『宴会の時刻になったので、しもべを送り、招いておいた人々に
「もう用意ができましたから、おいで下さい」と言わせた。
すると皆、次々と断った。』 28主日福音・大宴会の喩え(ルカ14:15〜24)
一人の王が王子のために婚宴を計画し、人々を招きました。しかし婚宴の日になると、招かれていた人々は、忙しいなどと言い訳をして断りました。王様は根気強く招き続けるのですが、彼らは来ようとしません。「私は土地を買ったのでそちらを見に行かなければなりません」「私は牛を買ったので行けません」「私は妻をめとったので行けません」といろいろな理由をつけて断っています。マトフェイ伝によると王は、招きに応じない人々を、とうとう兵隊を差し向けて滅ぼしてしまいます。そして王は家来たちに、街に出て行って招かれていなかった多くの人々を集めさせ、手当たり次第人を集めて婚宴を行いました。
これは選民であるユダヤ人たちが、イイススの御言葉に対して、かたくなに耳を閉ざしていたことに対する警告と、最終的には異邦人たちがそれを受け入れ、神の国に入れられることをあらわした喩えであります。
王様は根気強く人々を招き続けました。しかし多くのユダヤ人たちは、福音の招きに耳を傾けず、その結果、ハリストスの生命を拒む道を選びました。これはユダヤ人だけでなく後の異邦人、すなわち今日の私たちの教会でも言えることです。主イイスス・ハリストスに呼び集められ、信者はその招きに応じて集まります。招いておいた人たちは相応しくなかったとありますが、人々がいろいろな生活上のことを並べてお祝いに行かないことを指しているわけです。
王様は根気強く招き続けたように、ハリストスはこの世の誰よりも根気強いお方です。
人々を滅ぼすことを決して望んではいません。「神は全ての人が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。神は唯一であり、神と人との中保者も人であるイイスス・ハリストスただお一人です。」(テモテ第一2:4〜5)と聖使徒パウエルは言います。
しかしなぜここで招きを拒んだ人が滅ぼされる場面があるかというと、実際は招かれた、差し出された手を拒絶することにより、自ら滅びを招いてしまうと言うことはあり得るという警告です。教会でいうことに無関心になり、招きに応じない態度に気をつけなさい、とハリストスは言っているわけです。
ただ決して、この世のことが皆無意味だということではありません。私たちにとって何が最も大切なことか、優先順序をよく見なさい、というハリストスのメッセージであります。「悔い改めよ、天の国は近づいた」という主の呼びかけは、まさに優先順序を取戻して、神の国の宴に入りなさいという呼びかけです。私たちは、この呼びかけに答えなければなりません。
ローマの主教、問答者グレゴリイ(540〜604)はこう言います。
「神は私たちが本来求めるべきものを自らすすんで差し出して下さった。願っても叶えられる見込みのないものを神は願ってもいないのに与えて下さった。」
教会の信者でありながら「信仰の喜び、救いの喜びを未だ知らないでいる」ということがあってはなりません。といいますか、それは非常にもったいないことだと思います。私たちは、罪深いこの世の中で生きる私たちにとって、聖体礼儀がどれほどの恵みであるかを心に刻み、感謝し讃え、喜びを持ってハリストスのご聖体を頂くのであります。