聖アガフォポートとフェオドル

 ローマ帝国を、ディオクレティアン帝とマクシミリアン帝は支配していた頃、ギリシャ北部の都市フェサロニカのソルン城に、アガフォポートという老人の輔祭とフェオドルという若い少年の読経者がいました。二人は潔白、善良な信仰者で、全てを神に委ねる生活を送っていました。特にフェオドルは、神の恵みによって奇跡を行う力を得て、いろいろな病気で悩む人々をいやし、数多くの異教徒を主なるハリストスに改宗させていました。

 ところが教会に対する迫害が起こり、ソルン城をはじめとしてローマ帝国全体に、偶像崇拝の布告が出されました。また、同時にいろいろな拷問の道具が広場に並べられ、この布告にそむいた者がどう処罰されるかが示されました。そのため信者の中には、役人の手を逃れて荒野へ行く者や、苦難を恐れて信仰を棄てる者が次々にあらわれました。しかし中には運命を神に任せて町にとどまる者もたくさんいました。

アガフォポートとフェオドルの二人は、ソルン城内にとどまり、聖堂で絶えず祈祷を行っていました。そこへ役人がやって来て二人を捕らえて獄舎につなぎ、数日後、二人を裁判にかけるために市長ファウスティンの前に引き出しました。
 市長は、まず若いフェオドルを召し出して言いました。「少年よ、よく聞くがよい。おまえは、ハリストスの迷いを捨てて、わたしたちの古来の律法を守りなさい。そうしないと命を落とすことになるだろう。」
 フェオドルは、微笑して堂々と答えました。
 「わたしは、もう長い間、迷いを捨て去っております。むしろあなた方が迷いのために、永遠の死に罰せられるでしょう。」
 市長はフェオドルがまだ幼いと思い「もしおまえが正教を捨てるならば、金銀財宝を与えよう。その代わり神像に祈りを捧げなさい」と持ちかけました。
 フェオドルはこれを拒絶しました。市長のそばに立っていた神官は「おまえがもし、市長様の憐れみ深いお言葉に従わなければ、苦難によって王の命令に従わせるしかない」と告げました。フェオドルは「苦難を恐れてはいません」と答えました。
 さらに市長は、「少年よ、十分に考えなさい。おまえは、名誉と栄光に満ちた生活を得て、楽しい日々を送りたくはないのか。苦しい死を選ぶことはないのだぞ」と言いました。

 フェオドルは市長に言いました。
 「生命は、死よりも尊いものです。それは説明する必要がないくらい誰もが知っております。しかしながら、わたしは心から神を信じています。いまの限りない生命を捨て、神の限りない生命と天国の永遠の幸福を得たいと願っています。あなたは、わたしのからだを日に投げ入れ、あるいは切りきざんてもよいでしょう。しかし朽ちることのない魂は、永遠の生命を楽しむでしょう。」
 すると市長は再びフェオドルに尋ねて「おまえが自分の生命を棄ててまで得ようとしている永遠の福楽は、一体誰がおまえに与えてくれると言うのだ」と言いました。それに対してフェオドルは「主なる神と父の言葉なる神の子イイスス・ハリストスです。私は嬰児の時からすでに心からの『ハリスティアニン』であり、その信仰を途中で棄てる気は全くありません。」

 市長は少年の決心が固いのに驚き、説得しても無駄なことを悟りました。そして彼を引き連れていくように命じ、今度はアガフォポートを召し出し、その老人を説きふせようとしました。市長はアガフォポートに、「おまえは私たちの諸神を拝するようになりなさい。おまえの親友フェオドルもすでに迷いを捨て、私たちとともに諸神に祭りを献げることを約束したのだ」と欺こうとしました。
 それでもアガフォポートは、年少の親友の気持ちをよく知っていたのでその讒言を信じませんでした。彼は、「フェオドルがする事はどんなことであっても私と一緒にそれを行います。ですから私は彼とともに喜んで真の神と神の子イイスス・ハリストスに献祭を献げます。」と答えました。
 ファウスティンは、「フェオドルが献祭すると約束したのは、おまえがこだわっている神ではなく、万物を治めている十二の諸神である」と言いました。するとアガフォポートはき然として諸神が空虚であることと、偶像を拝して真の造物主と救世主を認識することを望まない者の無智で愚かなこととを証しました。それを聞いて市長は、彼の言葉とどんなことを言っても動じない心を知って恐ろしくなり、フェオドルとともに再び獄舎へ連れもどしました。

