼儀の中では、「我罪人を」含まない場合がある)
 (8)金曜日晩課から主日の晩課までは、先備聖体礼儀の特別の時を除いて伏拝しない。
特別の時:「ハリストスの光は衆人を・・・」「今、天軍」「願わくは我が祈りは」

6.伏拝してはならないとき
ティピコンによれば、日曜日には伏拝しない。その他:
 (1)降誕祭の前祭(12月20日/1月2日)からから神現祭のアポドーシス(1月14日/1月27日)までの祭期
 (2)聖大木曜日から五旬祭晩課まで(例外:就寝聖像への伏拝)
 (3)12大祭の祭日とアポドーシス祭期。十字架挙栄祭りは例外。挙栄祭では通常十字架への伏拝が行われる。
 (4)領聖を受ける日終日
 (5)祭日の前晩の徹夜祷の「晩課の聖入」のあと伏拝を中止、祭日当日の晩課の「主や我を守り」のあと再開する。

教会のティピコンでは公祈祷の時、伏拝が行われる時以外に、個人的に(個人的な気分で)伏拝することを禁じている。同様に長々とひざまずいて、礼拝の正しい秩序を乱したり崩したりすることも禁じている。教会ティピコンの指示は、すべての礼拝者が熱心な心で祈り、司祷者が祝文に集中し、読まれたり歌われたりするすべての聖歌に注意深く耳を傾ける方法が考慮されている。規則は奉神礼が秩序正しく調和を以て行われるために働き、司祷者が無意識のうちに外面的な動きに逸脱していくことを防ぐ(マタイ6:5、ルカ18:11)
(教会暦、1965年 p74-75)

第8章 打鐘

正教会の打鐘は華麗さや審美的な喜びのためではなく、奉神礼の始まりを知らせるためにある。毎日の奉神礼の始まりは打鐘によってはじまる。打鐘のやり方はティピコンの各所に見られ、様々な場合にどのように鐘を打つかが記載される。ティピコンではbeat(打つ)、klepat’(叩く)、znamenat’(信号)、udarit’(ゆるやかにならす)などの表現で区別される。奉事の厳粛によって、小さな鐘、平日の鐘、ポリエレイの鐘、日曜日の鐘などがある。たとえば、小晩課では、鐘突人は小さな鐘を叩く。大晩課では復活のエフロジタリア(主や爾を崇め讃めらる)を歌うときと50聖詠を読む時に大きな「カンパナ」をゆっくりたたく。
 鐘を打つ目的は信者を奉事に呼び、奉事に出られない人に今何が行われているかを知らせ、参祷者に最も大切な瞬間に集中するように呼びかける。目的に合わせて鐘をたたき、い、たたき方の方法を区別するために以下のような用語が使われる。

1.ブラゴヴェスチ
「知らせ」あるいは「知らせの鐘」。一個の鐘をゆっくり、ゆったりしたリズムで叩く。信徒が教会に喜ばしく招かれることから「ブラゴヴェスチ」と呼ばれる。「主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたしはうれしかった(聖詠121:1)」
 ブラゴヴェスチは祈祷の始まりだけでなく、重要な瞬間にも叩かれる。たとえば、聖体礼儀では、(1)信経(12条の信仰箇条を顕して12回)、(2)「常に福」の前、(3)聖体礼儀に続いてモレーベンが行われる時、(4)その他のアコルティアの導入−九時課、晩課、晩堂課、(5)夜半課、早課、一時課、(6)三時課、六時課、聖体礼儀、(7)徹夜祷:晩課、大早課、一時課。しかし徹夜祷の場合はブラゴヴェスチはすぐに大晩課や大きなアコルティアを知らせるトレズヴォンに引き継がれる。(8)三時課六時課、九時課、ティピカ、晩課、(9)三時課六時課、九時課、ティピカ、晩課、先備聖体礼儀(または聖大ワシリーの聖体礼儀)、(10)晩堂大課(パヴェチェリエ)。
 大斎の平日には、三時課、六時課、九時課、晩堂課にブラゴヴェスチ。三時課では3回、六時課では6回、九時課では9回、晩堂課には12回叩く。
十二福音の早課では各福音の始まりに、第何福音かによってその数叩く。たとえば、第一福音では1回、第二福音では2枚。十二福音の終了時にはトレズヴォンをならす。
聖大金曜日の時課では、三時課の前に3回、六時課の前に6回、九時課の前に9回叩く。聖体礼儀の前には時課が始まるまでブラゴヴェスチを鳴らす(通常30分ほど)。

