「自分の体で栄光をあらわしなさい」 (コリンフ前6:20)
復活祭前の大斎(おおものいみ)が始まりますと、平日の祈祷では「エフレムの祝文※」が唱えられ、何度も何度も伏拝します。肉食を控えるなど食事の節制も行います。要するに祈りに体を伴わせるのです。
大斎第二主日は、グレゴリイ・パラマスの主日です。これは、肉体を卑しいものだとして蔑んだ西洋思想の流入によって否定されようとした、初代教会に連なる「体を使う祈り」を擁護した聖人を記憶する日です。
主イイススは、私たち人間と同じ肉体をとって生まれてきました。それを籍身(せきしん)といいます。十字架上の死から三日目に復活したときも、イイススは弟子たちと共に食事をし、魚を食べ、また疑う弟子のために、脇腹の傷に触れさせました。まさに身体を伴っての復活でした。私たち正教会が、心だけでなく体を使って祈る意味がここから分かります。
聖グレゴリイ・パラマスは、こう述べています。
「すべての創造物には、神の力、エネルギーが宿っており、私たちの現在の生活においてさえ、神の栄光をこの肉体の目を通して見ることが出来る。人の体は、神の恵みによって神化される」
よく質問を受けますが、正教会の祈りで様々なものを使うのは、こういったところに理由があります。天国の象りとして聖堂を建て、聖像を掲げ、祭服を身につけ、蝋燭の灯りを灯し、乳香を焚き、パンとぶどう酒を食する…。
聖使徒パウエルは、コリント人への手紙の中でこう語っています。
「あなたがたの体は、神からいただいた聖神°が宿って下さる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。あなたがたは代価を払って買い取られたのですから、自分の体で神の栄光を現しなさい」(コリンフ前6:19〜20)
ここで、体が神聖神°の神殿である、とありますが、信者は機密を受けることですでに聖にされ、とりわけご聖体を頂くことによって、ハリストスと一体となります。その体の中で、私たちのうちに神聖神°が働いて下さるのです。
復活祭に向けて長い期間ではありますが、神の宮として少しでもふさわしくあるよう、自分を省み、一日一日の歩みを進めて参りましょう。そして有意義な大斎にしましょう。
※エフレムの祝文(大斎中たくさん祈られます)
『主我が生命(いのち)の主宰よ,
怠惰(おこたり)と,愁悶(もだえ)と矜誇(ほこり)と空談(むだごと)の情(こころ)を
我に与うるなかれ。
貞操(みさお)と謙遜(へりくだり)と忍耐(こらえ)と愛の情(こころ)を
我爾の僕(婢)に与えたまえ。
嗚呼主王よ,我に我が罪を見,我が兄弟(けいてい)を議せざるをたまえ,
蓋(けだし)爾は世世に崇め讃めらる。「アミン」』