 この時、皆はフェオドルがまだ年少であることを憐れんで市長の命に従うよう彼に勧めました。またアガフォポートには、「老父よ、このような無益なふるまいをして、自分に利益なことを悟らないのは恥ではないか」と言いました。しかし二人はこれに対して一言も言葉を交えず、黙ったまま歩き獄舎の方へ進んでいきました。
 彼ら二人は、いろいろな悪事を犯したために罰せられた罪人たちと一緒に獄に投げ入れられました。けれども二人は誠心誠意主にお願いして、その罰を甘んじて受けようとしました。彼らは自分たちの運命がどうなるかも顧みずに、ただ主に従順であろうと謙遜をもってその幽閉に耐え忍びました。

 二人が獄舎に繋がれた最初の夜、主は不思議な夢によって、彼らを励まされました。二人は飛び起きて跪き、一心に主に祈りました。彼らの心は充満する愛と感謝の心であふれんばかりとなり次のように声高く神を誉め讃えました。
 『神、造物主、万有の造者よ。この世界を造り天を堅め、太陽で地を照らし、月と星とで夜の暗闇を散らすように命じられた主よ。この世の諸獣に生命を与え、水中に魚類を生み出し、空中を諸鳥で満たし、地に植物を発生する力を与え、万物に人の利益になるため務めるよう命じられた主よ。万民に代わりあなたに感謝いたします。あなたは我々人類の作った法律を破り、罪を犯した者でさえも滅びることを欲しません。かえって我らの罪悪を容赦し、あなたの限りなき仁慈によって、天の宝座からあなたの独り子を遣わして下さいました。彼は人性を受け、不義の道に迷った者を真理の柵に帰すために、我らの死すべき命にご自分の不死の命をおわけ下さいました。神よ、あなたは子とともに輝かしい奇蹟をもって、全世界にいる不虔の者を真理の光で照らして下さいました。神の子は父と聖神とともに、一言ですでに死んで四日経ったラザリを復活させ、自然の法則と死とにお勝ちになられました。あなたは泥をもって盲人の目を開き、あなたの衣に触れただけで病に苦しんでいた婦人をいやし、一言でらい病者をいやされました。
 主よ、今もまた願はくは我らを顧みて、天からの力をもって我らを強固にし、我らがあなたの援けによって苦難を耐え忍び、天国に入ることをお赦し下さい。』

 この祈祷を聞いていた、同じように繋がれていた罪人たちは大いに感動し、正教徒である二人の前にひれ伏し、これまでの自己の過ちを悔いて、永遠の死より救われる道を示してくれるよう願いました。聖致命者たちが彼らに救贖の道を説いていると、獄舎のそばに立っていたおびただしい人々が獄舎の戸を打ち破ってその中に入り、喜んだり感じ入ったりして二人の神の僕の口から出る福音の言葉を聞いていました。

獄舎の長はこのことを知り、ただちに市長にその様子を報告して、「もし速やかにこれを処置する法を設けなければ、民衆は皆『ハリスティアニン』たちが伝える神を信じるようになるでしょう」と伝えました。その日のうちに市長はアガフォポートとフェオドルを牢から連れ出し、王の名をもって彼らに諸神に祭を献ずることを勧めましたが、『ハリスティアニン』の心は堅固で、以前のまま少しもその勧めを聞こうとはしませんでした。そこでファウスチンはフェオドルを鞭打ちで罰しました。けれど彼は、主イイスス・ハリストスの聖名を承認し続け、泰然として拷問に耐え忍びました。