2.トレズヴォン (組み鐘)
3つのモードで鳴らされる。たくさんの選ばれた鐘の決められたハーモニーを用いて音楽的な旋律で3度ずつ繰り返す。
 トレズヴォンは大きな祈祷の始まりに鳴らす。徹夜祷、早課六段の始まる前、福音の前、徹夜祷の終わり。六時課の後、聖体礼儀の恥じまる前、聖体礼儀の終わり、堂祭のモレーベンの前後、聖大木曜日の12福音のあと、復活最初の最初の日の聖体礼儀の福音の読みのあと。

3.ペレズヴォン (鎖鐘)
音の低い大きな鐘から小さな鐘へ続けて鳴らす。各鐘は何回かずつ続けて鳴らす。
ペレズヴォンは聖水式の前、十字架挙栄祭や十字架叩拝の主日に大十字架を持ち出す前、主教の叙聖の日の時課に用いられる。大聖水式で十字架を水に浸けるときや十字架を聖堂中央の台に持ち出したあとには、トレズヴォンを短く鳴らした後ペレズヴォンを鳴らす。
 ペレズヴォンは聖大金曜日の晩課、挿句のスティヒラ「光栄は、今も」の後「イオシフはニコディムと偕に爾光を衣の若く衣る者を木より下して、」の時、就寝聖像が宝座から中央の台に運ばれる前、聖大土曜日の早課の大詠頌のときにも鳴らす。十字行のあと聖堂に戻ってきた時、ペレズヴォンに続いてトレズヴォンを鳴らす。司祭、修道司祭、掌院、主教の埋葬の時もペレズヴォンを鳴らす。

4.ペレボル (ゆるやかに鳴らす、埋葬の鐘)
各鐘を、大きな鐘(最も低い音)から始めて、小さな鐘へとゆっくり順にならし、最後にすべてを全部を一緒に鳴らす。
ペレボルは死者が埋葬のために聖堂から運び出される時に用いられ、埋葬の鐘として知られている。この鐘のあとにはペレズヴォンは鳴らさない。

主教の聖体礼儀の時はブラゴヴェスチを決められた時間に鳴らし、主教が到着したらトレズヴォンを鳴らす。ブラゴヴェスチは主教の着替えの時まで響かせる。六時課の時もう一度トレズヴォンを鳴らす。
(ティピコン、1949年教会暦、70ページから引用)

第9章 炉儀

ティピコンの2章、9章、15章、22章に炉儀の規則について書かれる。その他にも、奉神礼上の動作として、洗礼、聖傅、埋葬、パヒニダ、大小聖水式のときにも行われる。

ティピコンの2章には徹夜祷の炉儀についてのきまりが書かれている。徹夜祷の始まりに司祭と輔祭は至聖所、イコノスタス、参祷者と聖堂全体に炉儀する。「主や爾に呼ぶ」のときも、輔祭(なければ司祭)が全堂炉儀を行う。同じ章に、香炉を伴う行進について、またリティヤにおける炉儀、五餅の祝福、ネポロチニの炉儀について書かれている。
第9章には平日晩課、平日の炉儀について書かれる。平日晩課では「主や爾に呼ぶ」のとき全堂炉儀、早課では早課の始まりとカノンの第9歌頌で炉儀を行う。
15章には土曜日と祭日に徹夜祷が行われる時のポリエレイの炉儀について書かれる。
22章には「司祭が炉儀を行うとき」について書かれ、それまでの章で炉儀と炉儀の順序について書かれたことを再度記載してある。

