「すると主は、わたしの恵みはあなたに充分である。力は弱さの中で発揮されるのだ、と言われました。」
(コリンフ後書《コリント人への第二の手紙》12:9)

 よく、精神的に弱い人が宗教に走る、と言われます。
その場合の宗教とは、主にカルト団体のことを指すことが多いように思われますが、そのあおりを受けて、現代社会の多くの人は、信仰を持つこと、そして宗教全般に対してネガティヴなイメージを持っているようです。資本主義は競争社会ですので、自分の弱さはなかなか見せにくいかもしれません。もしくは立ち止まって自分の心を省みる余裕すらないかも知れません。しかし、聖書は、降りかかる試練に対してどう立ち向かっていくか、その心構えについて沢山のことを教えてくれます。
 聖使徒パウエルは、教会の基礎を築いた偉大な聖人の一人ですが、福音宣教のための様々な迫害や困難を経験しました。パウエルには「高慢にならないよう与えられた一つのとげ」(コリンフ後書12:7)がある、と自ら証言するように、何らかの持病を持っていたと言われ、それが取り除かれるよう、3度も主に願い出たのです。パウエルは、自分の人間としての限界を強く感じていたことでしょう。肉体的、精神的試練に出会い、それをどうしても乗り越えられないと感じる時、神に自分を委ねる姿勢を見せています。
 パウエルは続けて言います。「だから、ハリストスの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、そして行き詰まりの状態にあっても、ハリストスのために満足しています。なぜなら、わたしは弱い時にこそ強いからです」(同12:9〜10)
 「弱い時にこそ強い」これは、ある意味開き直りのようにもとれますが、世間的な考え方とは違ったクリスチャンの生き方が示されています。人間にはどうしても限界があり、自分一人で生きてゆくことも不可能です。なんらかの周りの支えがどうしても必要です。人間はそう言う意味で弱いものです。自分の弱さを見つめること、自分の弱さと正面切って向かい合うことは、むしろ強さのあらわれと言えましょう。聖使徒パウエルは、弱さを認めてこそ神様の恵みが働くと言いました。弱さの中に強さを見出したのです。
 別の箇所でパウエルは「希望するべくもなかった時になおも望みを抱いて信じ…」(ロマ書《ローマ人への手紙》4:18)と述べています。我が国の先行きを不安視する話題が多いこの時期に、私たちは、困難に立ち向かった聖使徒の言葉や生き方を思い起こしたいものです。