5・腰帯(ポヤス)

あなたは腰に帯して、男らしくせよ。わたしはあなたに尋ねる。私にこたえよ。私が地の基をすえた時、どこにいたのか(イヨフ記38章3-4節)。

 この箇所は、旧約聖書の「イヨフ書」の中の一節である。多くの苦難の前に意気消沈していたイヨフに対し、神が語られた言葉である。神は死を願うイヨフに対し「帯を締め直し」、しっかり面と向かって問いに答えることを求める。もっとも大いなる方と直接向き直るに先立って、神自ら、帯を締めて勇ましくある事を命ずるのである。
 イスラエルに限らず、パレスティナでは重大な事(多くは宗教的行事)に携わる時、必ずといってよいほど腰帯を締める習慣があった。それは旧約律法の奉事規定にも明示され、厳格に守られた(出28:4、29:9)。このことは、イスラエルの伝統の上に花開いた、教会の奉神礼にも言えることである。腰帯は、そのままの形で残っている物としては、祭服の中で最も歴史の古いものの一つなのである。
 このように腰帯は、実務的には他の祭服を固定し、聖務の邪魔にならないようにする為の物だが、信仰的には自らの姿勢を正して神と向き合う決意の現れである。このことは、腰帯を装着する時の祈祷文にもよく表れている。

 神は崇め讃めらる、蓋し彼は力を持って我に束ね、我が為に正しき路を備う。我が足を鹿の如くにし、我を高き所に立たしむ。
(ポヤス腰帯を着ける時の祈祷文)

「正しき路を備える」とは、救世主が籍身する事で明らかにした神とひとつになる路に他ならない。この祈祷文は、ポヤスを着ける者が救世主と似る者となり、人々が正しい道を歩むための、水先案内人となるべき立場にあることを著している。聖務者がしっかりと神に向き合う姿を見る事で、参祷者もそれに倣う関係を意味している。「高き所に立たしむ」とは、司祭が信者の模範者として見られる存在である事を明示するものなのである。
 腰帯を身につけるのは、機密執行者である主教・司祭のみである。しかも、重要な祈祷に向けて完装する時のみ装着される。それは聖体礼儀(あるいはそれに付随する祈祷)の時に他ならない。聖体礼儀にこそ、機密執行者の本領が発揮されるからである。