1.全堂炉儀について
全堂炉儀の順序は以下の通り。宝座の使用、宝座の後ろの十字架、高所のイコン、奉献台、至聖所のイコン(右側から左側への順)、司祷者、陪祷者(輔祭が炉儀する場合)、それからイコノスタス(王門から始めて、救世主のイコンと南側のイコン、生神女のイコンと北側のイコン)、司祷者(至聖所から外に出ている)、最後にアンボンから参祷者全員に炉儀。そのあと司祭または輔祭はアンボンから降りて、堂内イコンを順番に炉儀。聖堂全体の炉儀が終わったら、王門に戻り炉儀、救世主と生神女のイコン、南門から至聖所に戻り宝座に炉儀、陪祷の司祭に炉儀する。輔祭が行う場合は十字を描き、司祷者に向かって頭を下げる。

2.平日祈祷
1年中の平日祈祷について。晩課では「主や爾に呼ぶ」の時のみ。平日早課では始まりとカノンの第9歌頌の2回。
最初の炉儀の時については以下の通り。司祭は至聖所に入り、香炉の祝文を唱え、香炉をとる。宝座の前に立ち、炉儀し「我等の神は崇め讃めらる」と言う。宝座の周囲をロギイ、至聖所内、北門を出て通常の通りイコンに炉儀。南門から至聖所に戻り、宝座の前に立ち、香炉を持ったまま小連祷を唱える。誦経者の「主の名に依りて福を降せ」を聞いてから、宝座の前で香炉で十字を描き、「光栄は一性にして生命を施す分れざる聖三者に帰す・・・」の高声。
2番目の炉儀はカノンの第8歌頌の時、聖歌隊が「我等主を讃め崇め伏し拝みて・・・」を歌う時に宝座と至聖所、イコノスタスの炉儀を行い、生神女のイコンの前に立ち「生神女光の母・・・」を唱え、全堂炉儀を順序に従って行う。

3.徹夜祷  大晩課、早課、一時課
全堂炉儀は大晩課の始めに行う。司祭は(エピタラヒリ、エピマニキア、フェロンを着ける。全祈祷が終わるまで)香炉を取り、輔祭はロウソクを持ち北門よりソレヤに出て、「謹みて立て、君や祝讃せよ」。高所に行き、司祭と向き合う。司祭は宝座に立ち、香炉で十字を描き高声、「光栄は一性にして生命をほどこす分かれざる聖三者に帰す、今も何時も世々に」「アミン」司祷者「来たれ」を歌う。習慣的に「来たれ」は祈祷に立つ神品全員で歌う。その後全堂炉儀。聖詠を聖歌隊と信徒で歌う。
「主や爾に呼ぶ」輔祭は(いない場合は司祭)は再度全堂炉儀を行う。素ティ費ファの終わりに「今も何時も」のとき、香炉を持って行進。王門は「今も」で開く。ロウソク持ち二人が北門を出て、続いて香炉を持った輔祭、司祭、ソレヤに行く。輔祭は王門に近づき、司祭の右に立ち炉儀のための祝福を受け、王門に炉儀、救主と生神女のイコン、イコノスタスの堂のイコン、司祭に炉儀。この輔祭は右手から左手に香炉を持ち替えて、オラリを取って、祈願を唱える場所に立ち、司祭の方に半分向いて、「主に祈らん」、司祭は聖入祝文「万有の主宰や、我等晩と朝と昼とに爾を讃美し」を黙唱。輔祭オラリで東を指し高声「君や、聖入に祝福せよ」司祭は手で祝福を与え、「爾の聖者の入る国は常に崇め讃めらる、今も何時も世々にアミン。」 それから輔祭は司祭に炉儀し、司祭の右に立ち、生神女讃詞の終わるのをソレヤで待つ。その後、輔祭は王門中央に立ち、香炉で十字を描き、「叡智、謹みて立て」、それから至聖所に入り、四方から宝座を炉儀、宝座の左側の高所に立ち西(人々の方)を向く。その他の炉儀についての詳細は大晩課の項を参照のこと。

