聖大ピーメン (記憶日 8月27日/9月9日)

 聖大ピーメンは西暦340年前後にエジプトで生まれました。彼はその二人の兄弟アヌブとパイシイとともにエジプトのある修道院に行き、そこでそろって剪髪を受け修道士となりました。
 彼らは自らにきわめて厳格な修道生活を課しました。その厳格さゆえに、ある日、彼らの母が修道院に会いに来たときも、彼らは決して自分の庵室から出ようとしませんでした。立ちつくして泣きくれる母に、聖ピーメンは庵室の閉ざされた扉ごしにこう言いました。
 「お母さんは、今ここで私たちに会いたいのか、それとも来るべき世で会いたいのか、どちらですか」。
 聖ピーメンはこの世で自分たちに会えない悲しみを耐え抜いたなら、かならず来世で会えるだろうと、約束しました。母はその言葉を謙虚に受け入れ、家へ帰ってゆきました。

 聖ピーメンの行いと徳はやがて、国中で評判になってゆきました。あるとき、その地方の総督が彼に会いたいと望みました。いつも名声を受けることを避けていたピーメンは「もし、位の高い人たちが私のところへ来て、私に尊敬の念を表したら、他にも多くの人々が私に会いに来るようになり、私の静寂はかき乱されるに違いない。そうなったら、神の助けによってのみ手に入れることができた恵みとしての謙虚さは奪われてしまうだろう」…、そう考えて総督に「おいでにならないで下さい」と願い面会を拒みました。

 ピーメンはたくさんの修道士たちの霊をみちびき、彼らを教え導きました。修道士たちは彼らの質問に答えたピーメンの言葉を、仲間たちのために書き残しました。
 ある修道士はこう問いました。「もし、兄弟が罪を犯しているのを見たら、彼の過ちを秘密にしておくべきでしょうか」。
 ピーメン長老はこう答えました。
 「私たちがもし兄弟の罪を咎めたら、神は私たちの罪を咎めるだろう。あなた自身の罪は丸太のようであり、兄弟の罪はおがくずのようなものだということを忘れてはいけない(マトフェイ7:3-5)。それを忘れなければ、悲嘆に暮れることも、誘惑に堕ちることもなくなるだろう」。
 別のもう一人の修道士が聖人に言いました。「私は大きな罪を犯してしまいました。三年間の悔悛の時を過ごしとうございます。それで十分でしょうか」。 長老は答えました。
 「長い時だね」。修道士は、長老が彼に何年間の悔悛を求めるのかと問い返しました。「たぶん一年だけだろう」と内心期待しつつ。
 聖ピーメンは言いました。
 「長い時だね」。
 他の兄弟たちも尋ねました。「では、彼は四十日間の悔悛の時を過ごすべきということでしょうか」。
 長老は答えました。
 「私はこう思うよ。もし人が心の底から罪を悔い、決してもう同じ罪を犯すまいと固く決心するなら、神さまは三日間の悔悛で受け入れてくださるだろう」。

 執拗にまとわりついてくる邪悪な思いをどうすれば取り除けるでしょうかと問われ、聖人はこう答えました。
 「身体の左側に燃えさかる火があり、右側に水を満たした桶がおいてあると思ってごらん。火が燃え尽きそうになったら、水を桶から汲んで火を消すに違いない。火は、私たちを救いから去らせようとする敵が心に送り込んでくる邪悪な思いだよ。それは、あばら屋に燃えつく火花のように人の心に点火して、罪深い欲望を燃えあがらせる。水は人を神へと突き動かす祈りの力だ」。

 聖ピーメンはたいへん厳しく断食を守りました。ときには一週間以上も何も口にしないほどでした。しかし他の人々には「毎日食べなさい、でも食べ過ぎないように」とすすめていました。師父ピーメンは一週間何も食べなかったが、とうとうかんしゃくを起こしてしまったひとりの修道士のことを聞きました。聖人はこう嘆いたということです。「彼はまるまる一週間断食できたけれども、一日たりとも怒りを抑えることができなかったようだね」。

 「話をする方がいいのか、沈黙を守っている方がいいのか」と尋ねられた長老ピーメンはこう教えました。
 「誰でも神のために話をするなら、それはよいこと、神のために沈黙するなら、それもよいこと」。
 彼はさらにこう言いました。
 「もし沈黙しているように見えても、心の内で人を裁いているなら、その人はいつもおしゃべりしているのさ。一日中話し続けていても、じっさいは沈黙しているということもあり得るよ。もし、その人が役にも立たないことを何も言わないのならね」。

 聖人はこうも言います。
 「三つのことを守るがよい。神をおそれること、頻繁に祈ること、隣人のために善いことをすること」。
 「悪によっては、悪を滅ぼすことはできない。もし誰かがあなたに悪いことをしたら、善いことでお返ししなさい。あなたの行ったその善いことが、彼らの悪を征服するだろう」。

 聖ピーメンと弟子たちがスケーティスの修道院を訪れた時のことです。聖人はその修道院の長老がピーメンの来訪を不快に思い、修道士たちがみな師父ピーメンに会おうと自分をおいて出て行ってしまったので、嫉妬していることに気づきました。長老をなだめようと、聖ピーメンは兄弟たちと一緒に、贈り物の食べ物をもって彼の庵室へ行きました。しかし長老は彼らと会うのを拒みました。そこで聖ピーメンはこう声をかけました。「聖なる長老にお目にかかるのをおゆるしいただけるまで、私はここを動きません」。ピーメンは炎天下、長老の庵室の扉の前に立ち続けました。聖ピーメンの謙虚さと忍耐を見て長老は丁重に彼を招き入れました。そして言いました。「あなたについて聞いていたことは本当であったばかりか、実際は言い広められているより百倍もすばらしいことを、目の当たりにしました」。

 彼が持っていた深い謙虚さは、しばしば彼に「私はサタンが落ちている同じところに落とされるに違いない」と心から嘆かせました。

 あるとき、外国から一人の修道士が導きを求めて彼のところにやってきました。彼は理解しがたいさまざまな崇高なことについて話し始めました。聖人は彼に背を向けて、黙りこくってしまいました。途方に暮れた彼に弟子たちが、聖人は高尚なことについて話すのを好まないと、説明しました。それを聞いて、その修道士は心の内の情念との戦いについてピーメンに尋ねました。聖人は向き直り、満面に喜びを浮かべて言いました。「よいことを尋ねたね。ではお答えしよう」。その後、長時間にわたり聖ピーメンは、人はどのように情念と戦い、それを克服するべきかについて教えました。

 聖ピーメンは西暦450年ごろ110才で永眠しました。死後まもなく、彼は神を喜ばせた聖人であることが認められました。「聖大」というタイトルで呼ばれるのは、彼の謙虚さ、まっすぐさ、苦行、そして己を無にしての神のための働きが並々ならぬものであったことのしるしです。