神は我等と偕にす 

英語で、「GODISNOWHERE」という言葉があります。どこで区切って読むか、を考えさせるものです。「GOD IS(神は〜)」は良いとして次が問題です。「NOWHERE(どこにも居ない)」とも読めますし「NOW HERE(今ここに居る)」とも読めるのです。
英語圏ではこの言葉を、「自分の気持ちや考え方次第で『神は今ここに居る』とも『神はどこにも居ない』とも読めるが、あなたはどちらの読み方を選びますか? どちらの生き方を選びますか?」というような二者択一の問題にすることが多いようです。

 一方で、正教会には「否定神学」という考え方があります。それは例えば「神は善である」という言い方に対して「神は善ではない」と言うのです。それは神が悪であるというのではなく、人間が考えて語り得る「善」を、神は超越しているから、神は「善」ではない、という意味です。同様に、神は「存在」の枠に入りきらず、星や風や山や海や動物や人間が存在しているようには存在していないので、「神は何時もあらゆる所に居る」という言い方と同時に「神はどこにも居ない」という言い方もするのです。
「天の王、慰むる者よ…」という聖歌は至聖三者の神、聖神(せいしん)を歌っていますが、「在らざる所無き者、満たざる所無き者よ」と、居ないところが無い、満ちていない所が無いと教えています。皆さん目で見たり触ったりしたことは無いですよね。イイスス・ハリストスについても「爾は神なるにより、體にて墓に在り、靈にて地獄に在り、右盗と偕に天堂に在り、父と聖神と共に宝座に在り、限りなき者として一切を満て給えり」と祈っています。(聖体礼儀の大聖入後に司祭が唱える祝文から)
 神は「今、ここに居る」と同時に「どこにも居ない」。それが正教信徒の読み方だろうと思います。自分がどこに居ても、誰も見ていないとしか考えられなくても、神がそこに居られ、神が見ておられることを忘れずに生きること。それこそが信仰だろうと思います。

 「神は私たちの中に居る」という言い方もあります。イェルサリムの聖キリルという聖人は天主經を解説する時に「天に居ます我等の父よ。この天とは、神に似せて創られた人々のこと、私たちのことである。神は私たちの中に居られ、巡回される。」と述べています。「ハリストスは我等の中に在り」とも言います。

「私たちの中に」というと、「私たちの考えたもの、心の中で私が作ったものとして、ある」と考えがちです。しかし、そうではない。そもそも「心」も私が作ったものではなく、神が造られたものです。ルカ伝20章のブドウ園と農夫の例えの如く、私たちはある程度の管理を任されているに過ぎません。私たちの心の中に、「私たちを造った神」(私たちが造った神ではない!)は来られ、呼びかけておられます。神を信じなければいけません。今私の口から出ている言葉は、神の前でも同じように言えることでしょうか? 今私がしていることは、神の前でも同じようにできることでしょうか? そう考えることが神を信じるということです。

教会で行われる晩堂大課という祈祷に、「神は我等と偕にすればなり」と繰り返す箇所があります。降誕祭前晩(クリスマスイヴ)祷などに盛大に歌います。
「地の極までも之を聴け、神は我等と偕にすればなり」「権力ある者よ従え、神は我等と偕にすればなり」「謀(はかりごと)を張らば主はこれを毀(こぼ)たん、神は我等と偕にすればなり」・・・。旧約の預言の句に続けて「神は我等と偕にすればなり」と歌っていきます。ハリストスによって預言が成就したことを表します。神は今ここに居られるから、神は私たちの中に居られるから、神は私たちと偕に居られるから、「言を出せば必ず成らざらん」「爾等の畏るる所は我等畏れず驚かず」・・・。ハリストスの降誕によって世界は変わり、ハリストスを私たち一人ひとりが受けることによって私たちの生き方が変わります。
神は今、ここに居られる。目には見えないけれど居られる。神は見えないけれど、神が心の中に居られると信じる人とそうでない人との生き方の違いは見えることがあります。それを訊ねられた時には「神が私たちと偕に居てくださるからです。」と答えたいものです。

皆やっているのに何故ごまかしたりしないのか 神が私たちと偕に居てくださるからです。

他人事なのに何故自分事のように喜び悲しむか 神が私たちと偕に居てくださるからです。

つらいはずなのに何故微笑んでいられるのか  神が私たちと偕に居てくださるからです。

とても苦しいはずなのに何故頑張り続けるのか 神が私たちと偕に居てくださるからです。

知らない人に何故そんなに親切にできるのか  神が私たちと偕に居てくださるからです。

酷い仕打ちを受けたのに何故助けようとするか 神が私たちと偕に居てくださるからです。

あなたの物なのに何故惜しみなく分けるのか  神が私たちと偕に居てくださるからです。

(ステファン内田圭一)

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