真実
      第四福音(ルカ伝二四章一節から一二節)

 主の復活は門徒たちが世界に告げたのではなく、女たちが門徒たちに告げたのです! 主は不公平ではありません。人を神の国に入れる基準は人の名声ではなく、人の真実です。門徒たちはイイススの体がアリマフェヤのイオシフの墓に横たわった時、悲しみのあまり茫然としてしまいました。「まだガリラヤにおられたころ」、師であるハリストスが彼らに言った言葉は依然として謎でした。
 門徒たちは起こった出来事を一から十まで恐れました。どうしていいのかわかりませんでした…。彼らは、あたかも、イエルサリムの城壁の外にゴルゴファという所があり、それと並んで園があり、その園に主の横たわる墓があることを忘れたかのようでした …。
 ただひとつ世界にわかっていることは、彼らは女たちのように安息日があけるのを今か今かと待ってはいなかったこと、門徒たちがスボタの安息が終わっても香料の容器を持ってエレオン山に相対するイエルサリムの門の外へ出なかったということです。
 けれども携香女たちは、彼らに代わってこのことを行ったのです。彼女たちは世界のために、復活したハリストスについての最初の知らせを彼らに代わって受け取ったのです。主がその女たちを憐れんだのは、主に対するその奉仕の価値のためではなく、主に対する愛の価値のためでした。
 旧約の時代には、ただ一人司祭長が、それも年に一度だけ至聖所に入ることができました。けれども新約の時代には万人誰にでも、またいつでもどこでも、もっとも大いなる至聖所であるハリストスが解放されています。神に入ることは聖職者であるか否かではなく、心の価値によるのです。心は神への門です。主はどんなにこれをわかりやすく示されたことでしょう。というのも、右側の盗賊は第一に天国に入り、優しい女たちは第一に福音を伝え、また福音記者たちにも伝えたのです。
 神の国は信者のためです。神の国での最高のものは地上にあって最高の栄誉を受けた者ではなく、天による最高のものなのです。神の国は“私たちのうちにあります”。信者にとって復活の喜びは多くの喜びに伴われています。そして復活に伴う喜びのうちで第一の喜びは“すべての”人々が神の国に招かれ、“すべての”人々が等しく神の像であり、また人は誰でもハリストスに対して“もっとも真実のある者”になり得るという、古今東西を通じての神の教えの喜びです。