 市長は、フェオドルの持っていた聖書を没収しようとしました。するとフェオドルは、
 「もし市長が、真理を悟り、自分の迷いを捨てるために聖書がほしいのであれば、預言書と聖使徒の書を持って来ましょう。しかしあなたは悪い思いからこれを命じていますから、わたしはあなたの命令に従うわけにはまいりません。」と反論しました。
 市長はこれをきいて大変怒り、もっと恐ろしい刑罰を与えようとしました。フェオドルはさらに市長に言いました。「あなたのなさりたいようにわたしになさって下さい。わたしのからだは、あなたの権力と意志にゆだねられております。ですから切り刻んでもかまいません。しかし聖書をこのような汚れた所に持って来ることはできません。」

 市長は、すぐにフェオドルを死刑場に引き出し、フェオドルを斬首刑にしようとしました。フェオドルは死を決心して「わたしたちのために甘んじて苦難を受けた主イイスス・ハリストスよ。わたしはあなたの恵みによって信仰を固くし、喜んであなたのために死にます。」と神に向かって語り、頭を垂れました。
 市長は、フェオドルが恐怖から改宗することをねらっていたのですが、そのようにならなかったので処刑をとりやめ、次にアガフォポートを呼び出して質問しました。

 市長はアガフォポートに「おまえはフェオドルの親戚なのか」とたずねました。彼は、「血縁の者ではありません。同一の教えによって結ばれた者です。」と答えました。
 市長は、「どうして二人共、同じ刑罰を受けたがっているのか」と問いました。彼は「二人共、同じ天国からの報いを得たいのです」と言いました。市長はさらに、「おまえは若いフェオドルのように迷いにとりつかれていて、恥ずかしくはないのか」と質問しました。
 アガフォポートは、市長にはっきりと反論しました。「わたしは、決して迷ってはおりません。またわたしのハリストスへの希望は、けっして空しいものではありません。わたしは、フェオドルが自分の信仰を堅く守っていることを心から喜びます。わたしは彼より歳をとっています。ですからなおさら、わたしの信仰は、堅く強いものでなければなりません。」

 このあと市長は若いフェオドルに向かって、「少年よ、この老人の言葉に惑わされてはいけない。深い考えもないのに死んでもよいのか。この老人が死を求めているのは、あたりまえのことだからだ。おまえとは違い、彼は老人だし、これから先の寿命も短いものだろう。おまえは若いのだから、まだまだ楽しみや遊びも多いだろう。なにもここで生命を自分で棄てることはない。」と言いました。

 フェオドルは、「わたしは若いけれども、この老輔祭と共に、神にお願いして主のために苦難を受けることを願っています」と言いました。市長は二人をしばった後、再び獄舎に入れました。するとそこに多くの知人・友人が集まり、二人の悲運を悲しみました。
 フェオドルは友人たちに、微笑して語りました。「なぜあなたがたは、悲しんで泣くのですか。わたしたちを待っているお方は、勝利者です。あなたがたは全然悲しむことはありません。」

 やがて市長ファウスティンの命令で、最も重い鎖で二人はつながれ、一番奥野暗い獄舎に入れられました。二人は、友人・知人たちからも遠ざけられ、孤独な生活を送りました。しかし二人は、主なる神と共にあって、受難者を慰める者は神のほかになく、主が深い恵みによって二人に勇気を与えてくれることを知っていました。

 ある夜のこと、神は夢で二人に、死と救いの有様を示されました。二人は、夢の中で、嵐で荒れ狂う海を航海していました。波は高く、船は破損し、船の人々は嘆き悲しみ、皆溺れ死んでしまいました。しかし二人は、舵取りの誘導で無事に浜辺に着きました。そして、光の衣を着て山に登り、ついには天に達しました。
 二人は夢から覚めたあと、お互いにこの奇妙な夢について語り合い、主に感謝を捧げました。この感謝の祈りが終わらないうちに二人は法廷に引き出され、市長ファウスティンから諸神を崇拝するよう勧められました。しかし二人が最後まで、主の名によって苦しみを受けますと答えつづけたので、市長は二人を海中に投げ入れるよう命じました。
 二人の友人・知人たちは皆、諸神に祈りを捧げて生命を救うよう願いましたが、二人はこれを拒絶して海中に投げ入れられ、神に祈りを捧げながら神のみもとへと帰っていきました。その後二人の死体は浜辺に打ち上げられ、友人・知人たちが、二人を墓に葬りました。