7、王冠(ミトラ)、円帽子(カミラフカ)、修道帽(クロブーク)、球帽子(スクフィヤ)

 前回のナベトロニクとパーリツァの回でものべたが、司祭・輔祭はその功労に応じて特別の栄誉を主教品から与えられることがある。これは大別して、長司祭(長輔祭)・首司祭(首輔祭)といった無形の称号として与えられるものと、有形のものを通して与えられるものとがある。後者の場合、奉神礼の時に身に着ける特別な祭服と言う形で与えられる。今回説明する円帽子(カミラフカ)と王冠(ミトラ)もそのひとつである。
 カミラフカは、長輔祭・長司祭に与えられる円筒形の帽子である。祭服とは言っても、頭にかぶると言う点で他のものとは大きく異なっている。かぶる、という性質上よく目立つものだが、実はハリストスが言われた「大いなる者となりたいなら、まず人に仕えるものとなりなさい」という教えの現れであり、謙遜さを明示するものである。従って円帽子は神品だけでなく、修道請願をした者も普通に身に着けるものである。修道士がかぶる円帽子は妻帯神品のものと異なり、色が黒く、背面が薄い布で覆われている。これは特に修道帽(クロブーク)と呼ばれ、元々はイイスス・ハリストスが十字架刑のときにかぶせられた、茨の冠を象るものである。修道者はこれをかぶる事よって、全生涯を通じて主の受難を分かち合うのである。修道士がかぶるところから、主教品もこれを身につける。これが奉神礼において正装する時、王冠(ミトラ)と呼ばれるきらびやかな冠となる。ミトラは万有の王、イイスス・ハリストスの光栄をあらわしており、主が世をさばく王である事を表す。最も貧しい者となられた者が、最も高貴な方へ変容するのである。王冠も円帽子も、この世の貧しさを神の国において富める者へ変容させる、神の力をよく顕しているといえる。それは、謙遜さこそが救世主と光栄を分かち合うにふさわしい資格であり、この世で追うべきくびきの象りなのである。
 一方、奉神礼執行時以外に、神品や修道者が日常出歩く時にかぶるものもある。これは球帽子(スクフィヤ)と呼ばれ、なだらかな円錐形をしている。