「生神女や、なんじは産むとき童貞をまもり、眠るとき世界を遺さざりき。
なんじは生命の母として生命に移り、
なんじの祈祷をもって我らの霊を死より免れしめ給う」
(生神女就寝祭 讃詞)
生神女マリヤの就寝は、聖書には書かれていないが、教会の大切な伝承として位置づけられている。
晩年、生神女マリヤは神学者イオアンと共にエルサレムで生活をしていた。ある日、マリヤが祈っていると神使長ガウリイルが現れ、マリヤが三日後に永眠することを告げた。彼女はこの世を去る前に、もう一度使徒たちに会うことを望み、そしてそれは叶えられた。各地にハリストスの福音を伝えるために散らばっていた使徒たちは、神聖神°の導きによりマリヤのもとに集められたのである。
泣き悲しむ弟子たちに、マリヤは「私は、いつまでもあなた達兄弟のために祈祷することでしょう。」と励ました。一同が祈りを捧げていると、天から光が輝き、ハリストスが神使たちを伴って現れた。そしてハリストスは生神女の霊を腕に抱き、天に昇られた。その後使徒たちは、マリアの遺体をゲッセマネの新しい墓に葬るために、エルサレムを通ってゲッセマネの園に向かった。そして彼女は埋葬された。葬りに間に合わなかった使徒フォマは、他の使徒たちにマリヤの墓を開け、彼女に一目会わせて欲しいと頼んだ。墓を開けてみると中は空であった。使徒たちは、イイススがマリヤの身体をも天に上げたことをこのとき理解したのであった。
聖像を見ると、マリヤが床に横たわっている周りに使徒たちが集まっている。そこにはペトルとパウエルの姿もある。自分をこの世に産んで下さったマリヤを、この世から取り上げるために、主ご自身が天から降りてこられる。マリヤの霊を抱いたハリストスはマンドーラという楕円形の光の中にいて、イイススの両側にいる天使は祈りの姿勢を示しており、その上の、もう二人の天使は讃美しながら、生神女マリヤのために道を開いている。ハリストスが昇天された時に、天使たちがハリストスのために道を開いた聖像と対になっていることが分かる。弟子たちの後方には主教たちが描かれているが、エルサレムの主教聖イアコフとアテネの主教聖ディオニシイと言われ、ハリストスの福音がイスラエル民と異教の地に、ユダヤ人と異邦人たちにもたらされることが示されている。晩課のパレミヤ(旧約聖書の読み)では創世記二十八章イヤコフの「天国の架け橋の夢」の出来事が読まれるが、これには、生神女の就寝(そして天に挙げられたこと)によって、彼女が地上を天と結んで一つにする天の架け橋となった、そのようなメッセージが込められている。ハリストスが母の霊を幼子のように抱いているのは、母がその腕に幼子イイススを抱いている聖像と対になっている。「生神女よ爾は産む時童貞を守れり、眠る時世界を遺さざりき。爾は生命の母として生命に移れり、爾の祈祷を似って我等の霊を死より脱れしめ給う。」(就寝祭のトロパリ)と讃えられているとおり、マリヤが地上の生命をイイススに与え、あちらでは御子が母のために永遠の命への道を開いていてくれるのである。
私たちがまもなく死を迎えなければならないとしたら、不安や戸惑いはぬぐい去れない。しかし生神女マリヤの就寝によって、私たち正教徒は、彼女と同じようにハリストスの光栄のうちに天国へ導かれるのだという喜ばしき事実を知り、希望を持って自分の人生を全うすることが出来る。生神女は私たちと同じ人間であり、であるからこそ、私たちの偉大な手本となり得る。生神女は全てのキリスト教徒の信仰を成就しているからである。
生神女就寝祭は、身体と霊の復活への希望のみならず、主イイススの母としてのマリヤに転達を願う祭でもある。神の母において人類は天に上げられ、主は地上に降られた。
「純潔なる者は世を離るる時、嘗て人體を取りし神を抱きたる手を挙ぐるが如く、母たるに因りて毅然として其の生みし者に言えり、爾が我に賜いし人々を世々に護り給え、蓋彼等は爾に向いて呼ぶ、我等救われし者は唯一の造物主を歌いて萬世に讃め揚ぐ」(早課イルモス第8歌頌)