4.リティヤの炉儀
リティヤの間に宝座と至聖所を炉儀するのは間違い。ティピコンによるとリティヤの間は王門は閉じる。(注:この国ではリティヤのとき王門は開いていて、王門から出てくる。)リティヤの時は北門から出て、出た後は閉じる。前院では、イコン、司祷者、聖歌隊にランクに従って炉儀。しかし現在では習慣的にリティヤは聖堂内の後ろの方で行われるので、輔祭はイコンとイコノスタス、聖歌隊、会衆に炉儀する。

5.五餅の祝福のための炉儀
トロパリを歌うとき、輔祭は司祭から炉儀の祝福を受け、アナロイのまわりに3度炉儀。輔祭は堂役に香炉を返し、十字を描き、司祭にお辞儀。炉儀はトロパリを3回歌うのに一致しなければならない。歌い終わった時同時に炉儀を終わる。

6.祭日早課での炉儀
ポリエレイとトロパリ「天使の会は」を歌う時、宝座から始まって全堂炉儀。参加があるとき、ポリエレイのとき教役者は至聖所から聖堂中央に行進して出る。祭日にはアナロイの上のイコンに四方から炉儀、それから至聖所と全堂に炉儀。炉儀の時聖歌隊は選ばれた句と参加を歌う。全堂炉儀が終わったら、司祭と輔祭は祭日のアナロイのイコンの前に戻り、3度目の参加を歌う。輔祭は司祭から香炉を受け取り司祭に炉儀。十字を描き、司祭にお辞儀。
平日同様、祭日カノンの第8歌頌を歌う時、輔祭は炉儀の祝福を受け、至聖所に炉儀。カタワシャ(第2のカノンのイルモスの二回目)を歌う時、北門から出て、王門、イコノスタスの右側のイコンを炉儀。生神女のイコンの前に立ち、カタワシャが終わった後、「生神女光の母」の高声。あるい第9歌頌のまえの附唱、附唱が内場合は第8歌頌イルモスの始まりの句を唱える。この炉儀の後、生神女のイコンに3回炉儀し、イコノスタスの左側、会衆、全堂に炉儀する。

7.聖体礼儀の炉儀
(1)奉献礼儀のあと、時課の間、聖体礼儀の前に全堂炉儀。
(2)福音の読みの前、アリルイヤのとき。輔祭は宝座、奉献台、至聖所の残り、救主と生神女のイコン、教役者、会衆に炉儀。香炉を堂役に返し、十字を描き、司祭にお辞儀。
(3)ヘルビムの歌のとき、福音の時と同じ順で炉儀。全堂炉儀とは書いてない。
(4)「特(こと)に至聖至潔にして至りて讃美たる我等の光栄の女宰」のとき。司祭は宝座の前から聖祭品に3回炉儀。輔祭がいるときは、司祭が「特(こと)に至聖至潔にして至りて」を唱えたあと香炉を輔祭に渡して、宝座、至聖所、司祭に炉儀。

8.他の時の炉儀
 特別の祭日には以下のような場合炉儀が行われる。十字架を持ち出す時(十字架挙栄祭、十字架叩拝の主日)、十字架挙栄祭のアポドーシス(祭期の終わり)、降誕祭、神現祭、生神女福音祭の晩堂大課、大斎第2、第3、第4週の早課、大斎第5週はアカフィスト、第6週(聖枝週)、十二福音、葬りの晩課、聖大土曜日の早課など。炉儀の仕方はその日の法事規定に記す。

9.埋葬とパニヒダ
 ティピコン第九章に依れば、死者のためのリティヤ、パニヒダ、埋葬式のときに炉儀を行う。「聖人の群れは」のトロパリを歌う時、パニヒダ台、宝座、イコノスタス、教役者、会衆を炉儀。第六歌頌のあとのコンダク「ハリストスや」の時、パニヒダ台、イコノスタス、会種を炉儀。同じ順で、「永遠の記憶」の時。

(教会暦、1949pp71と73)