「イイスス全能者、我が霊の救主よ、なんじは罪を犯す者に
悔い改めの軌範として、なんじの二人の使徒を與え給えり。
一人は苦の時になんじを諱みて後に悔改し、
一人はなんじの教に敵して後に信じたり、
二人ながらなんじの友の會の首座なり」
(ペトル・パウエル祭晩課・讃頌)

 聖使徒ペトルはガリラヤ湖畔の漁師であった。ある日アンドレイと共に漁をしていたとき、主イイススの「人間をとる漁師にしよう」との言葉に従い最初の弟子となった。彼は一切を捨てて主に従うものとなった。十二弟子の中心的存在であり、イアコフ・イオアンとともに重要なときに主と行動を共にしていた。そして主より「あなたはペトル…わたしはこの岩にわたしの教会を建てる…わたしはあなたに天の鍵を授けよう」という言葉を与えられた。
 主が捕らえられたとき、祭司長の庭まで様子を伺いに行き、鶏の鳴く前に、主によって預言された通り三回も、主のことを「知らない」と否認してしまった。しかし復活した主に出会ったペトルは堅い信仰に立ち返り、初代教会の指導者となった。主と生活をしていた時は失敗も多かったペトルが、聖神゜降臨祭の日には雄弁に説教を行っている。そのときは三千人もの人々が改宗し、受洗した(使徒行伝2:14〜42)。
 六十年代にネロ帝の迫害に遭い十字架刑を言い渡されたが、「主と同じ十字架では恐れ多い」と逆さまに架かることを望み、逆さ十字架刑で致命した。
 聖使徒パウエルは小アジア・キリキヤ州の首都タルソスのユダヤ人の家庭に生まれ、ガマリイルの元で律法について学んだ。熱心なユダヤ教徒であったので、積極的にキリスト教徒を迫害し、ステファンが石打ちの刑にされたときもこれに賛成していた。その後エルサレム周辺の信者を次々に迫害し、牢獄に投じた。さらに彼はダマスクの信者らを捕らえてエルサレムに連行するために、道を急いでいた。ところがダマスクに向かう途中、突然天から光がさして彼は地に倒れた。すると「サウル、サウル、何故わたしを迫害するのか」と声がした。彼は驚いて「主よ、あなたはどなたですか」と尋ねた。すると「わたしはあなたが迫害しているイイススである」という答えが返ってきた。サウルは三日間何も見えず、何も飲食が出来なかった。その頃ダマスク在住の主の弟子アナニヤのもとに主が現れて、サウルをいやし、洗礼を授けるよう命じた。「あの人は、異邦人たちへ…わたしの名を伝える器として、わたしが選んだ者である。わたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、彼に知らせよう」(使徒行伝9:15〜16)アナニヤによっていやされたサウルは、洗礼を受け名前をパウエルと改め、その後約二十年余りに亘って異邦の地へ伝道し、三度の伝道旅行をしている。またパウエルは異邦人改宗者とユダヤ人との関係について問題が生じた際、問題を解決するためにエルサレムに上り、異邦人への伝道に関する協議を行った。
 ペトルは主イイススの前で「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しています」と宣言したにもかかわらず、主が捕らえられたとき、三度主イイススのことを知らないと否定した。現代では直接的な迫害こそないものの、まだまだ一般社会では教会に通うことが理解されないことが多く、似たような経験をしたという方もおられると思う。こういうところにも宣教の課題があると同時に、ここで重要なのは、あきらめない信仰である。ペトルは「三度も否定してしまって、自分はもう駄目だ」などと絶望しなかった。泣いて悔い改め、主の道を歩み続けたのである。主神は、何度躓こうとも、わたしたちが悔い改めようとするとき、暖かくその手を差し伸べて助け起こしてくださるお方である。
 また熱心にクリスチャンを迫害していたパウエルは、主の声を聞いて一転強力な福音伝道者になったわけであるが、このこともわたしたちに大きな希望を示している。圧倒的に未信徒が多い日本では、わたしたちの周りの様々な場面で、信仰に無理解な者、誤解している者に出会うことがあるが、そのような人が突如熱心な信仰者に変わることもありうるからである。もっとも身近な例としては、亜使徒大主教聖ニコライが函館に滞在していたとき、邪教排斥ということで敵意を抱いて乗り込んだものの福音に触れ回心し、ついには日本人最初の司祭となったパウエル澤辺琢磨があげられよう。主の奇蹟はまさに人智を超えるもの、いつどこでどのように働くか計り知れない。
 冒頭に引用したとおり、ペトルやパウエルが主に触れられて変えられたように、主はわたしたちを、この罪深い自分自身をも変えて下さる。そして福音を述べ伝えようとする者に、なお強く働いて下さる。この偉大な聖人たちも、生まれながらに聖人でなかったことはもちろんだが、失敗しても主から目を離さず、主の福音を生き続けたことに主は恩寵を賜い、彼らをかくも偉大な伝道者とならしめたのである。